空を見上げる古い歌を口ずさむ:ゲスモノ、マレビト、タガイモノ

将棋で歴代最多タイの28連勝中で時の人となっている藤井聡太四段の顔真似をした物真似タレントのツイッターが炎上して当該ツイートを削除するという騒ぎがありました。確かに顔真似は似ていましたが、バカにしたり貶めようとした印象はなかったので、削除までしなくても…とは思いますが、その一方で、芸人ならツイッターではなくテレビとか舞台で芸の一環として見せればいいのになあとも思います。ともあれ、あまり住みにくい世の中にならないといいのですが。

本日は小路幸也の「空を見上げる古い歌を口ずさむ」を紹介します。小路幸也の作品を読んだのは初めてですので、例によって著者紹介から。

小路幸也(しょうじ ゆきや)は1961年4月17日生まれで北海道旭川市出身。学生時代はミュージシャンを夢見ましたが、24歳の時に広告制作会社に就職しました。30歳の誕生日に「職業として」の作家を志し、ゲームシナリオの執筆や専門学校のゲームシナリオ科講師を務めながら小説の執筆を続け、2002年11月、本作で第29回メフィスト賞を受賞し作家デビューしました。

メフィスト賞は、講談社が発行する文芸雑誌「メフィスト」から生まれた、未発表小説を対象とした公募文学新人賞です。対象となるジャンルは、ミステリー、ファンタジー、SF、伝奇などを含めたエンタテインメント作品で、明確な応募期間は設けられておらず、「メフィスト」誌編集者が直接作品を読んだ上で選考を行うなどの特徴を持っています。

当初から賞金はありませんが、受賞作品はそのまま出版につながるため、印税が賞金代わりとなるほか、受賞に至らなくても編集者の興味を惹いた作品があれば応募者とコンタクトを取り、それが講談社からのデビューに繋がることもあるということで、ほぼ「持ち込み」を制度化したような賞といえるでしょう。


基本「面白ければ何でもあり」で、まるで漫画雑誌みたいですが、受賞作家のジャンルは本格的ミステリ、純文学的作品、ライトノベル的作品など多岐にわたっています。受賞作家には、先日読んだ「群衆リドル Yの悲劇'93」の古野まほろ(2007年受賞。受賞作は「天帝のはしたなき果実」)、アニメで見た「すべてがFになる」の森博嗣(1996年受賞)、やはりアニメで見た「〈物語〉シリーズ」や「刀語」の西尾維新(2002年受賞。受賞作は「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」)、「殺人鬼フジコの衝動」など“イヤミス”の女王・真梨幸子(2005年受賞。受賞作は「孤虫症」)などがいます。


小路幸也は青春小説・家族小説からミステリー・SFまで多彩なエンターテインメント作品を次々と発表しています。代表作はシリーズ化された「東京バンドワゴン」で、2013年10月から12月にかけて「東京バンドワゴン〜下町大家族物語」のタイトルで日本テレビ系でテレビドラマ化されました。

また「東京公園」は、2011年に映画化され、第64回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)審査員特別賞を受賞し、第85回キネマ旬報ベスト・テンにて第7位に選ばれました。

現在は北海道江別市在住で、本、音楽、映画、スポーツをこよなく愛し、スポーツでは特にサッカー好きで、地元のコンサドーレ札幌を応援しているそうです。また、70年代のTVドラマやバラエティー番組に強い郷愁を抱いており、作品にもその影響を見ることができます。

「空を見上げる古い歌を口ずさむ」は“pulp-town fiction”シリーズの第一作で、2003年4月に講談社から単行本が刊行され、2007年5月に講談社文庫から文庫版が刊行されました。それでは例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。
みんなの顔が<のっぺらぼう>に見える――。息子がそう言ったとき、僕は20年前に姿を消した兄に連絡を取った。家族みんなで暮らした懐かしいパルプ町。桜咲く<サクラバ>や六角交番、タンカス山など、あの町で起こった不思議な事件の真相を兄が語り始める。懐かしさがこみ上げるメフィスト賞受賞作!

凌一・美佳夫婦の一人息子彰は、小学5年生になった春のある日、急に人の顔がのっぺらぼうに見えると言い出します。すわ病院かというところで凌一は20年会っていない兄・恭一の言葉を思い出します。恭一は姿を消す直前、「いつか、お前の回りで、誰かが<のっぺらぼう>を見るようになったら呼んで欲しい」と言ったのでした。
電話するや否やすぐにやってきた恭一は、自分も人がのっぺらぼうに見えるのだと言い、28年前の出来事、すなわち人がのっぺらぼうに見えだした頃の話を語り始めます。本書の大半は、恭一の昔話で出来ているので、事実上の主人公は恭一ですね。

