宇和島紀行:“西の伊達藩”の城下町を訪れる

ひと月ぶりに栗林公園に行ってきました。桃の節句も過ぎた3月とはいえ、梅林では梅が真っ盛りでした。梅は花はちょっと地味だけど、香りも楽しめるのはいいですね。

年に2回ライトアップが実施されていますが、今月末には春のライトアップが予定されていると思います。当然主役は夜桜でしょう。秋のライトアップに続けて紹介できたらと思います。

本日は先日訪れた宇和島について語りたいと思います。宇和島は香川の隣県愛媛にありますが、高松からは結構距離があるので旅行したという感じになります。47都道府県全てに宿泊したと言っても、県庁所在地に一泊といった感じの県が多いので、今後はできれば複数回泊まりたいなと。

宇和島を選んだ理由は、昔司馬遼太郎の「伊達の黒船」という短編を読んだことがあって、幕末の四賢候の一人伊達宗城(むねなり)が黒船来航からわずか3年後に実験的な蒸気船が完成させたという話を知っていたことがあります。伊達家というと仙台藩が真っ先に思い浮かびますが、愛媛県にもあったんだと驚いた記憶があります。

藩祖の伊達秀宗は独眼竜政宗の長子でしたが、妾腹だった(つまり庶子)のと、秀吉との関係が深かったところ、正室が男児を産んだことや政権が豊臣家から徳川家に変わったことなどにより伊達家の家督相続者から除外されることとなり、大坂冬の陣参戦の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として嗣いだのでした。圧倒的に大きい仙台藩からは分家筋扱いされたそうですが、それが不満で江戸中期には本家末家論争を起こしています。

しかし幕末~維新の頃に国事に奔走した名君宗城の活躍が評価され、華族に列せられた際には侯爵となり奥羽越列藩同盟に連座したことで伯爵止まりとなった仙台本家を上回っています。


そんな宇和島に行くには、鉄路の場合高松~松山を特急いしづちで、松山~宇和島を特急宇和海で行くのが常道なんですが、コロナ禍という理由で特急いしづちが松山まで行ってくれないので、多度津駅で岡山から松山に向かう特急しおかぜに乗り換えなければなりませんでした。

なんちゃって乗り鉄的にはいろんな列車に乗れて良いと言えば良いのですが、たかが隣県に行くのに特急3本は大げさだよなという気持ちもあったりして。特急宇和海は初めて乗りましたが、沿線はやたらトンネルが多かった印象。名前に海が付いてはいても、あまり海は見られません。

宇和島駅到着。駅ビルのような建物は、実はホテルでJR四国が経営するクレメント宇和島。今宵の宿でもあります。駅直結というのは荷物を預けるのにとっても便利で、1日目も2日目も利用させていただきました。

まず向かうは宇和島城。別名鶴島城で、国の史跡に指定されています。平山城で小高い丘の上に建っており、日本百名城の一つでもあります。重要文化財とされる天守は江戸時代かそれ以前のものが保存されている「現存12天守」の一つです。実は12天守のうち三分の一の4天守(丸亀城、高知城、松山城、宇和島城)は四国にあるという。なお私は三分の二の8天守を訪れました。

これが宇和島城の天守。丸亀城の天守を見た時も思いましたが、大きい城なら櫓レベルですよね。姫路城あたりから「ヤツは現存12天守の中でも最弱」とか言われていないかな?丸亀城と12天守の最下位争いしてそうですが、どちらも小高いところに建てられているので訪れるのは結構大変です。近いけど急な石段の道と遠いけど緩やかな坂道があるのですが、「おだやかな道とイバラの道の二通りの道があるとすればイバラの道を進め」というアタル兄さんの教えを思い出して急な石段を登りました。もっとも下りは坂道の方を選びましたがね。膝がヤバいんじゃ膝が。

城址は「城山公園」となっていますが入場は無料。天守だけ入場料200円。このあたりは入園するのに金を取る高松城址公園(玉藻公園)も見習って貰いたいものですが…。天守1階には鎧具足が3領飾られていました。夜な夜な動き出しては人を襲う…なんて横溝ミステリー的な話はなかったぜ。

