世界を変える日に:SFと言っていいのかどうか悩む作品

昨日フランスで暴走トラックによるテロで80人以上が死亡したかと思えば、今日はトルコでクーデター騒ぎ。激動の世界情勢の中、毒にも薬にもならない脳天気なブログ記事を書いていていいのかとも思いますが、そういうヤツがいてもいいですよね。

本日はジェイン・ロジャーズの「世界を変える日に」を紹介したいと思います。ジェイン・ロジャーズの作品は初めて読みました。
ジェイン・ロジャーズは1952年生まれでロンドン出身。小説の他テレビドラマやラジオドラマの脚本を執筆する他、大学で作文を教えています。著作にはドラマ化・映画化されたものもありますが、「世界を変える日に」が初の邦訳作品となっています。

「世界を変える日に」は2011年に執筆され、2012年にアーサー・C・クラーク賞を受賞しています。アーサー・C・クラーク賞は「イギリスで最も名誉あるSF賞」と言われ、前年にイギリスで初刊行された作品(国外で刊行済の作品も対象)の中で最も優れているSF長編に与えられます。ただ…日本ではヒューゴー賞とかネヴュラ賞に比べるとマイナーな印象派拭えません。受賞作一覧を見ても知らない作品&作者ばかりで。イギリス人が星雲賞を見るが如くかも知れませんな。
原題は“The Testament of Jessie Lamb”。直訳すると「ジェシー・ラムの遺書」というところでしょう。映画なんかは最近原題を直訳したり、そのままカタカナ表記にするケースが多いような気がしますが、SF小説はまだまだ邦題を付けることが多いのでしょうかね。それでは例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。
バイオテロのため、子どもがもはや生まれなくなる疫病に世界じゅうが感染してしまった。このままではいずれ人類は絶滅する。科学の横暴を訴えて暴動にはしる者、宗教にすがる者。十六歳のジェシーは慣れ親しんだ世界の崩壊を目撃する。彼女の父親ら研究者は治療薬開発に取り組むが、かろうじて見出されたワクチンには大きな問題があった。それを知った彼女がくだした決断とは…。少女の愛と勇気を鮮烈に描き出した作品。

おそらく近未来の世界ですが、現代でもなんら差し支えないでしょう。誰が何のために起こしたのか一切言及がないのですが、母体死亡症候群(マターナル・デス・シンドローム:MDS)という凶悪なウイルスが世界中に蔓延し、全ての人間が感染してしまいました。このウイルスは感染しただけなら特になにも発症しないのですが、女性が妊娠すると脳がスイスチーズのようになってしまい、狂牛病のような症状を発症して急速に死に至るという恐ろしいものです。
つまり妊娠すると確実に死んでしまうということで、これ以上人口は増えることなく、緩慢な人類滅亡の危機に直面しているのです。実は赤ん坊を生む手段はないことはなく、妊娠した脳死状態の女性を機器類の力で生存させて胎児を成長させて帝王切開で出産させることは可能(通称「眠り姫」)なのですが、一人の子を産むのに一人の女性の命が引き替えになるため、人口は増えません。

「ファイブスター物語」9巻でサリオン皇子(斑鳩皇子)が“騎士の数は増えぬ。なぜなら…ひとりの騎士生かすにひとりの騎士の血を吸う”(剣聖デューク・ビザンチン)という言葉を引用していましたが、これが全人類に該当してしまったという。
安直な考えでは、一回の出産しか許されないならば、一回にたくさんの子供を産めばいいのではないか、なんて思ってしまいます。名付けて「おそ松くん」計画!。これなら人口増は不可能ではない気がしますが、そういうプランとかは残念ながら本書には一切出てきません。

緩慢な人類滅亡の危機に際し、世界も緩やかに崩壊しつつあります。治安は急速に悪化し、自殺者は増大し、子供達は大人を糾弾し、動物解放運動組織や女性団体が過激な活動を展開し、新興宗教も幅をきかせはじめています。
主人公の16歳の少女ジェシー・ラムも独立青年団に加入し、エコで省エネ社会を訴えようとしますが、組織内の意見はバラバラで、そのうち嫌気がさしてきます。その間に親友がレイプされて女性団体に傾倒していったり、躁鬱傾向の叔母が宗教団体に嵌まっていったり、ママンが浮気したり、或いはジェシーが初体験したり(ただしエロい描写は一切なし)と色んな事が起こっていきます。
ジェシーのパパンのジョーは医療研究者で、MDS対策を研究しています。そして遂にワクチンを開発しますが、これは既に罹患してしまった人間には無効で、凍結保存されている人間の胚にだけ有効です。ワクチンを投与してMDSフリーになった胚で妊娠して「眠り姫」にすると、母胎はMDSが発症して死亡することになりますが、MDSフリーの子供が誕生します。この子供達が増えて大人になって子供を作れば、人類はMDSを乗り越えて再び繁栄できるでしょう。

