一週間に亘って長々と語らせていただきました「秒速」考察もとうとう最終回です。ここまでお付き合いいただき本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
それでは、「秒速5センチメートル」の考察その7です。
7.終わりに 私の「“理想の恋”理想の恋呪縛説」は、大林宣彦監督、原田知世主演の映画「時をかける少女」の冒頭字幕に想を得ています。そこにはこう書かれていました。 ひとが現実よりも、
理想の愛を知ったとき、
それは、ひとにとって、 幸福なのだろうか?
不幸なのだろうか?
映画の中で、知世さんは本来あり得ないはずの「未来人との恋愛」を経験してしまいます(それが彼女にとっての「理想の恋」なのです)。未来人は未来に帰るにあたって、彼女の記憶を消してしまいますが、「理想の恋」をしたという記憶だけは残り、未来の彼女(30代?)は幼馴染の誘いもあっさり断り続けており、高校の実験室でラベンダーの匂いを嗅いだ影響なのか、大学の薬学部に残っても研究を続けています。
この映画は傑作だと思います。私は同時上映の薬師丸ひろ子映画(確か松田優作と共演した「探偵物語」)を目当てに行ったのですが、この映画ですっかり原田知世ファンに鞍替えしてしまいました。もっともその後の映画はこれに比べるとどうも…… もちろん作品の鑑賞の仕方や感想は人それぞれなので、いろいろな考え方があっていいのは当然のことです。私の解釈が絶対正しいなんて夢にも思っていませんが、まあこういう解釈もありかな、と思っていただければ幸いです。
8.付録 「秒速5センチメートル」は短いですが極めて密度の濃い作品です。なお残る謎(?)が我々の前に立ちはだかっています。以下の「謎」に独自の解釈をしてみましたが、皆さんはどう思いますか?
① 二人の親の職業は?
二人とも「転勤族」の子供だったということですが、明里さんは岩舟市、貴樹君は種子島に転居して以降引っ越しはありません。一体ご両親はどういう職業の人なんでしょうか。 貴樹君のお父さんは(登場しないけど)ロケット関係の仕事なのかなという気もします。第二話で打ち上げてたロケットに関係しているのではないでしょうか。それで貴樹君も理系の道へ。第三話で打ち上げた宇宙船が搭載してたらしい宇宙探査機の記事を立ち読みしてますが、あれも「親父の探査機だ…」みたいな気持があったのでは。明里さんの両親は第三話でちらりと登場していますが、さすがにあれでは職業不詳(笑)。しかしあれ以降もずっと岩舟に住んでいるということは、脱サラして農業とかでしょうかね。
② 無断外泊の「けじめ」は?
これはまずい。絶対まずいですよ。特に明里さん。中学生の女の子が一晩帰ってこないなんて。家には連絡したんでしょうか。連絡したって普通「帰ってこい」って言われるだけだろうから、無断外泊っぽいですよね。不純異性交遊というより、犯罪に巻き込まれたんじゃないかって心配するでしょうね、親御さんは。朝帰りして家に戻った明里さんを待っているのはパトカーと警官の群れだったりして。
貴樹君だって無断外泊はやばいよ。「女に会いに行って一晩一緒に過ごした。」なんて正直に言ったら藪蛇だ。「テヘペロ」で済むものか。
(コミック版を読んでの追記) この辺りの疑問について、置き手紙(貴樹)、お弁当作りを手伝ってもらってそれとなく理解してもらっている(明里)というフォローが入ってました。とはいえ帰宅後は二人とも叱られたんでしょうね。それとも二人とも普段の素行は良さそうだから、大丈夫だったかな?
③ そ、その「隣の男」は誰だ!?
第三話、山崎まさよしの歌のバックの断片的記憶描写ですが、貴樹君と花苗さんの描写の後、後姿ですが、明里さんと高校生の男の描写があります。貴樹君もそうですが、明里さんもポストを気にしてて、この辺り文通の終焉期ということを匂わせているようにも思いますが、さてこの後姿の男は明里さんの何なんでしょうか。
がっしりした体格で、スポーツバックを背負ってややガニ股気味のようです。素直に解釈すれば「当時の明里さんの彼」ということになるのかも知れませんが、ちょっと待って欲しい。文通終焉の頃だとしても、二人ともまだ「決定的に切れた」とまでは思っていないんじゃないでしょうか。それなのにいきなり乗り換えるなんて、明里さんはそんなビッチじゃない(断言)。
また、貴樹君と花苗さんだって傍目に見れば「彼氏彼女」な訳ですが、実際には違います。ということで、私の解釈では、「下校で一緒になった同級生ないし同じ部活の人」。彼は当然気があるけど、明里さんは…といったとこではないでしょうか。明里さん実は彼に「ぞっこんラブ」とかだと、貴樹君に代わってこっちが涙目だ。
④ なぜあの踏切に?
第三話冒頭及びラストシーンで二人がすれ違う踏切ですが、二人はなぜあの日あの時にあの思い出の踏切に来たのでしょうか。貴樹君は…自宅での仕事に疲れ、ふと見ると満開の桜。気晴らしに散歩にでも行くかと外出すると、足は自然にあの踏切に…というところでしょうか。ということは、会社辞めてからかもしれないけど、昔住んでいたあたりに戻ってきているんでしょうかね。
明里さんは…マンションのベランダで桜の花を手に受けて部屋に戻るシーンが描写されていますね。くー幸せそうな表情だ。ということは、新婚さんのスィートホームはやはり昔住んでいた辺りということなのでしょうか。なお、このシーンの明里さんの服装は線路での服装と同一のようです。ちょっとした買い物か用事で出かけたのでしょうか。もし旦那と一緒に出掛けていたらどうなっていたのだろう。貴樹君いきなり「通り魔」に変身とか。もっとも、あの日は平日な感じがしますね。貴樹君は仕事の合間に出てきた感じだし。
二人ともあの線路の近辺に住んでいるのなら、今後も出会うことがちょくちょくあったりして。
(コミック版を読んでの追記)
明里さんの旦那は会社らしいのでやはり平日ですね。貴樹君はアニメではフリープログラマーみたいだけど、コミック版では宇宙開発に関係があるらしいような小さな会社に入っています。
♯追記
秒速病患者さん達との対話の中で、ラストシーンの踏切は“想い出の踏切”とは別モノであることが判明しました。小田急線沿線には違いないし、そんなに遠い場所ではないと思いますが。
④ 明里さんの部活は?
妙に細かい話ですが、明里さんの中学校での部活は何でしょうね。手紙の中で早朝に登校することがあるということを言っているので運動部なのかも知れませんが、私の一押しは放送部。朝の放送をするために早出をしているのです。もちろん明里さんはアナウンサーです。根拠はありません。でも放送部。絶対。放送部なら、それはとってもうれしいなって。
(コミック版を読んでの追記)
極めて遺憾ながら、明里さん曰く、バスケット部に入ったのだそうです。貴樹君も言ってますが、本当に意外だなあ。フィジカル・コンタクトきつそう。文学少女なのに大丈夫なのだろうか。バドミントン部とか卓球部くらいがいいのでは?でもハードにやる気があるなら、いっそテニス部がいいと思います。明里さん、「岩船の高嶺愛花」の二つ名は君のものだ!
⑤ なぜ中学から電車通学を?
栃木県に転校して地元の中学校に通う明里さん。通常中学校って、徒歩圏内か、せいぜい自転車通学程度ですよね。なぜ明里さんは電車通学なのでしょう。いくら岩舟町が小さい町だといっても中学校くらいはあるはずでは。高校ならまあわかるのですが……。ここで大胆な解釈を。
ア 当初岩舟町の中学校に転入(というより小学校卒業後に引っ越して入学式から行っているはずので、入学でいいのかな)。 イ ひどいいじめに遭遇。耐えられず一学期中ないし夏休みの間に転校。(とりあえずいじめた奴ちょっと来い)
ウ そのため域外通学となり、電車を利用。
こういうことなら、電車通学もありかとは思うのですが…。そして、二学期に入って貴樹に手紙を出したのも、新しい学校でまた一からやり直さなければならないという辛い状況から、思わず救いを求めたということで……。しかし友達をなかなか作れないタイプではあっても、いじめの対象となるという感じでもないのですがね、明里さんは。性質の悪い女子グループにでも遭遇したのかな。都会的な感じが妬まれたとか、スケ番が片想いしている男子が明里さんににちょっかいを出したので逆恨みされたとか。
⑥ 「明里」と「花苗」の名前の由来は?
ここまで来るとただ因縁つけてるだけのようですが、なぜヒロイン達はこの名前なのかについてちょっと考えてみましょう。第二話では、虚空をめざす探査機を載せたロケット発射のシーンが印象的ですが、実は、「あかり」という人工衛星があります。以下ウィキペディアより抜粋です。
“あかり (第21号科学衛星ASTRO-F) とは、日本の宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部(旧宇宙科学研究所)が開発した赤外線天文衛星である。別名はIRIS (InfraRed Imaging Surveyor)。2006年2月22日にM-Vロケット8号機によって内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられた。”
そして「かなえ」ですが、こちらは該当する人工衛星や探査機はないのですが、気になるものがありまして…。それは「のぞみ」です。またもやウィキペディアより抜粋。
“のぞみ(第18号科学衛星:計画名PLANET-B)は、宇宙科学研究所 (ISAS) によって打ち上げられた日本初の火星探査機。1998年(平成10年)7月4日午前3時26分(日本時間)に、M-Vロケット3号機により打ち上げられた。小中学校の教科書に取り上げられるなど広く国民の期待を集め、火星へ約1,000 kmまで接近したものの、最終的には火星周回軌道への投入を断念した。”
全然関係ないじゃないか?まあもう少し話を聞いてください。この「のぞみ」が成功していたら、ヒロインの名前に使用した可能性はあると思うのですが、失敗したので適当ではないと考えたのかも知れません。貴樹への片想いは叶わなかったという意味では「澄田希美」なんて名前も悪くはない気がしますが。
ここで、昔なつかしい「わらべ」を思い出して下さい。「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(略して「欽どこ」)に出ていた三人娘です。「めだかの兄妹」はヒットしましたね。「もしも明日が…。」なんてのも歌ってました。その「わらべ」、三人姉妹という設定で、上から「のぞみ」「かなえ」「たまえ」という名前で、「希望叶え給え」という語呂合わせになっていたのです。ということで、「のぞみ」が駄目なら「かなえ」にならざるを得ないということで…。
実際、「のぞみ」をやってた高部知子では「花苗」のイメージとはかけ離れすぎており、「かなえ」の倉沢淳美の方がまだしもという気がします。いや、別に「わらべ」から無理にキャスティングする必然性はないんですけどね。
ということで、私は人工衛星・宇宙探査機から名付けた説を唱えます。まず誰からも支持されないであろう異端の説ですが、オリジナリティだけは十分ではないでしょうか。
以上で考察駄文は終了です。なお、明日からは私のゴーストがそうしろと囁くので書いた、「ぼくのかんがえたとぅるーえんど」を掲載させていただきます。ま、一応二次創作ということになりますか。宜しかったら御一読のほどを…
♯ 再掲載した考察(その6)はhttps://nocturnetsukubane.blog.fc2.com/blog-entry-1759.html#comment2004
にあります。
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お疲れ様でした。
読み応えたっぷり、的確な考察だったのではないでしょうか。
秒速〜にハマった人にオススメですね。
しかし。。。私がたまたまGYAOの無料動画でこれを観て、
軽い気持ちで紹介したものが、ここまでのものになるとは。。。
感慨深いものがありますね(笑)
いらっしゃい、こんばんわ。
おかげ様で一応完結しました。
ご紹介をしてもらうまでは、全然このアニメーション映画も新海さんの存在を知りませんでした。
その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」も見て、「彼女と彼女の猫」まで見ましたよ。
メジャー受けまではしないけど、一部に強い支持を受けているようですね。「鬱アニメ」だと嫌ったり怖がったりする人々もいるようですが…。
なんとなく「リア充」街道まっしぐらな人には理解できない作品なんじゃないかと思えます。
そういえば、猫のチョビとミミって新海作品には必ず出てきますね。猫好きだな新海さん。
私も猫が好きです。大昔飼っていた猫の名前はミミでしたよ。
とまでは言わないけど、女の人は切り替え早いよw
通りすがりさんこんばんは、いらっしゃい。
「秒速5センチメートル」を見た上であれば、どのような解釈・感想を持とうともそれは個人の自由です。それは十分承知しているのですが、私個人としては、
> 女の人は切り替え早いよw
