下田旅行記②:下田観光と石廊崎

台風10号は相変わらず北に一直線ルート。おかげでコースから外れた筑波嶺ですが、影響はないわけではなく、雨が断続的に降っています。天気が良くないせいで暑さは一段落ですが、まだまだ秋の長雨という感じではないですね。本格的な秋はいつ来るのやら。

昨日の続きで下田旅行の話です。サフィール踊り子に乗るのは主目的とはいえ、せっかく下田まで来たのに乗ってきた列車で帰るのはあんまりなので、一泊していくことにしました。

まず向かったのは寝姿山ロープウェイ。乗り場は駅のそばです。寝姿山には以前行っているのですが、もう10年ぐらい前なのでもう一度行ってみようかと。

山容が仰向けに寝ている女性の姿に似ているということで寝姿山という名前が付いたそうですが、ロープウェイに乗ったらすぐに山頂に到着します。山頂からは下田市街に下田港、伊豆七島が一望。大島はもちろんのこと、利島、式根島、神津島、新島、鵜渡根島、三宅島まで見ることが出来ます。これで一応七島ですが、下田から見える島=伊豆七島という訳ではないようです。


寝姿山には展望台のほか、愛染堂、石割楠、黒船見張所跡、ハーブ園などがあります。

下界に降りたら、ペリーロードに向かうことにします。1854年に日米下田条約締結に向かうペリーが、300人の部下を引き連れ下田港から了仙寺まで行進した約400メートルの道のりがペリーロードと呼ばれています。

その途中には坂本龍馬と唐人お吉に縁のある宝福寺。龍馬の場合は、勝海舟が宝福寺に投宿していた山内容堂と会見して脱藩の罪を許してもらったというエピソードがあり、唐人お吉については墓があります。たった三日でハリスの下から帰されたのに後生の小説・映画といったフィクションのせいでことさら悲劇の人物にされてしまった観がありますが、そのおかげ(?)で宝福寺には唐人お吉記念館があったりします。

欠乏所跡。日米和親条約に基づいて下田が開港された後、入港してくる外国船の乗組員たちに薪・水・食料などの「欠乏品」を提供する拠点として使われたのが「欠乏所」ですが、欠乏品=相手が持っていないものという拡大解釈が行われ、事実上の貿易が始まりました。商人のしたたかさを感じますが、しっかり税を取っていた幕府もなかなか…。現在は民家風のカフェになっています。

了仙寺。日米和親条約の付属条約、下田条約が締結された場で、黒船ミュージアムが併設されています。


そしてペリーロード。石倉やなまこ壁の町並みが残る風情のある川沿いの小径です。ペリー云々は抜きにしても良い感じの通りです。

ペリーロードから下田公園内にある下田グランドホテルの廃墟の姿が。幼少の頃、家族旅行でここに泊まった記憶があるのですが、廃墟としてなお残っていたとは。


下田公園を抜けると下田海中水族館。また下田港内めぐりをする黒船風の遊覧船もありますが、ちょっと前にどちらも体験したので今回はパス。下田海中水族館は特に特にお勧めです。次から次へとイベントが開催されるので楽しいです。

宿泊は駅前のホテルマルセイユ。下田は観光地だし温泉が出るのでリゾートホテルや旅館ばかりなのですが、例によってビジホを選択しました。ここはビジホという訳ではないかも知れませんが、駅のそばだしすぐそばにスーパーもあるので便利です。大浴場があればな…なんて欲張ったことを思ったりもしましたが、真夏のように暑かったのでなきゃないで。夜は例によって「キンキンに冷えてやがる!」と「カイジ豪遊ごっこ」にいそしみました。

翌日。まだ行ったことがなかった伊豆半島最南端の石廊崎に行ってみます。タクシーで豪遊した頃もありましたが(確か…さ、佐渡…うっ、頭が…)、駅前から出る路線バスで行きます。路線バスだけど片道1020円もかかってしまいますが、綺麗な海や海岸を見られるので元は取れるような。


石廊崎。かつては「石廊崎ジャングルパーク」という植物のテーマパークがありましたが、2003年に閉園し、廃墟となっていましたが、2019年に「石廊崎オーシャンパーク」として開園されています。

岬の先端付近には石廊崎灯台。「日本の灯台50選」にも選ばれている中型灯台です。石廊崎は古来航海の難所だったということで、灯台設置は1871(明治4)年と早く、日本では10番目に古い洋式灯台でした。現在の灯台は二代目。ここが岬の突端のように思えますが、まだ下に降りる階段があり…

灯台の先にある石室(いろう)神社。社殿は海岸の岩窟上に立てられています。

社殿の下には千石船の帆柱があり、一部ガラス張りになっていて見ることが出来ます。海面に近づいたとはいってもなお30メートル以上はあり、どうしてこんな断崖絶壁に帆柱があるのか。伝説によると、石廊崎沖で嵐に遭った千石船が、帆柱を石廊権現に奉納すると誓って祈ったところ、無事に江戸に到着することができましたが、帆柱奉納のことをすっかり忘れていた帰路、何故か石廊崎の沖で船が進まなくなり、天候が急変して暴風雨となりました。誓いを思い出した船主が千石船の帆柱を斧で切り倒すと、帆柱はひとりでに波に乗り、断崖絶壁を石廊権現の社殿あたりまで、まるで供えたかのように打ち上げられ、同時に暴風雨も鎮まったそうですが、神様はそんなに帆柱が欲しかったんかい(笑)。「石廊崎権現の帆柱」として伊豆七不思議の一つに数えられています。

ここが最先端かと思いきや、なお先があります。50メートルほど先に進むと熊野神社が。ここが最突端。こちらは縁結びに御利益があるとされており、恋人達のパワースポットになっているとか。神社というよりは祠で、石室神社には人がいるけどこちらは無人です。

神社とか伝説より、とにかく海と海岸が素晴らしですね。石廊崎は日本最南端でも本州最南端でもないのですが、そう言われたら信じてしまいそうに雰囲気があります。私は乗りませんでしたが石廊崎岬めぐりの遊覧船も出ています。


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