姫路城:世界遺産にして国宝、さらに特別史跡の“三冠王”は大人気観光スポット

本日即位礼正殿の儀で祝日。そちら方面の前振りをするのが当然なんでしょうが、個人的には漫画家の吾妻ひでお逝去の報道の方が衝撃が大きくて。私が彼の作品を知ったのは、少年チャンピオンで連載されていた「ふたりと5人」からですが、人気はさておき好きになったのはその後の「チョッキン」からですね。彼の不条理ギャグとSFテイストが本当に波長に合いました。彼が青年誌やマニア誌に活動の場を移して以降は、とり・みきこそがポスト吾妻ひでおだと思って愛好していましたが、70年代後半にはジャンプすら凌ぐ人気を誇ったチャンピオン(嘘だと思うでしょうが本当なんです)は、80年代に急速に失速していき、私も購読誌をジャンプに変えたのでした。

80年代前半には作品のアニメ化などブームが起きた吾妻ひでおですが、80年代半ばから低迷期に入ってしまいます。その頃については「失踪日記」「失踪日記2 アル中病棟」「うつうつひでお日記」などで描かれているので興味のある方は一読していただければと思います(当ブログにも取り上げた記事があります)。とにもかくにも早すぎる死が残念でなりません。ご冥福を心からお祈りいたします。

さて、そんな傷心の中、本日は姫路城に行ってきました。本当に傷心なのかとツッコまれそうですが、久々に「京の夢大阪の夢」です。昨秋は京都と奈良を中心に攻めたのですが、今年はいつまでも暑かったせいでモチベーションが上がらず、ようやく本日半年以上ぶりに再開となりました。ま、高知や高山に行っている番外編もありますけど。
大阪住まいの間に行っておきたいなと思っていたところは昨秋で概ね廻ってしまい、あとは高野山と姫路城ぐらだななんて思っていた(本当はまだまだたくさんあるんですが)ところ、これまで兵庫はほとんど攻めていなかったので姫路城を選択してみました。神戸は女性に大人気のようですが、おっさん的にはあまりそそられなかったので、飛び越して姫路へ。新幹線を使わなければならないかと思ったのですが、JRの新快速が想像以上に早かったので、これを使いました。

姫路駅からまっすぐ北に延びる大通りの先に姫路城が見えます。バスもありますが、とにかく道が直線なので歩いても楽勝です。それにしても「姫路」、美しい名前ですね。古名の「日女路(ひめじ)の丘」に由来するそうで、カイコの事をヒメコ(蚕子)と呼んでいたことから、かつてこの地が養蚕業の盛んな地域であった事に因んで付けられた名称のようです。

直訳するとプリンセスロード。綺麗なお姫様が豪華な馬車に乗って通り過ぎるような印象ですね。姫路・神戸と東京を結ぶ神姫バスには3列シートの高速バス「プリンセスロード」があります。しかし個人的には昔見た18禁OVA「プリンセス・ロード 薔薇と髑髏の紋章」を思い出してしまいます。なぜか1巻しか出なかったので話が尻切れトンボになっていますが、売れなかったんでしょうかね。最初から1・2巻セットで販売して欲しかった。2巻で終わるのかどうかは知りませんが。

世界で最も名の知れた日本の城というと、大阪城や名古屋城を抑えて姫路城ではないかと思います。ユネスコ世界遺産にして国宝、そして特別史跡である“白鷺城”。江戸時代以前に建設された天守が残り、ほとんどの城域が特別史跡になっており、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物が重要文化財に指定されています。

姫路城は戦国時代より前の室町時代前期(南北朝時代)の14世紀中盤頃に築城されたのが始まりとされますが、当時は小規模な砦のようなものだったそうです。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、山陽道上の交通の要衝である姫路に置かれた姫路城は本格的城郭として発展していき、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって大規模な城郭へと拡張されました。

西国の外様大名監視のために西国探題が設置され、池田氏以降は親藩・譜代大名が配属されていました。明治期には陸軍の兵営地となり、この際に多くの建物が取り壊されましたが、大小天守群・櫓群などが国費によって保存される処置がとられたことは幸いでした。太平洋戦争時には空襲被害もありましたが、奇跡的に焼失を免れ、大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残しています。今では姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっています。

