催眠 完全版:ショーやオカルトではない“科学的”な催眠とは

空梅雨の予感ひしひしですね。梅雨入り宣言以降全然雨降らないし、今日は「アツゥイ!」し。リアル明里ちゃんも思わずプリキュア系ゼリーをちゅうちゅう。リアル明里パパによると、最近保育園で下ネタ系単語を覚えてきてしまっているそうな。いかん、いかんぞ。明里が下ネタ全開だと貴樹がドン引きしちゃいますよ。

本日は松岡圭祐の「催眠 完全版」を紹介しましょう。松岡圭祐の作品を読んだのはこれが初めてです。いい歳のおっさんになっても“初めて”があるのは素敵なことなのか未熟の証しなのか…。まずは例によって作者紹介から。

松岡圭祐は1968年12月3日生まれで愛知県出身です。実はプロフィールに関する情報が少なく、学歴とかは不明ですが、元臨床心理士なので大学で心理学を学んだのでしょう。1997年10月に「催眠」で作家デビューし、いきなりミリオンセラーとなり、シリーズ化されて映画化・テレビドラマ化もされました。「催眠」は「本の雑誌」で1997年国内ミステリの4位に選定されています。

以後、「千里眼」シリーズ、「マジシャン」シリーズ、「探偵の探偵」シリーズ、「Q(万能鑑定士Q)」シリーズと立て続けにヒットシリーズを放っています。残念ながら大きな文芸賞とはノミネート段階でまだ縁がないようです。

作家になる前は、臨床心理士だった他、催眠術師としてテレビにも出演していたようです。学術的な催眠誘導法の他、エンターテイメント性が強いショー用の舞台催眠術(テレビ番組でよく見るアレですね)を学んでいた事で業界から声がかかったそうで、1990年代の後半に芸能事務所と契約し、催眠術師としてのキャラクターで活動していたそうで、フジテレビ系の深夜番組「A女E女」などに出演していたそうです。

この番組は同時間帯にテレビ東京で放送されてヒットしていた「ギルガメッシュないと」に対抗するもので、「日本一のお下劣バラエティー」を謳って、松岡圭祐がAV女優や売れないモデルたちに催眠術をかけて太鼓や木魚などの音を聞かせて悶させていたそうです。しかし、1997年度の民放深夜番組で最高視聴率を記録したものの、「あまりにも低俗すぎる」との批判を浴び短命番組に終わったとか。私は至極真面目なタイプなので(笑)、一度も見たことないんですが。

番組開始時、既に松岡圭祐は「催眠」を出版していた訳で、テレビ番組誌では「テレビで催眠なんてバカらしい。そういう質のものではない。徹底的にバカをやってこの手の番組を鼻で笑えるようにしたい」と表明していたとこのとで、確信犯的に出演していたようです。また、他番組でも「催眠が人を意のままに操るというのは幻想で、ショーはその思い込みを利用して見せるもの」という趣旨の発言をしています。

今回読んだのは「催眠 完全版」で、これは2008年1月に刊行されています。「催眠」は作者に言わせれば、学術的な正しさに徹する作風ではなかったのだそうです。これはまだ臨床心理士という職業というか資格がまだ定着していなかったことなどによりますが、その後定着してきたことや、心理学や脳医学が発展して世間一般もオカルト的な催眠術というものに囚われなくなったことから、リアリティと現代性を念頭に全面的改稿を行ったのが「催眠 完全版」なのだそうです。

このため旧版「催眠」で描かれていた「目の動きで心理を読む」という技術の原理(つまり視線をどこに向けているかで心理が読めるという)は科学的根拠がないとして「完全版」では否定しています。また天童荒太の「永遠の仔」などで描かれている子供時代の抑圧されたトラウマが引き起こす犯罪というものも否定しています。「永遠の仔」が1999年作品なので「あれ?本作の後の作品じゃん」と思ったのですが、「完全版」での改稿によるものだったのですね。「永遠の仔」、ずいぶん前に宮部みゆきの「模倣犯」と一緒に外国暮らしの頃に読みました。でも外国暮らしをしていたせいか(なぜ)、どちらもあまり感銘を受けなかったんですよね…。宮部みゆきはその後色々読んでますが、天童荒太はあれ以来縁がありませんね。

そもそも単行本の文庫化の際には数十ページ単位の加筆や大幅な改稿がなされたり、別シリーズの人物同士を登場させるなどしており、読者を飽きさせない工夫をしてきた人ですが、「催眠」シリーズや「千里眼」シリーズについては大幅改稿した「完全版」を角川文庫から刊行しており、これを一連のシリーズ正史としています。それでは例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

インチキ催眠術師の前に現れた不気味な女性。突然大声で笑い出しては、自分は宇宙人だと叫ぶ彼女が見せる予知能力は話題となり、日本中のメディアが殺到した。その頃、2億円もの横領事件の捜査線上には、ある女性が浮かび上がっていた。臨床心理士・嵯峨敏也が、催眠療法を駆使して見抜いた真実とは?衝撃のどんでん返しの後に感動が押し寄せる、松岡ワールドの原点が、最新の科学理論を盛り込んで完全版となって登場!

