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中二病でも恋がしたい!(その3):エルシャダイ風に「そんなラストで大丈夫か?」

チャリでの逃避行
 
 本日のランキングはサラリーマン・OL部門で33位。史上2位の高さです。出だしは快調ですが、右肩下がりにならないようにしなければ。といって何ら対策はないんですが(笑)。

 先日最終回を迎えた「中二病でも恋がしたい!」。序盤と中盤で取り上げたのですが、終了後の感想がまだだったの本日取り上げたいと思います。最近のアニメはワンクールで終わるのが多いので、全部見て一回感想を書けばいいかなと思っていましたが、なんと「中二病」は3回目ですよ。実は結構好きだったりして。

 最終回まで見たわけですが、第二期制作は前提だろう、と当初から思っていたので、

① 六花が中二病から脱したかのようにみえた

② しかしそれは母や家族を心配させないために無理をしていただけ

③ 本当の自分をさらけ出していいんだという勇太の叫び

④ 六花めでたく中二病再発!!

という流れはほぼ読めていたんですが、結論から言えば「それでいいのか?」という一言に尽きます。

どこまで聞いたんだおまえは

 高校生にもなってなお「中二」病かよという抜本的なツッコミもありますが、それはひとまず置いておくとして。六花が中二病に罹患した契機は、父の突然の死を受け止められず、葬儀でも涙を流すことができない(=さよならを言うことができない)ままに、状況に流されて感情を押し殺して過ごしていた六花が、中二病真っ盛りのダークフレームマスター状態だった勇太を見て、自分の思いのままに役柄になりきって熱演する姿を目撃して憧れたことにありました。

 自分を特別な存在だと感じたり、特殊な能力があると信じたりというのは、心の片隅で誰もが一度は持った感情なのではないかと思います。神に選ばれた勇者とか、アトランティスの光の戦士の転生とか、人類を新たなステージに導く先覚者とか、宇宙でも有数の超能力者とか、たった一人で世界を支配する秘密結社と戦う孤高反逆者とか、まあ色々な“妄想”があります。もっと可愛らしいのでは、「私は両親の本当の娘ではなく、さる貴族(大富)Iの娘なのに事情があって外に出されている」みたいなものもそういう妄想の範疇だと思います。そういった空想を一度も抱かずに大人になったという人がいるのなら、それはそれで大丈夫か、空想力ないのかといいたくなるのですが、そういった妄想を心の片隅に抱えているだけでは中二病とは言いません。

中二病真っ盛りの勇太

 中二病患者と呼ばれるのは、そういった勝手な自己の妄想や思い込みを、表に出して世間に表現する点にあります。その結果、勇太や六花がそうだったように、他者とのコミュニケーション困難になってしまい、明るい男女交際とかリア充といった、誰もが憧れる“青春”から遠ざかってしまうのですが、周囲からの孤立がさらに自身の妄想展開を加速(この状況も結社の仕掛けた罠だとか魔王の謀略だとか)してしまいがちです。

 そういった状況から脱することをさらに難しくするケースは、ごく少数ながら“中二病仲間”が現れてしまうことでしょう。勇太はさんざんダークフレームマスターを演じていましたが、終始孤立していて理解者が現れなかった(現れなくていいのだけど)ため、孤独に耐えられずに中ニ病の愚かさを自覚し、高校からは明るく楽しい青春を過ごそうと誓う訳ですが、六花の場合は凸守という理解者というか同士が現れてしまい、中二病はますます加熱することになってしまいました。

そんな勇太に惚れました

 六花の中二病は、父の突然の死というトラウマを抱えて極めて抑圧的になった心や感情を解放するために不可欠だった“必要悪”であったと思います。勇太の中二病という自己表現を真似ることによって、六花の心は救済されたのです。一方、おそらく勇太や森夏、それに凸守あたりの中二病は、何らかの必然性とか理由があって発症したものではなく、まさしく中学二年生頃の思春期にありがちな自意識過剰やコンプレックスに由来するものなのでしょう。故に六花は中二病から脱するためには父の死を乗り越える必要があり、それは自分自身の力だけでは困難だったと思われます。

 中二病って、オタク趣味と類似しているところがあるなあと思います。こっそり一人でやっているとか、気のあった友人達とやっているけど、通常は社会生活を送ることが出来ているという場合は全然問題ないと思うのです。普段はOL、休日はコスプレイヤーとかっていう若くて綺麗な女性は私にとってはなかなか魅力的です。OLの部分は学生でも看護師でも弁護士でも構わないわけです。

おじいさんを食い止める三人

 問題なのは、生活の大半を自分の趣味で押し通そうとする場合で、オタク趣味の場合は自分の趣味を至高のものとして他者にも押しつける行為、中二病の場合は自己設定の世界観を他者にも強制しようとする場合が挙げられるでしょう。相手を選んでのことならまだしも、誰彼構わず無差別にこれを行うことは、その人間の社会からの隔絶を生じさせることでしょう。

 まず就職はできませんね。就職は大抵面接があるからです。入試は面接がなければ成績さえ良ければセーフにも思えますが、それ以前に担任の教師の心証とかはいかがなものでしょうか?TPOへの配慮とかオンオフの切り替えができない中二病やオタク趣味は、社会生活を安定的に営む上では相当な障害となるでしょう。

京アニは夜空と星とか光の描写が好きですね

 この辺りで「中二病でも恋をしたい!」の本編に戻りますが、同居することになった母に心配をかけるべきではないとして一旦は中二病を卒業した六花。“他者への配慮”ができるようになるというのは大きな成長といえるでしょう。しかし、この時点ではなお父の死を乗り越えていないので、六花は父の死の直後のような“感情押し殺しモード”になっています。また、敬愛する憧れの勇太から中二病を止めろと言われたためともいえ、他者から強いられた成長ということもできます。

