伏見稲荷大社と東福寺:新カテゴリー「京の夢大阪の夢」第一弾

GW後半は筑波嶺に帰省することになっており、あっちにも古いPCはあるけどネット接続はしていないので、ネット接続できるうちに新カテゴリ「京の夢大阪の夢」を設置したいと思います。これは「北海道」同様京都大阪の名所見物記を中心とするものになる予定ですが、さてどれほど伸びていくやら。

私はわりと生活に追われるタイプなので、週末といってもルーチンワーク(歩きに行ったりアニメみたり艦これやったり)をこなしているとあっという間に終わってしまうのですが、さすがに三連休となると余裕が生まれるので、久々に京阪電車に乗って京都に出撃しました。おけいはん…懐かしいなあ。

行き先は伏見稲荷大社。全国各地にあるいわゆる“お稲荷さん”の総本社ですが、稲荷神社って3万社もあるとか。どうりであちこちで見かけるわけですね。初詣では近畿地方で咲いたの参拝者を集めるとか。

その名のとおり伏見にあって、京阪電車で大阪方面から行けば京都の入り口といった感じですが、かつては四条とか三条といった京都中心部ばかり攻めていたのでうっかり行っていなかったのです。千本鳥居が幻想的で外国人に大人気と聞いていましたが…

外人多い!GW中だから日本人もたくさん来ているはずなんですが、それを差し置いて外人ばっかり。外人さんは何もGWに来なくても…とか思ってしまいますが、彼らのインバウンドが日本経済を助けているということもあるので、無碍には出来ません。しかし外人さんでごった返す中千本鳥居を進んでいくと、神社の境内なんだか原宿の竹下通りなんだかわかりません。

裏手にある稲荷山(標高233メートル)を登って奥にいけば人も少なくなるかと思ってどんどん上がっていったのですが、外人もさるもの。一期一会と思うからか、結構上がっていくんですよね。低い山なので上がっていってもあちこちに売店やら茶店があるのですが、標高が高くなるほどにだんだん値段が上がっていくという“山仕様”。

頂上付近になるとさすがに人も少なくなりました。稲荷山をぐるっと回って戻ってくるつもりだったのですが、どこかで道を間違ったのか、細いながらも車もとおる道をどんどん下ることに。でも今はスマホがあるから慌てません。地図を見ると、大きく北にそれて東福寺付近に来ていることが判明。じゃあついでに行ってみましょう。

秋の紅葉で有名な東福寺も実はまだ行っていませんでした。通過はしていたのですが、大賑わいに恐れをなしていて。春なら大丈夫かなと思ったら、案の定空いていました(人は結構いたのであくまで伏見稲荷大社比)。

東福寺は臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号は慧日山(えにちさん)。京都五山の第四位の禅寺です。最弱ではないけれど、あんまり順位は高くないじゃないかとか失礼なことを思っていた時期が私にもありました。

しかーし、いやいやいや、三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍を中心に25もの塔頭寺院を有する大伽藍です。グラン・伽藍と呼んでも過言ではありませんが、シーラ様はいませんよ(聖戦士ダンバインを知らないと何がなんだかわからないでしょうが、華麗にスルーしてください)。

ここはお寺なのに入山料を取りません(伏見稲荷大社ももちろん取りません)。なんていいお寺だと思ったら、方丈庭園と通天橋・普門院庭園でそれぞれ400円ずつ拝観料を取られました。これらに入らなきゃ無料ですが、入らなきゃここに来た甲斐もありません。仕方なく払いましたが、それなら入山料500円くらいで入れて欲しいものですな。

方丈は四方に配された庭園(八相の庭)を見学するところですが、重森三玲が昭和13年に作庭したということで、それほど古いものではありません。南庭は枯山水、北庭は石と苔を幾何学的な市松模様に配しているのが印象的です。

通天橋は境内にある渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、秋は紅葉の名所となります。この時期は青紅葉でしたが、新緑の若葉はそれはそれで綺麗でした。


その先には開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした常楽庵があり、その周辺の庭園を普門院庭園と呼ぶようです。同じ400円出すのなら、こっちのほうが歩き甲斐、見甲斐があるような気がします。紅葉の季節は倍額でもいいんじゃないでしょうかね。

奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」としたというだけあって、明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたんだそうですが、それでもなお大寺院です。かつてはこの辺り、平安時代に建てられた藤原氏の氏寺である法性寺の巨大な伽藍があったそうですが、現在は衰退して小寺院となっています。

東福寺を建立した九条道家も藤原氏で五摂家の一つである九条家の人ですが、鎌倉時代にあっても4代将軍藤原頼経の父であり、摂政・関白・左大臣を歴任しただけあって権勢を誇りましたが、晩年は幕府ににらまれて頼経は将軍職から廃され、道家自身も失脚して失意の中で死去しました。道家の全盛期に建立を開始した東福寺は、彼の死後に完成することになりましたが、たびたび焼失するも九条家、鎌倉幕府、足利家、徳川家などの援助で再建され、歴代多くの名僧を輩出しました。

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