天守3階から西方を見たらこんな感じです。見えている海は宇和海です。

こちらは北方を見ています。正面の山は鬼ヶ城連山。鬼の城でもあったんでしょうか。標高は1,151m。宇和島は愛媛でも最南部といっていい場所(南予)にありますが、冬には美しく見事な樹氷が見られるとか。

続いて向かったのは大名庭園で国の名勝となっている天赦園。国の名勝になっています。鬼ヶ城連山を借景とした池泉回遊式の庭園です。入園料は500円ですが、特別名勝の栗林公園が400円なのと比較すると、圧倒的に面積が小さいのに高いという。さっきは高松が宇和島に見習えと思った話でしたが、こちらでは高松を見習って貰いたいものです。


竹や笹が多数植えられてるのが特徴で、これは伊達家の家紋が「竹に雀」であることに由来しているそうです。ちなみに栗林公園は松が多く植えられていますが、高松だから?ではなぜ栗林という名前にしたし。

伊達家は藤原氏の流れということで、藤も多く植えられています。こちらは藤棚が太鼓橋になっている白玉藤。今はシーズンオフで寒々とした雰囲気ですが…

花の季節だとこうなります。

園内にある茶室。昭和天皇が皇太子時代に訪れ、ここで休憩したとか。

というところで疲れたのでスーパーで夕食の惣菜や酒などを買ってホテルへ。クレメント宇和島、駅直結で便利だし設備も文句ないのですが、大浴場がないというのが唯一の泣き所。夏とかはいいのですが、寒い時期は大浴場の湯船が恋しいですね。

さて翌日。朝食は四種の和食と洋食、さらに部屋に持ち帰れる弁当(洋食)からのチョイスとなります。私が選んだのは宇和島の郷土料理である鯛めし膳。鯛の刺身や薬味をご飯の上に載せ、卵黄を加えたタレをかけるという、いわば超豪華番卵掛けご飯です。卵は白身を除くようにと言われ、従いましたがちょっと罪悪感。いつもは全卵+納豆でご飯にかけているもので。こんなもん、鯛が載ってなくたって美味しいわけです。

レストランのお姉さんはおかわりもいいぞ!とのことでしたが、鯛や卵はなしで白米のみでした。まあ毒ガス訓練がないだけ良しとしましょう(笑)。

2日目はまずじゃらんの観光ランキング1位だった西江寺に向かったのですが、枯山水庭園が素晴らしいのとことでしたが、なんか入れる状態になっていませんでした。見られるのは墓地ばかりで。やむなくランキング2位の伊達博物館に向かいましたが、こちらもなんと休館日。行く前に調べておけよという話ですが、読めなかった、このリハクの目をもってしても!

仕方なく向かったのはランキング15位の和霊神社。宇和島駅の北側にあります。いきなり15位って下がりすぎだろうとのツッコミを受けそうですが、歩いて行けそうなのはそこあたりしかなかったのです。江戸時代創建の比較的新しい神社で、祀っているのは宇和島藩祖・伊達秀宗と共にやってきた元伊達政宗家臣の山家公頼。

宇和島藩家老として手腕を発揮し、前領主の悪政に疲弊した宇和島の民政安定に尽くし、領民から慕われましたが、嫉妬する他の家臣の讒言により殺害されてしまったという。当初領民達は密かに祀っていましたが、殺害に関与した者達が次々と変死し、また無実も明らかになったため、公の神社となりました。以後も参拝者が増えたことで場所を移して、現在の場所に。

和霊神社と和霊公園の間には須賀川が流れ、太鼓橋でつながれていました。社殿は、四国でも指折りの大社だそうです。大鳥居は石造りとしては日本一の大きさだとか。

和霊公園には蒸気機関車C12が保存展示されていました。予土線や予讃線で使われていたようです。C12はSLとしては比較的小型なので各地で保存されているようですね。

宇和島は闘牛でも有名と言うことで、お土産に買ったのは闘牛饅頭。牛肉入り(嘘)。闘牛と言ってもスペインの牛対闘牛士のものとは違って牛同士が戦うものです。
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