という「性差」での割り切りをしたくなくて、貴樹と明里の差についてつらつらと書き連ねたのでした。もし二人の立場が逆転していたらなんてと考えると、やはり貴樹に今の立ち位置にいて貰うしかないなと思いますが。
私としては、踏切で明里が待っていて、人妻なのに貴樹にしがみついてくるみたいな展開だったら「明里はビッチだ!」と思ったかも知れません。しかし、私はそうしなかった明里のファンなので、仮に世界中の人が「明里はビッチ」と指弾したとしても、明里の味方をしたいです。
はじめまして。たまたま見た者です。
まず始めに、素晴らしい考察ありがとうございます。
すごく共感しました。
私はこの作品が本当に大好きで、小説は3回読み、アニメは10回くらいは見たんじゃないかと思うくらい好きです(残念ながらコミックスは読んでいません)。
結局貴樹は前に進む事を決意しハッピーエンドだとは思いますが…ただ、見る度にどうしようもなく悲しくなります。
管理人さんは結局この作品は何を読者に伝えたかったのだとお考えでしょうか。
是非それを聞いてみたいと思います。
秒速ファンさんこんばんは、初めまして。こんな僻地にようこそ。
熱心なファンでいらっしゃるんですね。「秒速」は全ての人が感動するという作品ではないので、あえて同士と言わせていただきます。
非常に難しい質問をいただきました。つたないながら誠心誠意答えさせていただきます。
新海誠監督の初期作品(と言われることになるでしょう)の「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」そして「秒速5センチメートル」は三部作と言っていい構成なのだと思います。共通するのは、「時間と距離に引き裂かれていく恋人達」ということになるでしょうか。
実は前二作では、結局どうなるのかは示唆されていません。というより、むしろ恋愛的にはハッピーエンドになるのではないかという終わり方をしているとも言えます。しかし三部作のトリである「秒速」で示された結末が三部作の結論であるとするならば、「時間と距離」に敗れていく想いというものが描かれているのではないかと思うのです。
どんなに強い想い、熱い気持ちも、永遠に変わらないものではなく、いずれは風化したり色褪せたりして姿形が変わっていくという、仏教でいうところの「諸行無常」を描いたのが「秒速」なのではないかと。
「秒速」でいえば「雪の一夜」で生じた強い恋愛感情は、次第に形を変えて二人の心の中に残り続けているのだと思います。それが、貴樹と明里がお互いに持っていると思われる「好きなあの人がずっと幸せでありますように」という想いなのではないでしょうか。
ラストの貴樹の微笑みは、諦めとも取れますが、「好きなあの人」が幸せであることが確認できた安堵とも解釈できると思うのです。
作品の鑑賞・解釈は人それぞれ。誰もが違った感想を持っていいと思いますが、私見を述べさせていただきました。お粗末様でした。
返信有難うございます。
永遠に変わらない想いなど確かにないのかもしれません。
考えてみると、それも少し悲しいことです。
ただ、形を変えた二人の想いが「好きなあの人がずっと幸せでありますように」という想いだったらいいなと私も思います。
このサイトに辿り着けて本当に良かったです。
お時間取らせて申し訳ありませんでした。
有難う御座いました。
秒速好きさんですね。こんばんは、いらっしゃい。
こちらこそおいでいただきありがとうございました。
ちょっとくさい言い方かも知れませんが、貴樹の心の中には中学生の明里が、明里の心の中には中学生の貴樹がずっと存在し続けるのだと思います。それは呪いとかではなく、今日の彼・彼女を構成するのに不可欠な一部分、血肉のようなものとなっているのではないでしょうか。
二人にとっては結ばれることのなかった悲恋となってしまいましたが、二人が相互に持っている想いは、その人が欲しい、一緒にいたいという段階から、どこにあろうとただ相手の幸せを祈るという段階にシフトしたのであればいいなと思います。
そうは思っても、やはり二人が結ばれた「IF」ストーリー、つまりハッピーエンドを創作せずにはいられませんでしたが。見る者に理性を超える感情のうねりを引き起こす、それが「秒速5センチメートル」の凄みだなあと改めて思います。
秒速5センチメートル・・・5日前に観て、(心がヒグラシの声の様につくつくして)今日まで毎晩見直して・・・なんだか憑りつかれはじめております。それでこちらのサイトにたどり着きまして、御考察全て(その6も)拝見させて頂き、おかげさまでかたくなに信じていた誤った理解が、なんだか映画のみでは理解できない謎が、硬いバターが解ける様な感覚を感じております。そして、今晩もまた観るぞ!って気合いが入らさせて頂き、ありがとうございます! でもよく分かんないっていうか?何か勘違いしてるかのようなシーンがあって・・・ 3話目はタカキがパソコン作業をしていて、桜の花びらが窓から風と共に入って来て、(きっと単に)気晴らししようと・・・フラフラっとかの坂道を歩いて行ったので(踏切めがけて)、きっといい意味でもそうでない意味でも呪縛の様な思い出の地の近くに、あえてマンションを借りて住んでたんだと思うのです(距離感から)。 で・・・アカリが3話ではその踏切をタカキ宅方向と思える動線で歩いてゆくことで・・・偶然か?タカキとすれ違うのでしょうが・・・でもそれってなんだろう?アカリはその周辺に住んでるとは思えないし(新婚新居としたら)、タカキに会いに行った・・・はずもなく、桜舞う時期に思い出のかの地に行ってみたくなったという事?そもそも・・・踏切越しは注意を払うので私は対側を観ます。横断歩道でも観ます。一瞬ですが。好きな人って言うか、知ってる人であれば・・・視覚に入ると一瞬であの人だ!って分かります(私は)。タカキ・・・踏切に入る時点では目に入ってなかったように見えますが、通り過ぎる寸前でハッと!思ったようです。でも・・・アカリはどうだったんでしょう?踏切に差し掛かる時点で、踏切の向こうのタカキを認識していた可能性も高いかと思います。アカリがかの地に来たという事だけで(この辺に住んでないとして)、タカキの存在(思い出)を意識していたに違いないはずです。アカリからしたらタカキより早く、ハッと!したかもしれませんが、すでに新しい人生を始めたであろうアカリは・・・自分の方からはアクションを起こせなかったのかな?とか思ったりもしました。踏切を渡り切って二人は同時に振り返ったでしょう。もしかしたら一つ目の通過だけなら、顔を合わせたのかもしれません。にくい事に上り線下り線という2つのベクトルが、刹那の間を広げました。そしてアカリはその先を歩いて行ったんですね・・・(あれ?何が言いたいか分かんなくなりました) 二人が偶然に奇跡的に会うのであれば、この思い出のかの地ではちょっと違和感を感じます。 アカリはどうしてかの地へ歩いていこうと思ったのでしょうか?更により分かんなくさせてるのがアカリがマンションのベランダで夫に声をかけられたのか?桜の花びらを手にしたからなのか?急に笑顔でベランダから部屋に入ってゆく感じから(この表情はとても明るい)・・・ベランダにいた衣装のままで、かの地へ向かっていった・・・タカキも、ましてやアカリも・・・いるはずもないのに・・・かけらを探しつつ・・・かの地へ歩いてゆく・・・アカリはその年の1月に結婚し、3月か4月と思われる桜舞うかの地へ・・・果たして歩いてゆくものなのだろうか・・・ うーーーーん・・・わからんばい(~_~;) すいません、どうにも言いたいことが長くなって伝わりにくくなってることと思います。タカキの方は違和感はないのですが、アカリは・・・何かモヤモヤとひっかかる違和感が抜けません。この違和感というより、私のかたくなな心を熔かしていただけるお返事を頂けられるのならウレシイデス(*'ω'*)
秒速5センチメートル・・・5日前に観て、(心がヒグラシの様につくつくして)毎晩見直して・・・なんだか憑りつかれはじめております。それでこちらのサイトにたどり着きまして、御考察全て(その6も)拝見させて頂き、おかげさまでかたくなに信じていた誤った理解が、なんだか映画のみでは理解できない謎が、硬いバターが解ける様な感覚を感じております。そして、今晩もまた観るぞ!って気合いが入らさせて頂き、ありがとうございます! でもよく分かんないっていうか?何か勘違いしてるかのようなシーンがあって・・・ 3話目はタカキがパソコン作業をしていて、桜の花びらが窓から風と共に入って来て、(きっと単に)気晴らししようと・・・フラフラットの彼の地を歩いて行ったので(踏切めがけ)、きっといい意味でもそうでない意味でも呪縛の様な思い出の地の近くに、あえてマンションを借りて住んでたんだと思うのです(距離感から)。 で・・・アカリが3話ではその踏切をタカキ宅方向(知らない?)へと思える動線で歩いてゆくことで・・・偶然か?タカキとすれ違うのでしょうが・・・でもそれってなんだろう?アカリはその周辺に住んでるとは思えないし(新婚新居として)タカキに会いに行った・・・はずもなく、桜舞う時期に思い出の彼の地に行ってみたくなったという事?そもそも・・・踏切越しは注意を払うので私は対側を観ます。横断歩道でも観ます。一瞬ですが。好きな人って言うか、知ってる人であれば・・・視覚に入ると一瞬であの人だ!って分かります(私は)。タカキ・・・踏切に入る時点では目に入ってなかったように見えますが、通り過ぎる寸前でハッと!思ったようです。でも・・・アカリはどうだったんでしょう?踏切に差し掛かる時点で、踏切の向こうのタカキを認識していた可能性もあるかと思います。アカリが彼の地に来たという事だけで(この辺に住んでないとして)、タカキの存在(思い出)を意識していたに違いないはずです。アカリからしたらタカキより早く、ハッと!したかもしれませんが、すでに新しい人生を始めたであろうアカリは・・・自分の方からはアクションを起こせなかったのかな?とか思ったりもしました。踏切を渡り切って二人は同時に振り返ったでしょう。もしかしたら一つ目の通過だけなら、顔を合わせたのかもしれません。にくい事に上り線下り線という2つのベクトルが、刹那の間を広げました。そしてアカリはその先を歩いて行ったんですね・・・(あれ?何が言いたいか分かんなくなりました) 二人が偶然に奇跡的に会うのであれば、この思い出の彼の地ではちょっと違和感を感じます。 アカリはどうして彼の地へ歩いていこうと思ったのでしょうか?更により分かんなくさせてるのがアカリがマンションのベランダで夫に声をかけられたのか?桜の花びらを手にしたからなのか?急に笑顔でベランダから部屋に入ってゆく感じから(この表情はとても明るい)・・・ベランダにいた衣装のままで、彼の地へ向かっていく・・・タカキも、ましてやアカリも・・・いるはずもないのに・・・かけらを探しつつ・・・彼の地へ歩いてゆく・・・アカリはその年の1月に結婚し、3月かと思われる桜舞うかの地へ・・・果たして歩いてゆくものなのだろうか・・・ うーーーーん・・・わかりません(~_~;) すいません、どうにも言いたいことが長くなって伝わりにくくなってることと思います。タカキの方は違和感はないのですが、アカリは・・・何かモヤモヤとひっかかる違和感が抜けません。この違和感というより、私のかたくなな心を熔かしていただける・・・お返事を頂けられるのなら嬉しいのですが(*'ω'*)
