好きなアニメキャラ(その22):キリコ・キュービィ(装甲騎兵ボトムズ)

こんばんは。暮れから正月に酒を飲み過ぎて体調がおかしくなったので、一週間酒断ちをしていたのですが、昨日久々に飲みました。毎日飲むとおいしくないけど、たまに飲むとおいしいですね。適切な摂取が必要です。

さて好きなアニメキャラ、今回、22回目にして初の男性キャラ登場です。このままだとただの女好きのようにみられてしまいやしないかと思って……いや、女性は好きですけどね。本日は「装甲騎兵ボトムズ」の主人公、キリコ・キュービィーです。

「装甲騎兵ボトムズ」は1983-84年にかけて放映された日本サンライズ制作のアニメ作品です。その後はOVA、小説、ゲームなど多様なメディアで展開され、今なお続いています。

アストラギウス銀河を二分するギルガメスとバララント、二つの勢力は、もはや開戦の理由も判らなくなった戦争を100年も続けていました。その“百年戦争”の末期、ギルガメス軍の一兵士キリコ・キュービィーは、味方の基地を強襲するという不可解な作戦に参加させられます。その作戦でキリコは軍の最高機密「素体」を目にしたことで軍から追われる身となり、町から町へ、星から星へと逃亡の旅を続けていきます。その逃亡と戦いの中で、やがて陰謀の闇を突きとめ、自分の出生に関わるさらなる謎の核心へとせまっていくことになります。

ボトムズとはヒーローメカの名前ではなく、装甲騎兵=アーマード・トルーパー(通称AT)と呼ばれる人型単座装甲兵器及びそのパイロット達を指す俗称というか蔑称です。ATは汎用性と安価さ、そして鉄の棺桶とも言うべき生存率の低さから、兵士たちに最低野郎(ボトムズ)と罵倒されていたのです。わずか4メートル前後というミニサイズのロボットであるAT「スコープドッグ」に乗り、キリコは市街戦、密林ゲリラ戦、砂漠戦、宇宙戦を戦い抜きました。

従来のロボットアニメよりもはるかに血生臭く泥臭い戦いぶりと、単なる消耗品として次々と乗りつぶされ、またどこでも手に入って必要なら自分で組み立てられるスコープドッグをはじめとするATは、リアルロボットのひとつの終着点となりました。

いわゆるリアルロボットは「機動戦士ガンダム」に始まるということになるのでしょうが、ガンダムはしかしそれ以前のスーパーロボットの性格をかなり色濃く残していました。コスト無視の試作機という説明はついていましたが、一機で物語り冒頭から最終回まで使われ続けましたし、陸海宇宙と戦場を選ばず、大気圏突入までこなしていました。大体カラーリングが兵器らしくないですし。

「超時空要塞マクロス」に登場したVF-1バルキリーは数多くの機体が登場してより量産機的性格は強まりましたが、戦闘機・ガウォーク・バトロイドと三段変形し、やはり大気圏突入や離脱をするスーパーマシンで、一体コストはどんだけかかるんだ、整備はどれほど大変なんだと思わせる機体でした。

これらに較べてATの代表格であるスコープドック(その他のATも同様ですが)は、せいぜい現代の戦車か装甲車といった雰囲気で、いかにも安価そうだし簡単に壊れるしで、リアル感が満点でした。

登場人物は味方や敵も一癖も二癖もある連中ぞろいで、それらが織り成す濃厚な人間ドラマも特徴でした。特に雰囲気を出していたのは次回予告でしょう。高橋良輔監督自らが全話分書いたナレーションを、かの銀河万丈(サブキャラとしても登場していました)が謳うように読み上げていました。これは傑作なので、予告集は動画サイトで容易に見ることができます。私も以前「まどか☆マギカ」のパロディに使わせて貰いました。

キリコは明確な出自は不明ですが、幼少期に施設にいたときに襲撃を受け、火炎放射器で焼き殺されかけた経験があり、このことがトラウマとなって過去の記憶を思い出せなくなっています。15歳で軍に入隊し、俗称「レッドショルダー」と呼ばれる特殊部隊に配属されました。テレビシリーズ登場時は18歳でした。

キリコは自称「クソ真面目な男」で、無口で無愛想なため、陰性のように見えることがしばしばで、「根暗」とも揶揄されていましたが、それは本来の性格ではなく、長引く戦争により人間として当たり前の感情を排され、歪んでしまったもののようです。それでも、自身を陰謀に陥れた相手を探ろうとしてリスクを冒すことも厭わないなど、普通の18歳の若者と変わらない面も見られます。

「素体」、すなわち「パーフェクトソルジャー(PS)」のファンタムレディとの出会いの後、自身がなぜ襲撃作戦に参加させられたのかという面を探っていくうちに、助け出した彼女をなぜか「フィアナ」と名付け、呼ぶようになります。フィアナによって、キリコは愛情という感情も覚えていきます。

その後も傭兵となって内戦を戦ったり、レッドショルダーでの殺人マシーンと呼ばれていた頃の記憶を呼び覚まされて苦しんだり、自暴自棄になって酒に溺れて戦ったり、悪夢で魘されたり、戦争被害者から向けられる憎悪などで、心に癒えることのない傷を負うことになりました。

