中国美女列伝(その8):妲己~日本で一番有名になった「傾国」さん

今日は比較的湿気がなくて空気が良かった気がします。天気予報では明日明後日と雨模様だったのですが、いつの間にか雨マークがなくたっているような。7月になるといよいよ気温も高くなっていくようで、いよいよ夏本番ということでしょうか。はあ。

さてそれはさておきフライデーナイト・フィーバーの金曜日です。例によって中国美女列伝を始めましょう。本日は「傾国の美女」といえば真っ先に連想されるであろう、妲己さんです。

妲己といえば「封神演義」ですが、「封神演義」は1989年の安能務が訳した小説とこれを原作とした藤崎竜の漫画(週刊少年ジャンプ連載)で知られるようになりました。

「封神演義」は中国明代に成立した小説です。中国では四大奇書として「西遊記」「三国志演義」「水滸伝」「金瓶梅」が有名ですが、「封神演義」の評価はこれらより一段低く、文学作品としての評価は高くないようです。理由としては、

① 文体のぎこちなさ
② 太公望が「天命」と称して自分の行為を過度に正当化する
③ 典型的悪臣として描かれている費仲や尤渾までが他の登場人物と一緒に封神される不条理
④ 時代考証の無視(当時存在しない神仙・人物が登場)
などが挙げられますが、それでも中国大衆の宗教文化・民間信仰には大きな影響を与えたといわれます。

ただし安能版は、超訳とでもいうべきリライト作品で、原典にはないエピソードや解釈が入り込んでおり、安能務自身の意見による改編が行われているそうで、オリジナルとは大分異なるようです。私は面白く読んだんですがね。藤崎版の漫画はさらに翻案・改変が加えられており、SF要素も強く加わって若年層向け娯楽漫画のスタイルに徹しています。

さてそれはさておき中国で知られる妲己についてです。妲己は殷王朝末期(紀元前11世紀頃)の殷最後の王である帝辛(紂王)の妃で、紂王に寵愛され、先週紹介した妹喜と共に悪女の代名詞的存在として扱われています。

殷は妹喜が傾けた中国最古の王朝・夏と最後の王である桀王を滅ぼした王朝です。考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝で、周の武王に滅ぼされました。殷は周などが付けた他称で、自称は商だったとされます。

「漢書」など史書によれば、初代の湯王から30代600~800年程続いたとされます。その間何度か衰退しては賢王が登場して復興していたようですが、22代以降は暗愚な暴君が続いて衰退し続けていたようです。それにとどめを刺したのが紂王と妲己という構図でしょうか。

紂王は当初は英明な王で、頭脳明晰で弁がたち、所作も機敏であったといいます。妲己は有蘇氏の娘で、正式には蘇妲己と呼ばれます。紂王がその有蘇氏を攻めたときに、有蘇氏から献上されて後宮に入ったとされます。このあたり妹喜と同じようなエピソードですが、妲己のエピソードを妹喜にも当てはめたというのが正しい見方かも知れません(加上説という奴ですね。古いものほど新しいという)。

紂王は妲己を寵愛し、望むことは全て叶え、妲己を誹謗する者はかまわず殺したといいます。紂王と妲己は「北里の舞」「新淫の声」などの淫らな楽曲を作らせて歓楽的な演奏を毎夜行い、酒粕で池べりを作って酒を満たして池となし、その周囲には肉をずらりと吊り下げました。そう、これが故事成語「酒池肉林」の由来ですね。さらに裸の男女がその酒池肉林の中で飲み食いし、戯れ合うという、きわめて頽廃的な宴会を行ったとそうです。

これらの歓楽に耽るための出費のため、人民には重税を課しましたが、それを怨む者や不平を鳴らす者には、「炮烙」(ほうらく)という、残虐な刑法を課しました。これは油を塗って横に掛けた太い銅柱の上を罪人に渡らせ、その下で火を焚き、滑りやすくて落ちれば即焼死、しかも銅柱にも熱が回りやすいという残酷なものでした。

妲己は炮烙刑を見て声を挙げて笑っていたと言われます。さらに比干という賢臣が紂王を諫めると、妲己は「聖人には心に7つの穴が開いていると聞いています」と紂王を唆し、比干の胸を裂かれて心臓と取り出して鑑賞したといいます。

周に攻められて紂王が自殺すると、妲己は武王によって首を斬られ、「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評されたそうです。現代の中国では、妲己は悪女であるとともに、魅惑的な女性の代名詞ともなっています。妲己は紂の寵愛を得るために数種類の桃の花から花弁を取り、この絞り汁を固めた燕脂と呼ばれる化粧を発明して頬へ塗っていたといわれます(紅粉)。このエピソードから、妲己は単に男を狂わせる妖女ではなく、男の愛情に応える健気なでもあるという解釈もなされています。

おそらく妹喜同様、殷を滅ぼした周によって、革命の正当性を確保するために先代王朝の非道を強調し、その非道の元凶を女性に負わせるという構造を背負わされた可哀想な女性というのが真相なのでしょうね。そもそも殷墟から出土している甲骨文の卜辞には妲己に関する文献は見つかっていないとのことで、実在すら疑えるところです。

「全相平話」では妲己は妖狐の化身とされ、「千字文」の「周が殷の湯を伐った」の注釈では、妲己は九尾の狐であると指摘されています。これらの説を元に、「封神演義」では、千年狐狸精として登場し、女媧の命を受け、殷周革命を実現させるために、本来普通の人間の娘だった妲己の魂を奪ってこれになりすまし、紂王を堕落させて残虐な行為を繰り返し、殷を滅ぼしたということになっています。

また妲己の妹分として登場する、胡喜媚・王貴人という2人の架空の女性は、妲己同様紂王の寵姫とされていますが、それぞれ雉と玉石琵琶の妖怪が化けた女性として紹介されています。

陳舜臣の「小説・十八史略」では、紂王はもともと暴君で、周が殷王朝打倒に立つ時のため、武王の姫昌の弟の周公旦が、密かに紂王好みの女性(妲己)を育てて後宮に送り込み、紂王に愛されるように仕向けていたという話になっています。周が殷を打倒した後、妲己は暴君の愛人でともに悪逆無道を行っということで処刑されるのですが、妲己は育ての親である周公旦に「私、役目を果たしたわ」と言ったそうです。

妲己はそもそも紂王を破滅させるために育てられたということを知らないはずなのに、それを知っていたことに周公旦は驚きましたが、それでも妲己の首を刎ねてしまったそうです。そのときの悲鳴は耳にこびりつくくらい、すごかったとか。しかし、敵国が送り込む「最終兵器彼女(笑)」というエピソードは、既に紹介した「臥薪嘗胆」の呉越の戦いで登場した西施の話から来ているようですね。

ちなみに妲己の正体とされる九尾の狐は、その後日本にもやってきて平安時代末に鳥羽上皇に仕えた絶世の美女「玉藻前」(たまものまえ)になったという話があります。

江戸時代の「三国悪狐伝」(三国妖婦伝)は、妲己、華陽婦人、褒姒、玉藻前へと姿を変えて悪事をはたらいた「千年九尾狐狸精」を描いた作品で、中国・インド・日本と三国をまたにかけ、九尾の狐が三千年にわたって転生を繰り返しながら男を惑わす美女となり、国を滅亡させようとしたという話です。

次回は周(西周)を傾けたとされる褒姒さんが登場です。


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