硬いバターさん、初めましてこんばんは。こんな僻地にようこそいらっしゃい。 たくさんコメントをいただきましたが、内容は同じもののようなので、このコメントにお返事差し上げます。 > 秒速5センチメートル・・・5日前に観て、(心がヒグラシの様につくつくして)毎晩見直して・・・なんだか憑りつかれはじめております。それでこちらのサイトにたどり着きまして、御考察全て(その6も)拝見させて頂き、おかげさまでかたくなに信じていた誤った理解が、なんだか映画のみでは理解できない謎が、硬いバターが解ける様な感覚を感じております。そして、今晩もまた観るぞ!って気合いが入らさせて頂き、ありがとうございます! それはまさしく秒速病ですね。新型コロナウイルスほどではありませんが、多数の方(主に男性)が罹患する恐るべき病です。でもすぐにまた観られるということは、症状は重くないようです。当ブログ記事が症状の軽減に役立っているのであれば幸いです。 > 3話目はタカキがパソコン作業をしていて、桜の花びらが窓から風と共に入って来て、(きっと単に)気晴らししようと・・・フラフラットの彼の地を歩いて行ったので(踏切めがけ)、きっといい意味でもそうでない意味でも呪縛の様な思い出の地の近くに、あえてマンションを借りて住んでたんだと思うのです(距離感から)。 そもそも貴樹は種子島から大学に行くために上京しています。その辺り映像では全く描かれていませんが、新海監督自身が書いた小説版で、大学時代の恋愛(2回)とともに記述されています。私は立教大学理学部と推測していますが、就職も東京の会社(IT企業?)なので、あの踏切のシーンの時点で10年近く東京で過ごしていると思われます。 さらに、少年時代もあの近辺に住んでいた訳で、年月が経って色々変わったところはあるにせよ、やはり土地鑑があるので全く新規の場所よりも過ごしやすかったと思われます。踏切の思い出は…忘れた訳ではないと思いますが、呪縛というほどかどうか。岩船の「雪の一夜」に比べれば遙かに淡く軽いものだと思います。なので私は、明里を引きずってあの辺りに住んだというよりは、昔住んでいて土地鑑があったから+交通の便などが今の仕事に向いているといった感じなのではないかと思います。 > で・・・アカリが3話ではその踏切をタカキ宅方向(知らない?)へと思える動線で歩いてゆくことで・・・偶然か?タカキとすれ違うのでしょうが・・・でもそれってなんだろう?アカリはその周辺に住んでるとは思えないし(新婚新居として)タカキに会いに行った・・・はずもなく、桜舞う時期に思い出の彼の地に行ってみたくなったという事?そもそも・・・踏切越しは注意を払うので私は対側を観ます。横断歩道でも観ます。一瞬ですが。好きな人って言うか、知ってる人であれば・・・視覚に入ると一瞬であの人だ!って分かります(私は)。タカキ・・・踏切に入る時点では目に入ってなかったように見えますが、通り過ぎる寸前でハッと!思ったようです。でも・・・アカリはどうだったんでしょう?踏切に差し掛かる時点で、踏切の向こうのタカキを認識していた可能性もあるかと思います。アカリが彼の地に来たという事だけで(この辺に住んでないとして)、タカキの存在(思い出)を意識していたに違いないはずです。アカリからしたらタカキより早く、ハッと!したかもしれませんが、すでに新しい人生を始めたであろうアカリは・・・自分の方からはアクションを起こせなかったのかな?とか思ったりもしました。踏切を渡り切って二人は同時に振り返ったでしょう。もしかしたら一つ目の通過だけなら、顔を合わせたのかもしれません。にくい事に上り線下り線という2つのベクトルが、刹那の間を広げました。そしてアカリはその先を歩いて行ったんですね・・・(あれ?何が言いたいか分かんなくなりました) 明里も大学は東京だったようです。これは新海版ではなく加納版「one more side」の描写によりますが、私は日大か早大あたりではないかと推測しました。なので、偶然出会う状況というのは18歳以降このおよそ10年の間にいくらでもあったはずです。なのに二人は出会うことなく、あの日になって出会ったと。奇跡の出会いと言えばそうなんでしょうが、別の視点で観れば、同じ街(そう言うには東京は大きすぎますが)に住んでいて、10年もかかって漸く会ったんかいという感じかも知れません。 で、踏切ですれ違った二人ですが、明里も明確に気づいたという感じですよね。確認しようと踏切に残った貴樹と歩き去った明里の差は、やはり明里が既に人妻となっているという点ではないかと思います。私も、そんなの関係ねえ!ちゃんと再会しろよ!という気持ちがないでもないのですが、やはり明里にはビッチであっては欲しくないかな~と思ってしまいます。なので、夫に操を尽くす明里の方がいいかなと。 > 二人が偶然に奇跡的に会うのであれば、この思い出の彼の地ではちょっと違和感を感じます。 まあそこがドラマチックな展開(演出)ということになるのではないでしょうか。全然関係のない場所で出会っても盛り上がりに欠けませんかね。あの踏切だからこそ、我々視聴者の感情が地獄に突き落とされると(笑)。 > アカリはどうして彼の地へ歩いていこうと思ったのでしょうか?更により分かんなくさせてるのがアカリがマンションのベランダで夫に声をかけられたのか?桜の花びらを手にしたからなのか?急に笑顔でベランダから部屋に入ってゆく感じから(この表情はとても明るい)・・・ベランダにいた衣装のままで、彼の地へ向かっていく・・・タカキも、ましてやアカリも・・・いるはずもないのに・・・かけらを探しつつ・・・彼の地へ歩いてゆく・・・アカリはその年の1月に結婚し、3月かと思われる桜舞うかの地へ・・・果たして歩いてゆくものなのだろうか・・・ 明里があの辺りに住んでいる事情については、旦那さんの仕事とか、自身の仕事の都合に良かったからではないかと思います。やはり明里のかつては住んでいたので、他の場所よりは土地鑑があったでしょうが、夫の都合とかを無視する訳にはいかないので、貴樹との思い出に固執して選んだという訳ではないかと思います。もしそうなら、なぜ他の男と結婚したし、ということになりますし。 明里が出かける気になったのは、桜を見てやはり一話のあの過去の思い出を思い出して、そういえばこの近くだ!行ってみよう!なんて思ったのではないかと。旦那はお仕事に行っていて留守だったんじゃないでしょうかね。もし家にいたら、一緒に外出してもおかしくないですし、なんとなくあの日は平日という感じが漂っている気がします。 > すいません、どうにも言いたいことが長くなって伝わりにくくなってることと思います。タカキの方は違和感はないのですが、アカリは・・・何かモヤモヤとひっかかる違和感が抜けません。この違和感というより、私のかたくなな心を熔かしていただける・・・お返事を頂けられるのなら嬉しいのですが(*'ω'*) まさに明里があそこに残ってくれなかったということが、この作品のバッドエンド感のキモだと思います。そこにモヤモヤして色々考え惑ううちに秒速病に罹ってしまうという。なので違和感を抱えたままなのは仕方がないことだと思います。それを何とかしようという方は、例えば私のようにあれこれ考察という名目の妄想を膨らませてみたり、「ぼくのかんがえたはっぴーえんど」を空想してみたりと、色々な対策を講じるのだと思います。中にはもう二度と見ないという人もいたりするようですが、そこは人それぞれ、自分に合った形で秒速病に対処するしかないと思うので、封印するのが一番というのであればそれもまた良しと。
誠に誠に申し訳ございませんでした!! 昨日アップしたのですが、それが直後の確認で反映されてなかったので、何か間違いがあったかと思って、再度アップすることを繰り返してしまったがためだと思います。 今しがた見て驚きました。まだ返信などできませんが、取り急ぎ謝罪の連絡を致しました。同じ内容ばかりのものはもし不都合でありましたら、消去されても構いません。この度は誠に申し訳ございませんでした!!
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。 いただいたコメントについては、承認制にしております。以前はコメントが自動的にアップされるようになっていたのですが、荒らしや商売系のコメントが来たことがあったもので。 最近はそういうこともなくなったので元に戻してもいいのですが、一度嫌な経験をするとついつい用心深くなってしまいまして。そういうシステムになっていると明示していないもので、ご迷惑をおかけしてしまいましたね。失礼しました。 別に迷惑と言うことはないので、硬いバターさんがお嫌でなければ、私はこのままで一向に構いません。もし消した方が良ければ言って下さい。
あらためましてご返信ありがとうございます!そして、誤って複数アップのコメントですが、その様にお伝え頂きましたので、こちらとしてはユースフさんにおまかせいたしたいと思います。 今は長年東北の片隅に住んでますが、TDL近くに学生時代の4年住んでいたので・・・東京の街の規模はなんとなく肌感覚でも分かるので、なるほど仮に近くに住んでいたとしても、すれ違うというタイミングがたっぷりとした年月がかかること・・・言われてみれば不自然ではないようです。 東京は街の規模が私からしたらものすごく大きく(密度)感じていて、路線が違うだけで、駅が違うだけで、全く街の事を把握できそうな気がしませんでした(当時)。なので土地勘っていうものは、東北での感覚と、東京での感覚って土地勘の効く有効面積が全く違うって事が・・・なるほどそうでしたので・・・土地勘のあるところで生活圏を築いてゆくのは、そうですね二人にとってもありえることだとは思えます。うんうん、不自然じゃない(*‘∀‘) > まあそこがドラマチックな展開(演出)ということになるのではないでしょうか。全然関係のない場所で出会っても盛り上がりに欠けませんかね。あの踏切だからこそ、我々視聴者の感情が地獄に突き落とされると(笑)。 そうですね、そのとおりですね。あれがコンビニだったら台無しだ(笑)踏切ってなんも考えたことありませんでしたが、この作品見てからちょっと素敵な場所に・・・もう見えてしまってます(;^ω^) > 明里が出かける気になったのは、桜を見てやはり一話のあの過去の思い出を思い出して、そういえばこの近くだ!行ってみよう!なんて思ったのではないかと。旦那はお仕事に行っていて留守だったんじゃないでしょうかね。もし家にいたら、一緒に外出してもおかしくないですし、なんとなくあの日は平日という感じが漂っている気がします。 そうですね、呪縛って書いてしまいましたが・・・二人が離れていったのはむしろ外的な要因(お互いの家の事情)が主で、トラウマを強く残すような残酷な別れとは違うし、あと・・・やっぱり長い時間が経つことでイイ思い出に昇華されていたっておかしくないでしょうし(タカキは昇華しきれてない気もしますけど・・・男性が故?)・・・小学校時代の登校の道ってだけで、ノスタルジックになれる場所だし・・・きっと二人ともに桜を観たくて感じたくて、今までも何回かそれぞれが足を運んでたこともありえるかもしれません。なるほどなぁ~そうですねアカリは一人で出かけて行ったのだし、平日でしょうね。年末のご両親との会話を考えても、寿退社の後かもしれない、今まであまりなかったゆとりある時間・・・桜を観たい!ってなったのでしょうね。 > まさに明里があそこに残ってくれなかったということが、この作品のバッドエンド感のキモだと思います。そこにモヤモヤして色々考え惑ううちに秒速病に罹ってしまうという。なので違和感を抱えたままなのは仕方がないことだと思います。それを何とかしようという方は、例えば私のようにあれこれ考察という名目の妄想を膨らませてみたり、「ぼくのかんがえたはっぴーえんど」を空想してみたりと、色々な対策を講じるのだと思います。中にはもう二度と見ないという人もいたりするようですが、そこは人それぞれ、自分に合った形で秒速病に対処するしかないと思うので、封印するのが一番というのであればそれもまた良しと。 過去の恋愛での別れでも(失恋でも)その直後は・・・かなりやばいメンタルになってますが(想起させる土地にも物にも音楽にも近づけない)、でも時が経つと大体は優しい方へ癒されて・・・その土地や思い出のモノを目の当たりにしても感じ方はかなり違ったものになっていたりします。なので、少しだけ間を置いてから・・・また見直すのも良いのかもしれません。 とか言いながら・・・もう少しモヤモヤがあるので、また硬いバターを溶かしていただく・・・ご依頼をするかもしれません。スイマセン・・・その時はまた適した処方箋を頂きたく思います。だいぶ楽になりました!ありがとうございました!(^^)/
気になってググって見つけた「けろっぴぃの日記」さん、からユースフさんのブログにたどり着き、ユースフさんの「ブログとも」のお二人様のブログも楽しく拝見させていただきました。こんなにもこの作品にこだわって?魅せられて?冒(おか)されて?私からしたらこんなにも探求されてるのがスゴイってまず思うし、少しリスペクトの気持ちも湧いてきます(ホントですよ)。マネできるか?言うとマネできないけど(笑)fumbartさんの聖地への探求心と彼の地へたどり着いた感動!も伝わりますし、 RB4さんのDKSの探求心と新海監督さんから 汲み取ったエッセンス・・・最高です!パチパチ('ω')ノ コマ送りができないDVDデッキで観てるので、気になってしまうところは(3話は動体視力あっても頭の方で無理)何度も一時停止して観てるせいで、デッキが秒速病の感染か?調子がおかしくなってきてます。。。で、DKS(これすっげオカシイ!)なとこも色々あって気になってくることばかりで・・・まだまだ楽しめそうです(ユースフさんのおかげで楽しめる状態になってます・・・躁状態?) ところで、やっぱり気になってしかたがない事を・・・お聞きします!「けろっぴぃの日記」でもありましたが、3話の時系列です。。。 (私が捉えた時系列) ↓アカリが夢を見たのは、年明けの結婚を控えたクリスマス前後?(正月もこっちで過ごせばいいのにってお母さんが言ってたので、寿退社後?)の岩舟の実家滞在での最後の夜だった。 ↓アカリが岩舟駅から大きなカバンを持って帰る途中(両親との別れの場面での衣装と同じ?)での、乗り換え駅と思われるホームから車内に乗り込む!(☆) ↓アカリが先に到着し、温かい飲み物を飲みつつ、婚約者と落ち合う(クリスマスのイルミネーション?)。 ↓タカキが水野さんから電話をもらうのは、風景から思うにやっぱり・・・クリスマス前後(12月24日と水野さんの携帯に!?←人間技では無理)。 ↓アカリは翌年の1月に東京?で結婚式を行う。 ↓タカキが水野さんから1センチメールをもらうのは、2008年2月2日・・・すでにタカキも仕事を辞めていたようで(雇用保険に関する様な書類があった)なんだか虚無感を感じる表情で、更にそのメールには返信をきっとせずに・・・まだまだ寒い街へと出かけ彷徨う(鍵も落としたりそれこそ鬱っぽい)。 ↓コンビニに立ち寄り、あのカナエと見たであろう衛星の記事を読み・・・窓の外には雪が秒速5センチか知らないけど、ハラハラと落ちて来て・・・コンビニを後にする!(★) ・・・時系列はともかく(その間二人の「夢を見た」発言がありつつ)二人の歩みはシンクロして山崎さんの音楽がドカーンってタイトルバックと共に出てきます(これも最初観た時は何が起こったか!?って感覚)。 最初って言うより、何度か見てるまでは・・・タカキとアカリは同じ時に同じ夢を見て、同じ時に思い返してるのかとずっと思っていたのですが・・・(だって小学校の卒業式の様に交互にセリフを言うんだもん) あれ?何かが変!?って違和感を感じてから・・・デッキが変調来たす位に見直すと、今の私にはあの二人が見た夢は・・・(きっと同じ体験をした「雪の一夜」も、長い時間できっと同じようで同じではない「雪の一夜」としてそれぞれの夢に現れた)・・・アカリは2007年クリスマス前後の岩舟の実家で夢を見て、思い出すのは翌日の岩舟から東京までの帰路。一方タカキは翌年2008年の2月2日の直前??に会社を辞める決意をして辞めた直後??辺りに・・・(夕べ夢を見たとか言ってたので2月1日?)マンションで夢を見て、思い出すのは2月2日のコンビニまでの往路や復路・・・ではないのかと? ・・・見はじめの頃は、二人共に夜の雪が舞ってくるとこでのシーンであり、何より小学校卒業式バージョンで話すので・・・同じ時に同じ夢を見て、同じ時に同じ回想をしてるとばかり思っていたのですが、 (→☆と★がほぼ一緒) ・・・でも別なときに同じ様な夢を見て、別な時に同じ様な回想をしていたんじゃないのかと、今では思うようになりました。 (→☆と★が1カ月ちょっとずれてる) それぞれが別なときに、同じような夢を見て同じような回想をしてゆくのだけれど・・・そこからまたもう少し時が経って(アカリは2カ月ちょっと、タカキは1カ月ちょっと)1話、桜花抄での小学4年生(違うかも?)の頃と同じ桜舞う踏切で・・・再会ではなく、すれ違う・・・まるで衛星の長い長い運行軌道に、ロケットに乗る宇宙飛行士が一瞬だけ最接近し、そしてまた遥かな宙へと遠ざかってゆく・・・そんな感じ。。。 これ「けろっぴぃの日記」のコメント欄にも同じような事を書かれた方がいたのですが、これについてはユースフさんはどの様に思われていましたか? (なんというかそれぞれの解釈で良いとは思うのですが、せっかくこの作品に魅了されてるので、新海さんがどの様に表現されてきたのかをしっかり受け止めたいのです・・・だって初見時は水野さんをアカリだと思ってたし、ベッドを共にしてきた仲なのに、1センチ発言されるような・・・そしてラストシーンもあいまって、ええ~!?ってな感想を抱いていたくらいなので・・・)
硬いバターさん、こんにちは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 私なりの考察がお役に立ったら何よりですが、納得できないこともいろいろあると思いますし、「いや、自分はこう思う」ということもあると思います。視聴者の感想は視聴者自身のものなので、十人が見たら十人なりの感想があって当然です。「他の人は同意しないかも知れないが、自分はこう思う」というものあれば、その人にとってはそれが“真実”ということでいいのだと思います。 > とか言いながら・・・もう少しモヤモヤがあるので、また硬いバターを溶かしていただく・・・ご依頼をするかもしれません。スイマセン・・・その時はまた適した処方箋を頂きたく思います。だいぶ楽になりました!ありがとうございました!(^^)/ 最近は(というか最初からかも知れませんが)興味のない人にはどうでもいい記事ばかりアップしていますが、「秒速」はこのブログの原点なので、真摯なコメントには真摯に答えることを旨としています。ご意見ご感想ご質問があればいつでもどうぞ。十分に答えられるかどうかは判りませんが、精一杯のことはしたいと思います。
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 私も「けろっぴぃの日記」さんの記事を読んでみました。なんと私のブログにリンクしているんですね。知りませんでした。オリガミさんもあちらから来られたのかな。 fumbartさんとRB4さん…お元気にしてられるのでしょうか。あの二人のブログは、私のブログと違って「秒速」に特化しているせいか、最近は新記事がないようです。貴樹と明里の文通と同じで、一つのテーマだけだとそうそう長くは続けられないんですよね。もちろん続けるのもやめるのも個人の自由なので、他人が口出すことではありませんが。 3話の時系列問題、正直私はそこまで深く考えてみていませんでした。それはどうしてなのかと言うと、貴樹と明里が交互にモノローグを入れて、昔の夢を見たと言っているので、まるで二人が同一の内容の夢を見ているように見えますが、二人の見ている夢は全く同一の内容ではないのではないかと思っているからです。 もちろん二人の見ているのは例の「雪の一夜」の夢に違いありません。が、二人で体験したものであっても、貴樹視点と明里視点では感想とか解釈は完全に一致するものではないのではないかと。 例えばキスした瞬間、貴樹は 「その瞬間、永遠とか、心とか、魂とかいうものがどこにあるのか分かった気がした。13年間生きてきたことすべてを分かち合えたように僕は思い、それから次の瞬間、たまらなく悲しくなった。明里のそのぬくもりを、その魂を、どのように扱えばいいのか、どこに持っていけばいいのか。それが僕には分からなかったからだ。…(後略)」 とモノローグしています。キスした経験は一緒でも、この時明里はどう思ったのでしょうか。完全に貴樹と同じ気持ちだったでしょうか? 小学生時代は、貴樹曰く「僕と明里は精神的にどこかよく似ていたと思う。」ということで、同じ本を読んで同じ感想を抱いたりしていたかも知れません。あの時代なら、もしかしたら同じ経験に同じ感想を抱いていてもおかしくないかも知れません。が、二人ともそこから段々に成長し、異なる経験を重ねてきている訳で。 キスした瞬間の明里の気持ちは映像版では描かれていませんが、もはや二人が同一の経験に対し同じ感慨を抱いているということではないのではないかと私は思います。そこには貴樹なりの感想(上記)と明里なりの感想が別々にあって、もし照合できたなら、結構違っているのではないかと。 時系列についても、私は“あの冬を、彼らはそれぞれこういう風に過ごしました”ということが描いているものだと解釈しているので、明里の時系列と貴樹の時系列のそれぞれに乱れがなければ別に問題はないんじゃないかなあと。 ところで余談ですが、桜花抄が貴樹視点、コスモナウトが花苗視点、秒速5センチメートルが二人のモノローグ(貴樹成分多し)&第三者視点で描かれているのがこの作品だと思うのですが、明里視点というのが決定的に少ないのが特徴ではないかと思います。女には秘密があるということなのでしょうかね。加納版「one more side」はそこに踏み込んで、明里視点という物語を描いているのですが、じゃあそれが良いかというとそれは別問題でした。結論から言うと明里視点をはっかりこうだと書かれると、「それは違うんじゃないかな」と違和感を感じてしまうのです。多分視聴者それぞれに「明里像」というものが作られていて、それは決して同じものではないのでしょうね。 やろうすれば、高校時代の明里の恋愛模様とか、もっと踏み込めば明里の初体験とかだって描けるんでしょうけど、秒速病の人達は、そんな二次創作を見たいのでしょうかね?私は正直あんまり見たくないですね。いや、別に明里は結婚するまで処女だったとか思っている訳ではないのですが(そう思う人がいてもそれはそれでいいのですが)、なんか明里のロストバージンとか新婚夫婦の夜とか、そういう生々しいのは見たくないなあと思ってしまいます。やはり私の心の中に住んでいるのは13歳の明里なんでしょうか。ルックスはJK明里とか新妻明里も魅力的なんですけどね。 もしかすると、キスしたあの瞬間だけは、貴樹が思っているとおり、二人は完全に一つになっていたのかも知れません。でもそれはあくまでその瞬間だけ。それ以降、二人の心はごく近くに寄り添っていたとしても、完全に重なるようことはなかったのではないかと思います。キスした瞬間、「理想の恋」が降臨し、そしてその後永遠に去ってしまった。それは二人にとって共通であっても、その前後の経験(例えば岩舟駅で再会する前、翌朝別れた後など)とそれに対する感慨はそれぞれ別個にあるはずです。 なので、二人が同じ経験に関する夢を見たのは事実なんでしょうが、その内容が完全に一致しているとは私は思いません。故に夢を見た日時が違っていても特に違和感は感じません。ただ、それぞれの視点で「雪の一夜」の夢をみたのだなあと思うばかりです。
丁寧なるお返事ありがとうございます!そうですかユースフさんのブログの始まりに繋がる秒速なのですね。なるほど。。。 初見直後は果たしてこの作品は自分にとって良かったの良くなかったのか・・・なんだかよく分からず、でも何だか心の琴線に触れてるのか?自分の古傷みたいなものがつくつくとつつかれてるかのような?そして映像美と山崎さんの音楽が余韻として残りました。でも、あんまり誰かに意識が集まった気もしませんでした(感情移入)。 2回目の時、カナエに感情移入が起こりました。カナエの異性に対する長い恋情や不安そして不遇が、むしろ自分の体験に重なるところがあったからだと思います。タカキは普通の生活をしてて異性の方から気持ちを寄せてもらえるモテる側だったので、その側ではない私はタカキにはなかなか感情移入ができませんでした。 でもそれ以降なんだかんだ心のモヤモヤが抜けず見続けてゆくと・・・今ではタカキの方へ感情移入しております。そこにはやはり自分の記憶があるからです。 別れた直後、別れてから少し間を置いた頃、別れて数年経った頃、別れてもう数えられない位に経った頃・・・ 自分の気持ちにも変化があります。相手にもあるでしょう。でもでも・・・それって直後でも、かなり年月が経った後でも・・・相手は何をどう感じてどう思っていたのかは、結局は分かりません。相手もこっちを想ってる!って決めつけてたりしてましたが、もしかしたら・・・全くそうじゃないのかもしれません(´;ω;`) この毎秒5センチメートル・・・言われてみると、なるほどそうです、アカリ視点からのものがありませんね。タカキの理想の恋の「雪の一夜」のアカリは現実にはあったとしても、少し幻化されたアカリを・・・私達はタカキ視点で観ることになります。 そういえば、今想い出そうとしても・・・案外顔がはっきり思い浮かびません。。。 >時系列についても、私は“あの冬を、彼らはそれぞれこういう風に過ごしました”ということが描いているものだと解釈しているので、明里の時系列と貴樹の時系列のそれぞれに乱れがなければ別に問題はないんじゃないかなあと。 >もしかすると、キスしたあの瞬間だけは、貴樹が思っているとおり、二人は完全に一つになっていたのかも知れません。でもそれはあくまでその瞬間だけ。それ以降、二人の心はごく近くに寄り添っていたとしても、完全に重なるようことはなかったのではないかと思います。キスした瞬間、「理想の恋」が降臨し、そしてその後永遠に去ってしまった。それは二人にとって共通であっても、その前後の経験(例えば岩舟駅で再会する前、翌朝別れた後など)とそれに対する感慨はそれぞれ別個にあるはずです。 >なので、二人が同じ経験に関する夢を見たのは事実なんでしょうが、その内容が完全に一致しているとは私は思いません。故に夢を見た日時が違っていても特に違和感は感じません。ただ、それぞれの視点で「雪の一夜」の夢をみたのだなあと思うばかりです。 うんうん。。。( ˘ω˘) 硬いバターが解けてきております。。。
> 私も「けろっぴぃの日記」さんの記事を読んでみました。なんと私のブログにリンクしているんですね。知りませんでした。オリガミさんもあちらから来られたのかな。 ん?思って「けろっぴぃの日記」を見てみたら・・・あれ、ホントだ!オリガミさんって。 で、気になってオリガミさんのコメントも当ブログでも見つけて読みました!(読んでたと思ってましたが未見でした) えええーーーっ!?またしても気になることが書いてます!カナエの想像での・・・あのシーンなんですね!?でも、確かにここにはちょっと違和感はあったんです。それまで意図的にさえ感じる様な、平面的な横顔ばかりを見せられていたのに、急にアカリの表情がまるっと分かるように出てくるもので。 んで・・・高校の文通時、タカキから音信不通になってるとばかり思ってました(だってあのポストに向かうシーン見れば・・・)アカリがポスト前でそんな・・・そんな・・・(;・∀・) 苦しーーーっ!(今職場なので)早く帰って観たくて観たくて仕方なくなりました!(今日こそ少し間を置こうと思っていたのに)