実はキリコは、古代超文明の支配者で、アストラギウス銀河の歴史を影で操っていたワイズマンと対面し、そこで自身がワイズマンによって生み出された“生まれながらのPS=異能生存体”であり、銀河を支配するに相応しい者として、ワイズマンの後継者に選ばれたことを知らされます。

仲間を捨てて、ワイズマンの後継者になろうとしたかに見えたキリコですが、それは芝居で、真の目的は銀河を支配していたワイズマンを抹殺することでしただ。「神」とも呼べるワイズマンを滅ぼしたキリコは、「戦いがある限り利用される」がゆえに、あるかどうかも定かでない「戦いのない世の中」に行くことでした。そして寿命寸前のフィアナと共に人工冬眠のカプセルに入って宇宙を漂います。しかし、その後もキリコはOVAなどで様々な干渉を受けていくことになるのですが、それはまた別のお話です。

ちなみにヒロインのフィアナはパーフェクトソルジャー(PS)ですが、これは人体を改造した強化人間兵器の一種で、マイクロコンピューターと一体化する思考力と判断力を加え、これによって機械的により計算された動きをこなすように人体が改造され、筋力強化もされています。なお、このプログラムのみが盛り込まれている状態を「素体」と呼び、この状態だったフィアナがキリコを見たことで、ひな鳥が最初に見た動く物を親鳥と認識してしまうようにキリコへの依存心が強く刻み込まれたのでした。

キリコは天然のPSとでもいうべき異能者でしたが、その模造品に過ぎないPSはその寿命は僅か2年で、コストパフォーマンスが極めて劣悪でした。キリコ自身は終盤まで自分を常人だと思っていたようですが、生まれながらに持った反応速度や機械類に対する高い適応能力、どんな怪我からも短時間で復活する常人離れした強靱な生命力と、戦場においても生存確率の際だった高さ、そして強力な戦闘力は、戦場でのキリコの超人的な活躍からも窺えます。主人公補正なるものを持ち出さなくても良い訳ですね。

乗り慣れたスコープドッグを選択することが多かったですが、別の他のATには乗れないという訳ではなく、バララントのATファッティーも使いこなしていますし、終盤に登場した専用ATラビドリードックは格好良かったです。

ウド編にはスコープドッグに武器を満載した「レッドショルダーカスタム」という機体が出てきますが、仲間が間違えたので肩の赤い色が逆になっていました。これはレッドショルダーの正規武装をあり合わせの武器やパーツで模倣したものでした。

こちらが正規のレッドショルダーターボカスタム。細かい装備の差は知らない人には判らないでしょうが、赤い肩が逆であることだけは一目瞭然ですね。

キリコの名前の由来はジョルジョ・デ・キリコとキュービズムに由来しているそうです。また手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に登場するライバル的なニヒルな安楽死医師・ドクター・キリコのイメージからつけたという証言もあるそうです。

CVは郷田ほづみ。当時お笑いトリオ「怪物ランド」を結成して「お笑いスター誕生!!」で10週勝ち抜いて芸能界デビューし、同時期にキリコ・キュービィーを演じていました。その後は「怪物ランド」の仕事が多忙となり、声優の仕事から離れていましたが、1995年に「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリー役を死去した富山敬に代わって演じて以降、再び声優の仕事に戻っています。

郷田ほづみは、放映当初はあまりに無口なキリコにキャラクターを掴めない部分もあったものの、次第にキャラ造りのイメージを掴んでいったとそうですいう。郷田ほづみが演じたキャラで一番有名なのは今でもキリコで間違いないでしょう。キリコは従来のロボットアニメ主人公にはなかった性格だったため、当時の他のロボットアニメの主人公との差違は顕著で、キリコのキャラクターをより定着させていったといえるかも知れません。

無口・無表情・無愛想で、主人公なのに画面に映っても喋らないことが少なくないキリコですが、アニメ本編や小説、ゲーム中における彼の独白や劇中ナレーションでは、殺伐ながらも詩的な言い回しを多用しており、ファンからは「脳内ポエマー」呼ばわりされたりしているようです。

“緑に塗りこめられてはいるが、ここは地獄に違いない。”
“そこは俺にとって、懐かしい匂いのするところだった。手には冷たい鉄の肌触りしかなかったが、慣れ親しんだ温もりが蘇ってきていた”
“そう、これは迫り来る地獄のプレリュードに過ぎないのだ”
“何かを求めて戦場に来る者。その日のメシにありつくために引き金を引く者。そして硝煙と死臭の中でしか生きられない俺。ここは神の住処じゃない。ただの瓦礫の山だ”
“愛…。かつて俺が愛のために戦っただろうか…”
“凶器のようなやつの闘志。それに比べて俺の心は燃えはしない。俺が敢えて受けて立つのは、その憐れな闘志を癒すためかもしれない”
“予感。そうだ、俺だけが知る闇からの予感だ”

このあたりのセンスは次回予告とそっくりですね。高橋監督やスタッフのセンスなので、これを不用意に真似ようとするとただの中二病になってしまいがちです。というかキリコの真似をするだけで中二病一直線のような……

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