中国美女列伝(その16):陳円円~何もせずに明を滅ぼした傾国?の美妓女

大往生?
 
 夏…本当に手加減なく戻ってきましたね。旅先の関西方面も暑かったのですが、戻った筑波嶺も暑い!8月も終わりなんですからいい加減にして欲しいです。そのせいかどうか、久々に昨日は300アクセスを割ってしまいました。努力が足りないせいかも知れませんが、ちょっと寂しいです。

大往生その2

 さてさて、私は昨日から勝手に夏休みですが、金曜日恒例中国美女列伝はいつもの如くやりますよ。水滸伝にちょっと寄り道したのですが、再び四大妓女に戻りましょう。

陳円円その1
 
 と言うと、どこからともなく「潘金蓮はどうしたんだ?ゴルァ!」という声が聞こえてきそうです。はい、潘金蓮は水滸伝でもその妖艶さと悪女振りではピカイチの妖女であり、スピンオフ作品「金瓶梅」でもヒロインを務めているほどの人なのですが、今後登場するであろう四大淫女(すごい響きですね)の一人としてエントリーされているので、当ブログ降臨は後日ということでご勘弁下さい。

陳円円その2

 また、四大技女のうち、賽金花と董小苑は日本ではあまりポピュラーではないみたいなので、パスしようかと思っています。よって妓女は四大にもかかわらず、李師師と今日紹介する陳円円の二人だけということに。

陳円円その3

 陳円円は明末から清初の頃の美妓で、生年1623年没年1695年ということで17世紀の人です。これはこれまで取り上げてきた中国美女では最も現代に近い人と言うことになります。近世の人なのに傾国の美女とされ、数多くの伝説で包まれた生涯を送った人です。

陳円円その4

 常州武進(現江蘇省)の出身で、宮女だったという母親を早く亡くし、妓院に売られて妓女になったそうです。歌謡に長じた絶世の美女であったといわれ、その美貌は「江南八艶」の1人と称えられるほどでした。

陳円円その5

 明末の皇帝崇禎(すうてい)帝の外戚・周奎が皇帝のために金で集めた美女の中に選ばれたとも、田秀英(崇禎帝の妃の1人)の父である田弘遇が南京に遊んだ際に八百金で買われたとも言われています。

陳円円その6

 帝の後宮に入ったということになると皇帝以外の男の目に留まることは困難だと思われるのですが、経緯諸説あって真相は不明ながら、明末の混乱期に呉三桂という軍閥武将の寵愛を受けてその側室となりました。一説には当時の明王朝は、内憂外患の困難に直面して戦乱が相継ぎ、崇禎帝は後宮でのんびり遊ぶどころではなかったので、陳円円を見いだしてきた田弘遇が引き取っていたのだとか。

陳円円その7

 崇禎帝という人は暗君ではなく、政治に熱心で倹約を心がけ、色事にふけるような事もありませんでしたが、猜疑心が強く、臣下を信用できないという悪癖を持っていました。そのため即位直後から重臣を次々と誅殺し、当時侵攻凄まじかった満州族からの防衛を一手に引き受けていた名将袁崇煥まで誅殺してしまいました。明滅亡の原因としては、必ず崇禎帝の猜疑心が挙げられるのですが、在位17年の間に総督7名、巡撫(省長)11名を誅殺し、その他罷免された者も多数に上り、重臣達の著しい士気の低下を招くこととなったといわれます。 

陳円円その8

 そんな中で李自成が農民を率いて反乱を起こます。崇禎帝は討伐軍を送りますが、討伐軍組織のために増税を行った事により窮迫した民衆が次々に李自成軍に加わることになり、まったく効果がありませんでした。やがて1644年に「大順皇帝」を名乗った李自成が北京を陥落させると、陳円円も李自成軍に捕らえられてしまいました。このとき呉三桂は北方から侵入しつつあった満洲(清)軍への防備の要である山海関の守将として満州軍と対峙していましたが、北京防衛の命を受けて移動中でしたが、北京陥落を聞いが呉三桂は進軍を停止します。 

