太田裕美の歌で妄想する「秒速5センチメートル」(その1):貴樹と別れた水野さんの心情

台風にかまけていたら、霜降を過ぎてしまいました。次の二十四節季は立冬なので、晩秋なんですね。露が冷気によって霜となって降り始め、楓や蔦が紅葉し始めるころですよ。霜降から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶのだそうで、木枯らし一号なんて話題ももうすぐ。

木枯らし一号なら情緒がありますが、台風27号は勘弁です。が、なんとなく直撃は避ける気配ですね。しかし…

当たらなければどうということはない!…というわけにはいかんのですよね、台風の場合は。つまり台風はガンダム世界の武器に例えれば、ビームライフルよりは散弾バズーカに近いのでしょうか。かすっただけでもダメージが…
さて本日は久々に歌で妄想する秒速5センチメートルをやってみましょう。太田裕美の「ブルー・ベイビー・ブルー」で妄想してみます。

太田裕美は1974年にデビューしました。本人が2009年の読売新聞のインタビューで「私とスタッフは歌謡曲とフォークの両方のいいところを、いいとこ取りじゃないんですけど、ちょうど中間点、真ん中の活動をしていこうと決めていました」と語っているとおり、アイドルとフォークシンガーの架け橋というか、ガウォーク形態のようなポジションにいました。故にドッキリカメラとかドリフターズのコントにも出演していました。実はキャンディーズのメンバー候補であったこともあったとか。入ってたらどうなってたんでしょうか。

最大のヒット曲は75年12月にリリースした「木綿のハンカチーフ」ですが、これはもう完全にオールディーズになっているのではないでしょうか。この歌は都会に出て行った男と故郷に残った女の、次第にすれ違っていく恋心を、男女双方の心情を交互に綴っていく形の歌で、二人が文通をしていると考えると「秒速5センチメートル」にも相通じるところがあります。

実は私が初めて買ったアルバムは太田裕美の二枚組ベスト盤でした。LPですよ。CDなんか夢にも思っていませんでした。その後いっぱしのヒロミストを騙って、何枚もアルバムを買ったのですが、当時の私には負担が重かったですね。ちなみに「Feelin' Summer」のジャケット写真が好きでした。

80年台に入ると人気もレコード売り上げも低迷し始めました。それまで貧しい男の子と女の子の青春貧窮問答歌的な(当時のフォークってだいたいそんな感じでした)歌を歌っていたのですが、本人が25歳を過ぎるといつまでもアイドルチックにもいけず、といって経済成長により貧乏も共感を呼ばなくなっていきということで路線に迷うようになっていたと思います。80年の「南風- SOUTH WIND-」を最後に紅白歌合戦からも落選してしまいましたし。
そして私も台頭してきた松田聖子に転び、そこから一気にアイドル好きに転落(?)していったのでした。まあ太田裕美にもアイドル性があったので、もう最初から決まっていたことなのかも知れませんが。そんな私の心変わりを悲しんだわけでもないでしょうが、82年に歌手活動を休業して渡米し、83年に帰国した後はテクノポップ調の曲を多く出すようになり、私は心の中で本格的にさよならを告げるようになったのでした。

で「ブルー・ベイビー・ブルー」ですが、これは1981年3月にリリースした20thシングル「恋のハーフムーン」のカップリング曲でした。

キリンオレンジのCMで使用された17thシングル「南風-SOUTH WIND-」はオリコン22位と健闘したものの、以後は低迷し、18th「黄昏海岸」は76位、19th「さらばシベリア鉄道」は70位と惨憺たる有様でした。ちなみに「さらばシベリア鉄道」は大瀧詠一が作曲したもので、太田裕美のシングルとしての発表時はヒットしなかったものの、その後自身の傑作アルバム「A LONG VACATION」がロングセラーにより、収録曲である「さらばシベリア鉄道」も注目を集めるようになりました。

