記憶に残る一言(その131):古舘伊知郎のキャッチフレーズ(ワールドプロレスリング)

アルゼンチンの“神の子”ディエゴ・マラドーナが亡くなりました。享年60歳。アルゼンチンでは3日間の服喪ということで、日本で例えるならば王と長島を併せたくらいでしょうか、あるいはそれ以上でしょうか。サッカー選手としては間違いなく名選手だし、母国をワールドカップ優勝に導いているので英雄扱いも当然ですが、現役引退後は色々とやらかしていましたね。スポーツ選手のみならず、人間全般に言えることかもしれませんが、現役を退いた後の人生ってのをどう生きるかは結構重要な問題ですよね。個人的には河島英五の「時代おくれ」のように、目立たぬように、はしゃがぬようにで晩年を過ごしたいものです。隠居、隠者、世捨て人…憧れるなあ。

本日はスポーツつながりという訳でもないですが、ゴールデンタイムにプロレスの生中継が行われた時代の古舘伊知郎の名調子を紹介したいと思います。新日本プロレスの中継番組である「ワールドプロレスリング」が始まったのは、1973年4月。それから1986年9月まで、金曜午後8字に生中継が放映されていました。

猪木の「格闘技世界一決定戦」を始め、タイガーマスク、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、藤波辰巳、長州力、前田日明、マシーン軍団などを輩出して人気を博しましたが、栄枯盛衰は人の世の常、20%を超えていた視聴率も低落し、今も続く「ミュージックステーション」の立ち上げに伴って月曜日に移動、さらにゴールデン枠を撤退し、夕方・深夜枠へ移されるという辛酸を嘗め、21世紀に入ると30分に短縮されてしまいました。BSでは今も金曜夜8時に1時間枠で放映されていますが…


その間には有名な「ギブUPまで待てない!!」という珍番組にリニューアルされたりもしました。当時私も松田優作ばりに「なんじゃこりゃ~!」と思ったものですが、プレレスラーや全国のプロレスファンも同様の気持ちだったらしく、半年足らずで終了しました。

それはともかく、古舘伊知郎が実況を行っていたのは1977年7月から1987年3月。テレビ朝日にアナウンサーとして入社早々に実況担当となったんですね。数々の名フレーズを生み出した名調子は「古舘節」と呼ばれ、、新日本プロレスの黄金期を支えました。84年にフリーになってますが、なお3年実況をしていたんですね。古舘さんについては、プロレス実況者としては空前絶後の人だったという評価は今も変わらないですが、それ以降については…。「報道ステーション」なんかは全然見ませんでしたので、評価のしようがないですね。

アントニオ猪木を「燃える闘魂」、長州力を「革命戦士」と呼んだのも古舘伊知郎で、レスラーのキャッチコピーの素晴らしさは他の追随を許さないものがあります。私は実況の中でアドリブで命名していたんだと思っていましたが、実はあらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨んでいたそうです。やはり即興ではそんなに傑作を生むことはできませんかそうですか。

個人的に好きなのは高田延彦の「わがままな膝小僧」。「青春のエスペランサ(希望)」はちょっと綺麗すぎです。他には山崎一夫の「戦う青年将校」(見た目「2・26事件」とかで決起してそうでした)、越中詩郎の「戦う起き上がり小法師」(ただ笑ってしまう)、若松市政の「地獄のお茶の水博士」「悪の正太郎君」(マシーン軍団を操っていたところから。しかし正太郎君は鉄人28号を操縦していたけど、お茶の水博士はアトムを操縦してたの?)、ダイナマイト・キッドの「カミソリファイター」(技の切れと見た目から)、ブルーザー・ブロディの「インテリジェンス・モンスター」(元新聞記者ということで)あたりも好きです。

でも特に印象的かつ数多くの異名を進呈していたのが「世界の大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント。フランス出身のプロレスラーで、公式プロフィールでは身長223cm、体重が236kg。

かの巨匠・梶原一騎原作の「プロレススーパースター列伝」では「プロレスラーになる前にはきこりをしていた」なんて紹介していましたが、例によって眉唾もののエピソードです。18歳でプロレスラーとしてデビューし、70年代初めに北米に進出、73年にアンドレ・ザ・ジャイアントに改名しました。80年代中盤以降は膝痛や腰痛に悩まされ、93年に急性心不全で46歳の若さで逝去。長年にわたる過度の飲酒が原因とも言われています。

新日本プロレス登場は74年からで、猪木と死闘を繰り広げたほか、若手売り出し中だったスタン・ハンセンともスーパーヘビー級の抗争を繰り広げました。このアンドレを実況したのが古舘さん。「人間山脈」「ひとり民族大移動」「太平洋をひとまたぎ」「現代のガリバー旅行記」「動く大陸」「戦うギネスブック」「2階からのヘッドバット」などと表現していました。やはり目立つレスラーには表現も多彩になるようですね。

私が特に好きなのは「一人と呼ぶにはあまりにも大き過ぎ、二人と呼ぶには人口の辻褄が合わない」です。よく考えついたなこんな表現。さすが天才プロレス実況者。


巨漢揃いのプロレスラーの中でもアンドレの大きさは際立っていました。これを例えるなら、Berryz工房の熊井友理奈でしょうか。


彼女の身長は181センチだそうです。そりゃあ小柄な人が多いアイドルの中ではアンドレ状態になるわ。某ジャニーズ事務所にも横に立ちたくない人が多数いそうです。

なおマシーン軍団が跋扈していた頃は、マスクを被って「ジャイアントマシーン」としても登場。だいたいマスクを被ると誰だかわからなくなるのですが、この人だけは正体がバレバレで「正体は公然の秘密」とか「世界一正体のわかるマスクマン」とか言われました。ネーミングからして隠す気がないですが。

「グラップラー刃牙」にはアンドレ・ザ・ジャイアントをモデルにした安藤玲一が登場。飛騨の山小屋に暮らす山岳監視員で、勇次郎とは旧知の仲で、刃牙のこともよく知っています。2メートルを超す巨漢で、月の輪熊程度なら素手で倒せる実力を持っています。登場は幼年編でしたが、最凶死刑囚終盤にも登場し、柳の毒手で瀕死となった刃牙の治療を行いましたが、効果はありませんでした。

そして最大トーナメント編に登場して刃牙の一回戦の相手となったアンドレアス・リーガンもモデルはアンドレ・ザ・ジャイアントでしょう。さすがアンドレ、モデルを一人にするにはあまりに大きすぎたか。身長2m40cm、体重310kgでアンドレよりも大きいアンドレアス。

最大トーナメントの実況は「デカァァァいッ 説明不要!! 2m40!!! 310kg!!! アンドレアス・リーガンだ!!!」と紹介。幼い頃から「本気を出してはいけない」と言われ続け、鬱屈を重ねてきたそうですが、170㎝未満の刃牙に真っ正面からKOされてしまいます。巨漢が噛ませ犬扱いされるのは、鳥山明や車田正美のマンガではよくあることですが、板垣作品でもそうだったか。

なお「最大トーナメント」や「中国大擂台賽」などで、試合を実況しているアナウンサーらしき人が名調子を聞かせてくれるのます。どこにもモデルについて言及されていませんが、個人的にはモデルは古舘さんなんじゃないかと思ったりして。
スポンサーサイト