森崎書店の日々:古書店街を舞台とした女性の成長物語


梅は咲いたか桜はまだかいなと上の方ばかり見て足元がお留守だった間に、枯れ野でオオイヌフグリやらホトケノザやらが咲き乱れるようになっていました。ぼけっとしている間にも季節はどんどん移ろっていくものなんですね。

本日は八木沢里志の「森崎書店の日々」を紹介しましょう。八木沢里志の作品は初めて読みました。

八木沢里志は1977年生まれで千葉県出身。日本大学芸術学部卒業。2008年に「森崎書店の日々」で第3回「ちよだ文学賞」を受賞し、作家デビューしました。「ちよだ文学賞」は2006年から実施されている千代田区主催の文学賞で、読売新聞社が共催し、小学館が後援しています。テーマやジャンルは問われません、千代田区主催ということで、千代田区ゆかりの人物や千代田区の名所・旧跡、歴史などを題材にした作品が歓迎される傾向があります。

「森崎書店の日々」は、千代田区の神田神保町が舞台となっているので、まさにこの文学賞に歓迎される作品だったといえるでしょう。2010年9月12日に小学館文庫から文庫版が刊行されています。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

貴子は交際して一年の英明から、突然、他の女性と結婚すると告げられ、失意のどん底に陥る。職場恋愛であったために、会社も辞めることに。恋人と仕事を一遍に失った貴子のところに、本の街・神保町で、古書店を経営する叔父のサトルから電話が入る。飄々とした叔父を苦手としていた貴子だったが、「店に住み込んで、仕事を手伝って欲しい」という申し出に、自然、足は神保町に向いていた。古書店街を舞台に、一人の女性の成長をユーモラスかつペーソス溢れる筆致で描く。「第三回ちよだ文学賞」大賞受賞作品。書き下ろし続編小説「桃子さんの帰還」も収録。

「森崎書店の日々」は100ページ足らずの中編で、受賞後第一作で続編でもある「桃子さんの帰還」と合わせて文庫本となっています。

貴子は九州出身の25歳。笑顔が素敵なスポーツマンである同僚の英明と1年間ラブラブ恋人ライフを送ってきましたが、いきなり「俺、結婚するんだ」とぶちかまされます。相手はやはり同僚である清楚美人の村野さんで、なんと2年半前から交際しているとか。つまり二股で、しかも貴子は浮気の相手ないし愛人の立場だったという。

1年間ずっとデートとお食事だけの清い関係という訳もなく、肉体関係(生々しいな)もあったことでしょう。それなのにあんまりな告白。ぶち切れて酒をぶっかけるなりボトルでぶん殴りするなりすれば良かったのですが、唖然としたまま別れてしまう貴子。失恋のショックは影道・鳳閣拳のごとく後から押し寄せてきました。何事も無かったかのように接してくる英明。そして何にも知らずに微笑んでいる村野さんと毎日顔を合わせることに心が耐えられなくなり、辞職して泣き暮らす毎日に。

余談ですが鳳閣拳、車田正美の「リングにかけろ」に登場したおそよボクシングの概念を超越した秘拳です。というかボクシングのルールでは意味がない(汗)。日本ボクシング界の影の存在である影道(シャドウ)。その総帥はスーパースターである天才ボクサー剣崎順の双子の弟である影道殉。実力は剣崎と同等ですが、組織の長であるせいか、人格的にはかなり上。

その影道殉の奥義中の秘拳が鳳閣拳。それは撃たれた直後は全くダメージを受けませんが、時間が経過すると相手の心臓を破裂させて殺してしまうというまさに必殺拳で、通常の試合では使うことができないという。なんのために開発されたのか不明で、原理も全く不明ですが、こんな妙なブローを開発していたから日本ボクシング界から追放されたんじゃなかろうか。

失恋したことは九州のママンにだけは伝えていた貴子。そのママンから連絡が行ったらしく、神保町で古本屋・森崎書店を経営する叔父のサトルからコンタクトが。古本屋を手伝って欲しいと言われ、かび臭い(実際には古本の匂いですが)に引っ越すことになりました。

あまりに深い精神的ダメージより、当初はひたすら眠るばかりの貴子。彼女ほどのもの凄い失恋はしたことがありませんが、精神的疲労が深いととにかく寝たくなるというのはわかります。ずいぶん昔ですが、半年くらいろくな休みもなく残業漬けの生活を送ったことがあったのですが、休めるようになったら、とにかく寝まくりました。冬で寒かったということもありましたが、本当に他にやりたいこともなく、眠くてベッドから出られないという。軽く鬱も入っていたかも知れません。まあ私のことはどうでもいいです。

しかしある日、サトル叔父に誘われて雰囲気のいい喫茶店で美味しい珈琲を飲んだことで彼女の惰眠の日々は終わり、山ほどある本を読んだり、神保町界隈を散策したりするようになります。古本まつりに参加したり、喫茶店のキッチン担当の青年の片想いを応援したりしているうちに徐々に心の傷が癒えていく貴子。しかし、英明から連絡がきたことで再び沈んでいきます。

