山口線紀行(その1):雨の小京都・津和野

秋と言っても日中はそこそこ暑くなりますね。朝夕は結構冷えるので、一日の温度差が大きくて、体調を崩しやすい時季とも言えます。長くて暑かった夏のせいで、身体が夏仕様のままという人も多いことでしょう。トニックシャンプーやシーブリーズのボディーソープをいつ片付けたものか。

本日は「どっきん四国」で、先日旅した津和野と山口についてです。「どっきん四国」と言いつつ、ちょいちょい四国以外の場所を紹介していますが、四国発の旅で、マリンライナーを利用して瀬戸大橋を渡っているのでご了承下さい。なぜなら瀬戸大橋線の開業のキャッチコピーが「どっきん四国」だったので。

今回は山口線の旅です。岡山から新山口までは恒例の新幹線で、新山口から山口線に乗り換え。山口線は新山口から島根の益田を結んでいます。鉄道路線には、高徳線や伯備線など始点と終点の両方の名前を使ったものと、高崎線とか福知山線といった片方だけの名前を使ったものがありますが、命名基準ってどうなってるんでしょうかね。始点と終点の街の規模がほぼ対等なら両方の名前を使って、違いすぎると片方だけなのか。

乗車したのはスーパーおき。特急だけど2両編成。鬼の哭く街・A立区には東武大師線という2両編成の電車が走っていましたが、まさか特急電車が2両編成とは。山陰本線を経て鳥取・米子に至る結構長距離を走る特急なのに。2両編成でなにがスーパーやねんと思ったら、従来特急おきと呼称していたものが、2001年に新型振り子式車両を投入したことで「スーパー」を冠したのだそうです。

訪れたのは「山陰の小京都」と言われる津和野。「小京都」と呼ばれる街は全国各地にありますが、代表格とされるのが津和野だそうです。亀井氏が治める津和野藩4万3千石の城下町で、津和野川沿いの小さな盆地に伝統的な建物が残っています。

初代藩主は亀井政矩ですが、そのパパンの亀井茲矩は豊臣秀吉に仕え、出雲半国を約束されていましたが、毛利氏と講話したことで反古となってしまい、秀吉が代わりの希望を聞いたところ「琉球国を賜りたい」と答えたため、秀吉は「亀井琉球守殿」と書いた扇を茲矩に授けたという逸話があります。律令制にない官職名がユニークで、一度は琉球征伐も認めれらたそうですが、それも島津氏が行うこととなり、代わって台州守を称したとか。台州とは中国本土の台州市(浙江省)のことで、台州守なんてもちろん律令制にあるわけもありませんが、やたら東アジアへの関心が高かった人だったのでしょうか。

小さい街ですが、文豪森鴎外や西洋哲学者西周らを輩出しており、歴史と伝統を感じさせます。そういえば某大学を受験した時、現国の出題が森鴎外の遺書からだったのですが、鴎外の本名が林太郎ということを失念していて、“石見の森林太郎として死にたい”云々という文面を見て、森・林太郎ではなく森林・太郎と呼んでなんだその名前は、ターザンかお前はとかツッコんだ記憶が。ええ、もちろん落ちましたともさ。

森鴎外、西周らが学んだ津和野藩の藩校が養老館。武術教場と書庫が現存しており、島根県の指定史跡になっています。5万石もない小藩なのに大した物だと思いますが、藩政改革のための有能な人材を育成する目的などで、最盛期はほぼ全藩に設立されていたそうです。しかし学校とは似つかわしくない名前のような。

津和野では目当ての一つは津和野城跡だったのですが、なにしろ雨で、リフトに乗るのも徒歩で登るのも難渋しそうだったので断念。もう一つの目当ての太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)に向かいました。日本三大稲荷とか五大稲荷とかの一角とされます。島根県では出雲大社に次ぐ年間参拝客を数えるそうです。

歴史はそんなに古くはなく、1773年に京都の伏見稲荷大社から勧請して津和野城の鬼門に当たる太皷谷の峰に創建されました。江戸時代は藩主以外の参拝は禁止されていましたが、明治以降は庶民も参拝できるようになりました。

だいたい「日本三大○○」とされるものは、三番目は諸説あるという場合が多いのですが、日本三大稲荷もそれで、総本宮である伏見稲荷大社は当然として、次は曹洞宗の寺院ですが愛知県の豊川稲荷が挙げられるケースが多く、三番目は諸説あるという状況ながら茨城県の笠間稲荷や佐賀県の祐徳稲荷が含まれるケースが多いとか。

太皷谷稲成神社自身は五大稲荷の一角と称しているようです。江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれたそうで、「稲荷」ではなく「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いからとされるそうです。

表参道は263段の石段で、鳥居が約1000本建てられています。千本鳥居というと本家である伏見稲荷を連想しますが、あそこまで幻想的ではないものの、坂道に連なる鳥居はなかなか壮観ですね。

表参道の神門。1972年建立ということで築50年程度の新しいものです。入り口は三つありますが、中央は閉じているので左右の門から入ります。中央は新年、祭事のみ使用されるそうです。

拝殿・本殿。1969年建立。注連縄がかなり太いです。油揚げを供える習わしがあるそうで、さすがお稲荷さんだ。「それは私のおいなりさんだ」は神罰が当たりそうなので止めましょう(笑)。

元宮。拝殿・本殿が建立される前の社殿です。古いだけあってこちらの方が霊験あらたかな雰囲気があるように思えます。

境内から見た津和野市街。手前は駐車場で、来るまでここまで来るとあっという間に本殿に来られますが、やはり徒歩で表参道を登った方が霊験あらたかなような。もっとも、私は見物のみで参拝はしないのですが。

津和野駅前に展示されているD51形蒸気機関車。愛称は「デゴイチ」。日本で最も多く製造された機関車です。動態保存されているD51は新山口-津和野間で「SLやまぐち号」として走っていますが、これは残念ながら静態保存。

実は津和野に泊まりたかったのですが、あんまりちゃんとしたホテルが見当たらなかったので、その山口線終着駅の益田まで行って、駅前にある「益田グリーンホテルモーリス」に泊まりました。グリーンホテルモーリスは中国地方を中心に展開しているホテルチェーンで、私の好きなドーミーインに匹敵するサービスと、ドーミーインより廉価な宿泊費が魅力です。

キヌヤ益田ショッピングセンターで酒と惣菜を買って、部屋で一人宴会(通称「カイジ豪遊ごっこ」)。そろそろ豪遊ごっこにも飽きてきましたね。というか、なんか妙に酒に弱くなったような。普段飲まないようにしているせいでしょうか。ストロング系は避けるようになっているのですが、さらに微アルコール路線に進んだ方がいいのでしょうか。
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