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 私の見解はあくまで私の解釈ですので、前にも書きましたが、視聴者がそれぞれに独自の感想・解釈を持って言い訳なので、万人に同意して貰えなくても構わなと思っています。 しかし、秒速病の患者さんの症状軽減に少しでも資することができたなら、自分の胸に秘めておけば良いものを敢えて晒した甲斐があったというものです。 第三話で貴樹のモノローグに「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのか、ほとんど強迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかも分からずに(後略)」というものがあります。 一方、第一話には「手紙から想像する明里は、なぜか、いつも一人だった。」というモノローグがあります。そして、これを象徴するように、第三話ではカブで走る貴樹がひとりぼっちの明里の幻を見るシーンがあります。そして雪の一夜の翌日に「彼女を守れるだけの力がほしいと、強く思った。それだけを考えながら、僕はいつまでも窓の外 の景色を見続けていた。」とのモノローグが。 ここから思うに、大人貴樹の「とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて」という思いの原型は、明里を守れるだけの力が欲しいという少年貴樹の思いにあるのではないかと思います。文通が途切れてしまったように、時間と距離の差によって明里に対する思いも次第に薄れてしまったけれど、「明里を守るだけの力が欲しい」という気持ちの一部分だけが残ったことが、とにかく前に進みたいという気持ちになって、その後の貴樹を支配していたのかも知れません。 貴樹が思った、「ひとりぼっちの明里」というのは、一見周囲と上手くやれているようありながら、明里を失った後の貴樹自身の孤独感そのものの反映だったのかも知れません。
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 そうなんです。硬いバターさんのちょっと前にオリガミさんからもコメントを頂いていたのです。非常に詳細に画面を見ておられる方で、one more time,one more chanceが流れる中、明里と貴樹がポストを覗くシーンについて、明里のシーンについては私は手紙が届いていないのにがっかりしているシーンだと思っていたのですが、オリガミさんご指摘のとおり、明里は貴樹の手紙を取り出して胸に抱くようにしているんですね。雨の背景が暗いのでうっかり誤解していました。その数カット後に空のポストのシーンがあって、貴樹が肩を落とすのですが、このシーンこそが、手紙が来なくなったことを示すシーンということになります。 あんな風に明里が胸に抱いてくれるなら、私もせっせと手紙を書くんですが(笑)。しかしあの前後のシーン、良い表現ではないかも知れませんが、花苗がまるで犬のように貴樹にまとわりついていて、その健気さにもらい泣きしそうです。ごめんよ、明里さえいなければ君がヒロインなんだけどね… 種子島でしょっちゅう見ていたらしい貴樹の夢に関しての私の見解は、オリガミさんとのやりとりの中で書いたとおりです。ご興味があったら一読して頂けると幸いです。
ユースフさん、丁寧なるお返事いつもありがとうございます! なるほどなぁ。一見、(アカリと比べ)タカキは孤独ではないように思えるのですが・・・「時をかける少女」(見直したくなりました)のお話の様に”理想の恋”に出会ったが為に・・・ちゃんと社会と繋がって(でも仕事に忙殺)女性にもいいよられてお付き合いだってしてるのに、文通が途絶えて(ましてアカリからとは!?)以降は心が満たされない孤独を持っていたのかもしれないですね。送らないメールを打つタカキも分かる気がします。フェードアウトって言うけど、でも・・・どっちかが先に切る訳で、切られた方が・・・わだかまった気持ちをより抱え込んでしまう事ってあるんじゃないかなぁ。孤独・・・この毎秒5センチメートルの伝えたいことのひとつかもしれないですね。 >あんな風に明里が胸に抱いてくれるなら、私もせっせと手紙を書くんですが(笑)。しかしあの前後のシーン、良い表現ではないかも知れませんが、花苗がまるで犬のように貴樹にまとわりついていて、その健気さにもらい泣きしそうです。ごめんよ、明里さえいなければ君がヒロインなんだけどね… カナエのワン確かカブかな?健気にカナエの帰りを待ってるんですよね。 「カラン!」って音が響き・・・(今か今かと待ってた・・・タライの中?・・・カワ(・∀・)イイ) いつもの通りに無邪気にしっぽを振って、カナエと一緒にタカキを見送る・・・このシーン(´;ω;`) タカキ・・・カナエの気持ち気付いてないとは言わせないぞ!(# ゚Д゚) バイク置き場の裏にはカブ・・・いやいやカナエが待っているのを知ってて!(# ゚Д゚) カナエ・・・うん、きっとこんなイイ子ほっとけないです(少なくとも私は)。 大丈夫~♪ 大丈夫だよ~♪
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 小学生時代、明里は孤独だったと思います。内気だし、転校ばかりだし。それど同じ境遇の貴樹と出会って親しくなったことは彼女にとってとても心強いものでした。しかも当時、感性や趣味も似かよっていたし。そんな明里だから、知り合いのいない、まして貴樹のいない岩舟の中学校生活はそれまで以上に辛かったと思います。 それを知っている貴樹が、明里をいつも一人ぼっちの姿で思い浮かべるのは当然といえば当然なのですが、その一方、明里を失った貴樹もまた孤独感で一杯だったと思います。明里に比べれば貴樹は社交性があるので、一見そうは見えないのですが、小学校時代の二人は一心同体的な感じというか、精神的な双子のようだった感じがするので、明里の転校はお互い、半身を失ったかのような衝撃だったのではないかと思います。 その後、貴樹も明里も成長して大人に近づいていく訳ですが、実際のところはともかく、貴樹からすると明里はずっと一人ぼっちでいるように思えていたようです。それを象徴するのが、第三話の種子島の海岸で貴樹が見た、一人ぼっちでうつむいている明里の幻影なのかなと。そして、明里がずっと一人ぼっちであると貴樹が思っているのは、貴樹自身が孤独感を抱えていたからではないかと。 ラストシーンで明里のいない踏切を見て貴樹が微かに微笑むのは、孤独だと思っていた明里が実はそうではないという事実を知ったから、つまりもう明里は大丈夫なんだということを理解したからではないでしょうか。 考察で触れていますが、明里が貴樹に渡せなかった手紙には、“私はこれからは、一人でもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。そんなことが本当に出来るのか、私にはちょっと自信がないんですけど。でも、そうしなければならないんです。私も貴樹くんも。そうですよね?”という一節がありました。この手紙を貴樹が読んでいたら、明里はもう貴樹と離ればなれで生きることに覚悟を決めているんだということを、あの時点で知れたはずなんですが、残念ながら貴樹は読むことが出来ませんでした。それも貴樹が一人ぼっちの明里を助けられるだけの力が欲しいと思う(途中で変質して、とにかく前に進みたいという思いになってしまったようですが)原因の一つだろうと思います。 花苗は普通に良い子なので、貴樹が明里の手紙を読んで吹っ切っていたら、案外種子島でもっと親密になっていたかも知れません。そういう意味では手紙を渡さなかった明里は罪な女(笑)とも言えますが、まあ雪の一夜の翌日では渡せなかったのも無理ないでしょうね。
ユースフさん、いつも丁寧なるお返事ありがとうございます!そろそろ毎晩観続ける病から脱しようと思いながら数日経っていて・・・昨夜もまた観てしまいました(笑) 自分なりに時系列って案外重要で、昨日より分かったことがあったのでお伝えします(まぁ私論ですが)。 水野さんが電話をかけたのが2007年12月24日0時台(動体視力では認識不能)・・・この時間に受け取ったタカキは仕事が遅くなったか、外で飲んで憂さを晴らした後か・・・まだスーツ姿で屋外。 水野さんきっと何回も電話をしたのかもしれないですね。取れなかったか、取らなかったか・・・いずれにせよかけ直すことはしていない。 翌朝はクリスマスイブ・・・付き合ってる男女なら少し特別感を意識する日かもしない、そんな日の前の夜の・・・重なりあえない二人。 一転画面は転じて岩船駅の篠原家のシーン。お母さんのお正月まで休んでいけばいいのに・・・との言葉があったけど、帰るというアカリ。前日、実家の自分の荷物を整理してる折に、見つけた中1の終わりに渡せなかった手紙・・・ きっとこの手紙を見つけるまでは、アカリは意識の表層へはタカキとの思い出もほとんど上がってくることなく、文通を自分から断ち(あの机に突っ伏してるシーンってそれを伝えてるのかも)高校では他の男性と付き合ったかもしれない(あのがに股野郎疑惑)そして大学、社会人へと・・・素敵な女性だものいろいろあって全く自然です。 手紙を見て、たぶん中身も読んで?・・・その晩、夢の中で、「雪の一夜」が出現したんだと思います。その夢と、あの頃の自分とタカキくんを回想しつつ・・・岩船から乗り換えを繰り返しつつ東京へ(あの頃と違い遅延はないけど長い帰路)・・・そう婚約者と落ち合う為に待ち合わせの場所へと。。。 クリスマス前後と思ってはいましたが、きっとクリスマスイブじゃないかなぁ?(これが分かったこと)翌年1月には結婚式を控え、好きな二人同士であれば一番いいシーズンですよ!正月まで実家で両親とのんびりしてる場合じゃないです! 秒速を見はじめてた頃は、アカリもタカキに近い位にお互いを追い求めてるかのような想いがあるだろうと観ておりましたが(文通途絶えてから結婚を控える状況になったとしても)・・・でもユースフさんの考察や自分なりの体験で解釈をしてゆくうちに、アカリは・・・手紙を見つけるまでは思い出せないくらいに昇華されていたんだと思えるようになったし、それは素敵な大人のアカリに繋がる大切な一部になってたという事でしょう。 同じ2007年のクリスマスイブの日は、タカキは水野さんとの絶縁(水野さん地味だけど可哀想だ!(# ゚Д゚))・・・対照的に、アカリは(ちょっとノスタルジックにはなったけど)婚約者に会いたくて~!って・・・昨夜またまた通して見直したら、アカリの婚約する人だもの・・・そりゃラブラブだよね~って感じが満々と伝わってくるようになりました。いや、これでいいんです。 >ラストシーンで明里のいない踏切を見て貴樹が微かに微笑むのは、孤独だと思っていた明里が実はそうではないという事実を知ったから、つまりもう明里は大丈夫なんだということを理解したからではないでしょうか。 観てる我々もそれを理解して、タカキの微かなほほえみの様に決してバッドエンドでないエールを送られる気持ち(RB4さんブログより)でのエンディングだったんですよね。。。 (監督スイマセン・・・ほほえんで観れるようになるまで、さんざん具合悪かったです) >考察で触れていますが、明里が貴樹に渡せなかった手紙には、“私はこれからは、一人でもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。そんなことが本当に出来るのか、私にはちょっと自信がないんですけど。でも、そうしなければならないんです。私も貴樹くんも。そうですよね?”という一節がありました。この手紙を貴樹が読んでいたら、明里はもう貴樹と離ればなれで生きることに覚悟を決めているんだということを、あの時点で知れたはずなんですが、残念ながら貴樹は読むことが出来ませんでした。それも貴樹が一人ぼっちの明里を助けられるだけの力が欲しいと思う(途中で変質して、とにかく前に進みたいという思いになってしまったようですが)原因の一つだろうと思います。 >花苗は普通に良い子なので、貴樹が明里の手紙を読んで吹っ切っていたら、案外種子島でもっと親密になっていたかも知れません。そういう意味では手紙を渡さなかった明里は罪な女(笑)とも言えますが、まあ雪の一夜の翌日では渡せなかったのも無理ないでしょうね。 そうですね、タカキは渡したくて2週間以上も書いた手紙は、本当はかけそば位食べたくて仕方なかった、けどアカリに会うまでは思って我慢し、泣く泣くの岩清水自販機へ手を伸ばしたことで・・・藻屑と消えた手紙。アカリは待合室の未定で限られた時間の中で必死に書いたのに(ユースフさんの考察観なかったら気付けなかった思います)・・・渡せないまま実家で眠っていた手紙。お互いにそれぞれの手紙が、あのようにならなかったのなら、きっと何か違う二人にもなってたのかもしれないですね~。人生って~♪ 不思議なものですね~♪
