京都小旅行(その5):醍醐寺

昼間はともかく、朝夕はめっきり冷え込んできましたね。冬もすぐそこということで、ニトリで買った冬用の敷パッドを装着しました。Nウォームモイストという、暖かいだけでなく吸湿もするので乾燥と静電気を防ぐんだそうです。

ピローパッドはNウォームスーパー。蓄熱・保温力が高くて一番暖かいそうです。敷パッドとピローパッドは種類も色も合わせたかったのですが、店に同じのがなくてちぐはぐになってしまいました。グレーのNウォームモイストで統一したかったのですが。夏用のNクールシリーズは、それだけで涼しいというほどではなく、ないよりはまし程度でしたが、Nウォームシリーズはかなり暖かいようです。ま、真価が問われるのは真冬になってからなんですが。

本日は醍醐寺に行ってきました。京都市内の寺院ではあるのですが、伏見区と中心部からかなり離れています。伏見区といえばGWに伏見稲荷と東福寺に行きましたが、醍醐寺はさらに市街から遠いところにありました。平安時代初期の創建で、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が貞観16(874)年に笠取山頂上に開山し、笠取山は醍醐山に改名されました。ちなみ「醍醐」とは、牛乳を加工した、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁のことだそうで、バター説、チーズ説、カルピスないし飲むヨーグルトのようなもの説など諸説あってはっきりしませんが、最もおいしい味の代名詞だそうです。

その後醍醐天皇が醍醐寺を勅願寺としてに手厚い庇護を与えたことで、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍が発展しました。これにより醍醐山山頂が上醍醐、山麓が下醍醐と呼ばれています。応仁の乱などで下醍醐は荒廃しましたが、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行ったことにより寺院建築が移築され、今日の姿になりました。山の上の上醍醐までは、険しい山道で1時間はかかるということで、「ヤマノススメ」を見た後とはいえとても行く気になれませんでしたので、下醍醐だけを見てきました。

下醍醐だけでも拝観料は2000円かかりました。高!三宝院、霊宝館、伽藍を見られる拝観券が1500円で、これは春秋以外は800円らしいんですが…も、もしや足下を見てる? これに三宝院の奥宸殿などの特別拝観券が500円。これはケチってもいいんですが、せっかくきたので行けるとこまで行こうと思ったので奮発しました。

最初に見たのが三宝院。醍醐寺の塔頭なんですが、真言宗系の修験道当山派を統括する本山でもありました。先週行った金峯山寺と関わりが深い訳ですが、何も考えずに言ってみたらこういうことになるとは、なにやら因縁を感じますね。創建は永久3(1115)年ということで、下醍醐でも新参な訳ですが、鎌倉・室町幕府の庇護を受け、応仁の乱によって焼失したことで廃寺同然となりましたが、豊臣秀吉が三宝院を中心に「醍醐の花見」を開催したことで庭園が整備されました。

国宝は表書院と唐門。表書院は「醍醐の花見」の際に奈良から移された能の楽屋を再移転し、中門を付加するなどして書院造風に整えたものです。唐門は正面扉に金箔の桐紋、その脇に菊紋を張り付けるという、いかにも桃山期らしい豪壮な門です。2011年に修理されてため、作ったばかりのように真新しくなっています。

庭園は慶長3(1598)年の「醍醐の花見」に際して、豊臣秀吉が自らが基本設計を行ったもので、秀吉死去後の元和10(1624)年まで作庭が続けられました。

正面に据えられた冷蔵庫のようにも見える「藤戸石」は、秀吉が聚楽第から運ばせたものですが、元は岡山県倉敷市藤戸町にあったもので、それを足利義満が鹿苑寺金閣へ取り寄せ、その後細川管領家、二条城、聚楽第、醍醐寺三宝院へと移され、その歴史的経緯から、「天下人が所有する石」とも呼ばれています。

三宝院庭園は、安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える日本庭園として貴重なもので、1952(昭和27)年に国の特別史跡および特別名勝に指定されています。



特別拝観料500円を出した成果としては、通常非公開の奥宸殿、純浄観、本堂の三つの重要文化財へ立ち入りすることができます。

続いて霊宝館へ。寺宝の保存と公開を兼ねた施設として作られ、上醍醐薬師堂の本尊である薬師三尊像(国宝)、上醍醐五大堂の木造五大明王像(重要文化財)など、伽藍諸堂に祀られている諸尊以外のほとんどの寺宝が安置されています。


水晶宝龕入り木造阿弥陀如来像が初公開されていました。これは蓮華のつぼみの形をした透明な水品のなかに金箔を押した木造の阿弥陀如来小像が納められたもので、日本の仏像の歴史上でも他に例のない珍品だそうです。鎌倉初期の名仏師・快慶作という説もあるとか。

そして伽藍へ。西大門(仁王門)は、豊臣秀頼が慶長10(1605)年に再建したものです。

五重塔。伽藍は応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返していますが、五重塔は創建当時のまま現在に残っている、京都でも数少ない平安時代建築です。当然国宝。五重塔内部の壁画も別途国宝に指定されています。

本尊薬師如来を安置する金堂も国宝。豊臣秀吉が紀州の満願寺本堂を移築したものだそうです。江戸時代になって京都に再興された智積院もそうですが、秀吉が紀州征伐を行った影響はあちこちに出てきますね。

観音堂は、本尊は丈六の阿弥陀如来坐像なんですが、2008年に落雷により焼失した上醍醐の准胝堂の西国札所が仮に移されているので「観音堂」と改称されています。


その他不動堂、真如三昧耶堂、弁天堂などが紅葉の間にあります。


紅葉の時期の京都というと、嵐山をはじめ混みまくっているという印象があって二の足を踏んだのですが、醍醐寺は市街地から離れているせいか、それほど混んではいませんでした。とはいえ外人はたくさんいて、京都の面目躍如ではあったのですが。吉野など奈良の僻地(失礼)だと外人の数もだいぶ減る印象なのですが、人気そのものが少なかったりして。

醍醐寺近辺は静かな住宅地という印象で、この辺りに住むのもいいなあと思いましたが、醍醐寺自体は有料だから近くに住んだからといってそうそう入るわけにはいかないことでしょう。寺社とかけて故郷と解く。その心は、遠きにありて思うもの。なーんちゃって。

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