この英明の罪悪感のなさぶりは気持ち悪いほどです。サイコパスとかなんじゃないか。二股かけて一方を振る。ここまではかろうじて判るのですが、その後も遊ぼう(おそらく性的な意味で)と誘ってくるという。「人は見た目が9割」なんて本もありますし、一見イケメンの英明に惹かれるのは仕方が無いのですが、付き合っているうちにその本性がわからないものなのか。

貴子の苦悩に気付いたサトル叔父は、英明と対決するべきだと貴子をけしかけ、夜更けに雨の中一緒に英明のマンションに行き、対決します。といっても大立ち回りとかはないのですが、お人好しが故に別れ際に言えなかった決別の言葉を浴びせることに成功する貴子。

実はこの時、部屋の中には村野さんがいたのでした。直後に英明を問い詰め、二股をかけていたことを知り、結婚を白紙にすることになりました。英明ざまあ!というか女の子が二人も引っかかってるんじゃない。まあ結婚前に気づけて良かったですよ。結婚してから判明したらいろいろ大変ですからね。

こうして人生の休暇を終え、貴子は新たな自分の人生を生きるため、森崎書店を旅立つことになります。初夏から早春までという1年足らずの日々でしたが、神保町に住んで読書三昧の日々を送るなんて、昔の私なら羨ましすぎる生活ですよ。今ではPCがないとダメになっちゃいましたけどNE!

そして「桃子さんの帰還」は1年半あとの物語。貴子も27歳ですよ。もはやアラサー。桃子というのはサトル叔父の嫁さんでしたが、5年前に「探さないでください」という書き置きだけ残して失踪してしまったのでした。それがいきなり戻ってきたという。

貴子のことでは雄々しいところも見せたサトル叔父ですが、自分自身のことについてはてんでダメダメ。貴子に桃子の真意を探って欲しいとお願いします。自分の妻なんだから自分で聞けよと思いつつ、「森崎書店の日々」の恩もあり、渋々引き受ける貴子。
しかし桃子の海千山千ぶりに翻弄され、ろくに話も聞けない貴子。逆においしい手料理の数々に胃袋をつかまれて籠絡されたりして。ある日、桃子から二人で奥多摩に旅行に行こうと誘われた貴子は、その旅行の中で桃子の真意を知ることになります。

アガサ・クリスティは「過去の罪は長い影を引く」というモチーフをその作品の中でしばしば使いましたが、まさに桃子の過去が様々な影響を及ぼしていたのでした。「認めたくないものだな…自分自身の、若さ故の過ちというものを」(byシャア・アズナブル)。ですが、過ちを犯さない人間というのもいません。皆、過ちの中から教訓を導き出して今後に生かそうとするんだ。

旅行後、桃子は再び失踪しますが、今度は貴子がサトル叔父を叱咤し、桃子が行ったはずの「心当たり」に行かせます。桃子が本当に戻ってくるのはさらに1年後ということになりますが、貴子にも新たの恋の予感があり、サトルも恋女房を取り戻し、まずはハッピーエンドで終了です。

本作は映画化され、2010年10月23日に公開されています。貴子役はファッションモデルでもある菊池亜希子が演じました。サトル叔父は内藤剛志。個人的には貴子はイメージより背が高すぎるし美人過ぎ、サトルはイメージより強そうな気がしますが、まあ悪くはないでしょう。「桃子さんの帰還」は入っていないので桃子は登場しませんが、喫茶店「すぼうる」でアルバイトする大学院生トモちゃんは田中麗奈。これもちょっと美人すぐる(笑)。

古書店街の古本屋が舞台となっていますが、本がテーマという訳ではないので本の“推し”はあんまり強くありません。貴子は本漬けになるが今回が初めてという状態だし、サトル叔父とか周囲の人は本好きだけどそんなにゴリゴリではないし。だから本にあまり興味のない人でもさくさく読めると思います。貴子が年齢のわりに幼い感じがするのは読書量が足りないせいだったのか、なんて思ったりもしますが、“耳年増”というのも可愛いものではないし、見聞と実体験はやはり別物ですからね。読後感も爽やかでいいです。

ちなみに“森崎”というと某ざるキーパーを思い出しますが、スポーツ色は一切なし。クズ野郎・英明はラガーマンだったようですが、どのスポーツでもクズがいない、或いはクズばかりということはないでしょうから、英明がサッカーをやってたら大丈夫だったということはないでしょうな。それにしても“SGGK(スーパーグレートゴールキーパー”から“SGGK(スーパー頑張りゴールキーパー)”って呼ばれるのはディスっているとしか思えませんね。ピコ太郎のPPAPは実はSGGKにヒントを得たとかね。そんな馬鹿な(笑)。

スポンサーサイト