叛逆航路:世界で9冠受賞の本格宇宙SF

昨日スマホ向けゲームアプリ「ポケモンGO」が待望の日本リリースということで、昼休みに勇躍スマホ片手にポケモンゲットに向かう若手社員達を見掛けました。いいけどあんたら勤務時間中にダウンロードしたんかい(笑)。先行リリースされたアメリカなどの外国では、夢中になって画面を見ながら屋外を歩きまわ
って溝に落ちたり、歩行者に衝突したり、転倒したりで負傷したりするケースが続出しているほか、立ち入り禁止の場所に侵入するといった事件を続発させているらしいので、くれぐれも注意して欲しいものですね。他人事のように言っているのは、私自身はプレイする予定がないからです。目下「艦これ」で目一杯なもので。

本日はアン・レッキーの「叛逆航路」を紹介しましょう。先日ジェイン・ロジャーズの「世界を変える日に」を紹介したさい、同作が2012年にアーサー・C・クラーク賞を受賞していることを指して、あんまり有名な作品がないなあなどと失礼をぶっこいてしまったのですが、「叛逆航路」は2014年のアーサー・C・クラーク賞受賞作です。
というか米国のヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国のアーサー・C・クラーク賞、英国SF協会賞、英国幻想文学大賞、キッチーズ賞、仏国のボブ・モラーヌ賞、そして日本の星雲賞と全世界で9冠制覇という凄まじい受賞歴を持っています。しかもデビュー作ですってよ!奥様!!

アン・レッキー(Ann Leckie)は米国の作家で、1966年3月2日生まれでオハイオ州出身。SFファンとして少女時代を過ごし、1989年にワシントン大学を卒業。その後、ウェイトレス、受付、測量助手、レコーディング・エンジニアなどの職を経験し、結婚後は専業主婦として育児の傍らで「叛逆航路」の第一稿を書き始め、およそ10年掛けてかけて書き上げた「叛逆航路」は、2012年に発売されました。
「叛逆航路」は原題は「Ancillary Justice」。直訳すると“正義の付属”とでもいうことになるのでしょうが、本書独自の用語で、“Ancillary”は“属躰”と訳されているので、“正義の属躰”といったニュアンスでしょうか。まずは例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

ブレクは宇宙戦艦のAIであり、その人格を4000人の肉体に転写して共有する生体兵器“属躰”を操る存在だった。だが最後の任務で裏切りに遭い、艦も大切な人も失ってしまう。ただひとりの属躰となって生き延びたブレクは復讐を誓う…。デビュー長編にしてヒューゴー賞、ネビュラ賞など『ニューロマンサー』を超える英米7冠制覇、本格宇宙SFのニュー・スタンダード登場!
本書の大きな特徴は、主要登場人物が非常に少ないことで、紹介されている登場人物はたったの6人です。遙かな未来、人類は広範な宇宙に繁栄していますが、ダイソン球を起源とする専制主義国家「ラドチ」は強大な武力で人類世界を侵略・併呑し続けています。

ダイソン球というのは、恒星を卵の殻のように覆ってしまう仮説上の人工構造物のことです。恒星の発生するエネルギーすべての利用を可能とするもので、高度に発展した宇宙空間の文明により実現していた可能性のあるものとして、アメリカの宇宙物理学者、フリーマン・ダイソンが提唱しました。

例えば現在の地球では、太陽が全方位に発するエネルギーのほとんどは宇宙空間に消え、地球が受け止めたごくごく一部の太陽得れるギーしか利用されていませんが、ダイソン球を作ることができれば、桁違いに大量のエネルギーが利用可能となります。

ロシアの天文学者ニコライ・カルダシェフは、1964年に宇宙に存在しうる宇宙文明の進歩の三段階を発表しましたが、彼によれば
第一段階:一つの惑星上で得られる全エネルギーを利用する文明
第二段階:一つの恒星系で得られる全エネルギーを利用する文明
第三段階:一つの銀河系で得られる全エネルギーを利用する文明
ということです。現在の地球文明は第一段階にも達していない未熟な段階で、ダイソン球建設は第二段階の宇宙文明ということになります。第三段階ではすべての銀河系内の恒星がダイソン球で覆われることになるのでしょうが、そんな銀河系は今のところ見つかっていません。

ダイソン球のようにエネルギー的に閉じた状態にすると、内部に蓄積されたエネルギーは熱となってさまざまな問題を起こすことになるので、外部へ赤外線等の形で放出して温度を下げると考えられるところ、ダイソンは不自然な赤外線放射の探査によりダイソン球を建造できるような高度な文明を発見することができるだろうと主張しています。このため、地球外知的生命体探査(SETI)計画の一環として、天文観測における赤外線放射を調べる分野でダイソン球発見が期待されていますが、今のところは発見のニュースに接していません。

ラリー・ニーヴンの「リングワールド」も、ダイソン球の一部を円環状に切り出したもので、限定的なダイソン球といえるでしょう。
話を元に戻しますが、そのダイソン球を本拠地とするラドチは併呑した惑星で反乱鎮圧・粛清を行った後、50年程度の占領統治の後に市民権を与えてラドチ市民(ラドチャーイ)にします。ラドチに言わせれば、真の文化はラドチにしかなく、野蛮人を“教化”していくことが使命なのだそうです。
実際のところは、増大する一方の市民に生活の豊かさを保障するためにも、貪欲に併呑を行っていく必要があるのですが、ラドチの宇宙艦は規模が大きい順に「正義」「剣(つるぎ)」「慈(めぐみ)」と三種類あり、それぞれAIが制御しています。よって原題の「Ancillary Justice(正義の属躰)」の正義とは、一
番大きなクラスの宇宙艦を意味します。

