住吉大社:全国の住吉神社の総本社にして摂津国一之宮

昨日ほどじゃあないんですけど、今日も10月にしてはやたら暑いです。東京じゃ32度という話ですからまだ大阪はましなんですが、それでも29度です。もうちゃんとした秋に来て欲しいですね。

基本的に暑いと活動が鈍るのですが、既に10月。しかも三連休。今動かないでいつ動くんだ。動け、動け、動け!今動かなきゃ、今やらなきゃ、秋が行っちゃうんだ!もうそんなの嫌なんだよ!だから、動いてよ!とシンジ君も叫ぶので、重い腰を上げて住吉大社に行ってみました。実はこの前テレビに写っていたので行ってみる気になったんですより。


観光というと京都奈良に行きたがる諸君(ワシもじゃ!ワシもじゃみんな!!)、大阪にだって由緒正しい歴史的観光スポットがあるんです。その一つがこの住吉大社。摂津国一之宮で、全国にある住吉神社の総本社です。毎年初詣は大賑わいで、全国トップ5入りを果たしています。

神功皇后が新羅征伐をした頃に創建されたという伝説があり、それは西暦にして211年になるとか。ということは既に1800年以上の歴史と伝統があるということに。そもそも神功皇后が実在なのかどうかに議論があり、また卑弥呼が神功皇后なんじゃないかとかいろんな説がありますが、歴史考証上もかなり早い時期に作られたのではないかと言われており、ヤマト政権以前から地元の神が祀られていたのかも知れません。



祭神は住吉三神と神功皇后。第一から第四まである本宮に、一柱ずつ祀っています。第一本宮が一番奥で、その手前に第二本宮。その手前に第三本宮と第四本宮が並んでいます。黄泉国からイザナミを連れ帰ることに失敗したイザナギが帰ってきて、穢れ祓いのため禊をすると、綿津見三神(海三神)と筒男三神が誕生し、その筒男三神が住吉大神になります。底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)で、それぞれ第一本宮~第三本宮に祀られています。

そして第四本宮には神功皇后。それは神社の置き千木からもわかります。置き千木は社殿の屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている部分のことですが、その先端が垂直に切られている場合は男神を祀っていることを示し、水平に切られている場合は女神を祀っていることを示します。

なるほど並べて見るとよくわかるとおり、第三本宮の置き千木は垂直に切られており、第四本宮の置き千木は水平に切られていますね。この本殿4棟は、いずれも江戸後期の文化7(1810)年の造営ですが、「住吉造」と称される飛鳥時代にまで遡る古代日本の建築様式で建造されており、国宝に指定されています。

住吉大社は昔は海に面していたらしく、住吉三神は航海守護神として信仰されました。遣唐使とその船を守る神ともされていたようです。その他、イザナギの禊祓から生まれたという話から禊祓の神として、さらに平安時代からは和歌の神としても信仰されるようになりました。遣唐使が廃止された後、住吉が「住吉の松」と歌枕で歌われるように風光明媚な地であったことによるようです。


第三本宮正面の幸壽門の門前には角鳥居(かくとりい)が建てられていて、そこから続く参道には反橋が架かっています。現在の橋は昭和56年(1981年)の造営によるものですが、鎌倉時代の文献にも橋の記述があるので昔から架かっていた模様です。この反橋付近まではかつて海であったといわれ、反橋が架かっている池は古代の潟湖(ラグーン)の痕跡ではないかという説があるそうです。誰でも渡っていいのですが、かなり急角度なので足腰の弱い人は注意が必要です。


航海守護の神だったということで、江戸時代の廻船問屋から600基以上の石燈籠が奉納されているそうですが、参道その他境内のあちらこちらに石燈籠が建ち並んでいます。しかしこの石燈籠、実際に火を入れて使用したことはあるんでしょうかね。なんか大きさを競っているだけのような気もしますが。

第一本宮の南側には石舞台があります。慶長12(1607)年にの豊臣秀頼が再興したもので、池に架けられた石造桁橋(幅約11メートル×長さ約12メートル)の上に、一辺約6メートル、高さ約0.5メートルの規模で築かれています。「日本三舞台」の1つに数えられるとともに、国の重要文化財に指定されています。他は四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、厳島神社(広島県廿日市市)の板舞台ということで、西に偏ってますね。

石舞台のそばには五所御前(ごしょごぜん)という玉垣の区画があり、内側には杉の木が生育しています。住吉大社での言い伝えによると、3羽の鷺が杉の木にとまったので、神功皇后がこの地を鎮座地に定めたのだとか。


また角鳥居近くには誕生石というのがあります。これは薩摩藩祖の島津忠久の誕生地と伝承されるもので、忠久の母の丹後局は源頼朝の乳母の娘で、頼朝の寵愛を受け、この地で忠久を産んだと伝えられます。とうことは島津氏は頼朝の子孫ということになり、実際島津氏はそう主張しているのですが、「吾妻鏡」など当時の史料に丹後局が頼朝の子を産んだとする記録はないそうです。

住吉大社の境内には多くの摂社・末社がありますが、主なものを紹介しますと、まずは第一の摂社は大海(だいかい)神社です。本宮よりも古い江戸時代中期の宝永5(1708)年の造営で、国の重要文化財に指定されています。社前には「玉の井」と称される井戸があります。

楠珺社(なんくんしゃ)は初辰まいりの中心的な神社で「はったつさん」と親しまれ、古くより商人から篤い信仰を受けています。参拝の際、招福猫を受けて祈願し、これを48ヶ月間続けると「始終発達」(しじゅうはったつ=四十八辰)の福が授かるとか。

種貸社(たねかししゃ)は稲種を授かって豊穣を祈る信仰であったものが、時代とともに商売の元手、元本、また子宝祈願の信仰に発展したものとされ、商売繁盛のほか子宝祈願で多くの参詣者が訪れています。初辰とは、毎月最初の辰の日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてもらえるという信仰で、住吉大社では種貸社→楠珺社→浅澤社→大歳社と回るのが正規の巡拝ルートになるそうですが、うっかり浅澤社と大歳社を見るのを忘れていました。この二つは境内の外にあったもので。

神前結婚式のメッカでもあるらしく(しかしこの言い方は宗教的にいかがなものか)、何件も結婚式グループを見かけました。秋の好日、確かに結婚式に良い日取りなんですが、今日についてはちょっと暑くて花嫁さんも大変だったのではないかと。結婚式をどんなスタイルでやるかは人ぞれぞれですが、暑い時にはウエディングドレスのほうが涼しいかも。空調服みたいな装備があればいいですけど。

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