中国美女列伝(その35):陰麗華~“妻を娶らば陰麗華”と言われた史上最良の皇后の一人

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陰麗華その1

 金曜恒例中国美女列伝も大詰めに近づいてきました。もうすぐネタ切れですが、もし「あの美女を紹介しろ」「かの美人を忘れてやしないか?」といったご意見があったらぜひご教示下さいますと大変ありがたいです。35回目の今日は後漢初代皇帝光武帝の后妃で、中国史上でも最も優れた皇后の一人と称えられる光烈皇后・陰麗華です。

光武帝劉秀

 光武帝(前6-57年)は劉秀という名で、南陽郡(現在の河南省と湖北省にまたがる)の出身です。王族である劉一族の一人なのですが、金枝玉葉といっても枝葉末節の方の人でした。幼少の頃は非常に慎重且つ物静かな性格だったといい、官につくなら執金吾(都の巡察・警備を司った完食で、官服が華美だったので憧れる者が多かった)、妻を娶らば陰麗華(地元南陽で美人と評判だった豪族の娘)という程度の希望を公言する、平凡な宗族の一人でした。

劉秀と陰麗華

 前漢から帝位を簒奪した王莽が国名を「新」として、現実を無視した政策を強行したため、人心は離れ、各地で反乱が相次ぎました。有名なものは眉を赤く塗った赤眉軍や緑林山を拠点とした緑林軍でしょう。この頃、劉秀も兄の劉縯とともに挙兵し、緑林軍に参加します。以後戦乱の中で自立し、赤眉軍を降して中国統一を達成、後漢王朝を建てました。

陰麗華その2

 劉秀は謹直な人物と見られており、兄の劉縯が挙兵した際に一旦は協力を拒んだ者たちが、劉秀も挙兵することを知って改めてはせ参じたそうです。また光武帝に即位した後に故郷に行幸した際、宴席で宗族の諸母は「若い頃は慎み深くて、人と打ちとけて付き合う事がなかった。ただ生真面目で柔和なだけだった。」と言ったそうです。光武帝はそれを聞いて笑って「我は天下を治めるも、また柔の道にて行わんと思う」と言ったそうです。

陰麗華その3

 一方陰麗華(5-64年)ですが、劉秀と同じ南陽郡出身の豪族陰氏の娘で、若き日の劉秀が「妻を娶らば陰麗華」と言って憧れた程、近隣では評判の美女でした。劉秀の願いは首尾良く叶い、挙兵後の23年に劉秀に嫁ぐことになります。

陰麗華その4

 しかし劉秀は新妻陰麗華を置いて河北へ赴任していきます。陰麗華は事実上の人質として残されるのですが、劉秀は華北で郭聖通という女性を妻にし、さらにだめ押しするかのように劉秀は更始帝に反旗を翻し皇帝に即位し、実質的に陰麗華を見捨ててしまった形になります。郭聖通の一族は有力者で、中華統一を志す当時の劉秀としては政略結婚を行うほかなかったようです。この頃の陰麗華の気持ちや如何に。

陰麗華その5

 25年に劉秀が光武帝として即位すると、陰麗華は貴人として洛陽に迎えられて再会を果たすことができましたが、この時郭聖通が先に男子・劉彊(りゅうきょう)を産んでいました。光武帝としては政略結婚の相手の郭聖通よりも昔から恋い焦がれていた陰麗華を皇后に擁立したかったのですが、陰麗華は「お子を産んだ方が皇后になるのが筋ではありませんか」と言って自ら皇后を辞退しました。この控えめさが彼女の魅力です。

陰麗華その6

 そこで26年に郭聖通の子・劉彊が皇太子になり、郭聖通が皇后(光武皇后)に立てられますが、そうした中、光武帝の寵愛深い陰麗華は28年に劉荘(二代皇帝・明帝)を産みました。

郭聖通

 上の画像が郭聖通です。彼女は名門出身ということでプライドが高く、わがままで親の威光をひけらかしてばかりいたため光武帝に疎まれるようになり、後漢も安定してきた西暦41年には、郭聖通を皇后から廃し、その子の劉彊からも皇太子の位を剥奪してしまいました。

陰麗華その7

 陰麗華はその後皇后の地位につき、その子の劉荘も皇太子となります。光武帝の10歳年下の陰麗華はこの時36歳になっていましたが、なお光武帝は陰麗華に首ったけだったようです。

陰麗華その8

 中国の美しい后妃というと、傾国の美女ばかりという印象がありますが、陰麗華は美人皇后としては珍しく、外戚である陰一族を政治に関与させることなく、文字通り陰の存在に徹しさせ続けたほか、自身も質素な生活を続けたそうです。

陰麗華その9

 陰麗華についてはその行動が全て演技であり、計算尽くで周囲をマインドコントロールした魔性の女であるとの穿った見方もあるようですが、それにしては皇后になってからも質素に徹し、政治に介入することもなかったので、陰謀を張り巡らしてまで権力を手に入れる動機を持っていなかったように思われます。

陰麗華その10

 57年に光武帝が亡くなると息子の劉荘が明帝として即位し、陰麗華は皇太后となりますが、陰麗華が明帝の皇后に推挙した馬皇后もまた一族を政治に関与させなかった賢夫人でした。こうして光武帝、明帝、そしてその子の章帝と続く後漢初期三代の時代は外戚勢力が抑制されたいたこともあり、安定した治世で後漢最盛期となりました。

陰麗華その11

 陰麗華は美貌だけでなく聡明で性格も良かったようで、廃された郭聖通とも争った形跡がなく、和気藹々としていたので、臣下に長幼の序列をはっきりさせないのは儒教の礼に反するとお小言を貰ったりしていたほどだそうです。

陰麗華その12

 陰という姓と麗華という名前が非常にコントラストくっきりというか、対照的だなあと思えるのですが、人柄は、仁慈孝行に厚く、思いやり深かったそうで、7歳のとき父を失ってから数十年も経ても、父が話題に上れば涙を流さないことはなかったそうです。

陰麗華その13

 与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」の一節に“妻を娶らば才たけて、見目麗しく情けあり”というのがありますが、まさに陰麗華はこれにぴったり当てはまる理想的な女性だと思います。皇后と言わず、嫁にするならこういう人ですね。皆さん、決して美貌だけで選んではいけませんよ。

陰麗華その14

 己の一族に政治に関与させないようにし、さらに次代の皇后にも同様に外戚勢力を台頭させない女性を推挙したことで、王朝の全盛期を築いた陰麗華。その聡明さから中国史上でも最も優れた皇后の一人とされています。光武帝はそこまで判っていて陰麗華を妻に熱望していたのかどうかは定かではありませんが、専制君主の傍にいながらハッピーエンドで生涯を閉じることのできた非常にチャーミングな女性であったことは間違いないでしょう。最後に女優さんが演じたリアル陰麗華でお別れです。

リアル陰麗華その1
リアル陰麗華その2
リアル陰麗華その3
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Re: No title

 はじめましてこんばんは。こんな僻地にようこそ。

 嬉しいコメントありがとうございます。皆さんに公開してもなんら問題なコメントだと思いますが、ご意志を尊重して伏せておきます。

 宮城谷昌光の「花の歳月」を読んだことがあるので、一応存じ上げています。人柄的にはとても立派な人達だと思いますが、美女という評価についてはどんなもんでしょうかね。タイトルが美女列伝なので、問題は美人かどうか(というか画像があるかどうか)なのですが、探してみて掲載を検討したいと思います。

 ご意見ありがとうございました。

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