魔法少女まどか☆マギカ考察:鹿目まどか(その1)

ここのところ、私のブログは合間合間にいろいろな話題を挟みながらも、「魔法少女まどか☆マギカ」サイクルに入っているといえます。「秒速5センチメートル」サイクルは一気にやれたんですが。しかし「~サイクル」って表現、「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズみたいで格好いいなあ。まだやってるのかな、あのシリーズ。今も全巻読んでいる人っているのでしょうか。
それはさておき、魔法少女の個別考察シリーズを開始したいと思います。まずは「ただの少女」のまま終盤まで突き進んだ「看板に偽りあり」の主人公・鹿目まどかさんについてです。
(1) まどかの本質は?

まどかといえば「怯え顔」が印象的です。その劇中での性格は、いかにも女の子らしいといった感じで、優しく友達思いで涙もろい反面、優柔不断で決断力がない、そして怒るということを知らないという感じだったように見受けられます。とすると、専業主夫のお父さんとバリキャリのお母さんの娘としては、お父さん似の性格ということになるのでしょうか。
しかし、まどかは本当に優柔不断で決断力が欠如しているのでしょうか?実は決断に富んでいるのだということが判明するシーンがあります。10話の過去の時間軸で、さやかが魔女化して、一同が魔法少女の末路が魔女であることを知ったシーンです。この際、絶望した巴マミはまず暁美ほむらを拘束し、佐倉杏子を不意打ちで射殺してから、銃口をほむらに向けます。しかしあわやというところで、まどかの弓がマミを射殺し、ほむらは九死に一生を得ます。
この時のマミの行動ロジックは、①厄介な時間操作をするほむらをまず拘束する ②自分に匹敵する戦闘力の杏子を殺す-の順になっていたと思われ、錯乱状態のようでいて流石はマミさんと唸らされますが、その後銃口を向けるべきは、拘束に成功していつでも料理できるほむらではなく、なおフリー状態のまどかであるべきと思われるのに、マミはなぜか先にほむらを殺そうとしています。
マミはなぜまどかに銃口を向けなかったのでしょうか。一番自分を慕ってくれているまどかを殺すのは忍びなかったのかも知れませんが、どうせ怯えてすくみ上がって泣くばかりのまどかには有効な反撃などできない、とマミがたかをくくっていた可能性もあると思います。そういう認識は、冒頭書いたように、作品を見ている我々も共有しがちな部分なので、なおさらまどかの「マミ瞬殺」シーンは意外に思えるのです。
しかし、まどかは「やるときはやる子」であり、「やればできる子」でもあるのです。例えば4話では、魔女に操られる人々のまっただ中で、ただ一人で「混ぜるな危険」の洗剤容器を投げ捨てていますし、6話では、さやかのソウルジェムを奪い取って投げ捨てています。キュゥべえすら予測できなかったこのアクションを、時間軸が違ったために、不幸にしてマミは知らなかった(この時間軸ではさやかが魔女化するまで魔法少女の秘密が判明していなかったと見られます)ために、判断を誤ったといえますが、それだけ普段のまどかの「猫かぶり」っぷりが巧みだったともいえます。お母さんも案外少女時代はこんなだったのかも。
(2) なぜ自己評価が低いのか

まどかは傍目に見てとってもいい子です。ぜひ娘にしたい。ですが、まどか自身は自分にかなり辛い評価をしています。3話でまどかは次のように言っています。
「私って鈍くさいし、何の取り柄もないし。だからマミさんみたいにカッコよくて素敵な人になれたら、それだけで十分に幸せなんだけど」
「私って、昔から得意な学科とか、人に自慢できる才能とか何もなくて。きっとこれから先ずっと、誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。それが嫌でしょうがなかったんです」
「こんな自分でも、誰かの役に立てるんだって、胸を張って生きていけたら、それが一番の夢だから」
こうした言動から窺えるまどかの自己評価の低さは一体どうしたことでしょうか。まどかは両親からそれは愛されて育ったとみられますし、両親がまどかの性格を否定するような言動をしたとも思えません。お母さんの現在の姿をみれば、まどかはいわば「醜いアヒルの子」なのであって、成長すれば同じくらい能力の高い女性になる可能性が高いと思われますし、仮にそうでなかったとしても、誰からも愛される子であることには違いないと思われるのですが。
さやかが一話で「相変わらずまどかのママはカッコいいなあ。美人だしバリキャリだし」と言っています。お母さんはまどかの自慢であり、まどかの周辺の女子全般の憧れの的となっていると思われます。
まどかはお母さんの生き方に憧れ、目標とするとともにさらにその先に行くことを望み、しかしながら現状それが出来そうにない自分の能力に絶望しているかのようです。これには、母親が外で働き父親が主夫を担当するという家庭環境が影響している可能性があります。まどかの家庭環境では、「男女の役割」にとらわれない考え方が育まれていると思われますが、お母さんの生き様を自分の生き様と重ねあわせたいと願い、それが出来ない現在の自分の無力を嘆いている-つまり、まどかが卑屈なのは、目標としたいお母さんがあまりにもヒロイックであるということに起因するのではないでしょうか。仮に鹿目家が通常の家庭(父親が仕事、母親が家事育児)であった場合、まどかはここまで苦悩しなかったものと考えられます。
つまり、まどかはお母さんから深く愛されていますが、母親が偉大だと思えば思うほど、その存在は巨大な壁となってまどかの前に立ちはだかっており、なまじ関係が至極良好なだけに反発もできないでいるとみられるのです。
11話でまどかは、避難所を出ようしてお母さんに咎められ、「強い母親」と対峙するような形で対話しています。このシーンこそ、まどかが初めて目標であった母親を乗り越えていく様子を描いたものであり、魔法少女になる確固たる決意を固めた場面であるといえるのではないでしょうか。

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