魔法少女まどか☆マギカ考察:巴マミ(その1)

今日は60回目のブログ記事になります。2ヶ月かあ…結構続いたものです。
さて、今日も今日とて魔法少女個別考察を続行します。第三弾は、お待たせしました魅惑のナイスバディ、みんな大好き、マミさんこと巴マミです。マミさんに限っては私のえこひいきにより、その3まである予定です。
1.なぜ「華麗な魔法少女」なのか?
初登場の1話にて、魔女の結界に迷い込んだまどかとさやかに迫る使い魔たち。そこに登場したマミは、華麗に変身し、召喚した無数のマスケットを斉射するという派手な大技で敵を一掃します。また、2話では魔法少女体験コースを主催し、薔薇園の魔女相手に必殺技ティロ・フィナーレで勝利した上で、優雅に紅茶を飲んでいます。これを「砲火後ティータイム」と呼ぶとか。「けいおん!」かっ(笑)

また、変身シーンも他のどの魔法少女よりも華麗です。マミの変身も戦闘も、明らかに「他人の目」を意識していると思われます。マミは無意識に、自分自身を「魔法少女の広告塔」としているのではないでしょうか。
これまで見滝原町の平和を孤独に守ってきたマミは、まどかとさやかがキュゥべえに選ばれた「魔法少女候補」であることを知っても、積極的には契約することを勧めていません。

2話冒頭で魔女退治への同行を勧めて、「魔女との戦いがどういうものか、その目で確かめてみればいいわ。そのうえで、危険を冒してまで叶えたい願いがあるのかどうか、じっくり考えてみるべきだと思うの」
この発言は、マミ自身が交通事故で瀕死の重傷を負う(同乗していた両親は死亡)という、選択の余地がない状態で契約したという事実(ゲーム版で描かれています)も、きちんとした願いをもって契約するべきだという意識を高めているのかも知れません。
また3話では、「無理して格好つけてるだけで、怖くてもつらくても、誰にも相談できないし、一人ぼっちで泣いてばかり。いいものじゃないわよ、魔法少女なんて」 と言っており、魔法少女稼業が決して楽なものではないことを明言しています。

しかし、PSPのゲームソフト「魔法少女まどか☆マギカポータブル」(以下、「ゲーム版」とします)では、マミの心情が詳細に描かれており、マミはまどかとさやかに魔法少女になってもらって、一緒に戦うことを切望していたことが明示されています。
マミは自己中心的な性格ではなく、世のため人のために魔女と戦うという、魔法少女としては異例の存在でした。キュゥべえが4話で「確かにマミみたいなタイプは珍しかった。普通はちゃんと損得を考えるよ」と言っていますが、おそらくグリーフシードも積極的に入手しようとはしていなかった模様です。2話でグリーフシードを入手した際に、「運がよければ、時々魔女が持ち歩いてることがあるの」と発言していることからみて、マミは人に仇なす魔女や使い魔は発見次第片っ端から殲滅していたと考えてよいでしょう。
その性格故に、マミは苦労することがわかりきっている魔法少女を積極的に勧めることはしませんでした。しかし、仲間になって欲しいという心の奥底の欲求は、こんなのを見せられたから誰だって憧れてしまうに違いないという理想的な魔法少女像を自ら演じて見せるという行動に駆り立てたのではないでしょうか。
3話までのマミの戦いぶりは、見る者をして魔法少女になるしかないと決意させるほど華麗でした。それは仲間が欲しいという密かな願いの反映であるとみて良いでしょう。また、利己的な魔法少女とは共に戦うことはできないので、自分と同じポリシーを持った魔法少女になって欲しいという欲求もあったと見られます。既にまどかとさやかは大きな影響を受けていましたし、マミの死後ですが、さやかはマミの遺志を過剰に受け継ぐような魔法少女になっています。

