神隠し 秋山久蔵御用控:町奉行所の与力に脚光を当てた異色作

札幌東武ホテル
 

 霧の釧路、さいはての稚内、港町函館…そのどれでもない札幌は妙にあっついぜよ。暑さは正直内地とは比べものになりません。しかしながら薄ら暑いのですよ。ちょうど内地の冬が薄ら寒くて道産子には辛いように、札幌の夏は薄ら暑くてマイッチングです。

 本日は藤井邦夫の「神隠し 秋山久蔵御用控」です。藤井邦夫の作品は初めて読みました。

神隠し

 藤井邦夫は1946年11月22日生で北海道出身。日大芸術学部を卒業して東映テレビプロダクションに助監督として入社しました。もともと脚本家志望で、勉強と割り切って数々の作品で助監督を務める傍らで脚本家としてデビューしました。

 スーパー戦隊シリーズで多くの脚本を執筆しましたが、近年は時代小説家としての活躍が中心となっており、年に8~10冊の書下ろしを発表するなど売れっ子になっています。執筆はデビュー当初から今に至るまでずっと手書きだそうで、今では珍しいタイプかも知れません。

 各文庫からシリーズものを出していますが、「秋山久蔵御用控」シリーズはすでに14巻が出ているロングシリーズで、「神隠し」は第一作になります。

奉行所の与力

 例によって文庫本裏表紙の内容紹介です。

 隅田川堤の桜見物に出かけたまま行方知れずになっていた、浅草の呉服屋「近江屋」の娘おさよが、三日後、無事に帰ってきた。その間、脅迫もなければ金の無心もなかった上、おさよの記憶も曖昧だったことから、南町奉行所の与力・秋山久蔵は“神隠し”で始末をつけた。だが、その裏に卑劣な企みが隠されていようとは…。久蔵は手下たちに秘密裡の探索を命じる。剃刀の異名をとる、八丁堀与力の胸中深く零れる一筋の涙。

 江戸時代の「捕物帖」ものはそれこそ星の数ほどあって、岡っ引きや同心や、町奉行直々というものもあるのですが、案外盲点だったのが、中間管理職である与力による捕物帖でしょう。本書はその与力にスポットライトを当ててうまくニッチを獲得したなという気がします。

奉行所の同心


 秋山久蔵は南町奉行所の吟味方与力です。与力としては最重要職で、実際に市中を見回った町廻り同心の直上の上司となります。与力は南北各町奉行にそれぞれ25騎が配置されていました。同心は200人から280人いたので、まさに中間管理職ですね。与力は馬に乗ることが許されていたので馬込みで単位は「騎」となります。200石程度が給付されていて下級旗本クラスですが、罪人を扱うことから不浄役人とされて御家人に留まり、将軍に謁見することや、江戸城に登城することは許されませんでした。同心が足軽なら与力は足軽大将といった格でしょうか。

 秋山久蔵は「剃刀」の異名を持ち、身分を捨ててでも悪を討つという決意に燃えており、悪人であれば相手が町方の及ばない上級武士であろうと、手段を尽くして対して葬ります。本書でも過去に偽金作りを行い、町奉行に圧力をかけて捜査を止めさせようとした勘定奉行を切腹に追い込んでいます(第5話「幽霊」)。

 部下としては定町廻りの同心神崎和馬が登場しますが、青二才で秋山久蔵に鍛えられている最中といったところです。岡っ引きとしては「柳橋の親分」こと佐平次がおり、こちらはベテランで秋山の信頼も厚く、多くの部下を率いて探索に捕り物に大活躍しています。

町奉行所の構成
 
 町奉行所は、武家地,寺社地を除いた江戸市中の行政,司法,警察,消防などをつかさどり、現在で言えば都庁の役割を果していました。ご存じの通り、北町奉行所・南町奉行所の2つが1ヶ月交代で分担します。その長官である町奉行としては、大岡越前守忠相,遠山金四郎景元,根岸肥前守鎮衛などが有名人です。寺社奉行,勘定奉行と並んで三奉行と呼ばれました。1666年には役料1000俵,1723年には役高3000石,1867年には役金2500両ですから、今で言えば億単位の年収があったということになります。

