時計館の殺人:日本ミステリー史に残る新本格ミステリーの傑作

せっかく満開の桜なのに無常な花散らしの雨。残念ですが「スローターハウス5」的に言えば「そういうものだ("So it goes")」ということか。カート・ヴォネガットは偉大ですねえ。

本日は綾辻行人の「時計館の殺人」を紹介しましょう。綾辻行人の作品を読んだのは初めてではないのですが、当ブログでの紹介は初めてなので、まずは作家のプロフィールから。

綾辻行人は1960年12月23日生まれで京都市出身。京都大学に進学して推理小説研究会に入会しましたが、そこには後に結婚する小野不由美や、ミステリー作家となる我孫子武丸や法月綸太郎も所属していました。まさに多士済々。

大学院在学中の1986年に小野不由美と結婚し、翌87年に「十角館の殺人」で作家デビューしました。「十角館の殺人」は新本格ミステリーの嚆矢とされています。では「新本格ミステリー」とはなんだという話になるんですが。

推理小説のジャンルの一つに、謎解き、トリック、頭脳派名探偵の活躍などを主眼とするものを「本格ミステリー」と呼びます。海外ではエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」で原型が確立され、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズの短編もの、そしてアガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、ディクスン・カーらの長編ものが本格ミステリーの黄金時代とされています。

日本では江戸川乱歩や横溝正史の長編が本格ミステリーとされますが、その後社会性のある題材を扱い、事件そのものに加え、事件の背景を丁寧に描く「社会派ミステリー」が台頭することで、本格ミステリーは古典的でリアリティに欠けるとされ、関心が薄れていってしまいました。欧米と日本ではミステリーそのものの歴史の長さが圧倒的に違うので仕方がないところかも知れませんが。

それでも本格ミステリーは、ベテラン・中堅作家が書き続けていましたが、1980年代後半から90年代にかけて、新たなムーブメントが起きます。それが「新本格ミステリーで」、古典ともいえる「本格ミステリー」に倣った作風を志向しており、科学技術の発展などの時代背景を考慮に入れつつ、謎の不可解性や解決の論理性を重視しているのが特徴です。その先駆けが綾辻行人で、我孫子武丸や法月綸太郎など京都大学ミステリー研究会出身の作家が中心となっていました。他にも有栖川有栖、北村薫、二階堂黎人、京極夏彦なども新本格ミステリーの代表的作家と言えましょう(他にもたくさんいますが、取りあえず作品を読んだことのある作家を並べてみました)。

これまでに読んだ綾辻行人の作品としては、デビュー作の「十角館の殺人」の他、「人形館の殺人」、「緋色の囁き」を覚えていますが、いずれもブログ開始前に読了していたと思います。つまり結構前。「時計館の殺人」は、1991年9月に講談社ノベルスから刊行され、1993年5月には講談社文庫から文庫版が刊行されました。2012年6月には上下巻に分冊した新装改訂版が同文庫から刊行され、私が読んだのもこちらでした。「十角館の殺人」から始まる「館」シリーズの第五弾になります。

「館」シリーズは、素人探偵・島田潔(後に推理作家となりペンネームは鹿谷門実)が、今は亡き建築家・中村青司が建築に関わった建物に魅せられて尋ねていくもので、そこでは決まって凄惨な殺人事件が起こります。中村青司はもちろん架空の建築家ですが、奇妙な建物ばかり設計・施工しています。もちろんオーナーのオーダーに応えてのものなのですが、この人の関わる建物で必ず事件が起きるのは、オーナーのせいなのか建築家のせいなのか、それとも相乗効果なのか。

「時計館の殺人」は第45回日本推理作家協会賞を受賞(同時受賞は宮部みゆきの「龍は眠る」)しており、「新本格ミステリー」を定着させた作品として評価されています。1991年の「週刊文春ミステリーベスト10」で第4位、1992年の「このミステリーがすごい!」の11位。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

(上巻):鎌倉の外れに建つ謎の館、時計館。角島・十角館の惨劇を知る江南孝明は、オカルト雑誌の“取材班”の一員としてこの館を訪れる。館に棲むという少女の亡霊と接触した交霊会の夜、忽然と姿を消す美貌の霊能者。閉ざされた館内ではそして、恐るべき殺人劇の幕が上がる! 不朽の名作、満を持しての新装改訂版。

(下巻):館に閉じ込められた江南たちを襲う、仮面の殺人者の恐怖。館内で惨劇が続く一方、館外では推理作家・鹿谷門実が、時計館主人の遺した「沈黙の女神」の詩の謎を追う。悪夢の三日間の後、生き残るのは誰か?凄絶な連続殺人の果てに待ち受ける、驚愕と感動の最終章!第45回日本推理作家協会賞に輝く名作。

物語は時計館の中と外に別れて交互に進行していきます。時計館内部での主人公は江南。彼は「十角館の殺人」で次々と殺害された大分県K**大学・推理小説研究会の生き残りで、その事件は3年経った今もトラウマとなっています。それなのにまたしても遭遇してしまう猟奇殺人事件。

そして「十角館の殺人」で探偵役となった島田潔は、推理作家鹿谷門実となっており、外部から時計館の謎に迫っていくことになります。今回参加するのはW**大学超常現象研究会。ミステリーといっても推理小説ではなく超常現象の方だったんですね。

主な登場人物が2ページにわたって紹介されており、あまりの多さに驚きますが、心配はいりません。その多くは故人となっているからです。そして生きている人も次々と殺されていきますので、むしろ何人生き残れるんだと心配するくらいです。

本書では犯人が誰かということもさることながら、殺す動機も謎となっています。一応10年前の出来事が発端になっているようだということが判明するのですが、それと全く関わりのない人まで殺されてしまいます。実は途中で何となく犯人は見当がつくのですが、アリバイが完璧にあるので、共犯者が存在するのかと思っていましたが、まさかの単独犯でした。

読み終わった後で思い返せば、かなりきわどいネタバレ的な描写がいろんな所にちりばめられていました。なのに鹿谷門実が真相を暴くまで気付かないのは、私が海のリハクの目の持ち主だからでしょうか。本書はとにかく熱中して読んでもらい(殺人が横行していますが)、終盤の謎解きにあっと驚くのが楽しいので、言いたいことはたくさんあるのですが、とにかく読んで下さいとだけ言っておきましょう。

アリバイのトリックは驚愕ものですが、それは実は犯人が用意したものではなく、もともと存在していたものを利用したに過ぎません。ではなぜそれが以前から存在していたのかということについても、その事情が破綻なく明らかにされていくので、構成の妙に唸らざるを得ません。

唯一謎なのは、犯人がなぜアリバイ工作に腐心していたのかということです。“復讐”さえ果たされれば、その後自分が警察の追及から逃げのびることへのモチベーションはそんなになさそうなんですが。

とりあえずどんなにお金持ちでも、中村青司が関わる建物には住みたくないですね。まあ所有者達はそれぞれわざわざ中村青司に依頼して建設しているのですが。

なお谷山浩子が1992年6月にリリースした19thアルバム「歪んだ王国」には、9曲目に「時計館の殺人」という楽曲が収録されています。もちろん作詞は綾辻行人。ちなみに8曲目の「気づかれてはいけない」の作詞もしています。
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