中国美女列伝(その32):唐琬~中国の「秒速5センチメートル」?

こんばんは。今日は確かにいつもと違います。寒気の牙がにぶいというか。花粉症なしの春の陽気なら素晴らしいことですね。
金曜日は中国美女列伝。しかしそろそろタマも切れ始めていますので、40回には届かないでしょう。32回目の今日は唐琬です。

唐琬は南宋時代の代表的詩人である陸游(1125-1210)の妻です。范成大・尤袤・楊万里とともに南宋四大家のひとりで、特に范成大とは「范陸」と並び称されました。現存する詩は約9200首を数え、その詩風には、愛国的な詩と閑適の日々を詠じた詩の二つの側面があります。南宋というのは宋(北宋)が女真族の国家である金に華北を奪われて、南遷して再興した国ですからね。

例の水滸伝は北宋第八代皇帝徽宗の時代の話ですが、この徽宗が勃興してきた金に対する外交政策に失敗し、金の大軍に攻撃されました。徽宗は帝位を長男の欽宗に譲り、領土割譲と賠償金支払いで一旦は和議を成立させましたが、その後金軍が撤退すると約束を反故にしたため、金を怒らせることとなり、首都開封は陥落し、徽宗と欽宗は捕虜になり、妃・皇女・縁戚の女性や女官、宮女達はことごとく金軍の慰安用に連行され、後宮に入れられた後、金の皇族・貴族を客とする娼婦になることを強いられたました。ほうら、梁山泊を大切にしなからだ、と言いたいところですが、歴史とフィクションを一緒くたにしてはいけませんね。

陸游は政治家でもありましたが、強硬な対金主戦論者であり、それを直言するので官界では不遇でした。政府からすれば戦ったら勝ち目がないのに戦争だ戦争だと呼号されてもかないませんからね。しかしその不遇ぶりが、独特の詩風を生むことになりました。
この陸游、20歳のとき(1145年)母方の縁につらなる唐琬と結婚しました。夫婦仲は睦まじかったそうですが、なぜか唐琬が陸游の母親(要するに姑)から嫌われてしまいます。一説には夫婦仲が良すぎたからとも、また子供が出来ず、それについて良くない噂を立てられたからとも言われます。

そういう訳でたった一年ほどで離縁させられてしまいました。互いに好き合っていたので、その後も内緒で家を借りて隠れて逢瀬を重ねていたそうですが、それも母親の見つかるところとなり,以後会うことができなくなってしまいました。
やがて唐琬は宋の帝室につながる趙士程と再婚し、陸游も王氏と再婚することになりました。そして十年の歳月が流れた1155年の春のある日、沈園という庭園を散歩中に二人は偶然再会します。唐琬は一緒に来ていた夫の許しを得た上で、酒肴を陸游のもとに届けさせました。そのおり悲嘆にくれた陸游が庭園の壁に書き付けたのが、「釵頭鳳」(さいとうほう、かんざしの意)という詞です。

紅酥手 黄縢酒
滿城春色宮牆柳
東風惡 歡情薄
一懷愁緒,幾年離索
錯錯錯
桜色をしたあなたの手が、黄藤の酒を汲んでいますね
町は春の盛りで塀際の柳が青々としています
春風(母親の指していると見られます)は意地悪で、二人の愛ははかない
胸は愁いにつぶれ、離ればなれとなって何年が過ぎたことでしょう
ああ、間違っていた、私は間違っていたのです

春如舊 人空痩
涙痕紅浥鮫綃透
桃花落 閑池閣
山盟雖在錦書難託
莫莫莫
春は昔のままなのに、人はむなしく痩せていきます
涙が薄絹のハンカチに染み渡り、赤い跡になって見えます
桃の花は散って、私は池のほとりの楼閣に佇んでいます
固い誓いは今でも忘れませんが、手紙でお伝えすることもできない
ああ、いけない。そんなことをしてはいけないのです

この陸游の詩は、沈園の壁に書かれたそうです。後日再び沈園を訪れた唐琬は、この陸游の詩を見て、返歌を詠じました。題は同じく「釵頭鳳」です。

世情薄 人情悪
雨送黄昏花易落
暁風干 泪痕残
欲箋心事独語斜欄
難難難
世の中はみんな薄情でした。そして人の情は私に辛いものでした
黄昏時に雨が降ると、折角咲いた花も落ちやすくなります
たとえ明け方に吹く風が雨露を乾かしても、涙の跡は残ってしまいます
私は心に秘めた思いを手紙にしようと思い、手すりにもたれて独りつぶやくのです
ですが、それはやはり難しく、とてもできそうにありません

人成各 今非昨
病魂常似鞦韆索
角聲寒 夜闌珊
怕人詢問咽泪粧歡
瞞瞞瞞
人はみな、各々別々の道を歩むもの。今日は常に新しく、昨日とは違う日です。
でも、貴方と別れて病んだままの私の魂は、振り子のように同じところを行ったり来たりしています
角笛の音は寒々と響き、時は過ぎ、夜明けを迎えようとしています
誰かに心の内を尋ねられるのが怖くて、泣きたい気持ちを隠して楽しそうに振舞っているのです
欺いているのです。他人の目を、そして自分の気持ちをも

「釵頭鳳」は元々曲なのだそうで、そのためメロディに載せるために詩の構成もとても似ていますね。10年経ってもお互いを想う気持ちは変わりなく、しかし決して他人に明かすことは出来ません。互いの苦しく切ない気持ちを吐露し合っている姿が美しくも悲しいです。

二人の詩は互いの愛情を表していますが、陸游の詩は繊細且つ直情的で、別れざるをえなかった元妻に対して別れたことが過ちだったと、ストレートに後悔を吐露しています。

一方の唐琬は「貴方を愛する気持ちに変わりないのだけれど、その気持ちは心の奥底に隠さなければならない。誰にも知られてはいけない」というように、より現実的な視点で自身の気持ちを押さえ込もうとしています。
「秒速5センチメートル」の貴樹と明里が、ラストシーンでもしあの踏切に残って想いを伝え合ったとしたら、このような感じになったのではないかなんて思ってしまいます。なので、唐琬は絶対に麗しい人でなければなりませんし、南宋きっての詩人を向こうに回して返歌を作るあたり、その才もまた素晴らしいと言わねばなりますまい。

なお、陸游の唐婉への思いは、後年折に触れ彼女のことを追憶する詩を作るほど深いものがありました。たった一年の新婚生活だった故に、陸游にとっては唐琬との暮らしは「理想の恋」になったのかも知れません。唐琬は「釵頭鳳」の詩を読んだ後、傷心のあまり世を去ったという説があります。また唐琬の詩は後代の人の贋作であるという説もあるそうです。

個人的には唐琬の詩であって欲しいですが、美人が若くして死んでしまうのはちょっとなあと思います(もったいないじゃないか!)。ただ、陸游は85才を越える長寿を全うしているのですが、老いた後も度々若き日の唐琬との思い出を回想しては詩を作っているので、唐琬は若くして無くなっていて、それがために陸游の中で永遠の女性となっているのかも知れません。

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