FC2ブログ

中国美女列伝(その5):趙飛燕~妹と共に「漢」を傾けたスレンダー美人

飛燕と合徳その1
 
 こんばんは。世間的にはどうでもいい話ですが本日は私の誕生日でして、ブログを開設してから2回目ということになります。3回目の報告は果たしてできるんでしょうか?自分でも予測はできかねますが、続けられる限りは続ける所存です。

趙飛燕その1

 それから、「秒速5センチメートル」関連で来ていただいてる人が多いので、カテゴリに「秒速5センチメートル」というのを新設しようかどうか迷っています。カテゴリを作ると見やすくなる反面、音楽や本やマンガや自作小説からも記事を引き抜くことになるので面倒な気もして。もしご意見あればお気軽にコメントを下さい……と、少しでもコメントを貰おうと無駄なあがきをしつつ、本日の記事に参りましょう。

趙飛燕その2

 金曜日恒例、中国美女列伝のお時間がやって来ました。先週でいわゆる「中国四大美女」は紹介し終えたのですが、貂蝉については昔から架空の人物だから相応しくないという主張があるそうで、本日は貂蝉を外した場合に四大美女に入ってくる実在の美女である趙飛燕を紹介したいと思います。また、趙飛燕の妹の趙合徳についても、やはり大美人で面白いエピソードを持っているものの、独立して紹介するにはややボリュームが不足の気がするので、併せてここで取り上げたいと思います。

 飛燕と聞くと連想するのが……

陸軍三式戦闘機 飛燕

 そう、帝国陸軍三式戦闘機(私は昔大好きでした)とか

男塾の飛燕

 男塾三面拳の一員にして鳥人拳の使い手のこの人とかですね。この二つに共通して言えるのは、「優美さ」「スマートさ」ではないでしょうか。そしてそのイメージはやはり「飛ぶ燕」というこの語に由来していることは間違いありません。

趙飛燕その3

 趙飛燕もまさにスレンダー美人の代表格なのです。中国では女性の優れた容姿を表現する熟語に「環肥燕瘦」というのがあります。ここでいう「環肥」の「環」とは、楊貴妃のことで、彼女の幼名「玉環」から来ています。要するに肥えた楊貴妃という意味ですね。一方、「燕瘦」とは痩せた燕、すなわち飛燕に由来しています。

趙飛燕その4

 趙飛燕は前漢時代、紀元前の人です。卑賤の生まれだったそうで、元の名前は宜主といったそうです。幼少時に都のあった長安にたどり着き、時の皇帝である成帝の姉・陽阿公主の屋敷に奉公に出て、そこで歌舞の研鑽を積みましたが、その歌舞が素晴らしかったので、「飛燕」と呼ばれるようになったそうです。そして陽阿公主の屋敷を訪れた成帝が、美貌の舞姫である飛燕に目を留め、後宮に迎えることとなりました。まさに玉の輿な訳ですが、なにしろ漢という大帝国の玉の輿ですからそんじょそこらの玉の輿とは訳が違います。ちなみに細身の飛燕に対し妹の合徳はグラマラスな美女だったそうなので、成帝からすれば「環肥燕瘦」を同時に手に入れたようなものですね。もっとも楊貴妃はそれから700年以上後の唐の時代の人ですけれど。

趙飛燕その5

 さて趙飛燕は後宮で成帝の寵愛を受けました。それがどれくらいの寵愛かと言えば、当時の皇后を廃して代わりに飛燕を皇后にしてしまったほどです。また、妹の趙合徳も後宮に入れ、皇后の次の位である昭儀にすることに成功しています。

趙飛燕その6

 飛燕・合徳姉妹は、成帝の寵愛が他の側室に移ることを防ぐため、成帝が他の后妃などとの間に設けた皇子を次々と殺害したそうです。その祟りか呪いかわかりませんが、この姉妹には子が生まれるということがありませんでした。そこで飛燕、何と成帝がダメなら他の男と子どもを作ってしまえと無謀なことを考え、男子禁制の後宮に男を引き入れては関係を持ったそうですが、やはり妊娠はしませんでした。

