人魚は空に還る:推理よりは癒やしの「帝都探偵絵図」シリーズ第一弾

ノーベル文学賞がまさかのボブ・デュランということで世間はあっと驚いた訳ですが、私もへー、有名歌手と同姓同名の作家がいるのかと驚きました。まさか本人とは。それはともかく、この時期になるとハルキストなる熱狂的な村上春樹ファンが集まっては村上春樹の本を読みながら受賞を今か今かと待ち、今年も受賞ならずと知ってがっかりするというのがお約束になっているのですが、そもそもノーベル文学賞の最有力候補なんて下馬評なるものが本当に正しいのかどうか。

巷ではハルキストについて「気味の悪い意識高い系集団」なんて言われています。私もアップル信者みたいだなあなんて思ったりして。日本においては信教の自由は保障されているので、信仰の対象が村上春樹だろうとApple社だろうと構わないのです。私に押しつけてさえこなければ。私もiPodを持っているし、村上春樹も何冊か読みましたが、信仰の対象にまではならんですなあ。

本日は三木笙子の「人魚は空に還る」を紹介しましょう。三木笙子の作品は初めて読みました。三木笙子は1975年生まれで秋田県出身。2008年に東京創元社主催の「第2回ミステリーズ!新人賞」最終候補作になった短編「点灯人」を改稿・連作化した短編集「人魚は空に還る」でデビューしました。

本人のブログ「アネモネ手帖」では、プロフィール欄に“デビューした時から「仕事や勉強の後にほっとした気持で読むことができる小説」を目指してきました。読者に「優しくて暖かな雰囲 気」「心地よい哀しみと快い切なさ」「読後感の良さ」を提供したいと思っています。”と記載されています。好きな作家は辻邦生・平岩弓枝・浅田次郎だそうです。
「人魚は空に還る」は「帝都探偵絵図」シリーズの第一弾ともなっており、これまでに3冊が刊行されています。作中の登場人物がシャーロック・ホームズシリーズの大ファンということもあってか、全て短編集となっています。「人魚は空に還る」は2008年8月29日に東京創元社から単行本が刊行され、2011年10月28日に創元推理文庫から文庫版が刊行されています。例によって単行本裏表紙の内容紹介です。

富豪の夫人の元に売られてゆくことが決まった浅草の見世物小屋の人魚が、最後に口にした願いは観覧車へ乗ることだった。だが客車が頂上に辿りついたとき、人魚は泡となって消えてしまい―。心優しき雑誌記者と超絶美形の天才絵師、ふたりの青年が贈る帝都探偵物語。明治の世に生きる彼らの交流をあたたかに描いた、新鋭の人情味あふれる作品集第一弾。表題作を含む五話収録。
時は明治、しがない雑誌記者・里見高広と美形の天才絵師・有村礼が周囲で巻き起こる事件を解決していきます。状況的には天才の礼がシャーロック・ホームズ、凡人の高広がワトソンとなりそうなのですが、なんと高広がホームズ、礼がワトソン役となっています。「腰の低いホームズと高飛車なワトソン」とたとえられていますが、ホームズはともかく、高飛車なワトソンは嫌だなあ(笑)。

有村礼は「天才」の名をほしいままにする絵師で、美人画で知られていますが、本人はそれ以上の美貌だといわれる美男子です(それだけでむかつきますな)。「有村礼の描く女性」に似ていると評されるのは、女性にとって最上級の誉め言葉とされています。そんな礼が表紙を描けば、どんな雑誌でもたちまち完売するとされており、雑誌編集者達は目の色を変えて依頼に殺到するのですが、天才だけにきまぐれでなかなか描いて貰えません。
里見高広は娯楽雑誌「帝都マガジン」を発行する零細雑誌社「至楽社」の編集者で、幼い頃に天涯孤独の身となり、遠縁の里見家に養子に迎え入れられました。その里見家の養父は現内閣きっての切れ者と言われる司法大臣里見基博で、実子をさしおいて養子ながら能力の高い高広を跡継ぎにしようとしていますが、親戚縁者の大反対に嫌気が差し、家を出ました。

英語が堪能で、コネでシャーロック・ホームズシリーズを連載する「ストランド・マガジン」を入手することが出来るのですが、仕事の依頼で礼を訪ねた際、世間話の一環でシャーロック・ホームズのあらすじを話したところ、予想以上の興味を示されたことから、「ストランド・マガジン」を翻訳することと引き替えに絵を描いて貰っています。
本書は短編5編からなっています。第一話「点灯人」は、小学生の女の子が、行方不明になった兄を探すため、尋ね人の記事を載せたいと訪ねてきたことから始まります。単なる家出の可能性が消えないままに高広が調べを進めていくと、知人の記者から目撃情報を手に入れますが…

第二話「真珠生成」は、銀座に店を構える真珠店の極上の真珠「プリンセスグレイス」が盗まれるという事件が発生します。事件当時、司法大臣の里見基博が娘(高広の義姉)の結婚に際して「プリンセスグレイス」を買おうとしていたことがわかり、義父の不名誉を晴らすため、高広が捜索にあたりますが…
第三話「人魚は空に還る」は、浅草の見せ物小屋に人魚が現れました。高広と礼が知り合いの作家・小川と一緒に見物に訪れると、儚い少女のような人魚が切々と歌う姿に息をのみます。後日、人魚が礼の旧知の富豪夫人に身売りされることが決まりますが、人魚は最後の願いとして「観覧車に乗りたい」と言い出します。そして観覧車が一番上まで行ったところで、なんと人魚は泡となって消えてしまいました。これは一体…
第四話「怪盗ロータス」は、巷間を賑わす怪盗ロータスが、成金が所有す絵画を盗む旨の犯行予告状を送ります。成金の豪邸は隅田川に面した角地に建っており、船でしか入れない作りになっています。ロータスは如何に侵入しようというのか…
第五話「何故、何故」は、質屋に押し入って大金を盗んだ強盗が、舟で逃げようとしますが、警察の警備船に発見され、逃げ場を失ったことを悟るや、その紙幣を川面にばら撒いて火を付け、その隙に逃亡しました。強盗は徒労に終わったかに見えましたが…
基本、本格推理までいかない話ばかりです。それはホームズ役の高広が腕っ節は強いけど、推理的には凡人の域を出ないからですが、読者が作者と知恵比べするという感じにはなっていません。ただ、明治という時代と癒し系のストーリーはそれはそれでありかなと思います。推理小説というよりは明治を舞台としたラノベと見る方が適切なような気がします。

ちなみに「人魚は空に還る」に登場する作家・小川は小川未明だということがラストで判明します。小川未明といえば「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる児童文学作家です。「人魚は空に還る」のエピソードにインスパイアされたのが、有名な「赤い蝋燭と人魚」だったりして。童話というにはあまりに救いのない話ですが、それだけに印象に残りますよね。

なお、義理とはいえ父が司法大臣ということは色んな意味で高広に影響を及ぼしているのですが、似たような小説の設定で親とか親戚が警視総監とかどこかの県警本部長なんてことがあります。それは別にいいのですが、江戸時代の将軍とか町奉行とかはいざ知らず、近現代のそういう要職はそんなに長く占められてい
ないということに留意しないとリアリティを失うと思います。だいたい1~2年、長くても3年というところなので、シリーズが長期になるときは注意して貰いたいものです。
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