桜田淳子の歌で妄想する「秒速5センチメートル」:花苗が貴樹への告白を強行していたら

おおーっと寒くなって参りましたがこんばんは。真冬並みの寒波が来たそうで、北海道から山陰にかけた日本海側の広い範囲で荒れた天気となりました。札幌では日中細かい雪が降りまくっていましたが、幸い積もりませんでした。寒いだけならどうということはないのですが、寒がりで重装備な道産子に配慮して、一応コートを買ってみました。ええ、ニッセンで。ボーナス前だけど、これが自分へのご褒美です。1万円強ですがなにか?みんなビンボが悪いんや!

本日は妄想秒速です。先週に続いて野口五郎だと思うでしょう(頼むから思って)?ところがぎっちょんちょん、桜田淳子なんです。まあ古いことには変わりありませんがね。今回は桜田淳子の「しあわせ芝居」で妄想してみたいと思います。

桜田淳子は1958年4月生まれで秋田県秋田市出身。中学二年生だった1972(昭和47)年に、当時日本テレビの人気オーディション番組だった「スター誕生!」(司会は欽ちゃん)の秋田県予選で番組史上最高得点となる573点で合格(1000点満点で合格ラインは250点)。同年の決戦大会で、番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞しました。

1973(昭和48)年4月に「天使も夢みる」でデビューしました。同じ「スター誕生!」出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、「花の○○トリオ」は「高三トリオ」まで続きました。西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎の新御三家といい、日本の芸能界は三人でくくるのが好きみたいですね。

3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、1973年の第15回日本レコード大賞でアグネス・チャンや浅田美代子を抑えて最優秀新人賞に輝きました。山口百恵は初期はさほどヒットせず、新人賞も取れませんでした。ちなみに前年の第14回日本レコード大賞の最優秀新人賞は、森昌子や郷ひろみを抑えた麻丘めぐみでした。その前の年は小柳ルミ子。うわあ…懐かしい名前ばかりで目の前が涙で霞みそう。

その後もヒットを連発し、シングルは累計で600万枚近くを売り上げました。デビュー3年目の1975(昭和50)年には、オリコン・シングルレコード年間売上、マルベル堂のブロマイド売上、「月刊明星」の年間人気投票において、いずれも女性歌手部門の1位の四冠を獲得するなど、名実共に1970年代を代表するトップアイドルのひとりでした。

コメディエンヌの才能もあり、「8時だョ!全員集合」での志村けんとの「夫婦コント」(「私って駄目な女」シリーズ)での絶妙なかけ合いは、プロからも絶賛されました。しゃべり方に特徴があり、ものまね番組などでサ行の発音をデフォルメして真似されることが多く、また出身地の秋田弁でしゃべってみせることも多く、1970年代後半に井関農機の田植機「さなえ」のCMでも「やっぱし早苗だべさ」という秋田弁のセリフが有名になりました。

ああ、そんな逸材だったのに……1992(平成4)年に世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見で表明し、実際に結婚しました。統一教会には19歳頃から入信していたと言っているので、70年代半ばには既に信者だったということになります。

これによって統一教会をめぐる種々の問題がクローズアップされるようになり、「統一教会の広告塔」として批判を受けるようになります。統一教会絡みの話題には「桜田淳子らが参加した合同結婚式で有名な」と名前を引用されることも多々あり、結婚後のある時期からは、自らがメディアに顔を出す形での取材は一切受なくなりました。以降は一切の芸能活動を休止、事実上の芸能界引退となっています。

統一教会についてはいろいろ取りざたされており、個人的にも言いたいことがないわけでもないのですが、当ブログはノンポリ路線なので、政治・宗教などへのこれ以上の言及は避けたいと思います。

本題に戻って「しあわせ芝居」です。1977(昭和52)年11月にリリースされた21枚目のシングルで、作詞作曲は中島みゆきです。桜田淳子にとって、中島みゆきの起用は初めてでした。中島みゆき自身、1979(昭和54)年のアルバム「おかえりなさい」でセルフカバーをしています。オリコン最高位は3位で、この年の第29回紅白歌合戦の出場曲にもなりました。

この歌で妄想するのは、「もし花苗が貴樹への告白を強行していたら」ということですね。本編では花苗は告白に至りませんでした。この点についてコミック版は貴樹から「言うな」という無言のプレッシャーが花苗に浴びせられていましたし、加納版の小説では貴樹が実際そう思っていた旨語っています。ここの部分の解釈は見た人に委ねたいのですが、まあ貴樹がどう思っていたかは別として、花苗がそういうプレッシャーを感じたというのなら、花苗の主観的には事実なんでしょうね。

あ、このセリフはまた取り上げよう(笑)。言ったのはダージリンさんじゃないですけどね。

しかし、ニュータイプではなかった花苗が空気を一切読まずに告っていたとしたらどうなったでしょう。貴樹のことですから、無碍に「No」とは言わなかったのではないかと思うのです。その結果、歌詞のようなことになるのではないかと。

泣きながら電話をかければ
馬鹿な奴だとなだめてくれる
眠りたくない気分の夜は
物語を聞かせてくれる
とてもわがままな私に
とてもあの人は優しい
たぶんまわりの誰よりも
とてもあの人は優しい

恋人がいます 恋人がいます
心の頁につづりたい
恋人がいます 恋人がいます
けれどつづれない訳がある

私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
電話しているのは私だけ
あの人から来る事はない

なにしろ「貴樹くんはやさしい」ですから。残酷なほどともいえる貴樹の優しさは、一時は花苗を有頂天にさせたことでしょう。が、花苗もバカではありません。自らを偽ろうとしても、どうしても明らかになっていく真実。

浜辺を見たいのとさそえば
鼻唄まじりに連れてゆく
踊りたいとすねてみせれば
おどけながらあわせてくれる
部屋をたずねてもいいかしらと
一度きいてみるつもりです
きっとあの人はだめだとは
言わないだろうと思います

恋人がいます 恋人がいます
心の頁につづりたい
恋人がいます 恋人がいます
けれどどうしてもつづれない

私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
逢いたがるのは私一人
あの人から来ることはない

私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
逢いたがるのは私一人
あの人から来ることはない

さあ、「真実」に気づいて花苗はどうするのでしょうね。

① それでも既成事実さえ作れば、貴樹が花苗を愛するという「結果」は後からついてくるとばかりになおも押しまくる(手柄立てちまえばこっちのもんよ…ってジーンか)

② 貴樹は自分を愛することはないと自覚し、自ら別れを切り出す(貴樹はもちろんあっさりと受け入れるでしょう)

③ お姉ちゃんあたりから「世の中には仮面夫婦というのがあってだな…」といった知惠を授けられ、仮面恋人でもいい、貴樹くんと一緒にいたい。貴樹くんは誰にも渡さないと、しあわせ芝居を続ける。遥か昔に読んだ少女マンガに、貴族と結婚して玉の輿に乗った貧しい娘(主人公)が後に誤解から旦那に不信を抱いたところ、結婚に強く反対していた旦那のママンから「とにかくいつも一緒にいるようにしなさい。習慣というのは強いものよ。時には愛を凌ぐほどにね」と言われて励まされるシーンがありました。貴樹と一緒にいることを習慣にしてしまう花苗…

貴樹と一緒にいれば幸せなのだということなら、③でいいでしょうけど。本編どおりの性格の花苗なら②かなあ。いや、それならそもそも告白しないでしょうけどね。

それでは聞いてみて下さい。まずは自分がデビューする契機となった「スター誕生」で歌う桜田淳子。いわゆるテレビサイズですね。
こちらはフルバージョン。画像は静止画ですが変わります。
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