趙合徳その1

 皇后ともあろうものが不義密通をしているという噂はたちまり宮中に広まりましたが、なぜか成帝は何もしませんでした。それもそのはず、その頃の飛燕は成帝の寵愛を失っており、今度は妹の合徳が寵愛されていたのです。つまりこの頃、合徳は姉に咎めがないように成帝を懸命に説得していたのですね。麗しの姉妹愛というべきでしょうか。

趙合徳その2

 しかし合徳にも子ができませんでした。寵愛が薄れるのを恐れた合徳は、成帝に精力剤を飲ませて夜毎寝室に侍ったそうです。バイアグラなんかもそうですが、強力な精力剤というのは極めて危険なもの。さらに効果が薄れるのを懸念して薬の量も次第に増やしていったようで、ある日遂に成帝は急死してしまいます。紀元前7年、成帝45歳の時でした。

趙合徳その3

 当時の皇太后(成帝の母)は成帝急死の調査に乗り出し、合徳が精力剤を飲ませ過ぎたことが原因ということが明らかになりました。助け合う姉妹とはいえ、さすがにこのときばかりは皇后の飛燕も自身の保身の為に合徳を断罪するほかありませんでした。

趙合徳その4

 さて死を賜ることとなった合徳、ここで一世一代の名言を吐きます。「私は天下の皇帝を意のままにあしらい、股間に翻弄した。女の本懐これに過ぎるものは無い!」(我把刘骜当成一个婴儿,玩弄於股掌之中)と。そして毒を呷って死にました。この肝の据わり方はただの美女ではありませんね。妖女とか猛女と言うべきでしょうか。

趙飛燕その7

 さて姉の飛燕の方は、次代の皇帝として成帝の甥の哀帝の即位を支持します。この人は19歳で即位したので、長期の在位が期待できましたが、残念ながら紀元前1年に25歳で早世してしまいます。続いて王莽が支持する平帝が即位すると、さしもの趙飛燕も支持基盤を失い、王莽によって宗室を乱したと断罪され、皇太后から皇后へ降格され、更に庶人に落とされてしまいます。飛燕はその後間もなく自殺したということですですが、栄華の頂点を極めていただけに、落魄の悲哀もひとしおだったことでしょう。そしてこの王莽が中国史上初めて帝位を簒奪して新という国を立てることになり、漢は一時滅亡してしまいます。その後混乱を統一して漢を再興させたのが光武帝で、以後の漢は後漢と呼ばれることはご存知のとおりです。  

趙飛燕その8

 民間伝承によると、飛燕はスレンダーな体型でしたが、痩せるために「減肥茶」というお茶を飲んでいたそうです。また、飛燕・合徳姉妹は長い間、“息肌丸”という媚薬を服用していたとも言われます。この薬は、女性のフェロモンを発散させ、成帝に性欲を抑えられなくさせる効果があったとか。ただ“息肌丸”には生殖機能を破壊してしまうという副作用があり、このため飛燕・合徳姉妹には子どもができなかったのだとも言われています。

趙飛燕その9

 成帝の時代、既に前漢は衰退期に入っていましたが、飛燕と合徳の二人が皇帝を意のままに操ったことは、前漢の滅亡を促進したといえ、まさに傾国の美女姉妹だっといえましょう。

リアル趙飛燕

 飛燕・合徳は古代の叶姉妹か?しかしそのスケールは段違いですね。そういえば叶姉妹も最近はすっかりお見かけしなくなりましたなあ。

リアル趙合徳

 中国美人、簡字体で検索して画像を見つけているのですが、中国側のサイトも結構いい加減で、同じ美人画が西施だったり貂蝉だったりしています。輪をかけて私もずぼらなもので、同じ画像を繰り返し使っている可能性があります。なにしろ美女といっても昔の人なので写真があるわけでもなし。なるべく重複させないように気をつけますが、何しろ相手が中国なもので(笑)、同じ画像を使っていることが判明しても、故意ではないので笑って許していただければ幸いです。

飛燕と合徳その2
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ユースフ

Author:ユースフ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
ブロとも一覧

秒速5センチメートル・・・桜花抄の軌跡を追ってみた

心理兵器:秒速5センチメートル
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
70位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
17位
アクセスランキングを見る>>
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新トラックバック
検索フォーム
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