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河童が覗いたヨーロッパ:50年前の欧州貧乏旅日記

台風進路

 お盆を直撃しそうな台風7号。新幹線が止まりそうとかいう話で、のんびり帰省中の人たちは気が休まらないかも知れません。東北は暑さのピークは過ぎたのかなと思っていたら、この台風の通過で発生するフェーン現象でまた暑くなりそうです。

河童の覗いたヨーロッパ

 本日は本の感想で、妹尾河童の「河童が覗いたヨーロッパ」です。例によって文庫版裏表紙の内容紹介から。

 旅の愉しみは、その土地に行ってみなければ分らないものとのふれあいにある。風土による人の違いはもちろんのこと、あらゆることが興味をさそう……。1年間で歩いた国は22カ国。泊った部屋は115室。国際列車の車掌たちのお国ぶりは?泊り歩いたホテルの部屋は?ビデってなんだ?舞台美術家の著者が、心優しい眼と旺盛なる好奇心で、ノート片手に覗いた“手描き"のヨーロッパ。

 著者の妹尾河童は本名肇で、1930年生れで現在93歳。さすがに高齢なので最近の動静は伝わっていませんが、グラフィックデザイナー・舞台美術家として名をはせ、草創期のフジテレビの番組美術を支え、1980年にフリーとなってエッセイスト・小説家としても活躍しました。

少年H

 97年に出版した、自身の少年時代を描いた「少年H」は上下巻を合わせて300万部以上の大ベストセラーになってテレビドラマ化や映画化されました。Hは本名である肇のイニシャルな訳ですね。ではなぜ河童というけったいな名前を付けたのかというと、若い頃に付けられた「河童」というあだ名が異常に浸透してしまって本名を思い出してもらえなくなり、「妹尾河童」でないと生活にも支障が出るほどになったのだとか。

文庫版少年H

 それで家裁に改名を請求したところ、「改名というのは珍奇な名前で苦しんでいる人を救済するためにあり、普通の名前から珍妙な名前に改名というのは前例がない」と却下されましたが、食い下がって上申書を提出して認められたのだそうです。

間違いだらけの少年H

 なお「少年H」については「自らの記憶と体験を元に書いた作品である」と主張していますが、児童文学作家の山中恒は作品内の事実誤認や歴史的齟齬を数多く指摘し、“「少年H」は自伝でもなんでもなく、戦後的な価値観や思想に基づいて初めから結論ありきで描かれた作品である”と批判しています。山中恒は妹尾河童と同時代の人で、少年時代に“皇民化教育”を受け、戦後はその反動で反戦・平和活動に注力するようになりました。「少年H」は反戦平和を訴えることを主眼とした内容のようですが、山中からすると、当時の少年たちが「少国民」として戦争の大義を信じていた事実を隠蔽し、自身を戦争に疑問を抱く少年として描いたことは許せなかったようです。

映画版少年H

 この山中の批判に対し、妹尾河童は一切の反論せず、「少年H」の文庫化に際しては、指摘された部分を中心に何箇所もの訂正や変更、削除などを行っているようです。また映画化に際しては、監督の降旗康男は、他の資料とともに山中の「間違いだらけの少年H」も参照し、直すべき個所は直したとそうです。

文化庁

 本題から大きく外れていまったので閑話休題。「河童が覗いたヨーロッパ」は、1971年に、文化庁が行っている新進芸術家の海外研修で1年間の海外の劇場を視察研修するために派遣された際の記録です。この研修制度は今も続いていて、昨年末までに約3,700名が研修を受けており、ピアノの諏訪内晶子、バレエの森下愛子、劇作家の野田秀樹なども参加しています。研修期間は長期(1~3年)か短期(20日~80日)のコースがあるようですが、妹尾河童は長期では一番短い1年のコースだった訳ですね。まあ働いている人間からすると1年でも相当長いですが、フジテレビは社員待遇のまま快く送り出してくれたそうです。この頃のフジテレビは余裕があったんですね。

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 で、旅の途中で様々な気づきを書き留め、スケッチしたノートが知人達の目に留まり、面白がられて勝手に小冊子を作られたりしたあげく、一冊の本にまとめてはと提案されたのだそうです。本人はそのつもりで描いていたわけではなかったのでかなり抵抗したそうですが、結局はこのように出版の運びに。

