記憶に残る一言(その154):李恢のセリフ(横山三国志)

1.5周年を迎えた「ウマ娘 プリティーダービー」。記念ピックアップガチャとしてスマートファルコン(別衣装)が登場しました。珍しく運営が太っ腹で石を配布してくれたので引いてみたら、首尾良く引くことができました。やけに姿が小さいけど(笑)。

ファル子は通常版も持っていなかったので嬉しいですね。ウマ娘のアイドル、略してウマドルですが、地下アイドルに近い苦労人。ダートの中距離を走れるウマ娘の層が薄かった(正直デジたんだけ)のでありがたいですし、なにより可愛い。

「逃げ切り☆シスターズ」もようやくリーダーが来てくれて、あとはアイネスフウジンを残すのみ。

もう一人のピックアップウマ娘であるコパノリッキーも狙って見ましたが、すり抜けで来たのはメジロパーマー。名門メジロ家の一員ですが、メジロライアンと共にお嬢様要素は少なめ。どうせすり抜けるなら、ザ・お嬢様なメジロアルダンかメジロドーベルが欲しかったのですが、物欲センサーにひっかかってしまったようです。

本日は「記憶に残る一言」です。吉川英治の「三国志」をベースに独自解釈織り交ぜた横山光輝の漫画作品「三国志」から、李恢(りかい)のセリフを紹介しましょう。

李恢は後漢末期に益州建寧郡の督郵(郡所属の県を監督する監察官)を務めていました。その頃、劉備は劉璋を攻撃するために出陣(いわゆる「劉備の入蜀」)しますが、李恢は劉備が勝利すると考えて劉備側に付くことに。

当時益州には張魯率いる五斗米道という宗教集団が存在し、大勢力を誇っていました。曹操が張魯征伐のために軍を動かしたときに、立ちはだかったのが馬超達。彼らは張魯征伐を名目に自分たちを討とうとしているのではないかと思ったようです。これが「潼関の戦い」で、馬超は一時は曹操の肝胆を寒からしめる活躍をしましたが、最終的には曹操側の計略にかかって敗走することに。その後馬超は張魯配下となって曹操に抵抗を続けていました。

劉備は李恢に、馬超を味方に引き入れるよう命じます。馬超と対面した李恢は、説得に努めます。「むむむ」と唸る馬超を「なにがむむむだ!」と一喝。これが今回の記憶に残る一言です。現代ではインターネット上で誰かが「むむむ」と唸ったときに「なにがむむむだ!」とよく返されています。このくだりを吉川三国志から引用すると…

李恢 その曹操のため、敗れて漢中に奔り、張魯のため、よい道
具につかわれたあげく、一族の楊松などに讒せられ、腹背に
禍いをうけ、名もなき暴線をして、可惜、有為の身を意義も
なく捨て果てようとは。……さてさて、呆れた愚者。辱知ら
ず。父の馬騰もあの世で哭いているだろう
具につかわれたあげく、一族の楊松などに讒せられ、腹背に
禍いをうけ、名もなき暴線をして、可惜、有為の身を意義も
なく捨て果てようとは。……さてさて、呆れた愚者。辱知ら
ず。父の馬騰もあの世で哭いているだろう

馬超 ……ううむ

李恢 何が、ううむだ。思え、泉下の父の無念を。……たとえ御
身が玄徳に勝ったところで、歓ぶものは誰だか知っておる
か。それは曹操ではないか
身が玄徳に勝ったところで、歓ぶものは誰だか知っておる
か。それは曹操ではないか

馬超 賢士。目がさめた。ゆるしたまえ。ああ誤った
馬超は、がばと、身をくずして、李恢のまえに哭き仆れた。
…ということでで李恢は馬超説得に成功し、馬超は劉備に投降しました。そして馬超が劉備に帰順したという噂に恐れをなした劉璋も程なくして降伏し、蜀は劉備の手中に入ることになります。馬超は関羽、張飛、趙雲、黄忠と共に五虎大将軍と称され、蜀軍で中心的な役割を果たすことになります。
李恢は劉備に厚く信頼され、劉備の死後も諸葛孔明に従って南征に参加し、別働隊を任されました。孔明の南征後にも再び反乱が発生しますが、李恢は単独で兵を率いて鎮圧しています。
史実では李恢は軍事にも明るい人材だったようですが、吉川三国志や横山三国志のベースとなっている「三国志演義」では馬超を降伏させた功績が大きく取り上げられ、弁舌の士として描かれています。

なお、横山三国志では、馬超の「……ううむ」が「むむむ」に変更されており、李恢の「何が、ううむだ。」も「なにがむむむだ!」と変更されています。ぱっと見、やたら李恢が上から目線なので、猛将馬超相手に大丈夫なのかと思ったりもしてしまいますが、当時の儒教道徳は今よりも遙かに強力だったはずなので、馬超が逆ギレしたりする恐れはなかったのでしょう(多分)。

横山光輝は「むむむ」という言葉が好きだったのか、横山三国志では多くの登場人物が「むむむ」と唸っています。「げえっ」も多いですね。とても全部は紹介しきれませんが、主要なところを紹介すると…

曹操の「むむむ」。おそらく作中で一番「むむむ」と言っている人物です。作中登場が多くて窮地に陥ることも多いからでしょう。曹操の身体は「むむむ」と「げえっ」で出来ている。

孫権の「むむむ」。「むむむ」の後に色々セリフが追加される場合も多いのですが、今回は「むむむ」だけで留まっているシーン限定です。

劉備。魏と呉のトップが「むむむ」と唸っている以上、蜀のトップも唸らないわけにはいきません(笑)。

袁紹の「むむむ」。「官渡の戦い」までは群雄の中でも最大勢力だったんですが。

呉の大都督周瑜の「むむむ」。三国志演義では孔明の噛ませ犬とされているので唸りまくります。

龐統の「むむむ」。孔明と共に“臥竜鳳雛”と称された龐統さえも唸ります。

となれば、孔明とて唸らずにはいられませんね。なお孔明最大のライバル司馬懿も唸っていますが、「むむむ」だけのシーンはないようです。

武将に移って関羽の「むむむ」。曹操に降れと張遼に説得されているシーンですね。

夏侯惇の「むむむ」。吉川三国志や横山三国志では「かこうじゅん」と読んでいますが、「かこうとん」と呼ぶのが正しいようです。魏の大将軍。

呂布の「むむむ」。登場は短いわりによく唸っている印象。やはり裏切ってばかりだからか。

孟獲の「むむむ」。南蛮王として登場し、孔明と戦って「七縦七擒」の末蜀に従うようになりますが、史実では漢人だそうです。

おまけで阿斗・劉禅の「むむむ」。中国のことわざで「どうしようもない人物」を「扶不起的阿斗(助けようのない阿斗)」というそうですが、作中では暗君の代名詞的な存在ですね。

成都には孔明や劉備などを祀る武候祠という祠堂があり、かつては劉禅も祀られていたようですが、「亡国の暗君」とみなされ、後に廃祀されたとか。それ以前にも劉禅像は嫌悪されて何度も破壊されたとか。本人は魏に降伏し、西晋に代わった後も生きながらえて天寿を全うしましたが、息子達は西晋を滅亡させることになる永嘉の乱に巻き込まれて一族皆殺しに…

これら「むむむ」に李恢がいちいち「なにがむむむだ!」とツッコんだ場合、無事で済むのはどれくらいでしょうかね。劉備、孔明、龐統、劉禅あたりは大丈夫かも知れませんが、後で左遷されたり陥れられたりするかも。他はその場で首が飛びそうですな。
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