陳円円その9

 李自成は呉三桂に再三降伏を勧めましたが、陳円円が捕虜となったという報に呉三桂は激怒し、軍を戻して山海関を開いて満州軍に降り、清軍と共に李自成軍への攻撃を開始しました。これは李自成ないしその部下の劉宗敏が陳円円を略奪して妾にしてしまったからだとも言われます。ダメだろう、仲間にしようという人の大事な宝物を奪っては。降伏を勧めながらNTRとは、特殊な性癖の人以外はとても受け付けられる話ではありません。そして呉三桂はその方面ではノンケだったようです。 

陳円円その10

 満州軍の先鋒として李自成軍を破り北京を陥落させた呉三桂は、父や家族は李自成軍に殺害されていましたが、なんとか陳円円を取り戻すことに成功したそうです。満州軍への投降と北京攻略の功績により、呉三桂は清朝から平西王に叙爵され、雲南に封ぜられました。呉三桂は陳円円を正妃にしようとしましたが、陳円円は固辞して受けなかったため、呉三桂は別の女性を正妃にしましたが、その嫉妬を怖れて陳円円は王府の外の別院で独居したそうです。 

陳円円その11

 実は呉三桂が異民族である清軍に降った経緯に関しては、諸説があり確かな結論は無いようですが、宋代以降、異民族と戦った将軍を英雄視する風潮のあった中国社会の中で、結果として異民族に中国を売り渡したと評せられる呉三桂の行為に対し、陳円円という美女のせいであるという傾国美女伝説は早くから流布していたそうです。

陳円円その12

 呉三桂に限らず、清は中国侵入にあたり尚可喜、耿仲明ら漢人武将を重用しています。彼らの軍事力は清にとって大きな価値があり、また脅威でもありました。呉三桂、尚可喜、耿仲明の三人は三藩と称され、強大な軍閥として清の従属国というよりはほぼ独立国として君臨していました。

陳円円その13

 特に呉三桂は清から毎年莫大な軍事費を支給され、チベットとの貿易や鉱山開発、銅銭の私鋳などにより巨利を得ていました。こうした三藩の隆盛を苦々しく思っていた清朝第四代皇帝康熙(こうき)帝は三藩を抑えた中国全土の直接支配を目論みました。

陳円円その14

 1673年、藩の世襲を認めないとする康熙帝に対し、呉三桂は尚之信(尚可喜の息子)、耿精忠(耿仲明の孫)とともに反乱を起こします(三藩の乱)。すると、陳円円は呉三桂の下を辞去して女道士となり、寂静と改名して余生を過ごしたと言われます。

陳円円その15

 呉三桂は「満州族を追い出し漢民族の国を建てる」という大義を立てましたが、陳円円のために清軍に寝返ったという上記風説はすでに広く流布しており、民衆の支持は得られませんでした。

陳円円その16

 一時は長江以南を制圧したものの、漢人が主力となった清軍の反撃に遭います。起死回生を狙って1678年に呉周を建国して初代皇帝となりますが、すぐに急死し二代目皇帝となった孫の呉世璠も1681年に滅ぼされてしまいました。

リアル陳円円その1

 ここまで見たとおり、陳円円自身は特に何をしたということもないのですが、結果的に明朝を滅亡させた傾国の美女とされてしまった不幸な女性です。呉三桂は漢民族の李自成や明を滅ぼし、後には清朝にも反乱を起こしたため、満漢双方から評判が悪く、陳円円のために寝返ったとする説も呉三桂を貶めようとする後世の粉飾である可能性があります。

リアル陳円円その2
 
 また北京落城の際に陳円円は行方不明となり、死亡したとする説があるほか、落城前に死んでいたとか、自殺したとの説もありますが真相は不明です。

リアル陳円円その3

 愛された相手が悪かったとしか言いようがありませんが、17世紀にもなって傾国の美女と言われるというのも稀有な存在といえるかも知れません。やはり美はそれ自体力なのでしょうか?

リアル陳円円その4

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