魔法少女まどか☆マギカ考察:佐倉杏子(その1)

私が持っているおもちゃのソウルジェム。貰い物ですけど。齋藤さん、いつもありがとう。
関東では梅雨明け宣言。そしていきなりの猛暑。皆さん、熱中症には要注意です。外出しなくても脱水症状に気をつけて下さい。水分補給とドラクエのセーブはこまめに!うう…持ち金が半分に…あの時どうして教会に寄っておかなかったんだ…

「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ…」
ああ、天使がやって来た…
そこへ突如、松岡修造襲来!

「諦めんなよ!諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!!もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ!諦めたら!周りのこと思えよ、応援してる人たちのこと思ってみろって!あともうちょっとのところなんだから!」
ネロもパトラッシュもおちおち寝てられません。あ、天使が空に帰って行く。
私も頑張ろう。いや、ドラクエもですが、ブログも。
そうそう、またちょっとテンプレートを替えてみました。いかがでしょうか。FC2は着せ替えが楽で楽しいなあ。
それでは魔法少女個別考察の第五弾。今回は最後の魔法少女・佐倉杏子の考察です。
1.なぜさやかに執着するのか?

マミの死後、見滝原を自分の縄張りにするために現れた魔法少女・佐倉杏子は好戦的な利己主義者で、他者のために戦ったマミを強く尊敬して、同じく「他者のためだけに魔法を使う」ことを正義と信じて行動するさやかとは相反する存在です。このため邂逅当初から二人は対立し、「殺し合い」を演じたわけですが、杏子にとってさやかは、「過去の自分自身の姿」でもありました。
「だから、キュゥべえに頼んだんだよ。みんなが親父の話を、真面目に聞いてくれますようにって。翌朝には、親父の教会は押しかける人でごった返していた。毎日おっかなくなるほどの勢いで信者は増えていった。アタシはアタシで、晴れて魔法少女の仲間入りさ。いくら親父の説法が正しくったって、それで魔女が退治できるわけじゃない。だからそこはアタシの出番だって、バカみたいに意気込んでいたよ。アタシと親父で、表と裏からこの世界を救うんだって」
「…でもね、ある時カラクリが親父にバレた。大勢の信者が、ただ信仰のためじゃなく、魔法の力で集まってきたんだと知った時、親父はブチ切れたよ。娘のアタシを、人の心を惑わす魔女だって罵った。笑っちゃうよね。アタシは毎晩、本物の魔女と戦い続けてたってのに。それで親父は壊れちまった」
「最後は惨めだったよ。酒に溺れて、頭がイカれて。とうとう家族を道連れに、無理心中さ。アタシ一人を、置き去りにしてね。アタシの祈りが、家族を壊しちまったんだ。他人の都合を知りもせず、勝手な願いごとをしたせいで、結局誰もが不幸になった」

7話で杏子が自ら語っているように、「他人を助けたい」という信念を有する聖職者の父の下で育った杏子は、教義に含まれない内容まで信者に説いたために信者や本部から見放された父の姿に心を痛め、「父の話に人々が耳を傾けてくれるように」という願いで魔法少女になりました。すなわち、さやか同様、自分の願いを他者の願いを叶えるために使っていたのです。契約は実現し、教会は人々で溢れかえり一時的には幸せを得ましたが、それが魔法によるものであることを知った父は酒浸りになった末に錯乱し、杏子のみを残して家族(母・妹)を道連れに無理心中をしてしまいました。こうして自分の善意が家族を破滅させたという後悔から「魔法は人のためにならない」という信念を持つに至り、以後は「魔法は自分のためだけに使う」という信条で行動していたのです。
この杏子の過去のエピソードは、本編で人形劇のように描かれていましたが、ゲーム版でははっきりと父親や妹(モモ)の姿が示されていました。母親は病弱らしく登場しませんでした。困窮のあまり万引き行為を行って捕まったりという姿も描かれています。やむを得ない事情があるとはいえ、手癖の悪さは魔法少女になる前からあったのです。

コミック版では無理心中の凄惨な様子がはっきり描かれています。
つまり杏子とさやかは似たもの同士であり、杏子は自らの過去に照らしてさやかの願いの不毛さと愚かさを痛切に実感していたのです。さやかへの反発は近親憎悪的なものであったとも言えるでしょう。もっともさやかには杏子自らが説明するまで理解できなかったので、なぜか自分に突っかかってくる厄介で性悪な魔法少女としてしか認識していなかったでしょうが。

2.なぜ魔女に墜ちなかったのか?
さやかは魔法少女の真相と、恭介を救う行為に己の利己的な願望が含まれていたことへの絶望から自暴自棄的な戦いを繰り広げた末に、自殺するかのように魔女に変貌していきました。杏子にしても、父のための願いは、一家無理心中というあまりにも無残な形で裏切られた訳で、この時点で絶望して魔女化してもおかくしないものでした。なぜ杏子はその後も相当期間に亘って魔法少女であり続けることができたのでしょうか。

性格的なタフさというものはもちろんあったと思います。杏子は幼少期から相当苦労してた様子が伺われます。杏子自身は父を尊敬してた様子ですが、宗教家としての生き方と、娘の父としての生き方はうまく折り合いをつけられなかったようです。杏子の父は、ラジカルな思想を抱いた「改革者」であり、本来家族など持たずに一人で己の道をいくべき人だったのではないでしょうか。家庭人としての杏子の父は、己の理想を追うあまりに自分の家庭を放棄していたようです。父として健在であるにも関わらず、空腹のあまみ盗みを働く娘に何もしてやれないなど、「親失格」だと批判されたとしても、あながち的外れではないでしょう。世界を救うなどと広言しつつ、娘の教育さえまともに出来ていないという事実は、もはや「人格破綻者」の域だったかも知れません。しかも本人はそれが正しいと信じ切っているのでことさら質が悪いのです。こんな親の下で育てば、良くも悪くもタフでなければ生きていけません。
一家心中を目の当たりにした杏子は、持ち前のタフさで絶望に墜ちる代わりに、「魔法は人のためにならない」という信念を持つに至り、以後は「魔法は自分のためだけに使う」という信条を持つことができました。これが杏子を魔女化から救ったといえるでしょう。また登場時、杏子はことさらに悪人風に振る舞っていました。悪人としての振る舞いが、絶望を発散させ心の平静を保つことに一役買っていたということもできるでしょう。

しかし、反発を覚えながらもさやかと関わっていく中で、かつての純粋だった自分を思い出すこともままあったのではないでしょうか。悪人として振る舞っていても、その本質は悪人ではなかった杏子は、精神安定のためとはいえ、「悪の魔法少女」を演じている自分自身が実のところは好きではなかったのではないでしょうか。故に、過去の自分自身でもあるさやかを救うことは、自らを救うことに他ならなかったといえると思います。そうであれば、さやかへの執着ぶりも納得がいくというものです。もしさやかを救うことができれば、杏子は自分自身の心を救うこともできたかも知れません。また見捨てたとしたら、その無力感が真の絶望をもたらしていた可能性があります。
ゲーム版では魔女化した杏子は、「武旦(うーだん)の魔女」と呼ばれてます。ゲーム版の魔女図鑑では

武旦の魔女。その性質は自棄。霧の中を虚ろな足どりで永遠にさまよい続ける魔女。いつも傍らにいる馬が何だったのか魔女にはもう思い出せない。
と解説されています。ちなみに武旦とは、京劇(中国の古典劇)において活劇シーンを演じる武芸に長けた女性役者のことだそうで、端的に言えば武器を手にチャンバラするアクション女優ということでしょう。
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