2.「豆腐メンタル」なのか?
10話で待望の再登場を果たしたマミですが、これは過去の時間軸の話でした。基本マミの「優しくて頼りになるお姉さん」キャラは終始一貫していますが、1周目と2周目ではワルプルギスの夜に敗れて死亡したと見られます。3周目では、さやかが魔女化したことを目の当たりにして動揺魔法少女達、というシーンの後、有名な「マミ狂乱」シーンが来ます。ほむらを拘束して杏子のソウルジェムを撃って殺害、ほむらに銃口を向けて「ソウルジェムが魔女を産むなら、みんな死ぬしかないじゃない!あなたも、私も…!」と涙ながらに叫びます。

マミは長い間魔法少女をしていた(契約時に中学校の制服だったことから、一年生時に契約し、およそ2年が経過しているとみられます)にも関わらず、魔法少女の真実に一切気づかずにきています。杏子もおよそ同程度の時間魔法少女として過ごしていますが、ゲーム版で描かれたように、契約の契機となった願いは既に裏切られており、綺麗事では魔法少女はやっていけないことに気づいており、極めてシニカルな見方をするようになっています。
これは契約の際の願いの差かも知れません。マミの願いは「助けて」というもので、つまり自分自身の命を繋ぎ止めることを願った、言い換えれば、自分自身のために祈っています。これは他人のために祈った他の魔法少女とは明らかに異質です。余談ですがゲーム版では、この「命を繋ぎ止める」という願いから、リボンを使った技が発生しており、近接戦闘しかできないことを憂慮して工夫した結果、マスケット銃をリボンで作ることを学んだ(複雑な構造の銃は作れなかったと言っています)ということになっていました。
つまり、皮肉なことに自分自身の願いを叶えて魔法少女になったマミは、杏子やさやかのように、他人のために願いを叶えて他人に裏切られるという経験をすることがなく、純粋に他人のために戦うことができたということでしょう。

そのマミが、遂に魔法少女の真実に気付かされたのが、「マミ狂乱」のシーンです。しかし、マミは本当に狂っているのでしょうか?マミの行動は極めて論理的です。まずほむらを拘束して時間停止を妨げ、次いで経験と戦闘力でマミと匹敵する杏子のソウルジェムを砕いて殺害しています。既にキュゥべえからソウルジェムこそが魂の座であることは知らされているのでしょう。それから「ソウルジェムが魔女を産むなら、みんな死ぬしかないじゃない」という台詞。これも「魔法少女が必ず魔女になるのなら、その前に死ぬしかない」という理屈であり、魔女と戦い人々を守ることを天命と捉えているマミらしい言葉です。
また、11話のほむらでみられるように、魔法少女は絶望感に捕らわれると急速にソウルジェムに穢れがたまっていきますが、この際のマミのソウルジェムにはそいいった兆候は示されていません。ということは、マミは激情には駆られつつも、極めてロジカルは行動を取っているといえます。惜しいのは、「魔法少女皆殺し」を実行するのであれば、杏子を殺した後に銃口を向けるべきはまどかであったという点ですが、まどかの項で考察したように、マミはまどかの本性を誤解していたか気付いていなかったと思われるので、天然の殺し屋という訳ではないマミとしては致し方なかったかと思われます。

おそらくマミは、まどかはどうしていいかわからずおろおろしているか、泣きじゃくっているだけだと考えていたのでしょう。或いは、一倍懐いていたまどかには、もっと言葉をかけたかったのかも知れません。マミはまどかの「漢」らしい果断な行動によりソウルジェムを砕かれて死亡しますが、マミも中学生の女の子、まどかの本質を見抜けなかったうかつさを批判するのは酷でしょう。
というわけで、マミの「狂乱」は己のアイデンティティが完全否定されたことにより惹起されましたが、その目的はこれ以上魔女を生み出さないということであり、行動順もロジカルでした。故に、特別メンタルが弱いとは言えないでしょう。むしろ「一人ぼっちで泣いてばかり」であったにも関わらず、一人で見滝原町を守ってきた事実は賞賛に値すると思われます。

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