それをドヤ顔でジェシーに語って聞かせたのは「パパは何でも知っている」を絵に描いたようなパパンのジョーで、どこかの女の子が聖なる生贄になるだろうなんて脳天気に言っていましたが、まさか愛娘が志願するとは思わなかったことでしょう。
この計画は16歳の少女でないと適当ではないということで、ジェシーは今自分がやらねばと思いますが、パパンもママンも当然ながら反対し、引き留めます。でもママンはともかく、他人の娘なら良くて自分の娘はダメというのは全く説得力がないぞパパン(笑)。気持ちは判るけど。

この辺りを読んでいて思い出したのが永井豪の「鬼-2889年の反乱-」という短編。永井豪の作品は「デビルマン」での価値観大逆転を始め、短編には結構衝撃的な作品があって、「ススムちゃん大ショック」とか「真夜中の戦士」とか「くずれる」なんかはぜひ読んで欲しいのですが、「鬼-2889年の反乱-」も凄いです。
未来、人間は合成人間(クローン)を奴隷として使役していました。人間か合成人間かを区別するために、合成人間には頭にツノを生やして「鬼」と呼んで徹底した差別を行ってました。ある学者はこれに反対し、熱心な「鬼」解放運動の旗頭となっていました。彼の家にも合成人間の若者がいましたが、学者は実の息子のように慈しんでいました。いつしか若者と学者の娘とは惹かれ合い、愛し合うようになり、娘は若者の子を孕んだことが発覚します。それを知った学者は……いう、人間の心の闇をこれでもかとえぐり出すストーリーです。

本作の実は人間こそが鬼ではないかという糾弾は、デビルマン不動明の「きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!」という魂の慟哭にも近いものがありますが、「世界を変える日に」のパパンもそれまでの娘の自主性を重んじる理解ある父親ぶりを投げ捨てて、ジェシーを拉致監禁してしまいます。でもジェシーはとにかく実に頑固だった。

16歳の少女の自己犠牲というと、「たったひとつの冴えたやりかた」のコーティーが思い浮かぶのですが、ジェシーとコーティーでは状況はだいぶ違います。まずコーティーの場合は彼女自身が恐るべき寄生生物をまき散らしてしまう事態に直面しており、自らを犠牲にしなければ人類の危機を招いてしまうのに対し、ジェシーの場合は、彼女が命を捨ててもそれだけでは事態はさして改善しません。後に続く何百何千という少女達の犠牲がなければ滅亡の危機は回避されないでしょう。

またコーティーの場合は問題解決のための時間はごくわずかしかありませんでしたが、ジェシーの場合は、世界中の研究者がMDS対策の研究を行っており、また別の画期的手段が開発される可能性は十分あります。だからパパンやママンのもうちょっと待てという主張もあながち口からでまかせとは思えないのです。
結局のところジェシーの場合、失恋とか様々な出来事で生き続けることが嫌になって、人類を救うという大義名分の下、「名誉ある死」に逃げたような感じを受けてしまいました。それに、そこに至るまでの彼女の思考とか行動は、特別賢明にも思えないんですよね。ごく普通のJKが、歴史に名を残したかったのか。

コーティーといいジェシーといい、まったく英米のSF作家は少女の命を奪うのが好きだなあ、なんてゲスい考え方が心をよぎりましたが、よく考えてみれば日本では「魔法少女まどか☆マギカ」のようにもっと若い少女を酷い目に遭わせている作品があるので、人のことは言えませんね。
本作はジェシーが自己犠牲の道を選ぶまでを長々と描いていますが、MDSというガジェットはともかく、全体的にSFと言っていいのかちょっと悩む作品です。「アルジャーノンに花束を」系ということになるんでしょうかね。ダニエル・キイス賞なら問題ないけど、アーサー・C・クラーク賞となれば、センス・オブ・ワンダーな部分が欲しいところなんですが、滅亡確実と知った人々の行動とか退廃的な世界の様子はなかなか興味深いですけど、センス・オブ・ワンダーと言えるかどうか。パパンの娘ラブの心情は痛切に感じられますが、最後までわかり合えないところもまたリアルですね。このパパンには「自業自得」と言う言葉を贈りたくなりますが。
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