アンの愛情:アンシリーズ3作目。「花子とアン」に迎合したのではありませんが…

こんばんは。これが当面最後の更新です。NTTの工事は5月1日の予定なので、この間ブログの本格更新はできなくなります。スマホで簡単な生存確認報告などは可能かと思いますが、異動当初はあれこれ忙しいので。

実は昨日今日と札幌に行ってきました。不動産屋から鍵を貰って一月振りに訪れた(前回は物件見学)のですが、周囲にスーパーやホームセンターがなくて参りました。スマホで見つけたホームセンターに行ってみたのですが、帰りは荷物を抱えてへとへとでした。これはドラゴンボール的修行なのでしょうか?毎日行けば鍛えられるとか。

そして、どうも私の入居する部屋の隣には犬を飼っているホステルor風俗嬢がいるのです。しかも壁薄っ!犬の吠え声がガンガン聞こえてきます。○オパレスかと思うほどの紙のような壁だったとは…。隣人の職業はどうでもいいのですが、うるさいのは勘弁です。こういった身辺雑記についてはスマホで記載するかも知れません。皆さんが読みたいかどうかはさておき(笑)。

それでは今日の本題に。本日はL・M・モンゴメリーの「アンの愛情」です。「赤毛のアン」シリーズの三作目になります。ちょうどNHKの朝ドラで「花子とアン」をやっているので、思いも描けずタイムリーだったりして。
「赤毛のアン」といえば小学校の図書室にはシリーズがどんと揃えてあって、女の子達の愛読書という感がありました。特に少女向けとか児童文学というわけではないのですが、男の子はちょっと手を出しにくい感じがって、存在は知っていましたが、実際に読んだのは30歳を過ぎてからでした。むしろ1979年に世界名作劇場で放映された「赤毛のアン」で知った・見たという人が多いのかも知れません。私はアニメ作品(非常に良作です)を見たのもわりと最近なんですよ。
シリーズは全9作が書かれ、アン11歳から75歳までが描かれているので、NHKの朝ドラで一年間は放映したい女の一代記的作品です。舞台は19世紀後半から20世紀前半のカナダで、邦訳は基本的に最初に翻訳した村岡花子のものに準拠しています。一作目の原題は「Anne of Green Gables」で、直訳すれば「グリーンゲーブルのアン」(グリーンゲーブル」とは「緑の切妻屋根」の意味で、アンが引き取られたマシュウ・マリラ兄妹の家の屋号)になります。村岡は当初「窓辺に倚る少女」という題を考えていましたが、編集者が「赤毛のアン」を提案し、当時20歳だった村岡の娘がこれに賛同して強く推しことから決定したそうです。このタイトルでなかったら、日本でこれほど普及したかどうか。ちなみにイタリア語訳のタイトルも「赤毛のアン」(Anna dai capelli rossi)となっていますが、これは翻訳書の刊行以前に日本のアニメ作品が放映された影響ではないかと思われます。

一作目の「赤毛のアン」がアン11歳~16歳の少女からティーンズ前半を描き、二作目「アンの青春」はアン16歳から18歳のまさに青春の日々を描いていたのに対し、「アンの愛情」はアン18歳から22歳の大学時代を描いています。
一作目の「赤毛のアン」は読んだときにとにかく面白くてびっくりしました。なぜこれを今まで読まなかったのかと頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。「赤毛のアン」を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに「the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」(かの不滅のアリス以来、最も可愛らしく、最も感動的で最も利発な子)と絶賛の手紙を送ったそうですが、まさにそのとおりです。
が、アンは子供時代のエピソードがとにかく面白くて、こういう子が実際にいたらぜひ一緒に暮らしたいと思うほどですが、大きくなってくるとだんだん思慮深く落ち着いてきて面白みがなくなってきます。もっともいい年して高いところから飛び降りて足を骨折したりされてもたまりませんけど。

15歳になったアンはクィーン学院に入学します。クィーン学院は「短大」と訳されていますが、入学年齢的には高校に近いような。2年コースと1年コースがあって、アンは1年で卒業しますが、ここを卒業すると小学校で教師なれるようなので、昔の日本の師範学校に近い学校なのかもしれません。ここで優秀な成績を取ったアンは、大学への奨学金を得ることに成功しましたが、マシュウが全財産を預けていた銀行が倒産したショックで急死したことにより、一人になったマリラを支えるためにグリーンゲーブルズに残ることにします。
夢に描いていた人生と実際の人生が違っているということはままあることですが、アンはこの挫折を、“人生は一直線に続いていく道かと思ったら曲がり角があったのです”と表現し、曲がり角の先にあるはずのまだ見ぬ風景に期待を寄せる旨を手紙に書いています。こういう健気なところがおじさんにはたまらない訳ですが、アンも孤児として様々な苦労を幼少期からしてきたということが大きいのでしょうね。
二作目「アンの青春」では、グリーンゲーブルズの地元であるアヴォンリーで若き教師となったアンの日常が描かれていましたが、「アンの愛情」ではようやく貯まった学費でキングスポートにある念願のレイモンド大学に入学することになります。キングスポートのモデルはノバスコシア州の州都ハリファックス、レイモンド大学のモデルは、ダルハウジー大学をモデルにしています。

