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中国美女列伝(その31):侯夫人~幽閉美女の嘆き

小野田寛郎少尉
 
 こんばんは。皆待ってたフライデーナイト。それにしても寒いですねえ。そういえば本日、フィリピン・ルバング島で終戦後29年も潜伏生活を送っていた小野田寛郎さんが亡くなりました。戦争は多くの人の運命を変えましたが、この方も数奇な運命に翻弄された人でしょう。戦後日本の生活になじめずにブラジルに移住したと聞いていましたが、日本におられたんですね。ご冥福をお祈りします。

侯夫人その6

 さて金曜恒例中国美女列伝、31回目の今日は侯夫人です。後漢が黄巾の乱で事実上統治機能を停止し、最後の皇帝・献帝が禅譲を強いられて滅亡したのが220年。以後三国時代を経て司馬炎の晋が265年に全土を統一しますが、それも長くは続かず304年には五胡十六国時代という国家の分立興亡期、南北に王朝が並立した南北朝時代という分裂期を経て、581年、およそ300年ぶりに隋が全土を統一します。

隋の版図

 その隋はたった二代37年で滅亡し、その後は唐が270年以上の長期王朝を成立させるのですが、初代文帝は名君でした。まあ創業者が暗君だとそもそも統一事業なんかできませんが。残虐な刑罰を廃し、法律を簡素化し、政治改革を行い、世襲的任官ではなく実力試験の結果で官吏を登用する科挙を初めて実行しました。

侯夫人その7

 隋は短期で滅亡しましたが、唐はこの文帝の行った改革(開皇の治)をほぼ継承することで長期政権を維持することができたのでした。では、その優れた父の事業を水泡に帰したダメンズは誰かと言えば、二代目の煬帝です。

侯夫人その1

 文帝の皇后(独孤伽羅)は非常に気の強い女性で、文帝に自分以外の貴妃を置かせませんでした。まあ二人の間には6人も子がいたのでそれでも良かったのですが、皇太子となった長男の楊勇は派手好き・女好きだったので質素を好む文帝と貞操を重視する皇后の二人から嫌われ、両親におもねった振る舞いをしていた次男の楊広が代わって皇太子となります。

侯夫人その2

 604年に文帝が病に倒れた時、病床で文帝は楊広の本性を知ったそうで、激怒して長男の楊勇を再び皇太子にしようとしたそうですが、実現させることなく崩御したそうです。一説によれば先手を打った楊広の手の者に殺害されたともいわれます。

煬帝

 さてこの楊広が二代皇帝煬帝となるのですが、即位直後に兄弟を策謀で殺害し、派手な大土木事業を展開しました。首都の大興城の建設と大運河(北京から杭州を結ぶ2500キロの運河で、黄河と長江を横断する)の開鑿でした。さらに万里の長城の修築や3度に亘る高句麗遠征により民衆は労苦と重税にあえぎ、全土で反乱が発生することになります。

侯夫人その3

 当初は鎮圧に努めた煬帝ですが、なにしろ叛徒の殺戮という過酷な対応だったため、一層反乱は激しくなり、北部を放棄して南部に移ります。その後煬帝は次第に酒と宴会に溺れて国政を省みなくなり、臣下からも見限られ、直属の群臣にまで叛かれた事で遂に観念し、618年縊り殺されて隋は滅亡するのでした。

侯夫人その4

 典型的な中国的暴君とされる煬帝ですが、大運河の建設は長期間分裂していた中国を統一するための大事業であり、現在でも中国の大動脈として利用されているものですし、煬帝の暴君像は唐代など後世にかなり誇張されたものであろうと言われています。国を滅亡させた以上、統治者としては完全に失格でしたが、文人・詩人としては評価が高く、文学史上高い評価を受けています。

侯夫人その5

 隋史ダイジェストになってしまいましたが、侯夫人は本名侯巧文といいます。官吏の家柄の出身で、南北朝時代に北朝に仕えていた家系でした。一家は隋が成立すると隠遁し、世事に対して超然とした生活を送っていたそうですが、巧文は少女時代から読書をよくし、巧みな詩作を行っていました。

侯夫人その8

 煬帝は暴君らしく天下の美女を集めたそうですが、16歳の巧文は容貌の美しさ、しとやかさ、柔和さによって才人として後宮に入ることになります。才人というのは下級の貴妃の位です。

侯夫人その9

 煬帝は天下の美女を集め、彼女達を住まわすために「迷楼」という一種の迷宮を造営します。数千名の美女の中、煬帝に目通り叶ったのはごく一部で、候夫人は目通りも叶わず幽閉された状態で過ごし、最後は首を吊って自殺したそうです。美しい才女がむざむざと死んでいった悲哀は、候夫人が残した詩からひしひしと感じられるといいます。

侯夫人その10

 欲泣不成涙
 悲来翻強歌
 庭花方爛熳
 無計奈春何

侯夫人その11

 泣かんと欲して涙をなさず
 哀しみ来たってかえって強いて歌う
 庭の花はまさに爛漫
 春を如何と計る無し

侯夫人その12

 泣きたくなっても涙を流さず
 悲しくなるとむりに歌います
 庭の花はいま盛りとなって咲いていますが
 この春の景色をどうすることもできません

リアル侯夫人その1

 手も付けられないほどの数の美女を集めてただ閉じ込めておくとは…日本でも江戸時代の大奥は三千人から女性がいたそうですが、この場合全てが妻妾というわけではなく、女性奉公人全てを含めた数だそうですから、実際の妻妾はせいぜい十数人から多くても数十人程度だったことでしょう。

リアル侯夫人その2

 無為に散っていった名花もそれはそれは多かったことでしょうが、候夫人は詩作の才があったのでその存在が後世に知れただけまだ良い方なのかも知れませんね。

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