京都小旅行(その2):下鴨神社と鴨川河川敷

相変わらず気温は高めですが、昨日よりも湿度がなく秋らしい晴天でした。となると京都へ行かずにはおられないのが秋という季節(奈良もいいぞ!)。夏の間は一切わき出してこない衝動なんで不思議ですが、この衝動は全国的に発生するものらしく、この時期京都には各地から暇と金がある爺婆が押し寄せてきます。関東からだとおいそれとは行けませんが、大阪暮らしなら楽勝です。

ということで本日は京阪本線で終点の出町柳まで行き、そのそばにある下鴨神社と鴨川に行ってきましたよ。嵐山の桂川もそれはそれはいいですが、町中を流れる鴨川がやけに風情があって好きなんですよ。

まずは下鴨神社。正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と共に山城国一之宮です。今やユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の1つでもあります。この辺りを勢力圏としていたという賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社と総称されます。両社で催す葵祭は京都三大祭りの一つとして大変有名ですね。

下鴨神社は京都の社寺でも最古の部類に入り、神武天皇の時代に遡るとか。それを素直に受け入れると2600年以上前ということになりますが、さすがに信者以外は(笑)。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともいわれますが、とすれば奈良時代。いずれにせよ平安京遷都以前から崇敬を受けていたようです。上賀茂下鴨の両社には皇女が斎院として奉仕しましたが、こういうシステムは伊勢神宮の斎宮とただ二つだけです。併せて斎王と呼びますが、葵祭に登場するのは斎王の代理ということで斎王代と呼ばれます。

「京都寺町三条のホームズ」でも取り上げられいましたが、斎王代に選ばれるのは大変な名誉ですが、その選考は完全非公開で、①京都にゆかりがある ②未婚で主に20代(歴史経緯から斎王が既婚はまずいですからね)などの条件がある中に、支度金が用意できるという項目があるとか。自身の衣装はもとより、女人列の費用や食事代、寄付金などで数千万円かかるとか。貧乏でもミスユニバースにはなれるでしょうが、斎王代には絶対になれないという。実際、歴代の斎王代は京都ゆかりの老舗店や、寺院、医者、文化人などの令嬢からしか選ばれていないそうです。

下鴨神社に来たのは久しぶりで、前に来たのは12~3年前でした。その頃上賀茂神社も訪れたんですが、個人的には下鴨神社の方が好きです。それはなぜかというと、糺の森があるからなんです。下鴨神社のすぐ南で賀茂川と高野川が合流するのですが、その付近で発達した原生林で、面積はおよそ12万4千平方メートルで東京ドームの約3倍。森林全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受けています。糾の森あっての下鴨神社です。平安京が置かれた時代には今の40倍以上の広さがあったそうですが、応仁の乱で7割が焼失したとか。



参道とかが広いせいで、森と言うよりは林じゃないかという感じもするのですが、ここを歩くといつも気分がいいんですよね。ちょっと前に流行った森林浴の効果があるんでしょうかね。私はいわゆるパワースポットと呼ばれる場所に行っても全然パワーを感じないタイプなんですが、ここはパワーはともかく気持ちが良くなる場所です。しかし台風の被害を受けたせいか、根こそぎ倒れた木があちこちに。昔はもっと広く感じたんですが、今回改めて訪れたら意外に狭かったですね。

糺の森の入り口付近には摂社の河合神社が。祭神は神武天皇の母である玉依姫命。それはいいのですが、この玉依姫命、玉の様に美しかったという事から美麗の神として信仰を集めているとか。「日本第一美麗神」なんて書かれていますよ。

はい、これが玉依姫命。へ…平安美人?いや平安時代より遙かに昔の人のはずなんですが。参拝に来た女性の皆さん、こういう風になりたいんでしょうかね。


近代化改装(笑)された玉依姫命の画像もありました。ああ、これならばなんとか理解も。もっとあるだろう色々と、本格的に画像検索に走りそうになりましたが、こんなことをやっているとかつてシリーズ化していた「中国美女列伝」になってしまうのでこの辺にしておきましょう。

この神社は「方丈記」で有名な鴨長明に深い縁があり、長明は河合神社の禰宜の息子だったそうです。長明も禰宜就任を望みましたが叶わず、神職としての出世の道が閉ざされたことで出家して京都郊外周辺で閑居生活を送りましたが、河合神社には長明が晩年過ごしたと言われる建物を再現した方丈の庵が展示されています。案内書によれば、この方丈は組み立て式で方々に転居しては組み立て直して住んでいたとか。夏も冬もこの方丈だけで過ごすのはちょっとキツそうですが…台風とかで吹っ飛んだりしないんでしょうかね。

そして下鴨神社。こちらも祭神は玉依姫命ですが、どうやら河合神社の祭神とは別人(別神)のようで、別名は玉櫛媛。上賀茂神社で祀っている賀茂別雷命の母だそうです。それと賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)で、こちらは玉依姫命の父になり、賀茂氏の始祖になります。神武東征の際、八咫烏に化身して神武天皇を先導して勝利に貢献したとか。