JALパック誕生

 海外渡航自由化が実現したのは1964年。海外パッケージツアー「JALパック」が誕生したのが1965年。それ以降、次第に物見遊山の海外旅行が広がり始めたそうですが、海外旅行は費用も高額で、行けるのは一部の富裕層に限られ、一般大衆には夢であったことでしょう。海外渡航者数が100万人を突破したのが1972年で、海外旅行ツアーが都市圏の中流層に一般化し始めたのは1970年代後半からだったそうです。

 戦後長らく1ドル=360円だった通貨レートは1971年12月に1ドル=308円になり、さらに変動相場制に移行して円高や旅行費用の低下が進むと共に飛行機も大型化して新婚旅行が海外になるのが一般的になっていく、その直前の時代のヨーロッパ旅行の話が本書です。何しろ50年前の話なので、トピック的には「今更そんなことを…」とツッコミたくなる話(ビデとか)もありますが、そういう時代だったということを頭に入れておけばと。

 序盤は各国の窓の大きさに関する話(気候により大きくなったり小さくなったり、窓に求める機能が変わる)、各国の車掌さんのスタイル、列車の内部(馬車時代に由来するコンパートメントスタイルが日本とは大きく異なるので)のスケッチなどがありますが、本書の大半を占めるのは、著者が泊まったホテルの部屋の間取りです。

地球の歩き方

 なにしろ貧乏旅行なのでとにかく安い部屋を探して泊まっており、南は安く北は高い(その傾向は今もあるかも)とか屋根裏部屋はいいとか、かつて「地球の歩き方」を片手に海外を出歩いていた若者達には大いに参考になりそうですが、とにかく昔の話なので今行って同じホテルがあるかどうかはかなり怪しいですが、こんな時代もあったのだという記録としては非常に面白く読めます。読むと行ってもスケッチが多いので眺めるといった方が正しいのかも知れませんが。

 実はこの本、買うのは2回目で、1回目に買ったのは20数年前の海外勤務時代でした。そのまま現地に置いてきたので後任の人も読んだかも知れません。そのままずっと忘れていたのですが、先日たまたま書店で目にしてしまい、懐かしさのあまり再度購入。私が買ったのは二回とも新潮文庫版でしたが、講談社文庫からも出ています。

クロイツェンシュタイン城

 講談社文庫版で表紙になっているウィーン郊外のクロイツェンシュタイン城。実は本書を読んで行ってみたくなって行きましたっけ。著者は「城を一つあげよう」と言われたらこの城を選ぶと言っています。確かに小さいのにヨーロッパの古城のイメージが全部入ったような城でした。本来は12世紀に築かれた正真正銘の古城でしたが17世紀にほぼ完全に破壊され、現在の城は19世紀後半になって再建されたもので、かつての外観とは異なり、当時流行のロマン・ゴシック様式で建てられているそうです。

シュノンソー城

 城といえばシュノンソー城とかシャンボール城といったロワール川沿いの城も紹介されており、私も帰国直前にパリで「ロワールの城めぐり」ツアーに参加しましたっけ。場所は全然違うけどモンサンミシェルも行きましたが、著者はそれほど惹かれなかった様子。

シャンボール城

 あと不思議にフランスのヴェルサイユ宮殿とかルーブル美術館、オーストリアのシェーンブルン宮殿とかには全く触れられていませんね。城は好きだけど宮殿は好きじゃないのでしょうか。あと50年前も今も建造中のサグラダファミリアとかミラノ大聖堂は紹介されていますが、焼けちゃったノートルダム大聖堂とか有名な寺院も軒並みすっぽかしています。興味の方向性とかもあるんでしょうけど。

 とにかく作者は好奇心の塊のような人で、ツッコみまくったその内容を読むのはとても面白いのですが、一緒に旅をしたいかと言われるとちょっと…。きっちりした予定を立てても全然スケジュールどおりに動いてくれなさそう。知り合いレベルならいいけど家族とかにいたらかなり鬱陶しいんじゃないだろうかと思ってしまいます。
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