「恋のハーフムーン」も前作「さらばシベリア鉄道」に続き大瀧詠一が作曲していますが、大瀧自身が編曲とサウンドプロデュースも手掛け、当時一線級のミュージシャンを多数起用し、その場で編曲をしながら時間をかけて「恋のハーフムーン」と「ブルー・ベイビー・ブルー」のオケを作ったため、通常ならアルバムが1枚出来るだけの制作費がかかってしまったそうです。
しかし、「これで売れなかったらどうしよう」と思い詰めてリリースした「恋のハーフムーン」はオリコン81位と惨敗し、カバー曲である21thシングル「君と歩いた青春」も80位に終わった後に、太田裕美は1年以上歌手活動を休止することとなるのです。
しかし今聞き直してみると「恋のハーフムーン」、いい楽曲なんですよ。これが売れなかったと言うことは時代の流れというか、太田裕美の旬の時期が過ぎてしまったからというか。大瀧詠一は「ミュージック・ステディ」の1984年6月号で、“彼女への第2弾「恋のハーフ・ムーン」は好きな曲で、今でも誰かカヴァーしてくれてもいいんじゃないかと思うくらい”と言っています。

そして「ブルー・ベイビー・ブルー」ですが、B面曲ということで、大瀧詠一自身は「あっさりしている」と評しているそうですが、「A LONG VACATION」と並ぶ双璧アルバムである「EACH TIME」(1984年)の予告編ともいえるメロディー、ストリングス、アレンジをしていて、今さらながら音の厚みに驚かされます。作詞は松本隆で、彼は太田裕美の作品を多数手掛けていて、2010年5月16日に松本隆作詞家生活40年記念コンサートに太田裕美が出演した際、「今の太田裕美があるのは松本隆のおかげ、今の松本隆があるのは太田裕美のおかげ」と冗談めかして発言しています。
妄想の設定ですが、歌詞的に貴樹×水野理紗の恋の破局の後ということになるでしょう。歌詞は男の心情を歌ったいわゆる「男歌」なのですが、しかしこれは水野理紗の気持ちそのものなので、性別逆転シチュ(遠野貴子と水野理雄(ただお))と考えてもいいのですが、歌っているのが太田裕美なので素直にそのまま水野理紗の気持ちとしても解釈可能かと思われます。

元気だせよ Baby Blue
淋しそうな Baby Blue
もしかすると Baby Blue
まだ君のこと……過ぎた事だね
別れた日から 君なんて忘れようと
胸を痛めて来たよ
昔のように寄りそって歩きたい
たとえ その道が行き止まりでも
雨がふるよ Baby Blue
風がふくよ Baby Blue
もしかすると Baby Blue
まだ君のこと……過ぎた事だね

貴樹の心は離れていき、電話にも出ず、メールの返事も来なくなりました。二人の恋は終わりを告げた…そう考えるしかない状況。もう二人の恋は思い出の中に置いて、新たな出会いに向けて一歩踏み出すべきなのですが、どうしてもそれができない理紗でした。もう諦めたはずなのに、それでもまだ貴樹への恋心を捨てきれないのでしょうか。

線路の上に縛られているようさ
ぼくを救けてくれ
誰かと君が 結婚をしてくれりゃ
たぶん今よりも 楽になれるさ
流れ去った時を恨んで
君の冷い仕打ち みんな許せる
独り言さ Baby Blue
忘れてくれ Baby Blue
もしかすると Baby Blue
まだ君のこと……過ぎた事だね
元気だせよ Baby Blue
淋しそうな Baby Blue
…………

太田裕美は淡々と歌っていますが、それだけに悲しい気持ちが胸に沁みてくるようです。水野理紗も貴樹が結婚するとかしてくれた方が、ふらふら彷徨い続けているよりずっと救われることでしょうね。それでももし戻ってきてくれるのなら、貴樹の数々の冷たい仕打ち(コミック版の貴樹はあほとんど虐待と言っていいかと思います)も全て許せるのに。でもそんなことは決して怒らないのです……
それでは聞いてみて下さい。
240Pと画質は良くないのですが、画像が変化する上、歌詞付きです。

http://www.youtube.com/watch?v=qREYs5Gh95g
画像は変わりませんが、フルHD。音質もこっちの方がいいかな。

http://www.youtube.com/watch?v=s4CdYnE_1-c
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