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中国美女列伝(その24):文姜~二つの国を股に掛けた中国版「俺妹」

魔法少女まどか☆マギカ 反逆の物語
 
 ワルプルギス27号は魔法少女達の活躍のおかげか本土直撃はなさそうです。折しも本日は「魔法少女まどか☆マギカ[新編]反逆の物語」の公開日ですね。魔法少女が総決起したのかも知れません。

反逆の物語

 そういうわけでやや安心しつつ、金曜恒例中国美女列伝に参りましょう。本日は文姜です。アメトークじゃありませんが、先週の夏姫と一緒にくくれる共通項がありまして、何かと言えば“実兄との密通”なんです。なんか中国じゃ日常茶飯事でそういう鬼畜プレイが発生しているのかといいたくなりますが、なにしろ2500年以上昔の話なのでその辺りはご容赦を。

文姜その1

 じゃあ文姜も四大淫女なのかというと、さにあらず。文姜は四大妖女の一人なのです。四大妖女には、既に紹介済みの妹喜、妲己、褒姒がエントリーしておりまして、文姜が最後の一人となります。四大○女をコンプリートするのは四大美女以来ですよ。しかし夏王朝を傾けた妹喜、商王朝を傾けた妲己、西周を傾けた褒姒とすごいメンバーが揃っていますね。

ジェットストリームアタック!

 まさに傾国三人衆。この三人がジェットストリームアタックをかけてきたら、傾かない国などないことでしょう。最後の一人文姜は三人に匹敵することができるのでしょうか?

文姜その2

 斉は紀元前1046年から紀元前386年と、周代、春秋時代、戦国時代初期と650年以上続いた国で、周建国の大功臣である太公望によって建国されました。斉自体は紀元前221年に秦に滅ぼされ、ここに中華は秦が統一することになるのですが、この時の斉は家臣であった田氏に乗っ取られたいわゆる「田斉」であり、太公望の子孫が継承してきた斉は「姜斉」と呼んて゛区別します。

戦国七雄

 斉は地図を見てお判りのように東方海に面した場所に建国されています。当時の周の実力では東方にはまだ影響力を及ぼせず、莱(らい)と呼ばれる部族がこの地域にはいたそうです。周は太公望に領地を与えたと言うよりは、事実上東方制圧を命じたのだと言えそうです。太公望は期待通り萊を討ち、現地の風俗に合わせて政治を簡素にし、この地方を安定させて斉を建国しました。その後も領土を拡大し、春秋時代に入る頃には東の強国となりました。斉は海に面していることから塩が生産され、鉄の産出地でもあったため、大いに富み栄えたのです。

文姜その3

 時代は下がって第14代君主に襄(じょう)公(在位紀元前698年~686年)という人がいました。この人はいわゆる暴君で、むやみに人を殺し、女色にふけり、よく大臣を欺いたということです。また従兄弟の公孫無知が、生前襄公の父・釐(き)公から可愛がられていたことが気に入らず、即位後は公孫無知の待遇を引き下げて恨みを買ったりしていました。

文姜と襄公

 釐公には四人の子供がいて、上から諸児(しょげい、後の襄公)、文姜、糾、小白といいました。そしてなんと諸児は妹文姜と密通していたのでした。鄭の姫だった夏姫も実の兄である子夷と通じていましたが、これは10歳かそこらのことで、夏姫は被害者でしかない気がしますが、どうやら文姜は諸児と恋愛関係にあったようです。また同じ春秋時代といっても100年位は文姜の方が先です。まさに進んだ女性というか、リアル「俺妹」というか。

文姜その4

 文姜はその後、紀元前706年に魯の桓公のもとに嫁ぎます。まだ釐公の生きている時期なので、諸児にはどうすることもできなかったでしょう。魯の桓公という人は釐公の夫人である魯姫の弟でした。魯姫は諸児の実母ですが、文姜には別の母がいたようなのでいいのですが、そうでなければここでも叔父-姪の近親相姦発生ですよ。まあ大昔はその辺り結構おおらかだったのかもしれませんが。実は文姜という名は魯の桓公に嫁いで付いた名前なんですね。

文姜その5

 文姜が夫の桓公との間に男子を儲けました。桓公と同じ誕生日だったので、同という名前が付けられました。慶という長男がいましたが、なにしろ文姜は正夫人なので、同が世嗣となるのも不自然ではありません。