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 硬いバターさんの私論に特に異論はないのですが、補足(になるかわかりませんが)をいくつか。 新海版小説によると、貴樹が年末の夜更けまで働いていたのは、あるプロジェクトの敗残処理をしていたからのようです。で、けじめをつけたところで退職したと。映像版ではすぐ思いがなくなって即やめたみたいにも見えますが、やることはきっちりやっていったあたりはさすが貴樹です。 水野さん(水野理沙)は小説版だともっと記述があります。コミック版ではある意味第三話の主役級にまでなっていますし、美人度も上がっています。コミック版の作画は女性漫画家ですが、女性からみると花苗や水野さんといった貴樹に“冷たくされた”女性達に救いの手を伸ばしたくなるようです。でもその分貴樹をダメンズ的描写にしてししまうあたりが私からするとなんとも…。 なお水野さんのCVは水野理沙という声優さんなんですが、もしかするとこの声優さんからキャラ名を付けたのかも知れません。この人は花苗のお姉ちゃん役もやっているほか、「雲のむこう、約束の場所」「言の葉の庭」「星を追う子供」にも出演しており、メジャーになる前の新海作品のレギュラーといった感があります。 実家で渡せなかった手紙を発見した明里ですが、小説版によると文面は見ないで戻しています。まだ貴樹への思いが完全に消えていないので、今(結婚直前)読んでしまうのは危険だと感じたようです。あとコミック版では、そっと渡せなかった手紙を置いて、今まさに結婚式に向かおうとしているウエディングドレス姿の明里の後ろ姿が描かれており、その時点まで引きずっていたのかと驚きます。 正月まで居ればいいのにという両親を振り切って恋人の下に向かう明里の姿は、かつて東京に残ることを許さなかったことへのルサンチマンではないかと思ったりします(私のうがった見方でしょうが)。クリスマスイブだとすると、明里の両親が「正月まで~」と言うにはまだ早すぎるような気がするので、もっと年末ではないかと私は思っています。婚約者と出会う時の描写は確かにクリスマスのような華やかなイルミネーションがありますが、クリスマスどころか正月が明けてもイルミネーションを続けている所も多いですし。
新たにこの作品に触れられた方がいらっしゃるようですね。 公開から十数年が経ちますが凄い作品だなあ・・・ ユースフさんの『理想の恋呪縛説』には凄い説得力がありました。 男女の恋愛に対する考え方の差でこの作品を解釈しようとする考察をよく見ましたが、 それだと一般論をこの作品に当てはめているだけで、 この作品の考察になっていないような気がして腑に落ちませんでしたが、 ユースフさんが仰る、理想の恋が貴樹と明里に与えた強度の差、で解釈すれば納得出来、 秒速病も治りました。 >第三話冒頭及びラストシーンで二人がすれ違う踏切ですが、二人はなぜあの日あの時にあの思い出の踏切に来たのでしょうか。 思い出の踏切とは第一話冒頭の明里が先に渡った踏切ですよね? 私も当然、あの踏切で第三話の二人がすれ違ったと思っていたのですが、 背景を見るとだいぶ異なり、また第一話にあった「小田急線 西参道踏切」の表示がなく、 別の踏切ではないかと思うようになりました。なぜ監督はそうしたのだろう。 同じ方がドラマチックですが。 あと細かいことですが、歩いていて自分の右側をすれ違った人を確認する場合は 普通、貴樹のように自分の右側を振り返ると思いますが、 明里は左側を振り返っていて何か気になります。
ユースフさん、いつもありがとうございます!オリガミさんはじめまして! 小説や漫画での補足情報ありがとうございます!理解と楽しみが広がります。 >実家で渡せなかった手紙を発見した明里ですが、小説版によると文面は見ないで戻しています。まだ貴樹への思いが完全に消えていないので、今(結婚直前)読んでしまうのは危険だと感じたようです。あとコミック版では、そっと渡せなかった手紙を置いて、今まさに結婚式に向かおうとしているウエディングドレス姿の明里の後ろ姿が描かれており、その時点まで引きずっていたのかと驚きます。 そうなんですね~、ここ最近の自分の解釈(アカリの想い)とは結構違ってたんだなぁ。 同じ作品を観て、それぞれがどう解釈したとか、どう感じたとか・・・こういうことをネットで伝えあうのは自分としてはたぶん初めてみたいなものですが、とても作品の持つ魅力がふかみを増してゆくのでうれしいものです。 時が経って景色が変わってゆく中で、小学生のアカリとタカキがかけ下がってゆく坂道と、大人のタカキが下ってゆく坂道は同じだけど、 踏切にさしかかる辺りでは、小学生のアカリとタカキは線路と並走する脇道から駆けて来て踏切を越えるのが、大人のタカキは脇道でなく踏切へ直行する道を歩いてくる・・・ので坂道を下って後に、小学生のアカリとタカキと大人のタカキは、違うルートを歩いて違う踏切を越えた・・・という事になるのでしょうね。(そうなんですよね踏切の背景にもウーンって思ってました) ユースフさんの「ブログとも」の fumbartさん のブログ内に、 「秒速5センチメートル 聖地巡礼 その118 散策4 ~ もう一つの踏切」 観て、すげ!思って、でもやっぱそうだったんだ・・・って思い、意識的に分けてるって思えました。オリガミさん同様なぜ監督はそうしたんでしょうね・・・ >普通、貴樹のように自分の右側を振り返ると思いますが、 明里は左側を振り返っていて何か気になります。 こ・・・これは気付かなかった・・・すげ・・・(;´Д`) もう間をあけると決めて昨夜は観なかったのですが・・・また観たくなってきました!!ハァハァハァ(;´Д`)
オリガミさんこんにちは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 > 新たにこの作品に触れられた方がいらっしゃるようですね。 > 公開から十数年が経ちますが凄い作品だなあ・・・ まさにそうですね。「君の名は。」や「天気の子」は大ヒットしましたが、十数年後まで影響を与えることができるのでしょうか。 > ユースフさんの『理想の恋呪縛説』には凄い説得力がありました。 > 男女の恋愛に対する考え方の差でこの作品を解釈しようとする考察をよく見ましたが、 > それだと一般論をこの作品に当てはめているだけで、 > この作品の考察になっていないような気がして腑に落ちませんでしたが、 > ユースフさんが仰る、理想の恋が貴樹と明里に与えた強度の差、で解釈すれば納得出来、 > 秒速病も治りました。 そう言っていただけると、書いた甲斐があったなあとしみじみ思います。「考察(その6)」は数年前から閲覧できなくなっていたのですが、もうこの考察は使命(?)を終えたと思っていたので放置しておりました。しかし需要があるのであればユーザーフレンドリーにしておかなければなりませんね。 > 思い出の踏切とは第一話冒頭の明里が先に渡った踏切ですよね? > 私も当然、あの踏切で第三話の二人がすれ違ったと思っていたのですが、 > 背景を見るとだいぶ異なり、また第一話にあった「小田急線 西参道踏切」の表示がなく、 > 別の踏切ではないかと思うようになりました。なぜ監督はそうしたのだろう。 > 同じ方がドラマチックですが。 あれは違う踏切なんですかね?幼少期の貴樹と明里が駆け下りていた、坂道を曲がってすぐにあるあの踏切だと思っていましたが。明里は角を曲がってあの坂道を登ったので姿がないのかと。もし踏切と交差する道が真っ直ぐであれば、明里が歩み去っていたとしても、その後ろ姿くらいは貴樹から見えそうなものですが、歩み去っていく明里の後姿を見つめる貴樹の図は、それはそれで切なさ乱れ撃ちですね。 > あと細かいことですが、歩いていて自分の右側をすれ違った人を確認する場合は > 普通、貴樹のように自分の右側を振り返ると思いますが、 > 明里は左側を振り返っていて何か気になります。 なるほど、相変わらず鋭いですね。歩行者は右側通行の日本だというのに、なぜ二人とも左側通行なんでしょうか。もしどちらかが右側通行をしていたら、踏切でかち合ってその場で見つめ合ったかも知れないですね。その場合、さすがに何事もなくすれ違うということはなさそうです。
硬いバターさんこんにちは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 > 同じ作品を観て、それぞれがどう解釈したとか、どう感じたとか・・・こういうことをネットで伝えあうのは自分としてはたぶん初めてみたいなものですが、とても作品の持つ魅力がふかみを増してゆくのでうれしいものです。 そうですね。小説版やコミック版をご覧になっていない場合、良かったらご覧下さいと言いたいところですが、あくまで本編を考察する上での参考情報なので、映像版視聴者の「私はこう思う」という見解を、「違う、そうじゃない」と否定して変えようとか思っている訳ではありませんので。 > 時が経って景色が変わってゆく中で、小学生のアカリとタカキがかけ下がってゆく坂道と、大人のタカキが下ってゆく坂道は同じだけど、 > > 踏切にさしかかる辺りでは、小学生のアカリとタカキは線路と並走する脇道から駆けて来て踏切を越えるのが、大人のタカキは脇道でなく踏切へ直行する道を歩いてくる・・・ので坂道を下って後に、小学生のアカリとタカキと大人のタカキは、違うルートを歩いて違う踏切を越えた・・・という事になるのでしょうね。(そうなんですよね踏切の背景にもウーンって思ってました) > > ユースフさんの「ブログとも」の fumbartさん のブログ内に、 > > 「秒速5センチメートル 聖地巡礼 その118 散策4 ~ もう一つの踏切」 > > 観て、すげ!思って、でもやっぱそうだったんだ・・・って思い、意識的に分けてるって思えました。オリガミさん同様なぜ監督はそうしたんでしょうね・・・ なるほど、fumbartさんが既に解明しておられましたか。読めなかった、このリハクの目をもってしても(笑)。近いけど別の踏切なんですね。監督は背景をフォトショップから起こしているので、実にリアルなんですが、全てを使っている訳ではなく、不要な情報は削除したり変化させたりもしているので、見る方向が違った場合(振り返った貴樹は逆方向を見ることになるので)になにか不都合があったんでしょうかね。
ユースフさん、お返事ありがとうございます。
硬いバターさんはじめまして。
いや~驚きました。硬いバターさんもけろっぴぃさんのブログから来られたんですね。先月私も硬いバターさんがご覧になったけろっぴぃさんの記事を見て、おお、やっぱりユースフさんの考察は有名なんだなあ、また読ませて頂こうと思って、訪問させてもらっていました。
しかし、数年前に初めて訪問させてもらった時は、どうやって辿り着いたのか全く思い出せません・・・ラッキーでした。「考察(その6)」が無い!と思っていたらコメント欄に発見して嬉しかったのを思い出しました。再掲載ありがとうございます。
監督が第一話と第三話で別の踏切にした理由についてですが、
>幼少期の貴樹と明里が駆け下りていた、坂道を曲がってすぐにあるあの踏切だと思っていましたが。明里は角を曲がってあの坂道を登ったので姿がないのかと。
その場合、電車が通り過ぎた後に明里が待っていないことが分かると、貴樹は視線を右に移すことになりそうですね。別の踏切にしたのは、監督が貴樹に正面を見たままでいてもらいたかったからなのか、それとも単にラストシーンの景色として第三話の踏切の方が良かったのか。本当のところは監督にしか分からなさそうですね。
>もし踏切と交差する道が真っ直ぐであれば、明里が歩み去っていたとしても、その後ろ姿くらいは貴樹から見えそうなものですが、歩み去っていく明里の後姿を見つめる貴樹の図は、それはそれで切なさ乱れ撃ちですね。
切な過ぎて危険ですね(笑)。
硬いバターさんが見つけたfumbartさんの記事にある第三話の踏切を地図で見ると、角まで十数メートルで、明里は電車が通り過ぎるまでに角を曲がって姿を消せそうです。だから選ばれたのかな?特に、二人の間を通り過ぎて行った電車は驚異の20両編成で、姿を消すまでの時間を稼ぐのには十分そうです。
ちなみに第一話の踏切を地図で見ると、線路と並走する脇道は現在ないようですね。そしてストリートビューで見ると「鳴ったら渡らないで!」という注意書きがありました。まさか小学生の明里のせいなのか(笑)。
>もしどちらかが右側通行をしていたら、踏切でかち合ってその場で見つめ合ったかも知れないですね。その場合、さすがに何事もなくすれ違うということはなさそうです。
かち合ってその場で見つめ合ったタイミングで話が終わっていたら秒速病以外の問題が出ていたんでしょうね。視聴者間でその後の展開について紛糾しそう(笑)。
>普通、貴樹のように自分の右側を振り返ると思いますが、 明里は左側を振り返っていて何か気になります。 うーん、リハクじゃないので全く気づきませんでしたが・・・確かにそうでした!そうですね・・・不自然ですよね。うーん・・・答えはこれだ! A1)アカリが右を振り返ってしまうと顔が分かりそうだけど、あえて分かりがたそうな方へ振り向かせた。 A2)立ち位置が画面の中で同じなので、電車の交差するベクトルに合わせたビジュアル効果? A3)アカリは迫ってくる電車を見ただけ A4)右を向かせると髪がかぶさって見栄え良くない(私はイイ) A5)アカリは左軸足ピボットターンをバスケ時代に得意としていた A6)ダヴィンチコードのマグダラのマリアとイエス効果を狙ってた? うーん・・・普通踏切も同じであっていいと思うし、右振り返りが普通だと思うし・・・あえて普通を選んでないようにも思うので、何かメッセージが隠れてるのかもしれないですね(?_?)
オリガミさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 一番有名なのはけろっぴぃさんのブログなんじゃないかと思いますが、私の考察がごく一部で知られているのであれば嬉しいことですね。ブログを開設する以前、もう9年位前に書いたものなんで、今から見ると色々手直ししたい部分もあるんですが、書いた頃が一番熱かったので、当時のまま残しております。 > 監督が第一話と第三話で別の踏切にした理由についてですが、 > 別の踏切にしたのは、監督が貴樹に正面を見たままでいてもらいたかったからなのか、それとも単にラストシーンの景色として第三話の踏切の方が良かったのか。本当のところは監督にしか分からなさそうですね。 相変わらず鋭いですね。個人的には昔の踏切の方が劇的だと思うのですが、やはりそれだと不都合がありそうですね。それにあの踏切だと、二人とも何気なく渡るということは出来ないかも知れません。どうしても渡る前に「あ、あの踏切だ」と思って、色々な思い出が湧いてきそうです。コミック版では貴樹は水野さんと再訪した岩舟駅で、明里の記憶に押しつぶされてホームに降りることができませんでしたが、さすがにあの踏切にはそこまでの思い入れはないとは思いますが。 > ちなみに第一話の踏切を地図で見ると、線路と並走する脇道は現在ないようですね。そしてストリートビューで見ると「鳴ったら渡らないで!」という注意書きがありました。まさか小学生の明里のせいなのか(笑)。 小学生時代の内気でおとなしい明里らしからぬお転婆ぶりでしたが、きっと心を許した貴樹にしか見せないお茶目な一面なんでしょうね。 > かち合ってその場で見つめ合ったタイミングで話が終わっていたら秒速病以外の問題が出ていたんでしょうね。視聴者間でその後の展開について紛糾しそう(笑)。 見つめ合った二人の図で終わったとしたらその後について議論百出となりそうですね。少なくともそこから何事もなくすれ違うということはなさそうですが、その場でずっと見つめ合っていると二人とも電車に轢かれてしまいます(笑)。
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 左側に振り返る明里の謎問題、これは難しいですね。オリガミさんが指摘するように、普通なら右側に振り向くのが自然だと思います。 正解なんかないかも知れませんが、桜花抄のおいて、岩舟駅の待合室で待っている間に眠ってしまった明里の下にようやく貴樹がたどり着いた時、入り口と椅子との位置関係のせいで、目覚めた明里はやや左側を向いて貴樹を確認しています。なのでそれ以来、明里が貴樹の姿を確認する時には必ず左側を向くようになったのだ…なんて(笑)。それ以来もなにも、あれっきり会うことのなかった二人なんですが。
>硬いバターさんが見つけたfumbartさんの記事にある第三話の踏切を地図で見ると、角まで十数メートルで、明里は電車が通り過ぎるまでに角を曲がって姿を消せそうです。だから選ばれたのかな?特に、二人の間を通り過ぎて行った電車は驚異の20両編成で、姿を消すまでの時間を稼ぐのには十分そうです。 ぶほっ!\(◎o◎)/ 20両編成!すご!・・・( ;∀;) >もし踏切と交差する道が真っ直ぐであれば、明里が歩み去っていたとしても、その後ろ姿くらいは貴樹から見えそうなものですが、歩み去っていく明里の後姿を見つめる貴樹の図は、それはそれで切なさ乱れ撃ちですね。 はい、乱れ撃ちです・・・病巣が広がってゆきそうです(;・∀・) でも確かに姿が見えなくなる条件はこの場面には必須でしょうね。 映画の印象に届めたいと思ってるのですが、ちなみにこの踏切は小説版と漫画版ではどうなってるのですか?
ユースフさん、いつもありがとうございます。硬いバターさんこんばんは。 >個人的には昔の踏切の方が劇的だと思うのですが、やはりそれだと不都合がありそうですね。それにあの踏切だと、二人とも何気なく渡るということは出来ないかも知れません。 第三話の踏切ではすれ違った瞬間に気付いた感じでしたが、第一話の踏切だったらお互いのことを思い出していて、もっと早い段階で気付いていたかもしれませんね。 踏切に至る直前のシーンで明里が右手の薬指に指輪をしている作画ミスがあったので、明里に左を振り向かせたのもミスかなと思いましたが、振り向くシーンでは左から日が差していて、右を振り向くと顔に影が差すので、それを避けるためだったのかなと推測してみました。でも左を向くのは岩船駅で再会した時と同じですね。もしかして明里は岩船駅で再会した時のことを思い出して左を振り向いたのか。
硬いバターさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。
> 映画の印象に届めたいと思ってるのですが、ちなみにこの踏切は小説版と漫画版ではどうなってるのですか?
この踏切についてはこれまで“あの踏切”だと思っていたので特に注意を払っていませんでしたが、小説版では“あの踏切”だと判るような描写はなかったと思います。コミック版についてはこの部分について記事を書いております(
https://nocturnetsukubane.blog.fc2.com/blog-entry-260.html )ので参照して下さい。人妻明里は振り返ることなく去っていきますが、その後歩み去る貴樹の後ろ姿を、踏切の向こうから手を振って見送っている小学生明里の姿が描かれています。
その部分に限らず、コミック版についても記事を書いておりますので、よろしかったらご覧下さい。2012年の12月から2013年の2月にかけて週一のペースで集中連載(私としては)しています。
オリガミさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 > 第三話の踏切ではすれ違った瞬間に気付いた感じでしたが、第一話の踏切だったらお互いのことを思い出していて、もっと早い段階で気付いていたかもしれませんね。 私もそう思います。そう思ってみれば、あの踏切でない方が自然なような気がしてきます。やはりあの踏切だと思い入れが強すぎるでしょう。 > 踏切に至る直前のシーンで明里が右手の薬指に指輪をしている作画ミスがあったので、明里に左を振り向かせたのもミスかなと思いましたが、振り向くシーンでは左から日が差していて、右を振り向くと顔に影が差すので、それを避けるためだったのかなと推測してみました。でも左を向くのは岩船駅で再会した時と同じですね。もしかして明里は岩船駅で再会した時のことを思い出して左を振り向いたのか。 何回も言っているのでもう飽き飽きしているかも知れませんが、オリガミさんは本当に鋭いですね。その作画ミスには全く気づきませんでした。太陽の方向を向くのを避けたとうのは、妙齢の女性の行動として非常に説得力があると思います。 岩舟駅再会時の再現説は私の戯れ言ですが、実は明里は左側から見た顔の方が綺麗に見えるというか、明里自身が自信を持っているとか。いかん、もっと戯れ言ですね。
ユースフさんお返事ありがとうございます!そうですか小説版では分かる描写はないのですね・・・ 漫画版の考察あったんですね!その7を読んで興味湧いたので、その1から読んでみます。 そう昨夜BSで「時をかける少女」やってたんで(ナイス!)何十年ぶりレベルで観ました。今の時代ではむしろ出せないような何とも言えない雰囲気が良かったし、原田知世・・・表情がなんとも言えない(*´ω`) ユースフさんの考察の想を得たという事が分かる気がしました。幸か不幸かとなれば・・・タカキもそうだし、和子もきっぱり幸とは言えなくても、不幸ではないとは思えます。 >踏切に至る直前のシーンで明里が右手の薬指に指輪をしている作画ミスがあったので、明里に左を振り向かせたのもミスかなと思いましたが、振り向くシーンでは左から日が差していて、右を振り向くと顔に影が差すので、それを避けるためだったのかなと推測してみました。 なるほどなぁ~光線ね~・・・って、 ぶほっ!\(◎o◎)/ 右手に薬指!?(そりゃエライ事ですよ) 中毒症状でてるので断ってるところでしたが(20両編成は確認避けてました)・・・こりゃさすがにまた今晩観たくなりました!(再発)
ユースフさん、いつもありがとうございます。硬いバターさんこんばんは。 前回のコメントで私が書いた明里の振り向いた方向についての文章が分かりづらかったので、以下に書き直させて頂きました。 明里が振り向くシーンでは、画面の左から日が差していて、右を振り向くと顔に影が差すことになるので、監督が明里に左を振り向かせたのは、何らかの理由で明里の顔に影が差すのを避けようとしたためではないかと推測しました。 要は監督は明里に日が差してくる方向を避けさせたのではなく、向かせたのではないかということですが、監督が明里の顔に影が差すのを避けようとした理由がよく分かりませんでした。 そこで、左を向いたのは岩船駅での再会時と同じというユースフさんのご指摘で、明里が左を振り向いた理由は岩船駅での再会を思い出して左に意識が行っていたからかもしれないと思って書いたのが前回の明里の振り向いた方向についての文章でした。 前回と比べてそれほど分かりやすくなっていないかもしれませんが(笑)。 確かに妙齢の女性は日差しを避けるもので、そういった意味でも明里が左を振り向いたのは不自然でしたね。 左右が逆になっているシーンとして、明里が右手の薬指に結婚指輪をしているところ以外にも、電車に乗っている中一の貴樹が進行方向右側のプラットホームに立っている女子を進行方向左側の窓から目で追っているところがあったので、踏切で明里が振り向く方向も左右逆にしてしまった可能性もあると思いました。 >オリガミさんは本当に鋭いですね。 いえ、色々気付けたのはユースフさんの考察のおかげで秒速病を克服して繰り返し見られるようになったからです。私の疑問に付き合って下さってありがとうございます。
>明里が振り向くシーンでは、画面の左から日が差していて、右を振り向くと顔に影が差すことになるので、監督が明里に左を振り向かせたのは、何らかの理由で明里の顔に影が差すのを避けようとしたためではないかと推測しました。
見直してみましたが、そうですねここのシーンって太陽光が強めで陰影がつきやすいので・・・それを意識しての作画だったような気がします。自然な動作ではなくても、まぁ~ありだと思います。しかし・・・
>左右が逆になっているシーンとして、明里が右手の薬指に結婚指輪をしているところ以外にも、電車に乗っている中一の貴樹が進行方向右側のプラットホームに立っている女子を進行方向左側の窓から目で追っているところがあったので、踏切で明里が振り向く方向も左右逆にしてしまった可能性もあると思いました。
\(◎o◎)/!?・・・確かに!右の薬指に指輪が光ってました!これ・・・こんなことあり得るんだろうか・・・新海監督って一人で「ほしのこえ」を作った方だろうし、この秒速も編集やってるし・・・ミスだとしても凡ミスで大きなミスで・・・女性って左薬指にはめてる指輪を、ケースバイケースで右薬指に移すことってあるのかなぁ?(わからん)でも本当のミスだとしたら、ちょっとビツクリです(;・∀・)
>この踏切についてはこれまで“あの踏切”だと思っていたので特に注意を払っていませんでしたが、小説版では“あの踏切”だと判るような描写はなかったと思います。コミック版についてはこの部分について記事を書いております(