本作では主人公である嵯峨敏也(東京カウンセリング心理センター催眠療法科長)、その後輩の小宮愛子、そして二人の上司にあたる室長の倉石勝正の三人の臨床心理士が登場し、それぞれ解決すべき問題を抱えて対応していく様子が描かれます。嵯峨は上記のインチキ催眠術師がスカウトした“自称宇宙人”の入絵裕香が解離性人格障害(いわゆる多重人格)を抱えていると睨み、彼女を救おうと奔走。小宮愛子は場面緘黙症の小学生竹下みきを、そして倉石室長は、別れた妻・脳外科医の根岸知可子と、彼女が手術した女性患者(手術は成功したものの、顔面麻痺などが現れ、手術の失敗が疑われる)を救おうとします。

最も厄介なのはやはり入絵裕香のケースで、多重人格である他、以前務めていた証券会社で発生した2億円もの横領事件の重要参考人(ほぼ容疑者扱い)を受けています。また、インチキ催眠術師実相寺も入り絵裕香を金づると思っており、ことごとく嵯峨とぶつかります。臨床心理士といっても民間資格で特別な権限は一切ない中、本人からの依頼も受けずにまっすぐに警察にぶつかっていく嵯峨。カッコイイけど、組織の長としてはトラブルメーカーとしてクビにしたくなるかも知れません。

催眠に関する世間一般の知識は大きく変わったということですが、本書を読んで改めて「へぇー」と思ったのは、催眠術というのは相手を意のままに操れるようなものではなく、電車の中でのうたた寝がほぼ催眠状態だということ。降りるべき駅ではっとなって慌てて駆け降りるとうことは誰でも経験すると思いますが、つまり催眠状態というものは状況によって簡単に解除できるもので、術者が説かなければずっと催眠状態が続くというものではないのです。

ただ催眠状態にあると、暗示にかかりやすくなるのは事実のようで、それを応用(悪用)しているのがパチンコ業界なんだそうです。あの音と光で催眠状態にしてパチンコを打たせ、時間の経過や投入した金額をおぼろげにしてしまうだけでなく、常習性まで持たせてしまうという。

私自身はパチンコは数えるほどしかやったことがなく、負けっ放しだしタバコで煙いしで二度と行かないなあと思っていますが、最近のパチンコ屋はだいぶ様相を異にしているんですねえ。よく夏の乗用車内に子供を置き去りにしてパチンコに熱中して子供が大変な事態にというニュースを耳にしますが、「だからパチンカスは」としか思っていませんでしたが、そういう罠があったんですね。

かつて「ウルトラマン」の前番組に「ウルトラQ」というのがあって、「悪魔ッ子」というシリーズ屈指のホラー回として名高いエピソードがありました。シリーズ屈指のホラー回として名高い催眠術で幽体離脱の芸を披露していた魔術団の少女リリーが、催眠術かけ過ぎの影響でシナプス(神経細胞間や多種細胞間の信号を伝達する部位)の破壊現象が起こり、毎晩精神のみがさ迷い出て、数々の災厄を引き起こします。

リリーの精神はリリー本人の意思とは関係なく深夜にさまようようになり、最後には自らの肉体をも抹殺しようとして線路に誘います。まああわやという所で助かるのですが…。なにしろ50年以上前の作品なんですが、娯楽が少ない時代とはいえ、視聴率31%超えだったという。このエピソードなんかは松岡圭祐のような催眠のプロからすれば噴飯物なんでしょうが、当時の視聴者が催眠術を恐ろしいものだと誤解してしまうには十分なインパクトがあったと思われます。

そしてダニエル・キイスの「五番目のサリー」や「24人のビリー・ミリガン」で知られるようになった解離性同一性障害については、心因性の障害で、ほとんどの場合で幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされます。入絵裕香はアラサーの女性ですが、人格交代の甚だしさはここ数年によるもののようです。嵯峨達の尽力により辿り着いた真相は、彼女を食い物にしようとするかなり酷いものでしたが、嵯峨達には真犯人とおぼしき人物を逮捕することもできません。しかし、入絵裕香が犯人ではないことを証明すれば、警察も馬鹿ではないので再捜査により真相に辿り着くことでしょう。入絵裕香の症状が軽減して記憶が戻ればなおさらです。

そしてその希望はあります。嵯峨は入絵裕香の症状は完全に治ることはないと言っていますが、ラストの驚愕のどんでん返し(「時計館の殺人」以来、久々に驚きました)結末は、決して暗いものではないからです。これは旧版とは全然違うラストだそうですが、おそらくこちらの方が良いラストなんではないかと思います。

なお、解離性人格障害のゴールは、以前であれば人格の「統合」でしたが、最近はあまり言われなくなっています。分離した人格が生じるには生じるだけの理由があり、記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたので、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねないのだそうです。そういう意味で、嵯峨は完全には治らないと言ったのでしょう。

嵯峨が組織人としてはかなり逸脱していて、この人はフリーランスの方が性に合っているのではないかという気もしますが、全ては入絵裕香を救いたいという純粋な動機からのものなので、刑事たちも苦笑いしつつ大目に見ているというところがいいですね。

1999年の映画版の「催眠」は稲垣吾郎主演で菅野美穂が入絵裕香を演じましたが、理知的な原作と異なり、異常な事件が起こるサスペンスホラー映画として製作されたそうです。また続編として2000年にTBSでテレビドラマ版が放送されています。原作との差違については、松岡圭祐自身が「世にも奇妙な物語」風アレンジによるホラー方向を目指していたらしいので、特に問題はないのですが。

その後の「千里眼」の映画化(2000年)については、脚本を松岡圭祐が書いたにも関わらず、大幅に違う作品になってしまったということで、かなり不満があるのではないかと囁かれています。
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