四月は君の嘘感想:春に背を向け逝く君は…

こんばんは。昨日は春分の日ということで、ぼた餅と桜餅を食べました。北海道の桜餅は道明寺桜餅、つまり関西系のようですね。どっちがおいしいかは人それぞれで、私は道明寺桜餅も好きなんですが、見かけないとなると長命寺桜餅も食べたくなりますね。

そういえば土曜日が祝日でもどうにもならんという話を昨日したんですが、悪い影響はありました。土曜日は営業するけど日祝は休むというお店は休みになってしまうのです。クリーニング店に行ったら思いっきり休みでした。

今日は久しぶりにさんぱちラーメンに行ったのですが、12月に血も凍るような凍結路面に涙目になってびびりながら往復した店に、何の障害もなく鼻歌交じりで行くことができることが嘘のようですね。私はここの野菜ラーメンが好きなんですが、味はともかく(いや、おいしいけど)もやしを主体とした野菜が山盛りになっていて一杯でお腹いっぱいになるというところが好きです。噂に聞くラーメン二郎のラーメンは画像で見るとこんなもんではすまないようですが、とりあえず自主的に「ニンニクましまし」してきました。

さてようやくアニメを見まくって不在中のロスを取り戻したところですが、何と「四月は君の嘘」が終わってしまいました。冬季アニメはこれからどんどん終了するようなので、この感想は書いていかねばと思いますが、本作は秋から2クール視聴してきたので、独立して感想を書きたいと思います。この特別待遇は今週終わりそうな「寄生獣 セイの格率」にも適用してやらねばなりますまい。

一足先に原作のマンガが終了しており、結末は分かっていたのですが、やはりヒロインの宮園かをりは死んでしまいました。延命のための手術中に亡くなるというのも哀れな話で、もしや手術をしなければいずれ死ぬにしてももう少し生きながらえたのかも知れません。

最後の遺書というかラブレターは、もう視聴者を泣かせんかなというものシロモノでしたが、盛り上げのために女の子を殺すなよ(特に可愛い子)と苦情を言いたいです。私はむしろ主人公である有馬公生よりも、かをりの両親の悲しみに共感してしまいました。15才の愛娘が死ぬのを手をこまねいて見ているしかない悲しみはいかばかりかと。きっと代われるものなら代わってやりたいと思っていたに違いありません。ただ、最後の手紙によると、かをりの死はかなり前から避けられないものとして知らされていたので、元気だった娘が突如亡くなるったというシチュエーションに比べればまだ覚悟を固める時間があって良かったなと。

そしてかをり自身も、自分の命が長くはないということをだいぶ前から知っていたようで、第一話開始の時点では既に知っていたと思われます。それを知って思い切って公生に近づくためにああいう行動に出て行ったということなんでしょうが、かをりが見せて気まぐれや我が儘、感情の激しい起伏は、全て“命が長く持たない”が故だったと分かれば、もう全て許すしかないでしょう。

公生はおそらく40才にも達していなかっただろうママンを失い、今また初めて好きになった女の子(しかもママンを失った悲しみを癒してくれた)をも失ってしまった訳ですが、もしや公生に愛された女性はことごとく死ぬ運命なのか。「人間メトロノーム」というより「生きる死亡フラグ」という仇名の方が適切かも知れません。

松本零士の戦場まんがシリーズにある「死神の羽音」という作品を連想してしまいました。たしか6巻の「悪魔伝の七騎士」に収録されていたと思いますが、
“死神の顔は誰も知らない
死の瞬間にみる死神は死んでゆく者にしか見えないのかもしれない
その姿を他人に語る前に人はみな死の世界へ旅立ってしまう……”

こういう奇妙なアバンから始まるのですが、この作品の主人公は戦いの中、敵味方含めていつも一人だけ生き残ってしまうのですが、それは実は……という話で、戦場まんがシリーズは面白いのでぜひ本作も含めて読んで欲しいのですが、公生もこの作品の主人公と同じだったりして。公生がかをりの最期に立ち会ったとしたら同じように言われたりして(怖い考えになってしまった)。

余談はさておき、公生ママンが自分亡き後の公生を思う余りにほぼ虐待の指導をしてしまったのに比べれば、かをりはああ見えてよほどましな対応をしていたのだなあと思います。公生の親友の渡を好きだと言ったのも、折に触れ公生を代理とみなす発言をしていたのも、椿の気持ちを知っていたのと、自分の命が長くないが故だったということが、死後に分かるというのが実に悲しいです。

あんな手紙を貰ってしまったら、もう公生はかをりを忘れることなどできないでしょう。実はかをりはそれを狙っていたりして。自分は死ぬけど公生は椿には渡さないぞという“執念”を感じるのは私だけでしょうか。


で、公生の今後ですが、椿とつっくつというのは考えにくいような気がします。幼馴染みだし強い友情は感じていたようですが、公生が恋をしたのはかをりが初めてみたいだし。なにより椿では共に芸術を語れないし、技量を高めあうこともできないし。そうすると井川絵見かなという気もしないではありませんが、私としてはここは相座凪を推しましょう。公生にとって初めての弟子だし、相性も良さそうだし。現在最大のライバルである相座武士の妹ということでNTR気分を味わわせることで精神的ダメージを与えるという副次効果も期待できたり(笑)。

あるいはまさかまさかの千春ちゃん(紘子さんの娘)。あんなおチビちゃんが?と思われるでしょうが、絵見もかをりも幼少期はあんなもんだったので、きっと千春も大きくなれば綺麗になると思います。高名なピアニストである紘子さんとの結びつきも一層強くなって最高では。

