小説:パラダイム・シフト(中編)
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それでは拙作「パラダイム・シフト」の中編をどうぞ。
パラダイム・シフト(中編)
4
突如、彼女の横に液晶テレビのようなスクリーンが浮かび上がる。
「いい?困っている人を助けたら感謝されて金品を貰った。憎くてたまらない人を計略で陥れたら絶望して自殺した。」
スクリーンには彼女の言った例がドラマのように表現される。
「こういう場合、私は善行だろうと悪行だろうと一切介入しません。行動と結果がマッチしているから。たとえ核戦争で何億何十億の人が死のうと、戦争するんだ、敵を滅ぼすんだ、勝つんだというような意志の下で行われるものなら、これも放置ね。」
「それはちょっとひどい。君は人間を導くことすらしないのかい?」
「言いたいことは判るわ。でも私の意思や行動を人間が理解することはできないでしょう。だから弁解も説明もしないわ。」
人智を超越したものを人智で理解することはできないということか。悔しいが、彼女を前にするとそれが正しいことが痛いほど判ってしまう。僕は反論を諦める。
「それで…、君の説明と僕がどういう関係に?」
「些事に執着しない姿勢は賢明ね。それじゃ説明を続けさせて貰うわ。」
悔しいが彼女に褒められると嬉しくてたまらない。神の祝福とかってのはこういうものなのだろうか。
彼女の横で画面が切り替わり、青い矢印が現れる。
「右に行こうとして右に行く。これは問題ない。右に行こうとしたけど実際には全く動けなかった。これもまあよくある話。でも…」
もうひとつ、逆向きの赤い矢印が現れる。
「右に行こうとしたのになぜかど左に行ってしまう。こういうの現象が問題なの。」
彼女は何を言っているのだろう?
「先生、あなたは彼女達の幸福を願うが故に、彼女達の望みを拒絶し、あなた自身の欲望を抑圧してきました。あなたのその願望が切実で一切の嘘を含まないことは確かです。ですが…」
再びマニュアル口調になった彼女の美しい顔に憂いに沈む。
「あなたのその願望の結果、彼女達が一層不幸になっていると言ったらどう思いますか?」
僕は愕然とした。ぽかんと口を開けていたかも知れない。
「そ、それは…どういうこと?訳がわからないな。」
「そうね。では実例をお見せしましょう。」
5
スクリーンにはがっくりと肩を落とし、うなだれて暗い廊下を歩き去って行く女生徒の後姿が映っている。仕方がなかっとはいえ、傍目にも痛ましい。
「あなたは彼女―夏目千鶴の幸せを真に祈って彼女を拒絶した。ところがそれがどういう事態を招いたかと言う と…」
暗がり。叢に押し倒される少女。その上に襲いかかる革ジャンの男。
「彼女、以前から不良に付き纏わられていたようね。夜遅くに一人で下校するなんて、彼にとっては好機そのものとなったのでしょう…」
驚愕と恐怖に目を見開く女生徒。大きな悲鳴をあげようとする彼女の唇を男が奪う。くぐもる悲鳴。必死に抵抗しようとする女生徒の両手を左手一本で易々と封じると、男の右手が膝を割り、スカートの中に侵入していく。
僕は大慌てで立ち上がる。
「彼女はどこにいる!助けなきゃ!!」
しかし目の前の美少女は悲しげに首を振った。
「もう遅いわ。これは2時間位前の出来事なの。」
「そんな!どうして助けてあげないんだ!いや、せめて僕にすぐに知らせてくれていたら!」
そうしているうちにも事態は進んでいく。男が一気に腰を前に進めた。地面に押さえつけられた女生徒の背が弓のようにしなり、激痛を伴った悲鳴を上げる。それを意にも介さず、男は彼女の上で淫らに蠢き始める。彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「…さっきも言ったとおり、基本的に私は世界に介入しないの。あの男は彼女に邪な想いを抱き続け、こうしてチャンスを掴んで欲望を満たそうとしている。意志と行動の因果関係は極めて適切。だから…」
制服を無残に引き裂かれ、壊れた人形のように横たわる彼女。男はせわしなく腰を動かしながら、身体を倒していき、肩を抱き、まるで彼女の裸身と一つになろうとするかのように密着する。彼女の清らかな首筋を男の舌が這う。
「私は彼を妨害することはできない。彼女を救うこともできない。彼らは共に自らの意志で行動した結果、こういう事態に至っている。」
「しかし…!しかし、それにしたって何か手段がないのか!こんなのは酷い。酷すぎる。」
男が女生徒の耳に何かを囁いている。お節介にもスクリーンからはその声までが再生される。