https://nocturnetsukubane.blog.fc2.com/blog-entry-260.html )ので参照して下さい。人妻明里は振り返ることなく去っていきますが、その後歩み去る貴樹の後ろ姿を、踏切の向こうから手を振って見送っている小学生明里の姿が描かれています。
見ましたコミック版の考察全て、ボリュームすごかったです!でも踏切に関してはちょっと分かんなかったですが、水野さんの事が他の方のコメント等見ててもなんだか気になってきました。読まない方針?でしたが、コミックゲットしようかなぁ。。。
ちょうど今頃(コロナ騒動でかなり気が滅入ってます)かの踏切では、きっと秒速5センチメートルで桜の花がおちてるのでしょうね~(*‘ω‘ *)
硬いバターさん並びにオリガミさんこんにちは、いらしゃい。いつもありがとうございます。 一身上の都合で一般コメントとなっていますがご了承下さい。しばらくブログは更新できないと思いますが、コメントは即掲載されるようにしましたので、良ければ書き込んでください。 オリガミさんへ。 「現場百回」といいますが、ちゃんと当該シーンを見てからものを言わないといけませんね。反省です。太陽方向を向いたのであれば私の妄想は全く的外れでした。 左右反転のミス、あるかも知れませんね。フォトショップから起こした背景にかまけてついうっかりとか。 硬いバターさんへ。 小説版のラストを読み返しましたが、お互い踏切を渡り切ったところで振り向いて目を合わせています。しかし次の瞬間に例の無情の列車が。そして貴樹は、まだはっきりと明里であるとはわからないままで列車の通過を待ち、彼女が踏切にいてもいなくても前に進んでいこうと思います。 そこで終わっているので、小説版では列車通過後に明里が踏切にいるのかいないのか不明な状態です。映像版を見た人は「明里はいない」ことを知っていますが、小説版では明里が踏切に残っていて、そこから新たな展開が始まる…なんてことを妄想するのも一興かと。
>一身上の都合で一般コメントとなっていますがご了承下さい。しばらくブログは更新できないと思いますが、コメントは即掲載されるようにしましたので、良ければ書き込んでください。 どどど…どうしたんでしょうか?(言い難い事であればいいです) コミック版の考察を観ようと過去のブログ観てみたのですが・・・スゴイ情報量とマメな更新と秒速にまつわる妄想の充実ぶりに圧倒されましたm(__)m そんなユースフさんがその様に言われるのは動揺します。。。 >そこで終わっているので、小説版では列車通過後に明里が踏切にいるのかいないのか不明な状態です。 不明と言うのは・・・いろいろ考えてしまいますね。ユースフさんも。 いろいろと熱意をもっての丁寧なるご返答を本当にありがとうございました(もしかしたら思って)。今後もよろしくお願いいたします。ここ仙台は桜はまだですが、今年の桜はきっとまた違って見えるかもしれません。ありがとうございます!(^^)/
ユースフさん、いつもありがとうございます。硬いバターさんこんばんは。
ユースフさんへ。
いつもご丁寧なお返事を頂きありがとうございます。
何か問題が起きたのかもしれませんが、少しでも早く解決することを願っています。
管理者承認の件、お気遣い下さってありがとうございます。
お言葉に甘えて書き込ませて頂きました。
しかし必要と判断されましたら、いつでも承認制に戻して頂ければと思います。
監督が踏切で明里に左を振り向かせたのは左右を取り違えたミスではないかと思うと同時に、
あの重要なシーンでミスをするだろうか、何か意図があるのではないかとも思い、謎です。
硬いバターさんへ。
>女性って左薬指にはめてる指輪を、ケースバイケースで右薬指に移すことってあるのかなぁ
?(わからん)でも本当のミスだとしたら、ちょっとビツクリです(;・∀・)
女性が結婚指輪を右手薬指に移すことがあるか私も分からないのですが、時系列順に書くと、
ベランダでは左手薬指、
踏切に至る直前では右手薬指、
踏切で振り向いた時は左手薬指
に指輪をはめているので、
右手薬指にはめているのは、あのシーンに限って言えば、おそらくミスだろうと思います。
しかし踏切で明里を左に振り向かせたのはミスなのか、意図的なのか、まだ分かりません。
明里は私に初見では喪失感を、後には謎を残して去って行きました。
>ちょうど今頃(コロナ騒動でかなり気が滅入ってます)かの踏切では、きっと秒速5センチ
メートルで桜の花がおちてるのでしょうね~(*‘ω‘ *)
貴樹と明里が踏切ですれ違ったのは今月と同じ3月でしたね。
新型コロナ蔓延で大変ですね。
出来る対策はしますが、どうなるかは最終的には運次第でしょうか。
>ベランダでは左手薬指、 踏切に至る直前では右手薬指、 踏切で振り向いた時は左手薬指 よく観てますねぇ~( ˘ω˘)確かにそうでした! ホームに立つ女性を追いかける車内のタカキのシーンもなるほど自然じゃなかったです。 なんだろう?ミスと言えば確かに正しいとは言い難いのですが、なんだかちょっと不思議です。城の築城時に一部をあえて不完全にしたままにする・・・そんな話も聞いた事ありますが、さすがにそんな訳ないとは思いながらも、新海監督のインタビューを観て、緻密で繊細な方だなぁ~とすごく伝わるので・・・ >しかし踏切で明里を左に振り向かせたのはミスなのか、意図的なのか、まだ分かりません。明里は私に初見では喪失感を、後には謎を残して去って行きました。 そうですね・・・私の中にも多くの謎を残しています。結局こういうところがあって何度も見直してたりする私達もいるという訳で・・・こういうところも秒速病に罹患する病因のひとつなのかもしれません(ーー;) でもユースフさんとオリガミさんのおかげで、発症して時間がかかったけど治癒して免疫がついてきました(ホントか!?)
硬いバターさんおはようございます、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 > コミック版の考察を観ようと過去のブログ観てみたのですが・・・スゴイ情報量とマメな更新と秒速にまつわる妄想の充実ぶりに圧倒されましたm(__)m どこかで書きましたが、私は映像版は聖典、新海小説版は正典、コミック版は外典、加納小説版は偽典と見なしています。コミック版は作画担当の清家雪子の主観がかなり入り込んでいて、同調できない部分も多いのですが、映像版ではほんのちょっとしか登場しない水野理紗(私も初回視聴の際は明里が眼鏡をかけたのかと思っちゃいました)を詳細に描いている部分は評価できるかなと思っています。せっかく買ったのだから骨までしゃぶったろうという私の貧乏性なところもあって、ブログネタとして使ってしまいました。 > いろいろと熱意をもっての丁寧なるご返答を本当にありがとうございました(もしかしたら思って)。今後もよろしくお願いいたします。ここ仙台は桜はまだですが、今年の桜はきっとまた違って見えるかもしれません。ありがとうございます!(^^)/ こちらこそ、書き込みありがとうございます。来月再開の予定なので、またよろしくお願いします。
オリガミさんおはようございます、いらっしゃい。いつもありがとうございます。 > 監督が踏切で明里に左を振り向かせたのは左右を取り違えたミスではないかと思うと同時に、 > あの重要なシーンでミスをするだろうか、何か意図があるのではないかとも思い、謎です。 新海監督も秒速についてはたくさんの質問を受けて回答しているようですが、オリガミさんの視点からの疑問に関する質問というのはこれまで受けたことがないんじゃないでしょうか。ぜひ監督に直接回答してもらいたい疑問ですね。 > しかし踏切で明里を左に振り向かせたのはミスなのか、意図的なのか、まだ分かりません。 明里は私に初見では喪失感を、後には謎を残して去って行きました。 やはり美人にはミステリアスな部分がないと(笑)。もっとも貴樹が将来あの場面を回想して、そういえばどうして明里は左に振り向いたのだろうなんて疑問に思うことはないんでしょうね。推理小説なら十分、「日常の謎」として推理の対象になるんじゃないかと思いますが。 > 新型コロナ蔓延で大変ですね。 > 出来る対策はしますが、どうなるかは最終的には運次第でしょうか。 ドラッグストアとかにマスクが全然見あたらないのに、みんなちゃんと着用しているのが不思議です。まあマスクしてれば感染しないというものでもないんでしょうが。かつてインフルエンザが大流行とかいうことは何度もありましたが、今回のような騒ぎは私も生まれて初めてじゃないかと思います。小松左京の「復活の日」を思い出しちゃいます。MM88は純然たる細菌兵器でしたが、新型コロナウイルスについてもいろんな噂がありますね。デマに踊らされないようにしなければなりません。
ユースフさんへ。
新型コロナが蔓延しているうえに引っ越し準備でお忙しい中、お返事ありがとうございます。
>ドラッグストアとかにマスクが全然見あたらないのに、みんなちゃんと着用しているのが不思議です。まあマスクしてれば感染しないというものでもないんでしょうが。
私は新型コロナ禍が始まる前に安売りしていて大量購入しておいたマスクを使用していますが、無くなった時に店にマスクがあるのかどうかといったところです。
>かつてインフルエンザが大流行とかいうことは何度もありましたが、今回のような騒ぎは私も生まれて初めてじゃないかと思います。
私も初めてですね。
SARSや新型インフル等色々あって、いよいよ凄いのが来たなといった感じです。
世界経済もどうなるのでしょうね。
>小松左京の「復活の日」を思い出しちゃいます。MM88は純然たる細菌兵器でしたが、新型コロナウイルスについてもいろんな噂がありますね。デマに踊らされないようにしなければなりません。
コロナウイルスにより引き起こされる中東呼吸器症候群は中間宿主がヒトコブラクダだとされているのに、新型コロナはSARSにしても中間宿主がはっきりしない点は何か怪しいです。
それでは引っ越しがスムーズに進みますように。もう済んでいるかもしれませんが。
オリガミさんこんにちは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。お返事大変遅くなりましたことをお詫びします。 年度末というただでさえせわしないところに引っ越しとか新型コロナとかプライベートの問題とか色々重なって大変でしたが、なんとか生きております。しかし、今後の状況がどうなることやらさっぱりわかりませんね。どんなことにも終わりはあるでしょうが、終わり方が問題です。こんなセリフを、「復活の日」の登場キャラが言っていましたっけ・ > コロナウイルスにより引き起こされる中東呼吸器症候群は中間宿主がヒトコブラクダだとされているのに、新型コロナはSARSにしても中間宿主がはっきりしない点は何か怪しいです。 もう中国発というだけで怪しさ大爆発ですが、最近は中国が新型コロナウイルスに関連して「俺たちが世界を守る」的に各国へ支援を始めたりしていて驚きますね。本当に抑え込んでるのかなあ。言論統制と感染抑制は別モノなんですけど。 大変な状況下ですが、お互いに感染リスク低減に留意しつつ、健康を保っていく努力を続けていきましょう。