ダイイング・アイ:東野圭吾のホラー小説?悪人ばかりが登場

長野県に行って参りました。台風が通り過ぎたおかげで好天に恵まれましたが、「日本一長い動く歩道」としてテレビでも紹介された志賀高原の横手山のスカイレーターに乗ってみたいと思ったら、前日の雪で動いていませんでした。横手山山頂の「日本一高い所の雲の上のパン屋さん」に行きたかったのですが、リフトも動いて折らず無念の撤退となりました。

しかし、麓は紅葉真っ盛り、山の上は樹氷のような雪と秋と冬を同時に体験できて、それはそれで良かったかなと、良かった探しをしてみたりして…。負け惜しみ!という声もあるかも知れませんが…

下の写真は横手山から見た笠ヶ岳(2075m)です。地元では笠岳と呼ばれています。

こちらは遙か彼方の北アルプス。頂上付近がうっすらと雪を被っています。手前の気にも雪がついているところにもご注目下さい。この2枚は私のスマホで撮影してみました。さすが1300万画素。

本日は東野圭吾の「ダイイング・アイ」です。東野圭吾はこのブログではすっかり常連さんですね。

「ダイイング・アイ」は1998年から1年間「小説宝石」に連載され、2007年11月に光文社から単行本が刊行されました。単行本化されるのに8年間もかかっているわけで「幻の作品」と言われていました。2011年1月には光文社文庫から文庫版が刊行されています。
キャッチコピーは単行本版が「今度の東野圭吾は、悪いぞ。」、文庫版が「許さない、恨み抜いてやる。しかし、加害者は忘れていた。東野圭吾だから書きえた『悪い奴ら』」。登場人物の大半が悪人という異色のストーリーです。

例によってAmazonの内容紹介です。
誰もが少しずつ嘘をつき、誰かを陥れようとしている。
記憶を一部喪失した雨村慎介は、自分が交通事故を起こした過去を知らされる。
なぜ、そんな重要なことを忘れてしまったのだろう。
事故の状況を調べる慎介だが、以前の自分が何を考えて行動していたのか、思い出せない。
しかも、関係者が徐々に怪しい動きを見せ始める……。
俺をみつめるマネキンの眼。
そいつは、確かに生きていた。

バーテンダーの雨村慎介は仕事帰りに何者かに頭を殴打されて瀕死の重傷を負います。数日後に彼は意識を取り戻しますが、その中で重要な記憶の一部が欠落していることに気付きます。
彼は自らが運転していた車で死亡事故を起こして執行猶予中の身ですが、以前に自分が何をしようとしていたのかを思い出せないでいます。ろくな貯金もないのになぜ自分の店を持とうとしていたのかとか、死亡事故を起こしているのになぜ罪悪感がないのかなど。
彼を襲撃したのは交通事故で死んだ女性・岸中美菜絵の夫・岸中玲二でした。微罪にしか問われなかった彼への復讐なのか?しかし、彼も直後に自殺してしまいます。そして雨村の周りでは怪しい動きが起こり。同居していたホステス村上成美が失踪し、入れ替わるように謎の女「瑠璃子」が登場。その妖しい瞳は人を逆らえなくさせるものがありました。
自殺した岸中玲二は、妻を失った哀しみの中で美菜絵そっくりのマネキンを制作していました。そして彼の日記には妻を甦られることに成功したかのような記述が。そして慎介は「瑠璃子」が美菜絵そっくりであることに気づき、恐怖します。

実は交通事故は二重に発生しており、慎介の車にぶつけられた美菜絵が対向車線に放り出され、そこに別の車が激しくぶつかって彼女は死んだのでした。直接殺してはいないから罪悪感が希薄なのでしょうか?しかし、断片的な彼の記憶には妙なパーツが挟まっています。そう、その交通事故にはさらに複雑な事情が絡まっているのでした。
実は登場人物は悪人揃いで、自らの欲望とか野心に素直に従って行動しています。その結果があまり芳しくないのは救いですが、実は慎介自身も記憶を取り戻してみたら悪人でした。
同居していた恋人が失踪するあたり、「パラレルワールド・ラブストーリー」に似た展開ですが、こちらはその理由が至極はっきりわかります。事件的には死者が蘇って加害者に復讐を果たそうとしているような展開なので、ガリレオこと湯川学なら「実に面白い」とか言って謎解きに取り組むところですが、こちらでは究極のところでオカルトが入っていて、科学だけでは解明できないようになっています。
美菜絵の死亡した交通事故の関係者はみんな多かれ少なかれ罰を受けるという結果になっていますが、刑事(この人は悪人でもなんでもないです)の失踪が全然問題視されていなかったり、玲二がひたすら可哀想だったりと読後感はあまり良くありません。といってもイヤミスの領域までは行きませんが。
あと東野圭吾にしては珍しく官能描写が所々に。「こういうのも書けるんだぜぃ」的な印象を受けますが、私は普通の小説に突然出てくる官能描写というやつが昔から結構好きで(笑)。エロ小説じゃないのでそんなに期待したいけないのですが、不意に出てくるのがいいんですよね。昔の国産SFにはやたらあった気がします。読者サービスということで編集者に強いられていたなんて話も聞きますが、光瀬龍とか小松左京あたりは嬉々として書いているような感じがします。半村良はもはや自主的にやっているとしか。

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