ビブリア古書堂の事件手帖3~栞子さんと消えない絆~:人気シリーズ第三弾。第二弾もいずれ必ず読みます

こんばんは。寒中らしい寒さが続いていますね。今日は東京で小雪がちらつくと言われていましたが、結局雪を見ることはできませんでした。ただ寒さだけが残ったという感じ。もっとも雪が降っているのを見るのはいいけど、積もると翌日地獄を見ますからね。

本日は三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~」です。「2」を先に読んだ方がいいのは
重々承知していますが、「2」より先に「3」が見つかってしまいまして。順番に拘って借り逃すといつ借りられるか判らないので押さえてしまいました。
メディアワークスHPの内容紹介です。文庫本裏表紙の内容紹介とほぼ同じですが、なぜかちょっとだけ違います。

鎌倉の片隅にあるビブリア古書堂は、その佇まいに似合わず様々な客が訪れる。すっかり常連となった賑やかなあの人や、困惑するような珍客も。
人々は懐かしい本に想いを込める。それらは思いもせぬ人と人の絆を表出させることもある。美しき女店主は頁をめくるように、古書に秘められたその「言葉」を読み取っていき──。
彼女と無骨な青年店員が、妙なる絆を目の当たりにしたとき思うのは? 絆はとても近いところにもあるのかもしれない。あるいはこの二人にも。
これは“古書と絆”の物語。

短編3編に栞子の妹・文香がつづるプロローグとエピローグが付いています。そのタイトルは「王さまのみみはロバのみみ」。その意味は…読めばわかります。

第一話「ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』」は業界人だけが集う古書市場で起きた紛失事件と、濡れ衣を着せられた栞子が真犯人を見つける話です。おそらく2巻中の話の中で登場しているとみられる栞子の母・智恵子に関わる話です。智恵子は栞子以上の推理力と知識を持ち、優れた探偵の素質を持ちながら、欲しい古書を手に入れるためには犯罪ギリギリのことも平気で行う人物だったようで、ちょうど1巻ラストの事件の犯人と栞子の性格を併せ持つ人だったようです。そのせいで彼女を恨んでいる、ないし怒っている人がいて、物語の語り手である五浦大輔は「栞子に気をつけろ」と警告されます。失踪してから全く智恵子には会っていないと言う栞子。しかし、智恵子はビブリア古書堂や栞子の近況を知っている気配があります。

「たんぽぽ娘」は絶版状態になっていましたが、本書で紹介されたことで脚光を浴びて復刊されています。あらすじは「夫婦で夏休みを過ごすはずが、妻が仕事で一人旅となったマークは、旅先の避暑地にある丘の上で、『タイムマシンで未来から来た』と言う、たんぽぽ色の髪が印象的な若い娘ジュリーと出会う。 一時的に心が揺れ動いた…それだけだ。すこしのあいだ感情の平衡が崩れ、よろめいだだけのことなのだ。 自身にそう言い聞かせながらも、彼女との毎日の出会いが大きな楽しみとなったマーク。しかし、ある日を境に、彼女は姿を見せなくなった… 」

第二話「タヌキとワニと犬が出てくる、絵本みたいなの」は一巻に登場した坂口しのぶ・昌志夫婦が再登場します。し
のぶは実家と絶縁に近い状態にあり、昌志はそれを改善したいと考えていますが、彼の行動はむしろ悪化させてしまうことに。一卵性母娘なんて言って、相性の良すぎる母娘の話もありますが、互いに心配し合っているのに会えば正反対の事を言ってしまい、互いを傷つけ合う…そういう逆一卵性母娘の話です。

表題になっている「タヌキとワニと犬が出てくる、絵本みたいなの」はロシアの児童文学作家エドゥアルド・ウスペン
スキーの絵本「ワニのゲーナ」に登場するキャラクターです。本来の主人公は「ワニのゲーナ」でしたが、その人気からチェブラーシカが実質的な主人公となっています。

チェブラーシカ?ああ、南米にいるっていうUMAね。吸血するんでしょ?って思ったのですが……節子それチェブラーシカと違う、チュパカブラや!
チェブラーシカは南国産のオレンジの入った箱に一緒に詰められてやって来た、小熊と猿の中間のような外見の不思議な小動物です。チェブラーシカとは、「ばったり倒れ屋さん」という意味です。見た感じ猿っぽさは感じますが、しのぶはタヌキだと思っていました。

しかしそれは無理もないことで、チェブラーシカは絵本作品では全身が真っ黒なキャラクターだったのです。人形アニメになる際も、現在のキャラになるまで紆余曲折があったそうです。
余談ですが、旧ソ連ではスターリンの指示によりディズニーのようなアニメを作ることが求められていたところ、チェブラーシカをアニメーション化したことで、ソ連で非常に親しまれるキャラクターとなり、2004年のアテネオリンピック以降ロシア選手団の公式キャラクターになって、表彰台などでロシア選手がチェブラーシカのぬいぐるみを持つ場面が度々見られたそうです。

作品自体は、旧ソ連の体制を批判するために描かれたとされ、詳細が分からないまま行列に並ぶといった当時の物資不足を皮肉るシーンや役人の悪態など社会主義の矛盾や皮肉を絵本や人形アニメを通して描いています。絵本作品にしたのは厳しい検閲を受けた際、「架空の作品である」と言い逃れるためだったそうです。

第三話「宮沢賢治『春と修羅』」は、智恵子の旧友であるという女性から依頼された、盗まれた父の遺品「春と修羅」の捜索の話です。
「春と修羅」は宮沢賢治が生前に唯一刊行した詩集として知られ、1922~23年に制作された作品が収録されています。事実上賢治の自費出版で、正確なタイトルは『心象スケッチ 春と修羅』で、賢治自身は「詩集」と呼ばれることを好まなかったそうです。

刊行当時、辻潤が読売新聞に連載していたコラムで激賞し、佐藤惣之助も詩誌で評価するコメントを付し、背文字を書いた尾山篤二郎も主催する短歌雑誌『自然』の中で賞賛する紹介をしましたが、当時の世間一般には受け入れられず、大半が売れ残ってしまい、賢治が自ら相当の部数を引き取ることになりました。
中原中也や富永太郎といった詩人も強い影響を受け、草野心平は『春と修羅』を読んで「瞠目」し、詩誌『銅鑼』に賢治を同人として誘ったそうです。草野は賢治の存命中から没後にかけてその作品の紹介に大きな役割を果たしたため、この出会いは賢治が世に知られるのにきわめて大きな意味を持ちました。

賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなく、多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度もの修正の跡が残されて全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかったそうです。そうしたことから、原稿の徹底した調査に基づき逐次形態をすべて明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られました。
本作に登場する「春と修羅」は、賢治の自筆手入れ入りの初版本という貴重なものが登場します。それは父の遺品ということを差し引いても取り返したいことでしょう。例によって栞子はすぐに犯人を見つけだします。しかし、物語にはもう一つの裏があって、栞子はそれすら見抜いています。

もう一つ、智恵子の心象を象徴する作品として坂口三千代の「クラクラ日記」が登場します。智恵子が失踪した際に残していったこの本を、栞子は即座に売ってしまったそうですが、今になってなんとか手元に戻そうと努力しています。その努力は実を結びませんが、亡父が実は手放さずに家に置いているのではないかという疑惑を持った栞は一生懸命に捜し
ますが…実は意外な人が持っていたのでした。
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