中国美女列伝(番外編):小野小町~神秘性に包まれた日本の美女

はいこんばんは。今日は雨に注意ということで傘を持って出かけたのですが、結局使いませんでした。札幌ももう少し湿気があった方がいいので、雨は歓迎なんですけどね。

札幌には花粉症はない…ということはありません。当地ではシカラバの花粉で症状を発している人が多数いるようです。しかし私に限っていえば、こちらでは全く症状がないので、シラカバ花粉には反応していない模様です。スギ花粉がないのはありがたい限りです。人により反応する花粉は異なるので、花粉のない街に行きたいと札幌に来たとしても、シラカバ花粉に反応するならやはり症状に苦しめられることになるでしょう。

これまで金曜日は中国美女列伝をやっていたのですが、もう種切れで完結してしまいました。美女の種は尽きないのですが私の知識の方がついていけません。これから金曜日は何をやったらいいんでしょうか?休養日?

とりあえず本日は番外編として日本の美女・小野小町を紹介してみたいと思います。日本には美女といわれる人はたくさんいて、例えば静御前とかお市の方とか色々おりますが、世界三大美女の一角である小野小町を外すわけにはいかないでしょう。もっともこの世界三大美女に小野小町が入っているのはおそらく日本だけで、クレオパトラ、楊貴妃、そしてヘレネ(トロイア戦争の原因となった美女)あたりが入るのが正統派世界三大美女だと思われます。

そうえいば世界三大料理にフランス料理、中華料理と並んで日本料理を入れているのも日本だけなのかも。正統派世界三大料理はフランス料理、中華料理にトルコ料理らしいのですが、こちらには異論ありです。

確かにベリーダンスを見ながら食べるトルコ料理はおつなものではありますが、正直トルコ料理入れる位なら無形文化遺産の和食が入っているほうがふさわしいのではないかと思います。もっともWikipediaで各国の無形文化遺産を見ると、メキシコの伝統料理とかフランスの美食術、地中海の食事(イタリアやスペインなど地中海諸国)なんてのが入っていますので、和食だけが食の無形文化遺産という訳ではありません。

それはさておき、日本人が世界で戦える美女と認定しているのが小野小町というのなら、これを紹介せずして他の美女を紹介できましょうか、いやできない。ただ…中国美女は中国絵師(台湾絵師も含む)が頑張ってくれたのですが、小野小町について日本絵師は頑張ってくれるのでしょうか?

正直こんなのや

こんなのばかりだと実に困りますなあ。

これじゃそもそも顔がわからないし(笑)。そんな不安を抱えつつもやはりやってしまうのでした。

小野小町は生没年不詳ですが、9世紀頃、すなわち平安時代前期の女流歌人です。六歌仙・三十六歌仙の一人で、六歌仙では唯一の女性です。絶世の美女として数々の逸話があり、能や浄瑠璃などの題材としても使われている人物ですが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存しておらず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていない事が多いので、本当に美女であったかどうかについても判然としません。なんてこったい。

系図集「尊卑分脈」によれば小野篁の孫娘ということになっています。小野篁は昼は朝廷で働き、夜は地獄で閻魔大王の補佐をしていたという伝説を持っている人で、政務能力に優れて詩才もあり、書は天下無双と言われた人ですが、反骨精神も強く、流罪になったりもしています。しかし、小町の父とされる出羽郡司・小野良真の名は「尊卑分脈」にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらず、小野篁の生没年(802年-853年)を考えると篁の孫とするには年代が合わないという指摘もあります。このため、「小町架空説」も伝えられています。

生誕地は一説によると現在の秋田県湯沢市小野といわれており、晩年も同地で過ごしたとする地域の言い伝えが残っていますが、確証はありません。この他にも京都市山科区説、福井県越前市説、福島県小野町説、熊本県熊本市北区植木町小野説、神奈川県厚木市小野説など、生誕伝説のある地域は全国に点在しています。ただ、小野氏には陸奥国にゆかりのある人物が多く、祖父とされる小野篁は青年時代に父に従って陸奥国へ赴き、小野篁のいとこである小野春風は若い頃辺境の地で暮らしていたなど、小野氏が陸奥国に生活の基盤があったという可能性もあります。もちろん「あきたこまち」はここから由来している訳ですね。

