やまなし:「クラムボン」とは何者か?

こんばんは、相変わらず寒いですね。猫団子が欲しい今日この頃です。そんな中、本日14万アクセスを突破しました。13万アクセスが1月22日でしたので、30日で1万アクセスという計算です。30日で1万アクセス、一日平均333アクセスは通算三回目の最速記録です。
0(8/31) →1万(11/3) 64日間(平均156アクセス)
1万(11/3) →2万(12/15) 43日間(平均233アクセス)
2万(12/15)→3万(1/13) 30日間(平均333アクセス)
3万(1/13) →4万(2/19) 37日間(平均270アクセス)
4万(2/19) →5万(4/10) 50日間(平均200アクセス)
5万(4/10) →6万(5/26) 46日間(平均217アクセス)
6万(5/26) →7万(7/1) 36日間(平均278アクセス)
7万(7/1) →8万(8/5) 36日間(平均278アクセス)
8万(8/5) →9万(9/3) 30日間(平均333アクセス)
9万(9/3) →10万(10/8) 36日間(平均278アクセス)
10万(10/8) →11万(11/14)38日間(平均263アクセス)
11万(11/14) →12万(12/23)40日間(平均250アクセス)
12万(12/23) →13万(1/22) 31日間(平均323アクセス)
13万(1/22) →14万(2/20) 30日間(平均333アクセス)
去年は年末年始をピークにこの時期低落傾向だったんですが、今年はむしろ微増傾向。どうでもいいけどこれ、私個人の備忘録にしかなってませんな。いつまでやったものか…。15万アクセスまではこのままやろうかと思いますが、以降は1万単位じゃなくしようかな。

さて本日は昨日の続きで、クラムボンについて考察したいと思います。もちろんバンドのクラムボンのことではなく、その元ネタである宮沢賢治の短編童話「やまなし」に登場する謎の単語“クラムボン”のことです。
クラムボンは冒頭から登場します。その部分を引用しますと、
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡あわが流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐はきました。それはゆれながら水銀のように光って斜に上の方へのぼって行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚あしの中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いいました。
『わからない。』
魚がまたツウと戻もどって下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』
にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。

さあ、ここでクラムボンについてわかることは、
① かぷかぷわらう
② 跳ねてわらう
③ 殺されて死んでしまった
という程度のことなのですが、これだけではさっぱり判りませんね。Wikipediaによると、クラムボンの正体については様々な議論があり、以下のような説があるそうです。
① 英語で蟹を意味するcrabに由来説
② 鎹(かすがい)を意味するcramponに由来説
③ アメンボ説
④ 泡説
⑤ 光説
⑥ 母蟹説
⑦ 宮沢賢治の妹のトシ子説
⑧ 全反射の双対現象として生じる外景の円形像説
⑨ 「蟹の言語であるから不明」
⑩ 後に登場するやまなしの花を初めて見た蟹の兄弟がつけた造語説
⑪ kur (人) ram (低い) pon (小さい) という「アイヌ語でコロボックル」説
⑫ 「解釈する必要は無い」
⑬ 人間説
⑧はサンドイッチマンじゃないけど「ちょっと何を言っているのかわかりません」で、⑨や⑫は寅さんじゃないけど「それを言っちゃあおしめえよ」ですね。

かつて光村図書の小学校教科書に掲載された際には、クラムボンについて「水中の小さな生き物。正体はよくわからない」との注釈がなされたそうです。多分私が読んだのはそれでしょう。現在の教科書では「作者が作った言葉。意味はよくわからない。」と記されているそうです。

ネタとしては、賢治はソ連が建国される数年前からソビエトのスパイとして、主に農業分野での諜報活動を行っており、クラムボンは当時日本に潜伏していたロシア人スパイ・セルゲイ=ブレジネフのコードネームで、作中の「クラムボンは死んだよ。」「クラムボンは殺されたよ。」などの記述は、ブレジネフが日本の公安警察に暗殺されたことを伝えていた-というものも。「やまなし」は1923(大正12)年に発表されましたが、前年の1922(大正11)年にソ連が建国されているということで、一応歴史的整合性が取れていると言えば言えますね。
これは面白いので、対抗して私は、クラムボン=旧支配者説(グレート・オールド・ワン)を唱えたいと思います。ずばり旧支配者の中でも水の首領・クトゥルフでしょう。では上記「蟹の子供」というのは何者かと言えば、旧支配者の眷属(レッサー・オールド・ワン)です。クトゥルフ神話では「深きものども」と言われるレッサー・オールド・ワンが登場します。

「深きものども」は主に海底で生活しており、長である「父なるダゴン」とその配偶者である「母なるヒュドラ」及び、あらゆる水棲動物の支配者である大いなるクトゥルフを崇拝すると同時に、これらに仕え必要とあらばそれらの用向きにすぐに応じるそうです。
気持ち悪いのは人と交配して種族を増やすということで、深きものどもの血を引いている人間は生まれてから一定の期間はほぼ人間の姿をしていますが、同族との接触や過度のストレスなどによって「インスマス面」と呼ばれる、深きものども特有のカエルのような顔になってしまいます。

その後歳をとるたびに顔がどんどん人間離れしたものへと変化していき、眼は閉じる事が出来なくなるほどに盛り上がり、肌は冷たく湿っぽい灰緑色になってしまいます。さらに表面に鱗が現れ、指と指の間には水かきのようなものが出来るていき、首に溜まった皺には鰓が形成されていきます。唸るような鳴き声で会話し、老化で死ぬ事は無く、外的要因でしか命を落とす事がなくなります。ずばり、そのイメージは半魚人を連想していただければよろしいかと。