 与力は警察組織の中核になる存在で、4・5人の同心を指揮、捜査活動・治安維持活動に当たるようです。与力という職名は、町奉行の支配下だけでなく、遠国奉行・所司代・大番頭などに付属し,警察,庶務,裁判事務などを担当しましたが、何といっても有名なのは。町奉行支配下の町方与力です。町与力は八丁堀(現在東京都中央区)に組屋敷を与えられ、1719年以降南北各25騎の計50騎でした。

 その部下である同心は与力の下に置かれて、2・3人の岡っ引を指揮、捜査活動・治安維持活動に当たりました。与力と同様、遠国奉行・所司代・大番頭などに付属し,警察,庶務,裁判事務などを担当しましたが、こちらも町奉行支配下の町方同心が有名です。与力と同じく八丁堀に組屋敷を与えられ,定員は江戸中期には南北各100人,幕末には各140人に増員され、通常30俵2人扶持でした。また、与力・同心ともに、抱席(かかえせき=一代限り)を原則としましたが、多くは世襲であったようです。

南町奉行所跡

 岡っ引は正式には小者といい、そのほか御用聞き・目明しともいうこともあります。町奉行所や火付盗賊改などの与力・同心の配下で、実際の犯罪捜査と犯人逮捕のために働きました。実は犯罪人を釈放して目明しとした場合が多いようで、警察機構の末端で権力を濫用することが目立ち、一般庶民には人気がなかったようです。
 「半七捕物帳」によると、岡っ匹は同心から月に1分から1分2朱の金を貰いましたが、これでは到底生活できません。おまけに手先の面倒も見なければなりません。そこでたいていは女房の名前などで、湯屋・小料理屋などの別の商売をやっていました。しかし、先に書いたように「世間からは蝮扱いにされる」ことも、ままありました。
 小説の世界では、銭形平次(野村胡堂作),人形佐七(横溝正史作)、半七(岡本綺堂)などが有名です。

 岡っ引の子分は下っ引かというと実はそうではなく、手先がいます。手先は岡っ引の部下として、聞き込み・下調べなどに当たりました。そしてその下に下っ引がいます。手先の下を働く人間で、何かしら商売を持っていますが、その商売の合間に何らかの情報を上げてくるようです。スパイのような役目ですね。身分がばれると情報が取れないので、捕物には出なかったそうです。つまり銭形平次の部下の八五郎(ガラッ八)は下っ引ではなく手先と呼ぶのが正しいのでしょう。

 与力や同心は町奉行の部下になりますが、将軍家の家臣であり、実質的に世襲で奉行所に勤めていました。奉行は老中所轄の旗本であるため、与力や同心たちとは直接の主従関係はありませんでした。講談などでは南北奉行所が互いにライバル関係にあり仲が悪かったかのように描写されていますが、実際には世襲社会の中にパラシュートで下りてきて君臨する形の町奉行の方が余所者であって、与力や同心達との信頼関係は薄かったとされています。

太秦映画村の奉行所セット

 なお与力は役宅として300坪程度の屋敷が与えられており、揉め事がおこったときに便宜を図ってくれるように諸大名家や町家などからの付け届けが多く、裕福な家も多かったそうです。特権として、毎朝、湯屋の女風呂に入ることができました。当時は女人に朝風呂の習慣がなかったため空いており、男湯の密談を盗聴するのに適していたそうです。そのせいで女湯に刀掛けがありましたが、これは八丁堀の七不思議と呼ばれました。また屋敷に廻ってくる髪結いに与力独特の髷を結わせてから出仕しましたが、これが粋な身なりで人気があったそうで、与力・力士・火消の頭を「江戸の三男」と称しました。

文春文庫版 神隠し

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