兵員母艦「トーレンの正義」のAIは、2000年にわたり自らの人格を四千人の人体に転写した生体兵器「属躰」を操り、ラドチの併呑作戦に携わってきました。「属躰」は併呑した勢力の人間の肉体を戦闘用に改造した後、軍艦のAIを脳に強制上書きして艦の付属品とするもので、元の人格は失われてしまいます。艦船と属躰は常にデータリンクしており、全体で一つの存在となります。肉体改造とAI制御により通常の兵士より能力が高く、規律は完璧です。
ラドチはこの「属躰」を効果的に使用することで版図を拡大してきましたが、1000年程前に拡張路線を転換し、併呑を行わなくなっていき、それと共に「属躰」の製造も止めてしまいます。それは蛮族(人類以外のエイリアン)プレスジャーの存在が大きな要因となったようです。
蛮族呼ばわりしていますが、プレスジャーの文明はラドチを凌いでおり、ラドチは外交条約を締結せざるを得なかったようです。ラドチの皇帝はアナーンダ・ミアナーイといい、3000年前に絶対的支配者になって以後、数千体の自身のクローンを使って広大な版図に散って効率的に統治を行っていますが、いつしかアナーンダの中に内部分裂(意見の対立)が生じ、互いにその事実を隠蔽しながら勢力争いの暗闘を繰り広げていました。
アナーンダの分裂こそプレスジャーの陰謀という説もありますが、それはともあれ分裂の余波で本体の「トーレンの正義」も艦長以下の将校も失い、ただ一人残された属躰となったブレクは、復讐のためアナーンダの殺害を企図しますが…
ラドチの中には名家とか出自といったものが重要な要素を占めているようで、ローマ帝国と属州を思わせるところがありますが、軍人は非常にシンプルな構成になっていて、艦長・大隊長・副官しかいません。例えば「トーレンの正義」の場合、艦長は1人。大隊長は10人いてそれぞれ20人の副官を従えます。副官は分隊長で、それぞれ20人の兵士を部下に持つので、「トーレンの正義」には4000人の兵士、200人の副官がいることになります。それに医療スタッフや管理部門の将校などがいるので、総乗組員は4500人程度かと思われます。
物語は19年前の出来事と現在が交互に描かれ、ブレクが当時の上官だったオーン副官に深い愛着を持っていたこと、1000年前のブレクの上官で、その後「ナスタスの剣」の艦長に昇任して去って行ったセイヴァーデン副官のことは全く好きではなかったものの、艦が破壊され行方不明になっていたセイヴァーデンが1000年を経て発見・救助され、復讐行中のブレクの前に姿を現して厄介者となることなどが描かれます。
原題の地球の軍制と全く異なるシステム、異なる政治制度。それはまあSFなんだから自由に作っていいのだと思います。が、それなりに説得力がある必要はあります。本書の場合、例えば分隊長(現代のニュアンスでいえば小中尉クラス)の副官の存在がやたらクローズアップされまくり、重要な任務を果たしているのですが、いくら沢山身体があるとはいえ、皇帝であるアナーンダが、たかが一副官についてあれこれ追及しまくるのはさすがにどうかと思います。あと皇帝の「陰謀」があまりにせこくて別の意味でびっくりです。
原文を見てないのでよくわかりませんが、Adjutantを副官と訳しているのでしょうか。本来副官は軍隊において大臣、司令官以下高級団隊長等を補佐する将校・士官の役職です。だから艦長など高級武官の秘書役として副官がついていてもおかしくはないのですが、分隊長を副官と呼ぶのはどうも違和感があります。作者が女性で訳者も女性ということで、軍事用語に明るくないのかも知れませんが、ラインとスタッフはおのずと違うんじゃないですかね。
あ、もしかしてラテン語のレガトゥス(Legatus)に由来しているのかも。こちらは古代ローマ軍の高級将校で、しばしば「副官」と訳されますが、「使者・使節」を意味する場合と「軍団長」や「総督代理」などを意味する場合があって、文脈によって解釈する必要があるそうです。そういう意味でも副官という訳語はやはり適当ではない気がしますね。
女流作家のせいか、ジェンダーの曖昧さというものも一つの特徴で、ラドチの言葉では三人称は常に「彼女」になります。じゃあ皆女性なのかというとそうではないようなのですが、登場人物の誰が男性で誰が女性なのか全然わかりません。全然エロくないけどギシアンシーンがあるので、異性は当然存在しているらしいのですが。
広大な宇宙に広がっているわりに、登場する各惑星とも現代の地球のどこかの国に類似しているような雰囲気で、本格宇宙SFというわりに宇宙戦とかは一切ありません。登場人物達がやたらお茶を飲むことを重視しているのですが、これは緑茶なんでしょうか?それとも紅茶?どっかの惑星には茶畑が広がっているので
しょうかね。

正直9冠といいますが、それほどの受賞はなかったウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」やグレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」ほどの衝撃は受けませんでした。私も年を取って感動する心が失われつつあるのかも知れませんが。「ラドチ戦史シリーズ」は三部作で本作は第一弾とのことなので、三部作全て読んでから評価するべきなのかも知れませんが。とりあえず絶対君主のはずのアナーンダのやたらとしょぼい存在感をなんとかして欲しいですね。

スポンサーサイト