さて宮沢版クトゥルフ小説である「やまなし」では、新種の「深きものども」が登場します。それが主人公である蟹の兄弟及びその父親なのです。なるほど、だから会話が可能なのか。ちなみに蟹の兄弟の頭上で泳いでいる魚は、半魚人型の「深きものども」、つまりいわゆるインスマス人です。蟹人と半魚人は同じくクトゥルフの眷属ですが、あまり仲は良くないようです。

そして突如現れて魚を捕ら去るえていく「かわせみ」は、きっとクトゥルフと対立する旧支配者の眷属に違いありません。クトゥルフと対立するといえば風の首領・ハスターということで、その眷属であるバイアクヘー(ビヤーキー)でしょう。蟹の兄弟はかなり怯えていましたが、蟹父は平然としていることから、蟹人はバイアクヘーに捕食されることはない模様ようです。装甲が厚いからかな。

え?クラムボンとクトゥルフでは音が違いすぎる、ですか?確かに「ク」しか同じではありませんが、問題ありません。なにしろクトゥルフの日本語の表記はクトゥルー、ク・リトル・リトル、クルウルウ、クスルー、トゥールー、チューリュー、九頭龍などさまざまで、そもそも人間には発音不能な呼称を便宜的に表記したものなので、英語でもCathulu, Kutulu, Q'thulu, Ktulu, Cthulu, Kthulhut, Kulhu, Thu Thu, Tuluなどと複数の綴りが存在するのですから。宮沢賢治にはクラムボンと聞こえたとしてもそれはそれでいいのではないかと。

ちなみにラブクラフトが「クトゥルフの呼び声」を執筆したのは1926年(大正15年)、発表は1928(昭和3)年です。おっとこれはいけませんね。しかし、ラブクラフトに先行して大きな影響を与えたするアーサー・マッケンの1899(明治32年)の「白魔」や、ロバート・W・チェンバースの1895(明治28)年の「黄の印」などもクトゥルフ神話体系の一部と見なされているので、「やまなし」をラブクラフトに先行したクトゥルフ神話体系の一部と見なしてもいいのではないかと。きっとラブクラフトは「やまなし」の英訳を読んで影響を受けてクトゥルフの呼び声を執筆したんだよ!

とすると、後半に登場する「イサド」という謎の地名にも見当がつくというものです。吐き出す泡の大きさを較べ合ってなかなか寝ない蟹兄弟に、蟹父は「あしたイサドに連れていかんぞ」と言います。イサドとはどこか?それはもちろん彼らの神殿ともいえる、クトゥルフが封印されている、海底に沈んだ古代の石造都市であるルルイエの異名でしょう。ニュージーランドと南米大陸と南極大陸の中間付近、南緯47度9分、西経126度43分に沈んでいるそうなので、長い旅になりそうですけど(笑)。もっとも「やまなし」の舞台は「小さな谷川の底」と言っているだけで、日本とはどこにも書いていないのです。場所をニュージーランドか南米だと解釈すればかなり近くなりますかね。

ではクラムボン=クトゥルフと仮定して、かぷかぷわらったり、跳ねてわらったりするのはまだいいとして、殺されたとは如何なる事か。クトゥルフを含む旧支配者は、ラブクラフトの後継者であるダーレスにより、善の旧神と対立する邪神のカテゴリとして設定されました。ダーレスによれば、旧支配者はそれぞれ、四大元素(火、水、土、風)のいずれかに属し、旧支配者同士の対立も存在するほか、旧神との戦いに敗れて封印されており、現在は活動が大幅に制限されているとされます。
封印されて長い眠りについているクトゥルフ=クラムボン。これは眷属である蟹人にとっては死んでるも同じ状態でしょう。つまり「殺された」というのはクトゥルフが旧神との戦いに敗れて封印されたことを表しているのです。もっとも、旧支配者に死というものがあるのかどうか。眷属である「深きものども」には、外的要因(事故・殺害)による死はあっても寿命による死ははありません。その王である旧支配者クラスになれば死を超越した存在である可能性が高いと思われます。

その証拠に、「クトゥルフの呼び声」に引用される「ネクロノミコン」の一節があります。
"That is not dead which can eternal lie,
And with strange aeons even death may die."
「永久に横たわり得るものは死者にはあらず
それは、数奇なる永劫の果て、死すらも超えゆく者」(ユースフ訳)
このとおり、クラムボン=クトゥルフは死すら超越している存在なので、例え殺されて死んでもいずれ長い年月の末には必ず復活するのであり、眷属や信者がいち早い復活を画策しているのだと考えていいのだろうと思います。それを裏付けるように、「ルルイエ異本」では
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
(ルルイエの館にて死せるクトゥルーは夢見るままに待ちいたり)
と記されています。

クトゥルフには「水淵のクトゥルフ」「来たるもの」「ルルイエの主」などの異名がありますが、「やまなし」によりさらに異名を付加してもいいかと思います。つまり、「かぷかぷ嗤うもの」「水底で跳ねるもの」なーんて。
ということで、クラムボンとは何かということを、あまり深く追求することは得策とはいえません。クトゥルフ神話を題材としたホラーTRPGは、矮小な人間である探索者たちが、様々な宇宙的恐怖に晒されつつも生き残ることを目的として足掻く様を描くものとなっています。クトゥルフなどの旧支配者は正面から立ち向かって打倒できるような相手ではないどころか、直視しただけで発狂してしまうようなおぞましくも強大な相手なのです。
故に、クラムボンは実はクトゥルフだというような禁忌に触れる知識に気付いてしまうことは、破滅に瀕することになりましょう……おや、ドアが音をたてている。何かつるつるした巨大なものが体をぶつけているかのような音を。ドアを押し破ったところでわたしを見つけられはしない。いや、そんな!あの手は何だ!ああ!窓に!窓に!

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