ちなみに小野小町の墓といわれるものも全国に点在しています。しかし平安時代頃までは貴族も風葬が一般的だったので、そもそも墓自体が存在しない可能性もあります。

小町は第54代の仁明天皇から、その子である文徳天皇、孫の清和天皇の三代の時代に宮中で仕えていたと言われており、仁明天皇の更衣(中宮・女御の下の后妃の身位)だったという説もあります。そうえいば源氏物語で光源氏の母は桐壺更衣でしたね。父親の身分が低いと女御にははれないのだとか。

小野小町のエピソードで特に有名なのは、深草少将の百夜通いです。小町に惚れていた求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けましたが、百日目に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説です。この話はもちろんフィクションですが、少将のモデルとなったのは同じく六歌仙にして交流のあった僧正遍昭ではないかという説もあります。

小町は長命であったと言われていますが、その晩年は乞食となって落ちぶれたとか、地方を放浪して行き倒れになったなど、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なエピソードが多くなっています。もっとも故郷の陸奥に帰って静かに隠棲したとか、百夜通いで命を落とした深草少将を弔って90歳近くまで生きたなど、穏やかな晩年を描いた話もあります。

在原業平と同様に、小野小町の作品は多数ありますが、特に百人一首にも選ばれた
花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に
は有名な作品であり、年老いてかつての美貌が色褪せていく自分の境遇を嘆いた歌は、特に女性に人気の高いとか。身につまされるとか?しかしこんな歌を歌っていて美人じゃなかったらどうかしていますよね。

紀貫之は古今和歌集の仮名序で柿本人麻呂と山部赤人を称える反面、六歌仙をことごとくディスっていますが、小町については「哀れなるようにて、強からず。言わば、良き女の悩める所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし」と比較的抑えた批判をしています。もっとも六歌仙以外の歌人は評価にすら値しないと無茶なことを言っているため、相対的に六歌仙を高く評価していることになっていますが。もっとも小町の歌の多くは情熱的かつ奔放なので、貫之の批評は正しくないと指摘する学者も多くいます。

小町の主な作品は以下のとおりです。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ
わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ
かぎりなき思ひのままに夜もこむ夢ぢをさへに人はとがめじ
夢ぢには足もやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなく明けぬるものを
人にあはむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり
秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば
《以上、古今和歌集》

ともすればあだなる風にさざ波のなびくてふごと我なびけとや
空をゆく月のひかりを雲間より見でや闇にて世ははてぬべき
宵々の夢のたましひ足たゆくありても待たむとぶらひにこよ
《以上、小町集》

下世話な話になりますが、裁縫に使う「待ち針」の語源は小野小町にちなむという俗説もあります。言い寄ってくる多くの男になびくことがなかったことから、穴(膣)のない女と噂されたという伝説に基づき、穴のない針のことを「小町針」と呼んだことから来ているのだとか。恋多き女ならビッチ呼ばわりし、身持ちが堅ければこれか。口さがないことですねえ。

小野小町にちなむ作品は総称して「小町物」と言います。能では小野小町を題材にした七つの謡曲、「草紙洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒都婆小町」「雨乞小町」「清水小町」の「七小町」があります。これらは和歌の名手として小野小町を讃えたり深草少将の百夜通いを題材にしたものと、年老いて乞食となった小野小町に題材にしたものに大別されます。

歌舞伎では「積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと)」 通称「関の扉」、「去程恋重荷(さるほどに こいのおもに)」 通称「恋の重荷」、「六歌仙容彩ろっかせん すがたの いろどり)」 通称「六歌仙」、「和歌徳雨乞小町(わかの とく あまごい こまち)」 通称「雨乞小町」があります。

美術では、鎌倉時代に描かれた、野晒しにされた美女の死体が動物に食い荒らされ、蛆虫がわき、腐敗して風化する様を描いた九相詩絵巻は別名を「小野小町九相図」と呼ばれます。モデルとしては他に檀林皇后(嵯峨天皇の皇后である橘 嘉智子)も知られ、両人とも「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる犬の腹を肥やせよ」の歌の作者とされました。

現代では2007年にわらび座が「ミュージカル小野小町」を上演しています。上で挙げた「我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」の歌から、自分の人生を生ききった美しいだけではない強い女性として小町を描いています。

また2013年にはさちいろ玉手箱が「小町の千年情話」を上演しています。生前の愛憎のもつれのために、没後、一千年も成仏できず、江戸の町をさまよう小野小町の霊を描いています。

おお。いろいろと妙な画像もあったものの、さすがは小野小町、結構画像はありましたね。最後にリアル小野小町というか、ミス小野小町のお二人の画像をどうぞ。


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