 ラスト、中二病卒業を強制したことが過ちだったと気付いた勇太と共に、六花は再び中二病を再発させます。自分の思うとおりに生きることを選択したといえるでしょう。第二期を制作する以上、六花が中二病を卒業してしまってはまずいので、このラストは仕方ないとも言えますが、やはり私は言いたいのです。「本当にそれでいいのか?」と。

中二病的視点で

 以前の六花に戻るだけでは、勇太や凸守など一部の理解者・仲間以外とはまたコミュニケーションが困難になります。また母や祖父母らに心配をかけたくないという気持ちはどこにいったのでしょうか。家族に心配をかけてでも己を貫くという意志は、一見格好いいけど極めてはた迷惑です。自分から友達になろうと言ったクラスメイトは置いてけぼりですか?

 六花は中二病のままでもいいのです。ただし、それは先ほど述べたとおり、TPOへの配慮とかオンオフの切り替えができるものでなければなりません。要するに家族の前や学校、一般社会では中二病をオフにして、自室とか、例の「極東魔術昼寝結社の夏」の部室に行ったら中二病オンにして思うがままに弾ければいいのです。世の中と折り合いを付けるということはそういうことではないでしょうか?「思いのままに生きる」という願いと「家族に心配をかけたくない」という配慮。これはどちらか一方を選択しなければならないのではなく、止揚(アウフヘーベン)して「普段の生活は平穏に過ごし、仲間内では思いっきりはっちゃける」という行動様式を取るべきではないのでしょうか?うーん、ヘーゲル。

街の灯りが二人を照らす

 「赤毛のアン」ことアン・シャーリィは幼少期から孤児になって、マシュウとマリラの兄妹に出逢うまで非常な苦労をしてきました。アンはのんな逆境続きの生活を、空想で凌いできたのですが、アンの空想と中二病というのは非常に類似していると思います。辛い人生を何とか乗り越えていくためのツールとして活用するのなら、空想でも中二病でも自分に必要だと思われるものは何でも取り入れたらいい。ただ、それに飲み込まれてそれだけになってしまうと、社会から隔絶して孤立してしまい、人生はより一層辛いものになってしまうので、加減というものを習得していかなければならないのです。

 アンはカスパート兄妹に引き取られてからも12,3歳頃までは様々な空想を語ってはマリラをあきれさせていました(徐々にそれを聞くのが楽しみになっていましたが)が、周囲との折り合いが上手くいき、社会生活を順調に送ることになれたミドルティーン以降はまったく空想を口にしなくなりました。アンに言わせれば自分の心の中でそっと抱いていたくなったのだそうです、アンの中二病とも言える空想癖は、アンの人生においてはその使命を終えたのです。

お父さんに言えなかったさよならを

 六花も最終回では父の死を乗り越えたように見えます。今後再発した中二病を発露していくにせよ、いずれは卒業する日が来るのでしょう。アニメ展開的には抱腹絶倒な中二病ぶりを炸裂させなければいけないのでしょうが、リアルな中二病患者達の参考になるような「ソフトランディング」をちゃんと考えて欲しいなと思います。その後大人になってファンタジー作家になる六花とかね。

葬儀で流せなかった涙が今

 小難しい話はこれくらいにして、それはそうと中二病を卒業した凸守は可愛いなあ。学校の成績はトップクラスだし、家庭はとっても裕福そうだし、何が不満で中二病になったのやら。

「更生」した?凸守

 一方、「二代目邪王真眼」を継承したくみん。まさかの高二の中二病デビュー(笑)。勇太に六花が「邪王真眼」を宿すに至った経緯を伝えるために行った仮初めの役柄だったのか、本当に発症したのか。やたら似合うのは間違いないですね。

覚醒したくみん

 第二期では真の邪王真眼の座をめぐってバトルでもするのでしょうか。父親の海外赴任に付いて行った関係で、小中学校には通わず家庭教師を付けていたということなので、案外中二病の素質はありそうですが。謎なのは、六花がどうしてくみんにあそこまで自分の心情を伝えていたのかということです。他に適当な人がいなかったから?一応上級生だから頼りにしていた?邪王真眼の継承者としての素質を見抜いた?別に「継承」の必然性はないのですが(笑)。

やたらに似合う「二代目邪王真眼」くみん

 すっかり中二病を過去の病歴にしている森夏は、本当に普通にいい人になっていますね。この人の場合は上から目線で自己中的な本性を隠して表向き温厚で物腰の柔らかい態度示すようになっていますが、中二病を毛嫌いする割に「極東魔術昼寝結社の夏」にはよく顔を出しているあたり、本性をさらけ出して発散する場として活用しているみたいですね。その本性を見せると男は寄って来なくなるのですが…勇太や誠は眼中にないということでしょうか。

森夏の援護射撃

 形式は人ぞれぞれとはいえ、本当の自分をさらけ出しても構わない「場」があるとすれば幸せなことです。そういう「場」の形もひとぞれぞれでしょうが、上手く活用してなんとかかんとか社会と折り合いを付けて生きていきましょう。社会とか世間は世知辛いものですが、それから完全に離れては人間は生きていけませんし。

 夏目漱石の草枕の冒頭の有名な一節。

再発!中二病!!

 “智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。”

 そういうわけで六花、不可視境界線の彼方に楽園がないことだけは確かだよ。

勇太に飛び込む六花

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