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萩旅行記②:松陰神社と東光寺

丹陽

 「艦これ」に中華民国の駆逐艦丹陽(たんやん)登場。……といっても雪風を改装した姿ですが。太平洋戦争の激闘を生き延びた奇跡の駆逐艦・雪風は、復員船の役目を終えた後に賠償艦として中華民国に引き渡され、丹陽としてなりました。就役しました。乗組員たちが最後まで入念に点検、整備を行っていた雪風は、艦の状態が非常に良く、「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と、立ち会った各国の高級軍人から高い評価を得たそうです。国共内戦に敗れた蒋介石総統が台湾に逃れる際に乗艦したとか、故宮博物院の財宝を輸送したとされますが、それも雪風時代の強運ぶりにあやかったんでしょうか。

雪風改二

 実はさらに「雪風改二」に改装可能なんですが、丹陽にするのにも使った改装設計図をさらに2枚も必要とするので、当面改装は無理です。もうすぐイベント開催なので資源を浪費できないし、おそらくは来年になってしまうと…。でも丹陽も可愛いので、もう一隻雪風を育てようかしらん。

丹陽と雪風改二

 それは本題の萩旅行記の続きです。ホテル選びの際に大浴場かバイキングで大浴場を選択したので、朝食はおにぎり二個の軽食風。でもおにぎりは「おかわりもいいぞ!」なので食べようと思えばがっつり食べられます。でもおかずがね…。

朝食

 チェックアウト後に向かうは松陰神社。ぶらぶら歩いて行けます。一日目は線路(山陰本線)の西側、本日は東側を攻めていきます。

松陰神社大鳥居

 松陰神社は明治40(1907)年に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。学問の神として厚く信仰を集めているとか。でも松陰の故事から考えて、留学とかのお願いは叶わなそうな(笑)。

松下村塾

 境内には松下村塾があります。幕末から明治期に、日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる有名な私塾ですが、松陰がここで指導したのは2年足らず。ただ、松下村塾自体は叔父の玉木文之進が1842(天保13)年に開設し、松陰死後も再開されて1892(明治25)年に弊塾されています。

村塾内部

 神社内の松下村塾は幕末当時の塾舎で、木造瓦葺き平屋建てで、当初からあった八畳と、熟成が増えて手狭になったので増築した十畳半の部分から成っています。2015年には世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして登録されています。

吉田松陰幽囚の旧宅

 その側には「吉田松陰幽囚ノ旧宅」もあります。黒船密航が叶わず野山獄に入れら、出獄後に幽閉処分となった際の松陰の実家の杉家の旧宅です。8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室ほか、板間・物置・土間を有する大きい建物ですが、こんなに広いのに松陰は東側にある3畳半の一室で2年近く謹慎生活を送っていたそうです。

謹慎していた部屋

 ここが謹慎室。松陰はここで読書と著述に専念しましたが、家族からの薦めもあって孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が参加するようになったことで、松下村塾で指導するようになりました。

松陰神社

 松陰神社本殿。1955(昭和30)年に完成したもので、ご神体として松陰愛用の赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって収められているそうです。

松門神社

 本殿完成以前の旧社殿は、松陰の塾生・門下生を祭神として松門神社となっています。

花月楼

 直接松陰とは関係ありませんが、萩藩7代藩主 毛利重就が、1776(安永5)年(1776)に三田尻(防府市)の別邸宅に建築した茶室「花月楼」も移築されています。

伊藤博文旧宅

 神社周辺には松陰の墓や誕生の地もあるということで、やはりぶらぶら歩いて行ってみます。すぐそばに伊藤博文旧宅もあったのですが、改修中で全面ネットを被っていました。そうでなければ画像のような家が見られたはずなんですが。

玉木文之進旧宅

 その先にある玉木文之進の旧宅。松下村塾の創立者で、吉田松陰の叔父にあたる人です。1876(明治9)年発生の「萩の乱」の際、反対したにも関わらず養嗣子を始め多数の門弟が参加したことから「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」と言い残して自刃したという、謹厳、剛直の人です。

東光寺総門

 さらに進むと大きなお寺が。長州藩の殿様・毛利氏の菩提寺である東光寺です。江戸時代に伝えられた新しい禅宗・黄檗宗の寺院で、1691(元禄4)に3代藩主毛利吉就が建立しました。総門は重要文化財に指定されています。

三門

 拝観料300円払って入ると巨大な三門。これも重要文化財ですが、総門は元禄時代のもので、三門は19世紀の文化時代のもの。

大雄宝殿

 本堂。黄檗宗では大雄宝殿と呼びます。元禄時代の建築でこれも重要文化財。本尊は釈迦如来です。明~清代の中国風建築で、障子の桟が日本と逆に外側にあるんだとか。

木魚の原型

 木魚の原型とされる魚板があります。巨大な魚型で、腹の辺りを叩くと音がします。まさに木魚という名前にぴったりの形ですが、このままでは大きすぎて坊さんの傍らに置くというわけにはいきませんね。魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味なんがそうで、口にくわえた丸いものは煩悩を表し、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いが有るのだとか。ポータブルな現代の木魚では、そういった由来もよく判らないような形になってしまっていますね。

毛利氏廟所

 そして東光寺の白眉ではないかと思われる、毛利氏廟所。3,5,7,9,11代の奇数代の藩主とその夫人の墓が並び、その他に側室など近親者20余基があります。重臣諸家の献上したという石灯籠500基がずらりと並び、まるで殿とそばに控える群臣一同といった雰囲気です。

藩主と夫人の墓

 なお初代秀就と偶数代の藩主の廟所は萩市の大照院にあるそうです。そちらには行きませんでしたが、地面の傾斜が急で、藩主の墓の形は五輪塔状なんだそうです。東光寺の墓の形は四角柱というかいわゆる通常形です(大きいけど)。

吉田松陰の墓

 東光寺の巨大な境内に沿うようにある「維新ロード」を登っていくと、吉田松陰の墓が。極めて質素という印象ですが、当時、松陰は幕府から第一級の大罪人とされていたのでやむを得なかったかと。そもそも松陰自身がそんな大仰な墓を喜ぶとも思えませんし。周囲には一族の墓のほか、吉田稔麿、久坂玄瑞、高杉晋作など門人の墓もあります。

吉田松陰誕生地 

 その先にある吉田松陰誕生地。萩市内を一望できる「団子岩」とよばれる高台にあります。今は間取りを示す敷石が残るばかりですが、それにしても小さい家だったようです。元々あった杉家が大火で焼失し、松陰の父が俳人の別荘(樹々亭)を買ったのだとか。松陰神社境内の「吉田松陰幽囚ノ旧宅」に一家が引っ越すまで、松陰もここで過ごしたそうです。

郡司鋳造所遺構広場

 ということで、萩二日目はほぼ吉田松陰の旧跡を訪ねることになってしまいました。当初の計画では萩反射炉とか恵美須ヶ鼻造船所跡(どちらも世界遺産)、さらに池なのに海水魚が棲むという謎の明神池などにも行く予定だったのですが、松陰神社と東光寺で時間を使いすぎました。代わりにといってはなんですが、松陰神社近くにあった「郡司鋳造所遺構広場」に行きました。

大砲もあるよ

 ここでは西洋式大砲を鋳造していたということで、一番深いところで4.5mもある石組大砲鋳造遺構が復元されています。そばの大砲はここで作ったものということなのでしょう。
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