大学生としての勉学、社交、恋が焦点となっており、ロマンス的な要素が強くなり、19世紀末のカナダにおける大学生活が描写されているという点でも興味深い作品です。ただし、すっかり大人になってしまったアンはかつてのような冒険や大失敗をしなくなっているので、「人は成長するもの」だということを改めて認識させられます。
本作中でアンは一年目は下宿していますが、二年次からは友達3人(クィーン学院で同級生だったプリシラとステラ、そして新に友達となったフィル)と共に、高級住宅地に建つ小さな「パティの家」に住み、ここで3年間を過ごします。若い女性4人でキャッキャウフフ的生活を満喫し、週末はパーティーと、なんとも楽しそうです。
大人の女性となったアンの周囲には軽薄にも思える恋愛の話がたびたび耳に入るようになりますが、昔からのアヴォンリーの生活と変わらぬ愛情を重んじるアンにはわずらわしいものでしかありません。ギルバートまでがそうした恋愛感情らしきものをアンに対して示す様子に辟易しています。この辺り奥手というか、恋愛感情にまだ目覚めていないというか。だがそれがいい。

アンはギルバートとも友達として仲良くしていきたいと思っていましたが、この世は諸行無常、 何も変わらない世界なありえません。生涯の親友であるダイアナは婚約し、クラス一の美人だったルビーは結核で若くして世を去って行きます。どんどん変化していくアヴォンリーの姿は、アンに言いようのない感傷を抱かせます。アンはギルバートからの求愛に対しても、変わらぬ友情を保とうとしてくれないことに失望して拒絶してしまいます。
そうした中、ある雨の日に出会ったのがロイヤル・ガードナー。美しく詩的な容貌に黒い瞳をした彼との出会いはまさに「運命の王子様」であり、アンを魅了します。新しい親密な友人に夢中になるアンですが、変わっていく世界の中で、変わることがない愛情が自分の中にあることに気づけずにいたのでした。
それに気付いたのはロイヤル・ガードナーにプロポーズされた瞬間でした。自分が恋だと思っていたのは幻想に過ぎなかった。本当に自分が愛していたのはギルバートだったのだ!しかしすでにギルバートにはクリスティーンという美少女と親密な関係を築いていました。念願の大学を卒業し、アヴォンリーに帰ってきたアンにもたらされたのは、ギルバートがチフスで死の床に就いたという凶報でした。すべてを失って手遅れになると思われたその時、彼女は後悔の中で遂に「アンの愛情」を見つけるのでした。

奇跡的に回復したギルバートは、恋人と目されていたクリスティーンは親友の妹で最初から他に婚約者がいたこと、ロイヤル・ガードナーの出現後も相変わらずアンの事を思い続けていたことを告げ、改めてアンに求愛し、2人はやっとお互いの気持ちを確かめ合い、婚約することになります。
ギルバートはこれから医学生として再び大学に行くことになり、3年間は結婚できないと告げますが、アンの方でもサマーサイド中学校の校長を務める仕事があるのでむしろちょうどいいかも知れません。25歳で結婚というのは当時としては遅いのかもしれませんが、本編中に40歳を過ぎて結婚した女性のエピソード(相手の男性の母親が怖い、怖すぎる)があるので、特に遅いようには思えません。
むしろ男女交際に積極的は感じのあるカナダの大学生は意外と保守的で、その点で進んでいるアメリカを「ヤンキー」と呼んで眉をひそめている風があります。あと女子大生であるアンに対してアヴォンリーのおばさん連中の風当たりが結構きついところも面白いです。女性に学歴は不要とか良いお相手をみつけに行っているとか、今でもそういうことはありそうな気がしますが。

でもロイヤル・ガードナーは可哀想です。かつて失恋しているとか最初の恋人がアンじゃないとか、でもそんなの関係ねえ!彼の心を結果的に弄んだことは真摯に反省・謝罪する必要があると思うのですが。お金持ちだから補償は不要でしょうけどね。
ということで、本格更新は当面お休みです。皆さんお元気で。またお目にかかりましょう!

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