ファイナルファンタジーⅡ:“攻め”の姿勢を貫いたシリーズ第二作

立春を過ぎて早春賦の季節です。♪春は名のみの風の寒さや~と歌われる季節なのに、やたら暖かい日が続いてもう花粉の心配をしなければならないのかと思っていました。しかーし、本日は寒い!関東は雪だそうですね。大阪は雪こそ降らないけど底冷えする曇天で、大川が寒々しいです。

さて、本日はなんと本当に久しぶりにレトロゲームの紹介をしてみたいと思います。かつてもっと更新が頻繁だった頃は“レトロゲームの日曜日”なんてほざいていましたが、自分がプレイしたゲームを時系列に古い順に紹介していくという。どこまでやったっけかとマイブログをひもとくと、2016年6月5日に1988年10月22日発売の「ウルトラマン倶楽部」を紹介したのが最後でした。さ、3年前…しかもまだ昭和ですよ。もうすぐ新元号に移行するというのにこれはいかんですね。本日は大作「ファイナルファンタジーⅡ」を紹介しましょう。

「ファイナルファンタジーⅡ」は1988年12月17日にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されたファミリーコンピュータ用ゲームソフトです。一作目の1年後の発売で、ドラクエⅢの約10ヶ月後。ジャンルはもちろんRPG。ファイナルファンタジーシリーズには偶数シリーズと奇数シリーズがあるとされ、偶数シリーズはストーリー重視、奇数シリーズはシステムと自由度重視なんて言われていました。その伝でいくとストーリー重視の流れを作った作品ということに。

しかし、本作についてはシナリオのみならずシステムにも大幅な新機軸が盛り込まれた意欲作でした。傑作として社会現象にまでなったドラクエⅢへの対抗心ありありという感じですが、それが成功したかとうかと言えば…。販売本数は約76万本で、ドラクエⅢの約380万本と比較したら五分の一といったところです。

パラメキア帝国の皇帝は地獄の底から魔物たちを呼びよせ、全世界に総攻撃を仕掛けた。各国は抵抗するも帝国の圧倒的な戦力の前に敗退を重ね、フィン王国に住むフリオニール・マリア・ガイ・レオンハルトの4人の若者たちも故郷を奪われ、迫り来る帝国の魔の手から逃亡を続けていましたが、追っ手の追撃に倒れます。フィン王国王女が指揮する反乱軍に救われたフリオニールらは、反乱軍への参加を志願し、行方不明となったマリアの兄・レオンハルトの捜索を胸に誓います。

従来の牧歌的なファンタジー世界とは異なり、「圧倒的力を持つ帝国に反乱軍が立ち向かう」というスターウォーズを連想させるようなファンタジー戦記風の世界観となり、「キャラクターが入れ替わり壮大なドラマを展開する」という、表現力に限界のあったファミコンながら、今日では当たり前になったストーリー手法を初めてコンシューマRPGに本格的に取り入れた歴史的作品と評価されています。

仲間の入れ替わりに際しては悲劇的な展開となることが多く、視覚的な表現力以外にもシナリオ面で「悲愴感漂う暗い世界観」を作り出すのに貢献しています。また物語も単純な勧善懲悪ではなく、限られたイベントの中で無常観を強く表現していました。街の様子も、イベント進行により住民のセリフが変わったり、住民が死んでしまったり、果ては街そのものが壊滅してしまうなど、大きな変化が見られるようになりました。ストーリー・劇中演出に重点を据えたこの作風は、SFCにプラットフォームを移したFF4において大きく花開くことになり、偶数シリーズはシナリオと呼ばれる作風の源流になったと言えるでしょう。

しかしそれよりも私の印象に強く残っているのは、キャラクターの育成システムでした。当時のRPGの主流であった「経験値を稼いでレベルを上げてキャラを強化する」のではなく、「戦闘中の行動に応じて能力が成長する」方式を採用したのです。戦闘中に「たたかう」を主に選択していけば戦士タイプとなり、「まほう」を主に選択していけば魔法使いタイプのステータスになるように自然と成長していく仕組みとなっていて、武器や魔法は全ての種類を全ての仲間キャラに自由に装備させることが可能で、同じ種類の武器・魔法を使い続けることで、それぞれのレベル(熟練度)が上がり、効果が増していきます。

