謎の仏生山を行く:法然寺と平池

値上げの秋と言われてますが、実際スーパーでもコンビニでもいろんな商品が微妙に値上げしていますね。所得は全然増えていないのでまいっちんぐです。ウクライナ問題や円安も影響しているのでしょうが、困ったものです。日本経済的には円安を利用した海外からの観光客の落とす金に期待といったところでしょうが、一緒にコロナウイルスを振り撒かなきゃいいですが。ジャパンマネーとかエコノミックアニマルといった言葉が本当に今は昔。

本日も「どっきん四国」。今回は紛れもない四国ネタをやりましょう。といっても近すぎるんですが、高松市内です。地図を見ていて謎の地名「仏生山」を発見しました。仏が生まれる山?これはあれか、キリストの墓が青森にある的なオカルトネタで、釈迦が生まれたのは実は高松だったというヤツなのか?

仏生山はかつては香川郡仏生山町で、1956年に高松市と合併しました。この変わった名前の由来は、町内にある法然寺という寺に由来します。江戸時代初期、香川県の前身である讃岐国は生駒氏が所有していましたが、1640年にお家騒動により改易されてしまいます。その後、讃岐国は二分され、西讃は山崎氏、後を継いで京極氏が丸亀城を本城として治め(丸亀藩)、東讃は松平頼重が高松城を本城として治めることになりました(高松藩)。

この松平頼重、かの有名な徳川光圀の実兄(しかも同母兄)なのですが、将軍家光へのお目見えが遅れたために次男扱いされてしまいました。そもそもパパンの頼房が、頼重懐妊を聞いた際に、将軍家や尾張家・紀伊家にまだ嫡男が誕生していないことを憚り、堕胎を命じたそうで、家老の計らいで密かに出産・養育していたそうです。これは光圀も同様だったのですが、パパンへのお目見えが光圀の方が早くなってしまったことが、二人の運命を分けました。

兄を差し置いて水戸徳川家の世子となったことは、光圀に複雑な気持ちを持たせたとされ、彼は若い頃は派手な格好で不良仲間(旗本奴)と出歩いたり、かなりの狼藉を働いたりしたようです。後に光圀は自身の長男を頼重の養子とし、頼重の長男を自身の養子とします。この養子が早世してしまったので、光圀はさらに頼重の次男を養子に迎えています。つまり光圀直系の子孫は高松藩主となり、頼重直系の子孫が水戸藩主となったわけで、光圀としてはこれで“ねじれ”を解消したとの思いがあったのでしょう。

で、高松入りした頼重は、1668年に松平家の菩提寺として法然寺を建立します。そこには鎌倉前期に建てられた生福寺という寺があったので、復興という形になりますが、その際、仏舎利が出てきたことから、山号を「仏生山」と名付けたということです。法然寺の正式名は、仏生山来仰院法然寺。その門前町となったので、町の名前も仏生山町になりました。

なお、法然寺の名前の由来ですが、浄土宗の開祖である法然にちなんでいます。専修念仏をモットーとする新興の浄土宗は、比叡山延暦寺など既存宗派と対立することとなり、後鳥羽上皇の命で讃岐に流罪となりました。その際、法然が立ち寄った場所に建てられたのが生福寺だったので、頼重が再興の際に法然寺と改名したそうです。

ことでん琴平線の仏生山駅を降りて南東に向かっていくと法然寺があります。

本堂は1907(明治40)年再建。法然自作と言われる阿弥陀如来立像が本尊として祀られています。幔幕に三つ葉葵の紋が。

三仏堂は、釈迦涅槃像を安置されているので涅槃堂とも呼ばれます。

寺に行くと見ずにはいられない五重塔。法然寺のはやたら新しそうに見えますが、それもそのはず、2011(平成23)年完成という新品です。


門前には前池という門前池があり、高松市により仏生山公園という総合公園として整備されています。

仏生山公園の西側にあるのが平池(へいけ)。香川県内に数多ある溜め池の一つで、平安末期の1150年頃に造られたとされます。古い溜め池ですが、県内には飛鳥時代の700年代に造られ、平安前期に空海が改修したという日本最大の溜め池・満濃池もあります。

しかし平池には「いわざらこざら」という悲しい伝説があり、繰り返し堤防が決壊するのに困っていたところ、“明朝、ちきり(機織り道具)をもった娘が通る。その娘をとらえて人柱に立てれば、うまく治まるであろう”というお告げがあり、翌朝実際に一人の娘が通りかかり、人夫達が娘を取り囲んで何を持っているのかと尋ねたところ、素直に“ちきり”ですと答えたので、堤防に人柱として埋められてしまったといいます。む、惨い…

その後はどんなに大雨が降っても堤防が切れることはありませんでしたが、堤防の岩の間から流れ出る水の音が、娘がすすりなくような悲しげな音で「いわざらこざら」と聞こえてくるようになったそうです。それは「いわざらましこざらまし」、つまり言わなければよかった来なければよかったという意味です。

人柱にされてしまった娘の像。悲しそうに池を見つめています。

また平池には石灯籠が立っています。ここにはもともと人柱にされた娘を祀るちきり神社があったそうですが、平池改修のため水没することになったために山の上に遷され、その記念に石灯篭を建立したのだそうです。本人は人柱にされ、その神社まで水没では踏んだり蹴ったり(いや、神社は遷されたからまあいいのですが)。

「いわざらこざら」伝説にはバリエーションがありますが、私が参考にした香川県庁バージョンでは坊さんらしい人物がお告げをしたみたいなイラストが付いています。しかし仮にも仏門の僧が人柱を推奨してはいかんのではないでしょうか。夢に出てきたとかいうことならまあ仕方ないですが。

ちきり神社には「身代わり守」があります。人柱伝説というのは日本だけでなく世界中にあるそうですが、むごい話です。建造物を守るよりも怨霊化して破壊しそうな気がするのですが、そういうふうには考えなかったんですかね。

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