熊本紀行:熊本城と水前寺公園

夏将軍大暴れで本格的に暑くなってきました。電気料金は心配ですが、冷房を入れない訳にもいきません。休みの日の午前中は扇風機だけで突っ張ってきたのですが…来週の高松はずっと最高気温35度、最低気温26度以上という予報。

来週は死なないように朝から冷房スイッチオンかも知れません。帝愛グループの利根川によると1000万円ぐらいになると金は命より重いのだそうですが、さすがに1,2万円程度と命は引き換えに出来ません。下手に突っ張ってると上記画像のように言われそう。

本日は先日行った熊本旅行についてです。熊本は初めてではないのですが、以前訪れた際は天草の島に泊まったので、県庁所在地にも泊まっておこうかと。47都道府県を全て制覇(一泊したというだけですが)後は、全県庁所在地に泊まるというのもありかも知れません。全ドーミーイン制覇とか。直行便がないので北海道には行きづらい四国ですが、地の利のせいで西日本には行きやすいです。

例によってマリンライナーで岡山に出て、九州新幹線に乗ってダイレクトに熊本駅へ。4時間足らずで到着。やはり東京から行くより遙かに近いですね。多くの人は空路を選択するでしょうけど、私は陸路派。というか鉄道派なもので。

熊本駅東口は、熊本城の石垣「武者返し」をイメージしたデザイン。前回訪問時は熊本地震により熊本城が大被害を被っており、訪れることができなかったのです。

熊本城に特別縁があるわけではないのですが、昔「高機動幻想ガンパレード・マーチ」という熊本を舞台としたゲームをプレイしたのが印象に残っていて。1945年に突如出現した黒い月から襲来した人類の天敵・幻獣。第二次世界大戦を一気に終結させ、全人類は共同戦線を張り、核兵器すら投入して戦いましたが、50年後には人類はユーラシア大陸から駆逐され、幻獣はついに九州にも上陸を開始…という展開で、正規軍を再編成するための時間稼ぎで強制招集された学徒兵として幻獣と戦うことになります。私が超えることが出来なかった熊本城攻防戦の難易度の高さよ。それ以前に恋愛のもつれで刺されたりしてましたが。バグも多数ありましたが、革新的な内容で、2001年には星雲賞(メディア部門)を受賞しています。ゲームが受賞したのは現時点で空前絶後。


熊本市内には2系統の市電が健在で、熊本駅前からだとA系統を利用することになります。辛島町から健軍町まではどちらに乗っても同じ。車両は新旧入り乱れていて、連接車もあります。交通系ICカードが使えて便利です。料金は170円均一。

お宿は辛島町にある「天然温泉 六花の湯 ドーミーイン熊本」。ドーミーインは必ず“○○の湯”というニックネームが付きます。例えば高松なら「さぬきの湯」(トーミーイン高松)とか「玉藻の湯」(ドーミーイン高松中央公園前)。しかしなぜ高松には2つもドーミーインがあるんでしょうか。

では「六花」とはなんぞといえば「肥後六花」のことで、江戸時代から明治時代にかけて熊本藩士やその後裔が育成してきた肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花の総称なのだそうです。そういえば「六花の勇者」ってアニメがあったけど、2期はないのでしょうか…

ホテルすぐそばのショッピングモール「サクラマチクマモト」地下のスーパーで酒と惣菜を買って、恒例「カイジ豪遊ごっこ」。初めて入るスーパーってワクワクしますね。それにしてもさすが熊本市中心部だけあって大都会という感じ。鄙びた高松から来ると目がくらみます。岡山市とタメを張る感じでしょうか。

翌日は熊本城へ。サクラマチクマモトの脇を通って北に向かうと加藤清正の銅像。床几に座って軍勢に采配を振るっているという感じでしょうか。トレードマークの長烏帽子形の兜を被っています。実は背が低かったので大きく見せるために使っていたとの説もあるとか。

戌亥櫓。木造2重3階の隅櫓で、城の戌亥(北西)の方向に位置することからこの名が付いたとか。

宇土櫓。地震被害のせいか、くたびれた感じもしますが、他の城なら天守でもおかしくない規模の3重5階地下1階の五階櫓。かつては場内に6基もの五階櫓があったそうですが、現存するのはこれだけ。「三の天守」とも呼ばれます。

東側から見た熊本城天守。連結式望楼型で、大天守は3重6階地下1階で「一の天守」。小天守は3重4階地下1階で「二の天守」。

入り口のある西側から見た天守。左側の出入り口は出口専用で、入り口は右側の傾斜路の先。ちょうど大天守と小天守の間になります。内部は歴史博物館となっています。まだまだ被害の完全復旧には時間がかかりそうですが、天守は優先して修復した模様。やはりシンボルですからね。

南側から見た天守。右側の建物は本丸御殿です。本丸御殿全体が石垣の上に乗った構造になっているのは他に例を見ないとか。2008年に復元されました。なお、本丸御殿といえば本来藩主やその一族の居住場所ですが、熊本城では当初から城外東側に造営した花畑屋敷が使用されていました。なぜ作ったし。

まだまだ復旧途上であるという例。数寄屋丸丸五階櫓跡。石垣が壊れていますが、建物が浮いています。

藩主が住んだ花畑屋敷は今や花畑町となっています。ここにある花畑公園と、辛島公園、そして「くまもと街なか広場」を併せて花畑広場と呼ばれています。花畑町駅から市電に乗って熊本城南東部にある水前寺公園に向かいます。

正式名称は水前寺成趣園。阿蘇の伏流水が湧出する池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれています。面積約7万3000平方メートル。我が高松が誇る栗林公園の半分以下の面積ざますね(いやいや、張り合うな張り合うな)。

公園入り口。鳥居は園内にある出水(いずみ)神社のもので、歴代藩主を祀っています。

こちら出水神社拝殿。明治になって創建された神社なので、公園に比べるとかなり新しいです。細川氏歴代藩主らを祀っていて、加藤清正については熊本城内に別途加藤神社があります。

出水神社の境内社になる稲荷神社。「それは私のおいなりさんだ」と言ったとか言わないとか(言ってません)。この鳥居の列が京都の伏見稲荷の千本鳥居を連想させるなあと思ったら、実際伏見稲荷から勧請したのだとか。あそこは稲荷神社の総本宮ですからね。

阿蘇の伏流水による湧水池にいた白鷺。光学ズームを搭載したXperia1Ⅳのカメラで最大倍率で撮影してみました。

能楽殿。毎年8月第1土曜日の夕刻より薪御能が催されるそうです。もうすぐですね。

園内南側から撮影。さっきの白鷺が小さく映っています。おわかりいただけるだろうか…(心霊写真じゃないけど)

古今伝授の間付近からの撮影。ここからの風景が最も優れているとか。中央の小山が富士山を模しています。それにしても暑かったなあ。さすが火の国・熊本。今頃は更に暑くなっているんでしょうね。
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