これは発売当時、家庭用ゲーム機のRPGでは他に類を見ない非常に珍しいシステムで、キャラクターをプレイヤー好みに成長させられる自由度の高さもセールスポイントでしたが、重くて強い武器を持つと魔法の効果が下がるという「魔法干渉」の存在(しかも説明なし)し、また防御力の高い重装備には回避率低下、状態異常耐性なし、「すばやさ」の成長に対する悪影響などデメリットがありすぎました。

このため、「いくら熟練度を上げても効果がイマイチ=魔法そのものの威力が弱い」と勘違いされ、「回復魔法だけ覚えて物理攻撃メインでいけばいい」という選択を取りがちになり、重装備は忌避されて軽装備による「回避率至上主義」という攻略法ができあがっていきました。実際私のパーティーは全員パラディンみたいになっていました。これは魔法を使うのが面倒くさいので物理に流れやすいという個人的性向のせいもありましたが。

またこのゲームでは最大HP及びMPが上昇する条件は「戦闘開始時よりHP(MP)が減っている」だけであり、「誰に、どのような方法でHP(MP)を減らされた・減ったのか」は参照されなかったため、仲間同士で攻撃し遭うというパーティーアタックで簡単にHPやMPが上がりました。シナリオ重視を謳ったその傍らで、仲間同士がどつき合っているというのは実にシュールな光景でした。しかし、本作で重要なのは「回避率、魔法防御」といった回避ステータスなのでした。

しかも、いくらHPを上げても終盤は状態変化攻撃や割合ダメージを使ってくる敵が次々と登場するため、当時は「裏技を使ってHPを滅茶苦茶上げたのにクリアできない。敵の攻撃が強すぎて回復が追いつかない」と泣きを見たぷれいやーが続出したようです。ネットのなかった当時は、攻略本の説明を鵜呑みにする場合が多く、そのため「目先のHPと防御力に囚われた重装備スタイル、魔法と回避率を度外視した歪んだ熟練度稼ぎ」を選択して泣きを見て、「FF2=ハードルが高く難しい」という印象につながってしまいました。

このほか、使い道のない魔法(「死に魔法」)が多く、「究極の攻撃魔法」という触れ込みのアルテマでさえ、どんなに熟練度を上げても威力が低いままのガッカリ魔法でした。アルテマ入手の際にはストーリー面での盛り上げがあり、仲間が命を落とすことになるのですが、それに全く見合わない威力により、無駄死にになってしまっています。というかアルテマいらないからミンウを返せ。

消息不明のレオンハルトですが、もう古いゲームだからネタバレしても差し支えないでしょうが、帝国側に寝返り、ダークナイトとして何度も姿を見せます。終盤にはパラメキア皇帝に即位するまでになりますが、地獄から甦った先代の皇帝によって野望を阻まれ、妹のマリアに説得されて再び仲間になるのですが、最終決戦後は「俺たちはいろんなことを知りすぎた…。もう昔には帰れない…」と言って去って行きます。

FF2は、前作のブラッシュアップという安全策ではなく、大々的なシステム変更で攻めの姿勢に出た意欲作でしたが、異色の存在というイメージは現在も強いものの、システム上の説明不足からくる難易度面の誤解が大きく影響したせいで、高評価とはなりませんでした。また、本作同様のシステムは以後採用されることはありませんでした。次作「ファイナルファンタジーⅢ」の大ヒットにより、FFはDQと双璧をなす有名RPGシリーズにまで成長しましたが、売り上げ面で前作以上のヒットを達成し、FFⅢにつなげたという意味で、発展途上のシリーズ初期作品として十分に意義はあったと思われます。

なおラスボスであるパラメキア帝国の皇帝は凄まじい魔力の持ち主で、一度はフリオニールらによって倒されるも地獄の力を身につけて地獄の城であるパンデモニウムを支配して悪魔のような姿になって甦り、今度は世界征服に目もくれず現世の全てを滅ぼそうと暴走します。



倒された際に出す断末魔の叫び「ウボァー」(リメイク版では「ウボァー!」と勢いが付いています)は、皇帝の最期にしてはあまりにマヌケでインパクトがあったため、多くのプレイヤーの心に残り、ネタにされることとなりました。以後FFシリーズでは「変な断末魔の叫び」がお約束のようになってしまい、FF4のゼロムス「グ…ズ…ギャァァァァム!」、FF5のエクスデス「うごごご!」、FF8サイファー「ぎにゃぁぁぁぁ!!」」などが登場しました。「北斗の拳」の向こうを張っていたのでしょうか?

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