京都小旅行(その4):広隆寺と壬生寺&孤独のグルメ

皆さん、秋を満喫していますか?毎年秋は好きなんですが、この夏が無茶苦茶暑かったせいで、今年の秋は実にありがたいですね。もうずっと秋ならいいのに。釣瓶落としですぐに暗くなってしまうのが唯一の難点ですが、夕暮れ時に慌ただしく暗くなっていくのもまた秋の醍醐味なのかも知れませんね。

秋は旅情をそそる季節、ということでこのところ日曜日ごとに京都だ奈良だと出かけている訳ですが、本日も京都に行ってきてしまいました。今回は太秦と壬生に出没です。

太秦と書いて「うずまさ」と読む。これは初見殺しの地名ですよね。渡来系の豪族である秦氏の拠点だったそうで、秦氏が絹をうず高く積んだことから、「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説があるそうです。太秦といえば映画村、というのが一般的な連想なのかも知れませんが、個人的には広隆寺。国法第一号とされる弥勒菩薩の半跏思惟像で有名です。有名なんですが、どういう訳かまだ行ったことがありませんでした。郊外ならいざ知らず、町中の有名寺院は抑えておかねば、ということで行ってきました。

京都駅から山陰本線に乗り換えて花園駅下車。一つ先の太秦駅で降りた方が近いのですが、通り過ぎたくないという妙な感情に支配されて。広隆寺の手前で発見したのが大酒神社。小さい神社ですが、変な名前だなあと入ってみたら。

なんと秦の始皇帝を祀ってました。他にも弓月王と秦酒公。弓月王は3世紀前半に百済から日本に帰化した秦氏の祖とされ、秦酒公は5世紀前半の豪族で、各地に散らばる秦部・秦人の統率者となったということで中興の祖といえますが、なぜに始皇帝なのか?実は弓月王、百済から日本に来たとされますが、それ以前をひもとけば、そもそも秦の始皇帝の末裔で、秦が滅亡した時に朝鮮半島に逃れて秦韓(辰韓)を建国したという説があるんだそうです。もっともその氏族伝承は9世紀後半に盛んになったもので、真実性には疑問が呈せられているそうですが。

始皇帝の末子で二世皇帝となった胡亥が皇族を粛清したほか、項羽も秦の最後の王である子嬰一族を皆殺しにしているので、始皇帝の直系子孫が生き残っているかどうかははなはだ疑問なんですが、傍系とかならありえなくもないのかも知れませんね。大酒神社の元名は大辟(大避)神社で、災いを避ける道祖神だという説や、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もあるそうです。こんな小さな神社なのに奥が深いですね。

閑話休題、広隆寺に行きましょう。別名秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれます。秦氏の氏寺で、平安京遷都以前から存在していた、京都最古の寺院です。日本書紀によれば推古天皇11(603)年、聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝がこの仏像を譲り受けて建立したそうですが、広隆寺縁起によれば、推古天皇30(622)年、同年に死去した聖徳太子の供養のために建立したそうです。いずれにせよ元は別の場所に建立されていたものが、平安京遷都と同時期に太秦へ移転したとする説が有力だそうです。

本堂は上宮王院太子殿と呼ばれ、本尊として聖徳太子立像が安置されています。講堂(重要文化財)となっていますが、白眉は霊宝殿。ここまでは無料ですが、霊宝殿に入るのには800円かかりますから。霊宝殿内は写真撮影が禁止されていますが、中央には通称「宝冠弥勒」の木造弥勒菩薩半跏像があります。

思ったより小さかったのですが、さすが優美です。制作時期は7世紀とされますが、制作地については作風等から朝鮮半島からの渡来像であるとする説、日本で制作されたとする説、朝鮮半島から渡来した霊木を日本で彫刻したとする説があり、決着を見ていません。


一般に「国宝第1号」として紹介されますが、同時に国宝に指定された物件は他にも多数あり、「彫刻第1号」が本像であるということらしいです。その他木造阿弥陀如来坐像、木造不空羂索観音立像、木造千手観音立像、木造十二神将立像と国宝がずらり。重文級になるともうぞろぞろと。これが800円の威力か。