「へへへ…ち・づ・るぅ…俺はずっと前からお前を狙ってたんぜ…。いいぞぉ、千鶴。たまらねぇぜ。くくっ…。これでお前はもう俺の女だ。一生離れないからなぁ。逃げようとしたらぶっ殺す!」
男のおぞましい囁きを聞くまいとする激しく首を振る女生徒。しかし男は執拗に分厚い唇を形の良い耳に寄せていく。
「いくぞっ…千鶴ぅ……っ!」
身に迫まる危険にたまらず女生徒が悲鳴を上げる。
「い…いやあっ!許してっ!」
「ち、千鶴…千鶴ぅ…おおお…!。」
「先生っ…先生、助けてっ!お願いっ!」
「千鶴っ!千鶴ぅ…っ!!」
野獣のような男は絞り出すような唸り声を上げ、背を大きく仰け反らすと汚らわしい情欲のしぶきを夥しく放った。
「!!……いやあああぁぁっ!」
あまりの汚辱感。女生徒は男の身体の下で、顔を仰け反らせて泣き叫ぶ。
男は執拗に蠢いた後、がっくりと美少女の身体の上に覆いかぶさる。女生徒の悲鳴は嗚咽に変わっていた。
「…先生…先生、ごめんなさい…」
6
僕は机につっぷして号泣した。
「何てことだ!一人で帰すべきじゃなかったのに!どうして送ってやらなかったんだ!」
額を机に何度も打ち付ける。体中の血が逆流するかのような怒り。僕はあいつを…いや、僕自身を許せない。
「およしなさいな。そんなことをしてもどうにもならないわ。」
僕はがばっと顔を上げ、彼女に懇願する。
「僕を、僕を罰してくれ!彼女が助かるのならどんな罰でも受ける!」
表情をなくした彼女が氷のように冷たい声で答える。
「私は誰も罰しない。ただ、これから伝えることは、あなたには罰のように思えるかも知れない。」
僕はぎくっと身体の動きを止める。まだ、まだ何かあるのか?彼女はまるでロボットのように抑揚のない声で告げる
「これは初めてのケースではない。あなたに告白し、拒絶された女生徒達は、形態は様々ながら、悉く大きな不幸に陥っている。あなたの願いと裏腹に。」
「な、な…」
驚愕で口が回らない。喉がからからだ。どんなに喘いでも酸素が肺に入っていかない。
「その他にも…あなたの妻は結婚前まで三代前の校長の不倫相手だった。関係を清算するためにあなたは押し付けられた。でも、あなたと結婚後も不倫関係は継続した。二人の子供の父親はあなたではない。」
血の気が音を立てて引くようだ。今の僕の顔は青いのか白いのか。身体が揺れる。なぜ立っていられるのだろう。
「あなたは全身全霊で妻子を愛してきた。それが判っているあなたの妻は、良心の呵責に耐えられず、精神を崩壊させつつある。心当たりがあるはず。」
ある。些細なことでヒステリックにわめきちらし、食器や家具を破壊し、子供達に当たりちらす妻。僕の愛情が足りないせいかと、そのたびに誠心誠意愛情を示してきたつもりだったが…。
「そう、あなたが妻の平穏と幸福を願えば願うほど、妻の精神は絶望的に病んでいく。」
能面のようだった彼女の表情に悲しみが浮かぶ。
「あなたはずっとそうだった。人の幸福を願い続けているのに、不幸な結果を招く結果となる。そして今回、もはやそれを座視することはできなくなったの。」
彼女の声が神々しく響く。
「加藤誠…あなたもこの世界の住人である以上、本来私が介入することは許されません。ですが、あなたの“想い”と“結果”のあまりに膨大な乖離は、世界に重大な影響を及ぼしつつあります。先ほどの夏目千鶴の一件で、それは危機的段階に至りました。このままでは…」
彼女は僕に歩み寄り、息のかかるほどの距離から僕の目を見上げる。
「あなたの“想い”と“結果”の相反するベクトルの積み重ねにより、この世界は今引き裂かれつつあります。もうすぐ世界そのものが崩壊するでしょう。それを防ぐため、私は介入を決意して顕現したのです。」
至近距離から神々しい彼女の美貌を見つめて僕は息を飲む。
「い、一体…僕は、どうしたら…」
突如彼女は僕にしなだれかかった。柔らかくかぐわしい身体のぬくもりを。その白く細い両手は僕の背中に回された。
「あなた自身に責任がないことははっきりしていますが、世界は救わねばなりません。故に、これより補正措置を講じます。」
僕を見上げる彼女の表情はどうしようもなく魅惑的だった。潤んだ瞳には僕を求める欲情がはっきりと浮かんでいた。
「加藤誠。私を抱きなさい。あなたが抑圧し続けてきた欲望を全て解き放ち、あなたの本能の赴くまま、私を好きにして下さい…」
何かが僕の中で吹き飛んだ。自分自身で気がつかなかった名状しがたき感情が心の奥底から一気に這い出してくる。
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