じゃあ椿はどうするんだという声もあるでしょうが、椿は斎藤先輩というあの年頃ではちょっと考えられないほどの器の人の気持ちを弄んで(結果的に)捨てたという罪業があるのと、柏木さんというやはりちょっと考えられないほど大人の友だちがいるので、それでいいんじゃないかと。BLの布教を受けて乙女ロードにでも行けばいいさ。

ところで終了してもなお不明な点がいくつか。これって原作では描写されているんでしょうかね。

① かをりの病気の正体

アニメでは一切が不明でしたが、以前から大量の薬を服用していた、立てなくなる、発作のような症状を発生するなどの描写がありました。てっきり脳腫瘍とかなのかと思っていましたが、かをりの手術シーンは頭部には手つかずだったので違うようです。分かったからといってどうなるものでもないですが、私、気になります!

② 東日本コンクールの結果

優勝公生!と言いたいところですが…結果は描写されていませんでした。かをりの死に比べればコンクールの結果なんて些細なことではあるんですが、武士や絵見が会心の演奏をしているようなので、それを抑えて優勝しているといいなあと思います。というか、あれで優勝できなければ今後勝てる見込みがないような気も。音大付属高校には3位でも入学できるとは思いますが。

③ 公生のパパン

ママンの生前の描写は多数あるのですが、パパンは存在しているにも関わらず、一切登場してきませんでした。仕事が忙しいらしいですが、それにしても公生を放置し過ぎではないかいな。過去にママンの一存で公生への数々の虐待的指導が行われていましたが、パパンはこれについて何にも言わなかったのでしょうか。そもそもパパンがいるというのに、なぜにママンはああも公生の将来を心配したのでしょう。パパンには何かあるような気がして仕方有りません。

④ ピアノを引き続けた公生

コンクールの途中、かをりの幻が出現し、ヴァイオリンで共演を始めます。これを見た公生はかをりが既に死んだことを覚知したようですが、これまでの公生なら途中で演奏を止めてもおかしくないほどの精神的ダメージのはずなのに、よく最期まで演奏を続けられましたね。何しろ最終回なので、演奏をやりきる描写で正解だとは思うのですが、直前にはかをりの発作を見てピアノを弾けないほど落ち込んでいたというのに。かをりの魂が側にいたから?


⑤ 渡の気持ち


結局かをりからすると公生の当て馬にしてしまった渡。最後の手紙では“渡君に謝っといて。まあ、でも渡君ならすぐ私のことなんか忘れちゃうかな。友達としては面白いけどやっぱり私は一途な人がいいな”なんてディスられていますが、本当のところ渡はかをりのことをどう思っていたのでしょうか。かをりの本当の気持ちを知った上であえてかをりの策に乗ってあげていたなんて孔明並みの策士だったならなんて良い奴だと思いますが、チャラチャラしているようで、結構渡なりにかをりのことが好きだったような気もするんですが。渡、とりあえず椿をNTRだ!

「四月は君の嘘」の「嘘」というのは、かをりが公生のことを最初から好きだったのに、渡を好きだと言ったことを指すのですね。つまり「(かをりの死後)また巡ってきた四月は君のついた嘘のことを思い出す」といった意味になるのでしょう。

それにしても美少女のかをりですが、昔はメガネほむらのように地味な子だったんですね。しかも幼い頃に公生の演奏を聴いて憧れたという。チビ公生は相座武士、井川絵見、そしてかをりと色んな人に影響を与えまくっていますな。

武士や絵見が公生を目標にピアノに傾倒していったのに対し、かをりは共演するためにわざわざ楽器をピアノからヴァイオリンに換えたのですね。コレは恋いですよ恋い。短く終わったかをりの人生ですが、その分早熟だったのかも。

しかし、憧れの公生にせっかく中学で再会したのに声も掛けられなかったという。公生と椿、渡の三人組の仲の良さに入り込むスペースがないと考えていたかをり。見かけだけでなく性格も地味子だったようです。

そんなかをりが変わったのは、自分の寿命が長くないということをはっきり悟ってから。そう、あの四月の初顔合わせの直前だったようです。


かをりが渡が好きだという嘘をついたのも、自分はじきに死んでいなくなる“通り過ぎていなくなる人間”だから、変な禍根を残したくなかったからだと言っていますが、椿が公生のことを好きなことを理解していた(公生と椿以外は皆知っているのですが)ので、公生を紹介してとストレートに頼んでも椿はいい返事をくれなかったと思うと言っています。

自分の恋心には自覚がなくても、本能で公生に近づこうとするものは許さない椿、恐ろしい子!

ラストの踏切のシーンは「秒速5センチメートル」以来の切なさでした。そこに出てきて余韻をぶちこわした椿は本当に必要だったのかと小一時間。まあ死者だけを想って生きて行くわけにはいかんですけどね。私としてはうざい椿はやめておいて、公生は凪か絵見か大穴の千春と結ばれるのがいいなと思います。

かをりが自分の寿命を知っていたか知らなかったかでがらりと彼女への印象が変わる訳ですが、やはり知っていたんですね。だとするとかをりの全ての振る舞いを許さざるを得ないわけで。公生に前を向いて生きて行って貰いたければあの手紙は「渡さなかった手紙」にした方が良かったのでしょうが、かをりは公生に覚えておいて欲しかったのですね。女の子の最後の願いがそれであれば、もう公生はかをりの記憶を心に刻み込むしかないでしょう。例えそれで他の女性を愛せなくなったとしても。

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