高野山金剛峯寺:“戦国”好きもトリコにする魅力あふれる大名刹

即位パレードの日ということで東京は大騒ぎのようですが、大阪は当然ながら平常運転。それにしても秋晴れの良い天気です。秋の午後はクラシックが似合う気がするのですがどうでしょう。ちなみに秋の夜はボサノバあたりですかね。

本日は先日行ってきた高野山の話をば。昨年に比べて今年の秋はテンションが低いので、あんまり小さな旅をしていないのですが、このまえ記事にした姫路城と共に、高野山だけは行っておかなければと思っていました。平安仏教の巨人といえば最澄と空海。だいぶ前に最澄の比叡山は訪ねていたので、いつか空海の高野山にも行きたいと思っていましたが、京都から比較的簡単に行ける比叡山と比べると高野山はかなり遠いように感じます。個人的にはかつて“関東の高野山”の異名を持つ西新井大師の近くに住んでいたので、空海の方に親近感があるのですが。

南海高野線の特急「こうや」に乗って天下茶屋駅から極楽橋駅へ。天下茶屋駅には地下鉄堺筋線も来ていますが、乗り換えが非常に便利です。

「こうや」はその名の通り高野山の麓である極楽橋駅まで直通の全席指定特急列車で、これに乗らないと途中の橋本駅で乗り換えなければなりません。橋本~極楽橋間には「天空」という特別列車も走っていて、なんちゃって乗り鉄としては乗ってみたい気もしたのですが、やはり直通の便利さには勝てませんでした。

「高野山・世界遺産きっぷ」というお得な切符があって、電車割引往復乗車券、高野山内バス2日フリー乗車券の他、特典として金剛峯寺、金堂、根本大塔、霊宝館の拝観料2割引サービス券と店指定のお土産・飲食1割引サービス券が付いています。有効期間が2日間なので宿坊などで一泊する人にも便利ですね。

「こうや」の終点は極楽橋駅。駅名の由来となった極楽橋は駅の北側にあります。ここで標高535メートルあるのですが、さらに高野山ケーブルに乗り換えて高野山駅に向かいます。

高野山ケーブルの正式名称は南海鋼索線。2両連結の車両が高低差328メートル、最大568.2‰の勾配を往復しています。今年の春から新型車両に換装されています。

高野山駅は高野山の玄関らしく、頂上に宝珠を載せるなど寺院風で、2005(平成17)年に国の登録有形文化財に登録されています。ここで南海りんかんバスに乗り換えますが、高野山は鉄道・ケーブルカー・バスとすっかり南海三昧です。

高野山は山といっても、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地上の平地です。高野町の中心となっていて、警察も消防あって門前町となっています。2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されており、世界中から多くの観光客が訪れていますが、過去に1万人以上あった人口は3000強まで減少しています。高所にあるので温暖な和歌山にあっては例外的に冬の寒さが厳しく、夏も涼しいようです。

広い上に見所が多い高野山。宿坊に一泊してじっくり観光するのが正しいのだろうと思いますが、 大阪に住んでいて隣県に一泊もないだろうと日帰りにしてしまったので、ネットで効率の良い観光ルートを参照しまして、まずはバスで奥の院に向かいました。

奥の院には空海の御廟があります。バス停「奥の院」ではなく「一の橋」でバスを降りて2キロの参道を歩くのが正式な参拝ルートだそうです。この参道の両脇には皇室、公家、大名などの墓が多数並び、総数は20万基以上とか。戦国大名の6割以上の墓所があって、有名どころでは織田信長、武田信玄・勝頼父子、明智光秀、石田三成、豊臣家などの墓があります。他に伊達家、前田家、島津家、有馬家などの墓も。信長と光秀の墓が共にあるというのも凄い話ですが、高野山の懐の深さということでしょうか。

歴女にはたまらないであろう参道を過ぎ、玉川にかかる御廟橋を越えると真言宗の聖域として撮影禁止エリアになります。御廟では弘法大師空海が現在も肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入っており、人々へ救いの手を差し伸べているという入定信仰があります。

鬱蒼とした杉の大木の立ち並ぶ奥の院を出て、次にバスで向かうは金剛峯寺。金剛峯寺は元は高野山全体の呼称(比叡山延暦寺も同様)ですが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは青巌寺と興山寺という2つの寺院が合併したもので、高野山真言宗の総本山となっています。

境内には日本最大の庭園「蟠龍(ばんりゅう)庭」があります。今年は秋になっても暑かったので紅葉が遅れているようですが、さすが高山にあるせいで、高野山ではすっかり色づいています。



なお青厳寺時代の文禄4(1595)年、柳の間で豊臣秀次が切腹したということで「秀次自刃の間」と呼ばれています。数少ない血縁の甥を切腹させたばかりか、係累のほぼ全てを三条川原で処刑するという秀吉の無残な大粛清の理由は謎ですが、天正19(1591)年の千利休切腹事件といい、晩年の秀吉は認知症にでもなっていたのでしょうかね。

金剛峯寺から歩いて壇上伽藍へ。ここは一般寺院でいう本堂の区画で、奥の院と並ぶ高野山の二大聖地です。朱色のが美しい根本大塔は真言密教の根本道場として建立された、日本最初の多宝塔です。本尊は胎蔵大日如来で、周りを金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲んでいます。

金堂は高野山全体の総本堂で、高野山での主な宗教行事が執り行なわれています。現在の建物は7度目の再建で、昭和7(1932)年の完成です。

空海の持仏堂として建立された御影堂と、その奥は空海が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立したと伝えられる准胝観音を本尊とする准胝堂です。

国宝に指定される不動明王を本尊とする不動堂。現在の建物は14世紀前半に再建されたもので、堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったと伝えられています。

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うために建立した六角経蔵。現在の建物は昭和9(1934)年の再建です。経蔵の基壇付近に把手がついており、回すことができるようになっていて、一回りさせると一切経を一通り読誦した功徳が得られるとか。私が見た時は子供が回していました。

他にも三昧堂、孔雀堂、西塔、東塔、御社、山王院など様々な伽藍がありますが、この辺にして霊宝館へ。金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている仏画・仏像などの国宝・重要文化財等を保護管理し、一般にも公開する目的で大正10(1921)年に開設されました。高野山には日本の国宝の2%があるとか。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されています。

この他、高野山全体の総門である大門、三代将軍家光建立の徳川家霊台、女人禁制時代は女性はここまでしか入れなかったという女人堂、そして金剛峯寺の修行僧が居住のために作った草庵を起こりとする117もの子院群がありますが、流石に日帰りでは観光を見送らざるを得ませんでした。一泊される方は是非観光して下さい。

ざっとしか見られませんでしたが、それでも高野山の偉容は感じることができました。特に奥の院は参道を含めてまさに聖地の趣も深く、一見の価値があります。私のように無信心者でも、続々と現れる有名な戦国武将の墓には感嘆せざるを得ませんでした。かつては女人禁制でしたがもちろん今は昔の話なので、特に歴女の方々は是非とも。
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