広隆寺のそばには路面電車の京福電気鉄道嵐山本線の太秦広隆寺駅があったので、これに乗って四条大宮駅へ。ここからほど遠くない所に新撰組ゆかりの壬生寺があります。


この辺りは江戸時代まで壬生村と呼ばれていたそうで、新撰組屯所となっていた郷士の八木邸、前川邸も現存しています。八木邸は観覧料を払えば見学できますが、前川邸は非公開で土日のみ玄関で新選組に関するグッズ販売を行っています。

で、壬生寺ですが、正暦2(991)年に建立と1000年以上の歴史を持っています。奈良・唐招提寺を総本山とする、京都では珍しい律宗寺院です。幕末には境内が新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたそうです。


その縁で境内には局長近藤勇の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚があります。阿弥陀堂で参観料200円を払うと見られるほか、地階の壬生寺歴史資料室では寺宝や新選組の関連資料が展示されています。とりあえず絵馬に書かれた絵がやたら上手かったので思わず撮影してしまいました。

壬生からはとことこと京都駅まで歩きました。京都駅まで来たらまた拉麺小路だろうと思われるでしょうが、今回は違います。まっすぐ大阪まで帰りました。で、大阪駅北口にあるヨドバシ梅田の8階にある飲食店街へ。

お目当ては「伝説のすた丼屋」。実は5月にも来ておりまして、その際は「ガリバタすた丼」を肉増しで食べたのでした。基本の「すた丼」にトッピングのガーリックとバターを追加したものです。チーズをトッピングしたチーズすた丼と迷いましたが正解だったと思います。

今回はなんだ、「“絶頂”牛カルビマウンテンDON」か、それとも最新鋭の「ダイナミックすたみなトンテキ丼」かと思われるでしょうが…違います。チャーハンと鬼盛りすたみな唐揚げ(単品)のあわせ技をオーダーしました。

なぜにすた丼系じゃないのかとツッコまれそうですが、ネットでは“すた丼屋のチャーハンは旨い”と評判なんですよ。そもそもチャーハンが大好きなもので、これは押さえておかねばと思っていました。

そして今日はがっつりと歩いたせいでお腹もペコちゃん(By井之頭五郎)だったので、これも評判の鬼盛りすたみな唐揚げをつけました。鬼盛りすたみな唐揚げ丼、あるいは鬼盛りすたみな唐揚げライスにすれば780円という激安で食せるんですが、あえてチャーハン(690円、味噌汁付き)と単品鬼盛りすたみな唐揚げ(500円)で、すた丼屋なのに平然と1000円を大幅に超えるというところがブルジョアチックでいいんじゃないかと。

チャーハン美味しい!その辺の中華料理屋で食べるよりいい出来です。唐揚げを頼んでなかったら大盛りもいいかも知れませんが、並でもかなりの量があり、多分普通の店の大盛りくらいは軽くいっています。また中華料理屋でチャーハンを頼むとラーメンスープとか卵スープあたりがついてきますが、すた丼屋では味噌汁がついてきます。この味噌汁がサービスの割に悪くないです。というかかなりいけます。

そして唐揚げ。片岡鶴太郎なら拷問責めだと思いそうなほど揚げたてで熱々の唐揚げが皿に8つも乗っています。単品だとキャベツやマヨネーズが付いてこないので若干淋しいですが、ニンニク醤油ダレに漬け込まれた鶏肉は美味しくてジューシーでした。これはいい組み合わせ。CoCo壱番屋でちょっと贅沢なトッピング付ければこれ以上の値段になりますが、すた丼屋のチャーハン+唐揚げの満腹感は圧倒的でした。大阪王将に「今日はとことん餃子が食べたい」をキャッチコピーにした餃子定食(餃子二人前+チャーハン)がありますが、満足度はそれを超えますね。

井之頭五郎にもぜひこれは食べて貰いたい。焼き肉のどか食いには及ばないかも知れませんが、プチ人間火力発電所レベルには達するんじゃないかと思います。うおォン!
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