恭一と凌一、そしてその家族が住んでいたのはパルプ町と呼ばれる製紙工場を中心とする町でした。実際旭川市にはパルプ町という町があり、日本製紙の工場があります。本書においては大半が製紙工場職員の社宅か系列会社の職員の住舎で構成されており、床屋や銭湯は無料だったとされています。おそらく職員とその家族への福利厚生の一環だったのでしょう。
恭一は謎の高熱で数日寝込んだ後、人の顔がのっぺらぼうに見えるようになってしまいました。知っている人なら声を聞けば誰だかわかり、写真のような画像がのっぺらぼうの顔に張り付くので識別可能ですが、知らない人はのっぺらぼうのままです。これは一体どうしたことかと思い悩みながら秘密にしていた恭一ですが、旭川市のデパートに行った時、群衆の中にはちらほらとのっぺらぼうではない人もいることを知ります。向こうも恭一のことがわかるようで、そのうちの一人のデパガは、「こちら側にようこそ」と囁きます。

そうしてパルプ町では次々と奇怪な事件が発生するようになります。自殺する警官、失踪する友人、心臓麻痺で死ぬ大人達。恭一を見張っているらしいのっぺらぼうの白シャツの男(誰だか判らない)、顔は見えるけど誰だか判らない中学生くらいの少年。やがて恭一は自分が何者なのか、そして顔が見える人達が何者なのかを知ることになり、それが家族の元を去る転機をももたらすことになります。
恭一と凌一は6歳差で、当時はわずか5歳。恭一の抱えた苦悩を知るには幼すぎ、ほとんどが初めて聞く話でした。内容紹介では“懐かしさがこみ上げる”と言っていますが、個人的にはあんまり。なにしろ旭川だし、年代も私よりだいぶ上なせいかも知れません。

ちなみに人がのっぺらぼうに見えるようになった恭一が見た、ちゃんと顔がある人の一部は、ゲスモノ、マレビト、タガイモノとされます。ゲスモノは「解す者」、マレビトは「稀人」、タガイモノは「違い者」で、作中のある人物によるプロレスでの例えによると、「解す者」は日本人レスラー(つまり善玉:ベビーフェイス)、「違い者」は外人レスラー(つまり悪役:ヒール)、「稀人」はレフェリーなんだそうです。今ではそういう構図は崩壊していますが、70年代頃までは一部を除き日本人は善玉、外人は悪玉でしたね。無論外国に行けば日本人が悪玉になるんでしょうが。
恭一は「稀人」で、強力な「違い者」を「解す者」が倒すためには「稀人」の協力が必要なんだそうです。それじゃあレフェリーを抱き込んでいるみたいですが、「違い者」の凶器や反則をしっかりチェックすれば自ずと「解す者」が勝つということでしょうか。

恭一によればおそらく先祖に「稀人」の血が流れていたのだろうということで、弟の凌一にはその気配がなく安心していたが、その息子の彰に発現したということで、今後は近くに住んで教えられることは教えるということになります。これまで遠ざかっていたことについては、恭一としてはちゃんとした理由があり、本当に正しいかどうかはともかく切ないというか悲しいというか。
なお、恭一から顔が見えるのは「解す者」と「違い者」ばかりではないようで、それ以外のタイプもいるようです。一時行方不明になっていた(「違い者」に拉致されていた)恭一の友人の「ヤスッパ」も、救出後には顔が見えるようになっており、それまでとは違い何かに変わっていましたが、「解す者」でも「違い者」でもないようです。顔が見える人は、恭一に好意的(例えばデパガ)な人もいれば、敵意や悪意を持つ者もいますが、そういう人には近づかないようにすれば向こうも何もしないのだとか。まあプロレスに例えれば、善玉や悪玉という分類以外に、格闘技色の強いU系とかショー的要素の強いお笑い系や怪奇系、さらにデスマッチ系など様々なレスラーがいますから、デパガの言う「こちら側」にもいろんなタイプがいるんでしょう。

どちらかというと物事ははっきりさせたい方ですが、よくわからないまま終わってしまう朦朧法も嫌いではありません。なおのっぺらぼうに見えるかどうかはともかく、「顔を見てもその表情の識別が出来ず、誰の顔か解らず、もって個人の識別が出来なくなる症状」を相貌失認といいます。頭部損傷や脳腫瘍・血管障害などの脳障害が後天的に相貌失認を誘発する要因となるそうですが、親しい知人の顔が突然認識できなくなるという、典型的な症状は古代ギリシャ時代から確認されています。実は先天的に相貌失認を発症するケースもあり、その確率は2%程度と推定されるそうです。……結構多いですね。ただ、人間の個体識別は顔の認識だけでなく声や着衣、体格、振る舞いなど様々な情報を総合して行われているので、顔の認識に障害があっても他の機能で代償し、日常生活に支障をきたしていないため、相貌失認を自覚していない人が相当に存在するのだと考えられるそうです。実は私達も…

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