文姜と襄公その2

 桓公と文姜の間はあまり宜しくなかったようで、桓公は他国から別の夫人を迎えて二人も子を作りました。この頃文姜と諸児の父である釐公が崩じ、諸児は襄公として即位し、文姜は父の弔問にかこつけて斉に帰省しては、再び兄と密通を重ねたようです。兄と妹とはいえ、元から好き合っていた仲で、生木を裂かれるように別れた二人ですから、インモラルとはいえ懇ろになるのも不思議はないですね。

文姜その6

 しかしその事は魯の桓公に知られるところとなってしまいました。濼(れき)という場所で斉と魯の盟約が行われ、桓公と襄公が同盟を確認したのですが、なんと文姜はその足で斉へ向かって襄公と密会したのです。桓公は激怒し、文姜を叱りましたが、文姜は襄公にそれを密告し、襄公は一族の公子彭生という男に命じて桓公を殺させてしまいます。

文姜その7

 殺害された魯の桓公の遺体は、本国に送還され、当然ながら斉は魯からは問詰されことになりました。襄公は公子彭生を処刑して魯の人々をなだめました。桓公の後は、文姜の息子である同が荘公として即位しましたが、文姜は魯に帰らず、斉に永住することになりました。文姜に魯という国が合わなかったのか、襄公が返そうとしなかったのか。

文姜その8

 以後襄公は暴君の道を突き進み、気に入らない人間を次々と殺していったため、斉国内は混乱しました。兄に殺されてはたまらないと、二人の弟も逃げ出します。糾は魯へ、小白は莒(きょ)へと亡命します。襄公はその後、以前恨みを買っていた従兄弟の公孫無知に暗殺され、公孫無知が斉公に即位しますが、これもすぐに暗殺されてしまいます。

斉の桓公
春秋五覇

 公孫無知亡き後、糾と小白の間に後継者争いが生じ、これに勝利した小白は斉の桓公となります。こちらの桓公は魯の桓公とは名前は同じでもモノが違っていたようで、管仲・鮑叔の補佐の下、春秋時代の覇者となります。桓公は「春秋五覇」の最初の覇者であり、家臣の管仲・鮑叔は「管鮑の交わり」の故事で有名です。

文姜その13

 文姜がどうなったかですが、襄公が殺害され、公子無知も暗殺され、襄公の弟である糾と小白が後継者の座を争っている間、文姜は斉と魯の間に立って、静観を決め込んでいました。小白が桓公として即位すると、文姜は魯に戻ります。文姜の息子である魯の荘公と、文姜の弟である斉の桓公は何度か争いましたが、文姜は両者の調停を行い得る立場にありました。

管仲
鮑叔
 
 以後、斉は魯に対し宥和政策に出ますが、それを後押ししたのは文姜の存在だったかも知れません。晩年の文姜は魯の外交使節のように斉や莒を訪れ、周辺諸国との関係改善に努めました。

文姜その14

 文姜は弟である桓公に対して、襄公の娘である哀姜と叔姜を魯の荘公に入内させることを依頼しました。兄の娘と妹の息子が結ばれる……文姜は兄と果たせなかった愛を次代に託そうとしたのかも知れません。

文姜その10

 文姜は紀元前673年に亡くなります。魯の荘公はその11年後の紀元前662年に亡くなりますが、襄公の娘である哀姜は荘公の死後、荘公の兄である慶とともに権力を握り、反発した魯と斉の大臣たちによって追放され、殺されてしまいます。また叔姜は啓という子を産みましたが、慶によって殺害されてしまうのでした。文姜にとっての救いは、荘公亡き後の魯の政争を見ることなく亡くなったことでしょう。

文姜その11

 ちなみに魯は周の開祖である武王の弟である周公旦の子が建国した国で、春秋時代には晋・斉・楚といった大国に翻弄される小国でしたが、周王朝の礼制を定めたとされる周公旦の伝統を受け継ぎ、魯には古い礼制が残っていました。この古い礼制をまとめ上げ、儒教として後代に伝えていったのが、魯の出身である孔子とその一門でした。魯は小国ながら中国の思想史・文化史に果たした役割は大きいといえますが、戦国時代末期の紀元前249年に楚に併合されて滅亡しました。

文姜その12

 国を滅ぼしていないので、他の四大妖女とはスケールが違うかなと思いますが、なぜ妖女の一角になっているのか、それは近親相姦にせよ魯斉両国の調停にせよ、文姜がかなり自発的に行っていた節があるからではないでしょうか。運命に翻弄されるだけではない文姜の積極性や自主性に満ちた生き方は、封建的な中国の女性観からすると十分「妖女」と言えたのかも知れません。

文姜その15
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