氷菓(その3):「クドリャフカの順番」編~「青春」する古典部?

秋晴れの気持ちの良い一日でしたが、朝夕は冷え込みましたね。こういう秋の日は、日本に生まれて良かったなんて思いますね。他の国には他の国なりの季節の味わいがあるものでしょうけど、秋は日本が一番じゃなかろうか。なーんて。
昨日、このところアクセス数が多く、「私の奴隷になりなさい」の検索で来ていると話をしましたが、ちょっと思いついて「私の奴隷になりなさい」でググってみたんですよ。そしたら…1ページ目の5番目あたりになんとこのブログが!そう、6月29日の記事が!!

わかりにくくてすいません。ですが…「なんてこった!!」

思わずタシロ提督になってしまいましたよ。ホントにどうしてこうなった!?そりゃあ来るわけですよ……。決して私の方からGoogleに金品を渡したりした訳ではないのですが。昨日の記事が少しでも足しになればいいのですが。
さて、今日の話題です。このところ集中して見ている「氷菓」の「クドリャフカの順番」編の感想です。文化系部活動が活発なことで有名な進学校・神山高校にも文化祭の季節がやってきました。別名「カンヤ祭」ですが、その名前の由来は原作第一巻の「氷菓」(アニメでは1~5話)で解明されています。何と3日間に亘って開催されています。高校で文化祭3日間って結構凄いですね。普通は土日で2日間くらいではないですか?私の通った馬鹿高校はそうだったんですが。それでも学生運動真っ盛りの頃は5日間もやっていたそうなので40%も短縮されているのですが。

一年で最大のイベントであるこの文化祭。古典部は伝統の文集「氷菓」を出品します。「カンヤ祭」の名称の謎に迫った自信作ではあるのですが、手違いで十倍も発注してしまいます。といっても200部なんですが、20部しか売れないだろうと考えていた古典部一堂は顔面蒼白です。文集を売るために奔走する千反田える、文化祭を存分に楽しみながら文集を宣伝する福部里志、大量発注の直接の責任を感じつつ、兼部する漫画研究会でもギスギスした雰囲気に苛まれる伊原摩耶花、のほほんと静かに店番をする奉太郎と、古典部員は大量の在庫を抱えながらもマイペースのまま文化祭は進行していきます。

そんな中、校内では「十文字」と称する何者かが各クラブから物品を盗んで犯行声明を置くという、連続盗難事件が発生します。しかも「占い研究会」からは「運命の輪」(タロットカード)、「お料理研究会」からは「おたま」といった感じに「あいうえお」順にそのクラブの頭文字にちなんだ物が盗まれていくのです。アガサ・クリスティーの「ABC殺人事件」のように!古典部は、この事件を解決することによって部の知名度を上げつつ文集完売を目指し、「十文字事件」の謎に迫っていきます。

「氷菓」は過去の出来事の解明、「愚者のエンドロール」はねつ造された事件の解明(ないしは事件の創造)だったのに対し、「クドリャフカの順番」は実際に事件が発生しています。まあ刑事事件には波及しない程度のささやかなものですが。もっとも某名探偵の孫の高校みたいに次々と殺人事件が起きるようならおちおち通学もできませんが。
それよりも、古典部メンバー、特に脇役風だった里志と摩耶花が「青春」している部分が描かれていていいですね。ここでいう「青春」というのは、ただ楽しいということではなく(そんなの「青春」じゃない!)、「青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり」という「青春時代」の歌詞そのままの苦悩とか葛藤とか嫉妬といった感情のないまぜになった疾風怒濤の嵐です。

いつもにこやかで悩みなんかなさそうに見える里志は、実際には奉太郎の推理力に強い羨望と嫉妬を抱いていて、奉太郎に行動力がないから犯人を押さえるのは自分だと意気込みますが、結果的には歯が立たず、やる気のない奉太郎が真相突き止めた姿を見るしかありませんでした。

