仙台に引っ越しました:杜の都へやってきました

皆さんこんにちは。一ヶ月ぶりですが、お元気でしょうか。私はなんとかやってます。この4月に転勤のため高松を離れ、仙台に引っ越してきました。直線距離は大したことはないのですが、高松が小さいせいか飛行機は直行便がなく、山陽新幹線と東北新幹線を乗り継いで移動しました。


飛行機で東京まで行くことはできるのですが、そこからは新幹線に乗るしかなく、羽田からの乗り換えが面倒くさいのと、そもそも飛行機が好きではないので、なんちゃって乗り鉄的には本望な移動でしたが、腰が(笑)。それにしてもJR東日本の新幹線は乗り慣れていないので新鮮な感じがします。大阪時代や高松時代はいつも東海道・山陽新幹線(たまに九州新幹線)だったので。

引っ越しがあったにしても一ヶ月も音沙汰がないのはおかしいだろうとツッコまれそうですが、それには深い理由があるのです。忘れもしない春分の日の3月21日に、PCが突然逝ってしまいまして。電源は入ってもWindowsが走らずBIOS画面だけという異常事態に、大枚はたいてリカバリーディスクを買って初期化を試みたのですが、それもうまくいかず。

とっとと修理に出すのが良いのはわかっていましたが、ちょうど引っ越しでごたつく中でもあり、修理に出した住所と戻ってくる住所が全然違うというのもいろいろと不都合が多く、結局引っ越してから修理に出すことになりました。

結果、予想通りHDDの故障でHDDの交換&初期化が必要ということだったので、5年使ったこともあり、修理をあきらめて新型PCを買うことにしました。ようやく新型が届いてなんとかセットアップが終了したという次第です。

思えば初めて買ったPCは富士通の重ラップトップ。次はスタイリッシュな東芝のラップトップでしたが、故障がちだったのとアフターケアの態度が悪かったので二度と買うものかと思って老舗のNECのディスプレイ一体型PCに乗り換え、そのまま三代を重ねていたのですが…今回突然死されたことでメーカー変更を決断し、再び富士通に戻ってきました。さらばNEC。性能的には文句はありませんでしたが、データを引き継げない形での突然死は容認できませんでした。

一応筑波嶺から高松に引っ越す際に、USBメモリにバックアップしていた3年前のデータは残っていたので一部は復旧しましたが、大半は記憶の海の彼方にサヨウナラ。無印ルパン三世のEDじゃありませんが、“この手の中に 抱かれたものは すべて消えゆく 運命なのさ”と諦めました。お金もそうですが、PCのデータもあの世にまでは持って行けませんしね。


今回はエアコンも買う必要があったので、PCは先代より安いものとなりました。先代が私にはオーバースペックだった気もしますが、引っ越しはとにかくお金がかかりますね。引っ越し貧乏とはよく言ったもの。ウン十万円が消し飛んでいったので、夏のボーナスまでは節約生活です。

で、仙台生活ですが、どうやら慣れつつあるという感じです。歩いて通勤できた高松と違って、地下鉄に乗っていますが、東京なんかと違って空いているし、乗車時間も短いので、大したことはありません。が、問題なのは社宅周辺にスーパーマーケットがないこと。一番近いスーパーでも歩いて20分以上かかります。自転車という手も考えましたが、上り下りの坂道が多くて役に立たず。軽いものは買って帰れますが、問題は米。最初に自転車で米を買って帰ったのですが、二度とやりたくない散々な旅路でした。いよいよネットスーパーを活用する時が来たのかも知れません。

ということで、スーパーが遠いとか上の階のガキがいつも室内で暴れていてうるさいとか、ベランダの物干しがやたら低くて腰に来るとか色々ありますが、きっと次第に慣れていくことでしょう。なにより仙台は筑波嶺にずっと近いので、家にも帰りやすいです。

しかし、プライベートで一ヶ月PCを触らず、ブログも更新していなかったので、リハビリが必要な感じです。もしかすると今後は不定期更新になるかも知れません。このブログももうすぐ11周年ということで、最近はマンネリというか惰性でやっていた感じもあるので、区切りをつけるのもいいのかも知れませんね。

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