他にも小さな摂社末社がありましたが、おっと思ったのは糾の森にあった「さざれ石」。 長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」を、日本の国歌である「君が代」の歌詞にある巌(いわお)であるとして、さざれ石と呼ぶようです。 注連縄が張られてものものしいですが、実はさざれ石は日本各地にあります。

昨日の住吉大社でもそうでしたが、下鴨神社でも結婚式の行列が。今時の人はウェディングドレス志向かと思っていましたがそうでもないんですね。京都や大阪の人は古式ゆかしい方がお好みなんでしょうか。まあ全く知らない賛美歌を歌わされることもないから参列者は気楽かも知れませんね。

そして鴨川へ。下鴨神社の南で高野川と合流し、京都市内を真南に流れて、伏見のあたりで嵐山方面から流れてきた桂川と合流して桂川となり、さらには宇治川、木津川と合流して淀川になっていきます。高野川と合流する前は賀茂川と表記されるのが通例のようです。平安京時代は都の東の境界でした。古来氾濫を繰り返す暴れ川として知られ、白河法皇は、自らの意に沿わないもの(天下三大不如意)の筆頭に「賀茂の水」を挙げています。

名前の通り鴨もいますが、目立つのは鷺。街の中央にこれだけの清流が流れていて鷺がたくさんいるというのも驚きですが、田舎に行くと鷺はやたら警戒心が強くて人の姿を見ると飛び去ってしまうのに、ここでは平然としています。広々とした河川敷には遊歩道があり、人々の憩いの場にもなっています。桜之宮公園など大川端も悪くはないのですが、鴨川に比べるとやはりごちゃごちゃしていてスッキリ感が足りません。

鴨川といえば有名なのは川床。二条大橋から五条大橋にかけての鴨川右岸の料理店では、5月から9月にかけて河原に張り出した木組みの床が設けられ、納涼床とも呼ばれます。10月に入ってシーズンオフ突入ということで、あちこちで解体していました。

実は鴨川の川床、鴨川にまでせり出している訳ではないので、川の上に床を作る貴船の川床(こちらは「かわどこ」と読む)とは全然違うやんけと思っていましたが、実は直下にみそそぎ川という全長2キロほどの人工水路が流れているので、それなりに涼しいのかも知れません。暗渠から突然出現するので驚きましたが、五条大橋付近で鴨川と合流してしまいますが、森鴎外の小説「高瀬舟」で有名な運河・高瀬川の水源となっています。


街の真ん中を流れる川ということで、橋がたくさん架かっています。合流地点の賀茂大橋から荒神橋、丸太町橋…と数百メートルおきに。有名なところでは三条大橋。お江戸日本橋を起点とする東海道の終点です。


昔の三条大橋はこんなでした。「東海道中膝栗毛」の弥次喜多像も建ってます。この橋の近隣の川岸ははかつて「三条河原」と呼ばれ、処刑や処刑後の晒し首が行われました。有名どころでは石川五右衛門(有名な釜茹でですね)、豊臣秀次とその妻子側室侍女計40名(本人はともかく、関係者皆殺しはやめて欲しい)、石田三成(六条河原で斬首されて三条河原で晒し首)、近藤勇(板橋で処刑されて首が塩漬けされて送られて三条河原で晒し首)など。

四条大橋。東の祇園・八坂神社と西の四条河原町、先斗町などを結び、京都を代表する繁華街ということで交通量が多く、車道、歩道とも他の橋よりも幅が広いです。清水寺、高台寺、八坂の塔といった東山界隈から円山公園、八坂神社を通過して四条大橋を通って四条河原町に行くというのが十数年前の私の一つの行動パターンでした。ああ懐かしい…

五条大橋。言わずと知れた牛若丸と弁慶が出会った場所です。その状況を模した京人形風の石像が設置されています。


しかしイマイチ迫力がないのでここは錦絵もどうぞ。実際には違う場所で出会ったのではとか、そもそも弁慶は実在なのかといった異説・諸説が色々あって判然としませんが、もうこれだけ有名人になってしまうと今更存在しなかったといっても収まらないでしょうね。弁慶ゆかりの場所は日本各地にありますが、筑波嶺にも筑波山中に「弁慶の七戻り」という場所があります。弁慶ですら恐怖のあまり7度後戻りしたと伝えられる大岩なんですが、臆病過ぎるだろう弁慶(笑)。何と北海道にも「弁慶の土俵跡」とか「弁慶の足跡」なんてのがあります。トンデモ伝説「源義経=ジンギスカン説」の派生ですかね。

さらに南下して七条大橋くらまで行きたかったんですが、五条大橋で鴨川右岸の河川敷は途切れてしまいました。左岸はまだまだ南にいけるんですが、京阪電車の駅(清水五条)もあることだしまあここまでで良かろうと五条大橋を渡って電車に乗ってしまいました。合流地点から五条大橋までおよそ3.5キロといったところでしょうか。秋の散策路としてはまずまず適当な長さではないでしょうか。秋の京都はやはりいいですね。「京都小旅行」はこれからもガンガンやっていきたいです。

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