気の強い摩耶花は漫画研究会の有力な先輩を相手に論争を仕掛けてしまったりして浮き気味になっています。傑作はあくまで主観的なものなのか、誰もが傑作と認めざるを得ない絶対的なものなのかという文学論争のような議題ですが、その際に「誰が読んでも傑作」の例として摩耶花が挙げたのが、去年の文化祭で売られた「夕べには骸に」という漫画です。これが事件解決の鍵にして発端でもあるのですが…。結論を言うと、その先輩は「夕べには骸に」を知っていました。知っていて読まなかったのは、読めば自分がどうしても敵わない「才能の壁」を思い知らされるからだと。そして摩耶花は、その先輩が「夕べには骸に」には敵わないものの「結構良い」と思っていた漫画の作者だったことを知ります。そして自分の漫画はそれら二作に全く及ばないということも。

「才能の壁」を痛感した摩耶花は、奉太郎の才能への嫉妬と羨望を口にする里志の気持ちに強く共感したことでしょう。里志は別に推理力で奉太郎に勝ちたいわけではなかったのでしょうが、ただ見上げてため息をつくのではなく、同じ場所に立ってみたかったのでしょう。また、自分が欲して持てない才能を持ちながら、それを積極的に活用しようとしない奉太郎へのいらだちもあったのかも知れません。文化祭のこのイベントがあって、やはりこの2人はそのうちちゃんと交際するのだろうなと思いました。

一方、可愛くなければただウザイだけなんじゃないかと思っていたえるもそれなりに頑張りました。彼女には嫉妬という気持ちは生来希薄なようですが、押しに弱いので様々な誘いに乗ってコスプレしたりして時間をロスしていましたが、結果的にはお料理コンテストの優勝や放送部の生放送出演などで大いに文集販売に貢献しました。えるは入須冬美に憧れているようで、人心掌握の秘訣を聞いて実行したりしていますが、当然上手くいきません。入須に直接「はっきり言おう,お前にはああいうのは向かない」とダメだしされてしまいました。

奉太郎はといえば、部室で店番しながらなぜか始まった「わらしべプロトコル」を継続して里志達をさりげなく助けたり、真相を究明して「犯人」と取引を行って文集をさばいたりと、安楽椅子探偵ぶりを遺憾なく発揮しています。しかし、その奉太郎のひらめきも、姉の供恵が持ってきた「夕べには骸に」があったればこそ。供恵はやっぱりマイクロフトですよ。その暗躍ぶりには月影先生もびっくりだ!

さて、ネタバレになりますから犯人については言及しませんが、その動機はやはり才能を有効に活用しない者、というかその才能にたいした価値を見いださない者への羨望と嫉妬でした。直接聞き質したらいいじゃないかという気もしますが、それを言っちゃあおしまいですね。これだけまだるっこしい手段を取ったその頭脳こそ他者の嫉妬と羨望の対象だろうに。また、犯人は、自分の意図は相手に届かなかったと嘆いていましたが、終盤のシーンを見ると、本当は届いていたのではないかという解釈も成り立ちますね。この辺りは視聴者の解釈にまかせるということでしょうか。

入須冬美に憧れる千反田える、奉太郎に匹敵したい里志、「夕べには骸に」の作者への羨望と嫉妬を持つ犯人、漫画研究会の先輩、そして摩耶花。青春とは恋い焦がれてもどうしても手に入らないものがあるということを知ることなのでしょうか。しかし打ちのめされた感じもあった里志ですが、そんな里志にも強い対抗意識を燃やす谷なんてマッシュルームカットの少年がいます。そして里志はこの谷に対して極めて冷淡です。奉太郎に対する自分の気持ちと自分に対する谷の気持ちとが同質であることを自覚すれば、少しは優しくできるのかも知れませんが、自分自身のことはわからない-これも「青春」なのでしょうか?いやいや、人生全般においてそういうものなのかも……。

古典部メンバーの中で、奉太郎だけは全然変わらない感じがしますが、彼は「愚者のエンドロール」で大ショックを受けているので、その際に「青春」したのかも知れませんね。

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