入場料は千円。お金を払えば当然天守閣に登ることになります。天守閣への道はぐるっと回り込むようになっていて、中々近づくことができません。やはり戦を想定してのことなんでしょう。幸いにも姫路城は大規模な戦火に晒されることはないまま現代に至っていますが。外国人観光客がたくさん来ており、さすが人気スポットのようです。

天守は6層で標高45.6mの姫山の上に建ち、石垣が14.85m、大天守が31.5mなので合計すると海抜92m。最上層からの眺めはなかなかですが、なにしろ窓が小さくて観光客が多いのでゆっくり見ていられません。江戸時代から現存する城にはありがちですが、階段がとにかく急で、膝に大きな負担がかかります。高知城ほどじゃないけど姫路城も膝クラッシャーな城ですね。駅の階段なんかが本当に優しく感じます。なお天守閣各層には特に展示物はなく、外国人にはちょっとつまらないかも知れません。刀とか鎧とか飾っておけば喜びそうですが。

天守を出てすぐのところに「腹切丸」という物騒な名前の櫓があります。建物の形状やその薄暗い雰囲気などから切腹の場を連想させることからそう呼ばれるようになったようですが、こんな天守と至近距離に切腹するような処刑場が作られるとは思えないので、ただの俗称ではないかと。

天守下にはお菊井戸と呼ばれる古い井戸があります。「播州皿屋敷」のヒロインお菊が皿をなくしたと因縁を付けられて責め殺され、投げ込まれたといわれる例の井戸です。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたとか。江戸を舞台とした有名な怪談「番町皿屋敷」は、この「播州皿屋敷」をモデルにしたともいわれています。

西の丸には渡櫓(長局)と化粧櫓が残っています。渡櫓は長さ約121間(約240m)に渡って連なっており「百間廊下」と呼ばれています。城外に向けては石落としや狭間、鉄砲の煙出しの窓も付設されている一方、城内側は奥女中達の部屋があって、長局となっています。

その先にある化粧櫓は、徳川家康の孫にして豊臣秀頼の妻であった千姫が、当時姫路藩主だった本多忠政の嫡男忠刻に再嫁する際に化粧料として与えられた10万石で建てられたものだそうです。忠刻は31才で早世してしまい、藩主は弟の政朝が継ぐことになりました。千姫が姫路城に住んだのは10年程度で、その後は娘の勝姫と共に本多家を出て江戸城に入り、出家して天樹院となって竹橋御殿で暮らしたそうです。千姫は美貌で知られるお市の方の孫でやはり美しかったそうで、祖父家康や父秀忠から可愛がられ、弟家光とも仲が良かったらしく、幕府も千姫の処遇に関しては細心の注意を払ったとか。

2009年から2015年まで行われた「平成の修理」により、白漆喰の塗り替えが行われた結果、想像以上に白くなりまさに白鷺城の異名に恥じない白さになりました。鈴木その子が住んだなんて嘘伝説が出来たりして。

なお姫路城の天守には長壁姫(おさかべひめ)という妖怪が隠れ住んでいるという伝説があり、年に1度だけ城主と会い、城の運命を告げていたとか。天守最上階には姫路城の守護神である刑部(おさかべ)明神がまつられているので、刑部姫とも言われます。「Fate/Grand Order」(最近話題として取り上げていませんが、今も無課金で細々とプレイしています)では「刑部姫」の名称でサーヴァントとして登場し、引きこもりのオタク女子として描かれていますが、城の神なのか狐の化け物なのか、正体は不明です。

古文書では見るからに怪しい妖怪なんですが、FGOでは完全に萌えキャラ化していますね。クトゥルー神話の旧支配者や外なる神すら萌えキャラにしてしまう恐るべき日本なので、もはやこれくらいでは驚きませんが。なおかの剣豪宮本武蔵が怪異の相次ぐ天守閣で怪異を調伏したというエピソードもあり、そこでは怪異の正体は古狐となっています。

どうでもいい話ですが、江戸っ子は「ひ」を発音できず「し」になってしまうそうで、実際私の高校時代の江戸っ子世界史教師は「ヒッタイト」を「シッタイト」、「ヒクソク」を「シクソク」と言っていました。同級生達は「テストで“シッタイト”って描いたら○くれるんだろうか」なんて言い合っていましたが、もしこの先生が「姫路城」を発音したら「シメジ城」になってしまうんでしょうね。優美なプリンセスロードがいきなりキノコ化。
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