北九州市・下関紀行(その1):小倉と門司港

春の日差しがまばゆいばかりの日曜日。これで花粉さえ飛んでなければ…。それはともかく、卒業にふさわしい日和といえましょう。かつて斉藤由貴と菊池桃子が同時期に「卒業」というタイトル被りの歌をリリースした年がありました。なお尾崎豊と倉沢敦美も同時期に「卒業」という曲をリリースしたので、春の「卒業」戦争とでもいった感じでした。

一番売れたのは菊池桃子で次は斉藤由貴でしたが、菊池桃子の曲(正確には「卒業-GRADUATION-」)は作詞秋元康、斉藤由貴の曲は作詞松本隆でした。こういっては何ですが、両者の才能の差がはっきりわかる歌詞でしたね。いやどっちがどうとか言うのも野暮な話ですが…

本日は先日行ってきた北九州市・下関紀行についてです。北九州・下関と言いたい所なんですが、単に北九州というと九州北部が全部入ってしまうような感じで。小倉市とかで良かったんじゃないですかね。事前に行きたかったのは下関だったのですが、最寄りの新下関駅はのぞみが停まらないという。あと行きたいのは下関駅なんですが、Yahoo!の路線情報で検索すると、小倉駅までのぞみで行って在来線で戻ってくる方が早いという判定でした。

で、せっかく小倉駅で降りるのなら、これまで博多の一駅前といったイメージしか無かったものの、見所もないではないということで、一日目は小倉や門司港を観光し、下関で泊まって二日目は下関観光をしようということにあいなりました。

まず向かったのは小倉城。その途中に旦過市場もありましたが、休日だったせいか北九州の台所と言われる割りに、ぱっとしなかったので、早々に退散しました。

小倉城は毛利氏の城でしたが、江戸時代初期に細川忠興が改築し、城下町も整備。細川氏が肥後に移封後は譜代大名の小笠原氏が幕末まで居城としました。天保年間に火事で天守や本丸御殿を焼失し、幕末には城そのものを焼却。明治以降は陸軍歩兵第12師団司令部になっていました。今ある天守は外観復興したものです。

手前には松本清張記念館が。松本清張は小倉出身だそうですが、自身では広島市で生まれたと話していたとか。ただ少年時代以降は小倉で定住していたので、一番縁がある町であることは間違いないでしょう。

旧陸軍歩兵第12師団司令部だったからか、大砲がありました。四年式十五糎榴弾砲。第一次世界大戦前の大正4年制式で、射程の短い旧式砲でしたが、貴重な重砲として第二次世界大戦の終結まで運用され続けたとか。

煉瓦造りの第12師団司令部の正門。明治8年に歩兵第14聯隊が設置されたのを皮切りに、第12旅団→第12師団と増強され、本丸跡に司令部庁舎があったそうですが、大正14年、軍縮により司令部は久留米に移転したそうなので、あまり長く使われた訳ではないようです。

西側から見た4重5階の大天守。鉄筋コンクリート構造によって復興されたもので、6千万円の費用を掛けて1959年に完成しました。建設資金を提供した地元商工会の要望により、大入母屋破風や千鳥破風・唐破風などの破風が追加されているため、外観は史実と大きく異なるそうです。

天守最上階の5階から東側を見たところ。小倉城庭園が見えます。

天守を出て庭園に向かいます。途中、何やら法要が行われていましたが、主催は某新興宗教団体のようだったので、君子危うきに近寄らず(君子じゃないけど)。

東側からみた小倉城天守。掘りまで下がった石垣が見事ですね。

小倉城庭園入り口。細川氏の後を受けた小笠原氏時代には、和歌や茶道などを楽しむ下屋敷だったそうですが、幕末に焼失。なお小笠原氏は、全国の小笠原一族の総領家であり、「小笠原流礼法」の宗家として知られる旗本の小笠原家もその一族だそうです。

庭園から書院を見ています。庭園と言ってもかなり小さいですね。お金持ちのお庭程度といった感じでしょうか。大名の庭園ならばもっとこう…兼六園とか後楽園とか栗林公園とか。

一応庭園らしい風情でしょうか。一応「池泉回遊式」庭園となっており、池面が周囲よりかなり低くなっているのが特徴。「のぞき池」と言われるそうです。しかしすぐ外側にビルが迫っていてやはり小ささは否めませんね。

書院から庭園を見てみました。庭に比べて池の面積がやたらに大きく感じます。

城内にある八坂神社。北九州市およびその周辺地域において、もっとも多くの参拝客でにぎわう神社だそうです。

小倉駅に戻って在来線で門司港駅へ。関門トンネルが開通するまでは九州の鉄道の玄関口で、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わいました。この素敵な駅舎は重要文化財に指定されています。日本経済新聞が2007年に行った「足を延ばして訪れて見たい駅」のアンケートで第1位だったそうです。

関門海峡とその上を跨ぐ関門橋。橋の長さは1068メートル。長いっちゃ長いですが、瀬戸大橋なんかに比べればやはり短いですね。一本だけで繋がってるし、やはり関門海峡は狭い。

門司港側から見た下関市。一際高いのは「海峡ゆめタワー」。西日本で最も高い塔で、高さ153メートル。

門司港周辺にはレトロな建物が多く、門司港レトロと呼ばれています。その一つ、八角形の塔屋が目を引くのは旧大阪商船。大正6年に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。かつて門司港からは台湾、中国、インド、欧州へ向け、月に60隻もの客船が出航していたそうです。往時の面影を感じさせますね。

跳ね橋の「ブルーウイングもじ」。折しも橋が上がっていました。おかげでレトロ建築がある向こう側に行けない(笑)。全長108メートルで日本最大級の歩行者専用跳ね橋だそうで、1日6回、60度の角度で跳ね上がるそうです。橋が戻って最初に渡ったカップルは一生結ばれるということで「恋人の聖地」にもなっているとか。そんなオカルト信じません!

跳ね橋の下をゆく遊覧船。どう見ても跳ね上げずに通過できそうな大きさですが。

門司港の名物は焼きカレーだそうです。ハンバーグ焼きカレーを食べてみました。焼きカレーは函館のラッキーピエロで食べて以来なので、7~8年ぶりでした。

一緒に頼んだサクラビール。大正時代のビールで、門司から国内外に出荷されたとか。味はまあ…普通のビールでしたね。

当初は小倉駅に戻って下関駅に向かうつもりでしたが、門司港から下関の唐戸を結ぶ関門連絡船がありました。所要時間はたった5分で片道400円ということなので、こっちに乗ることにします。

到着した唐戸から見た門司港。高いビルは門司港レトロハイマート。タワーマンションで、最上部は展望台になっているそうです。

宿は恒例のドーミーイン。関門の湯だそうです。ここは“PREMIUM”と付いていて、観光ニーズに対応し、ツイン・和洋室などが充実しているそうですが、泊まった印象は普通のドーミーインと同じでしたね。

宿の近くにあったハローデイというスーパーで惣菜を購入。今回、実は正月に飲み残した白州をペットボトルに詰め替えて持って来たので、酒は買いません。ウィルキンソンの炭酸だけ買いました。なんでハイボールはこう美味いんでしょうかね…グビグビ飲んでバタンキューでした。ドーミーイン名物夜鳴きラーメンを食べ損ねてしまいました。二日目は次回。
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